なんだかんだで政宗もピアスの有無でどちらかを確信しているようだし――それはめったにふたりがならび合わないからだとわかっている――思えばそれくらいしか差異は目立たない。女が男に扮するのは骨格の問題があるが、男が女に化けるのはあちこちつめればいいだけのこと。なによりクロエはそれが本業なのだ。 文机に乗りあがり、背伸びをして天井の板を一枚ずらす。以前は気になるだけだった妙なすき間も今はただの収納スペースだ。アクセサリなどのケースは財布などと一緒に持ちこみのバッグにつめ、そのスペースに押しこんで隠した。総額で万桁はいくそれらのほとんどはもらいもの。自分で買ったならまだあきらめがつくが、贈られたものと考えるといやがらせで紛失したら一発と言わず殴らせろと思う。ここにあることを心得ているのはクロエと、この作業をしているときに飛びこんできた成実だけだ。記憶力のいい彼らのこと、なにかあればたぶん気がついて保管してくれるだろう。なにかあれば。 「Hey, my dear! 「So cool. 市は昼からじゃなかったのか。ずいぶん気の早いことで、と思いつつ比喩的な言いまわしに直球で受けこたえては文机から降りた。 いつもなら情け容赦なくむしろ故意にやっているのではと勘ぐってしまうほどの勢いで襖を開けはなつのに、それをしないのは普段の言動がどうであれ一応は妻がいる身だからか。それとも、見られてこまるものはさほどないが――とて出るところは出て、へこむところはへこんでいる。けれど素のままでいる猫御前のプロポーションが 「 襖を引き開けて声をかければ、政宗は一瞬だけ目を見張り、すぐさまにらむように上から下まで眺めやる。 「クロエ……じゃねえな。。なんだってそんな格好してんだ」 「気分」 「なんだそれは」 「べつに。遊んでるだけ」 「 かく言った政宗もまたなかなかかぶいた格好をしている。 片身替わりというらしい、左半身のみに描画のような菊花の青い模様がある着流しすがたで、片目を覆うのは見慣れた刀鍔の眼帯ではなくぞんざいに裂いた布切れを巻きつけていた。これまた片腕を抜いているのは剣客かなにかのつもりなのだろう、には幕末をモチーフにした某週刊誌漫画の某キャラクタのコスプレにしか見えないのはなぜか。 包帯を巻く拍子にでもひょんとなったあほ毛を直してやりながらは苦笑をかえす。 「 「Yeah. まぜっかえすつもりはないようで、政宗もまた機嫌よさそうに笑みのかたちをつくった。 このところ雨だったり仕事が積みあがったりで遠乗りや鷹狩りにも行けなかったから目に見えて機嫌がわるく、なんとかしてくれと手に負えなくなった小十郎に頼まれたこともしばしばだ。 そのたびには当たり障りのない知識をひけらかし、海の向こうの神話や児童文学を理解しやすいよう潤色して聞かせている――彼がもっとも興味を示したのは『ふしぎの国のアリス』で、これを話した発端は政宗がときおりにやにや笑っているからだ。その笑い方を そもそも――本人ですらここのところ忘れがちだが、は政宗よりも一応は年下なのだ。 この時代は新年をむかえるたびに年を取るシステムだが生まれ日に祝いごとをしないわけではない。その上異国めいたものをよくよく好む政宗だ、自身の誕生日にどんちゃん騒ぎをしないはずがなく、過ぎし八月――そう、意外なことに彼は秋生まれだ――三日は軍をあげての宴とあいなった。強制参加させられたイベントだからよく覚えている。やることなすことすべてにおいて豪快かつ勢いのみが目立つ伊達軍ではあるが城下の民にも餅や菓子、酒をふるまったのはなかなか粋なはからいだった。さすがは元祖伊達男。 今のところだれにも教えてはいないがは冬生まれだ。言ったが最後、これを好機と見てまた祝宴という名目の散財をするのだろう。胃を痛めそうな人びとの顔がまざまざと浮かんでしまった。 先日の告げ口によって馘首された何某に替わって新たに算盤係の長に就任した鈴木七右衛門元信はかなりのやり手であり、なにかにつけて派手にしたがる政宗をしかりとばせる数少ないうちのひとりだ。どうして彼のような人材が埋もれていたかと言えば何某を推した最上家とその奥方の出身である南部家からの圧力が少なからずあったそうだ。 小十郎や元信ならば政宗をいくらでもしかることができる。しかし手足となってはたらく可続はまた頭を悩ませるかもしれず、なにより年貢を納めた農民たちに失礼だ。 じわじわと気配を濃くしていく冬はこの奥州にとって外敵から攻められないもっとも安全な季節だ。しかし雪に閉ざされた世界では物資調達もままならず、場所によっては住民のほとんどが餓死する村もあるだろう。また、どこぞで一揆が起きたとしても外の援軍を頼ることはできず、一回でそれを鎮圧できなければ雪だるま式にふくれあがり、末に訪れるのは最悪どちらかの滅びだ。伊達が滅べばこれを機に台頭してくれようと内乱が起き、あるいは春を待って外敵が侵攻して農村を蹂躙するだろう。いくら一揆を起こそうとも元は農民、どうあがこうとも人を斬ることを生業とする戦びとに勝てようはずがないのだから。 そんな冬に一個人――国主やそれの継嗣ならばまだしもただの冷や飯食いなんぞの生まれ日に歌えや踊れのばか騒ぎをしようなど、いくら好意のあらわれと説かれてもへそで茶が沸くというものだ。 なぜここまでが警戒するかといえば、ものめずらしそうに横を歩く政宗は前科数犯であるからだ。最近で言うなら成実が拾ってきた山犬を飼うことになった折にも歓迎パーリー――なぜかこれだけむだに発音がネイティブで笑える――と称して飲めもしないのに酒樽をひとつ開け損ねている。犬ころ一匹でああなのだから一応は人間であるなど考えるまでもない。同様に一周年のときも今からの懸念事項だ。 ちなみにかの山犬は 「しゃべる蛍でもいれば決定打だったのに」 「Ah? なんか言ったか」 「や、べつに。それより」 話をごまかそうとして、はぐるりと左右を見まわす。 「すごいにぎやかね」 「Of course. 雪が降れば奥州は陸の孤島になるからな、それをねらって連雀商人やら大原女が多く流れてくる。六斎市はあるが、この時期の市がもっとも売買がさかんだ」 「へえ」 自分の城下だけあって自慢げな政宗の言は実に正確だ。 そこそこ見慣れた見世棚の前や間にところせましと筵を広げている商人の多いこと、多いこと。売られているのは塩だの酒だの京で流行りの紅や反物なんでもござれ――ただし京から奥州までは歩いて半月以上、早朝から夜更けまで馬を飛ばしたとしても一週間前後かかる距離(直線距離でおよそ五○五キロメートル)だ。この時代の流行は一日二日で変動するものでなかったとしても大抵は京で廃れはじめてから主に田舎とされるほうへ流れていくもの。だから京で流行りのと銘打っても実際のところどうかは知れないし、近々上洛するのでなければ知っていなくともさしたる問題はない。 やはり政宗が天下を取るには遠征と同時に交易の風穴を開けなければままなりそうもない。徳川家康はべつとして、史上での織田信長や豊臣秀吉がほぼ一代で天下を統べられたのは貨幣価値を重く見たからだ。 それと、かたちばかりであったとしても当時の帝や将軍の威光。曲がりなりにも伊達家の氏は藤原だし、先代である輝宗の烏帽子親は亡き足利義輝なのだからつなぎは取れなくもない。 問題は貨幣だ。先の鎌倉および室町時代で貨幣鋳造が行われなかったために悪貨が良貨を駆逐し、今や貨幣価値があがってデフレともインフレともつかないことになっている。通常、貨幣価値があがれば物価下落だというのに貨幣制度が浸透していないせいで物価は時価なのだ。 貨幣制度は自国通貨に対する信用がものを言う。中世日本が明銭を多く使用していたのは鎌倉および室町幕府の権威の承認に問題があったのではと説く学者もいる。つまり貨幣経済を拡大させるには完全にではなくても天下がいずれだれの手に収まる流れであるかを日ノ本全体に知らしめる必要があるのだ――かの織田信長のように。 あとは座のことだが、これに関しては普段の生活やこの市を見るかぎり史実よりもだいぶゆるいようである。 それにしても商人たちは多種多様だ。馬を売るものもいれば筵や笠を黙って編んでいたり、これに乗じて見世棚の丁稚たちがところてんやらまんじゅうやら豆腐やらを売り歩いていたりする。ときどき刀を差しただけの伊達軍所属足軽兵に頭をさげられるのは特別手当で警邏をさせているかららしい。治安についてもしっかり考えているようだ。 ふとどこかで見かけた顔が目にとまり、は政宗の袖を引いた。 「ねえ、あれ」 「どうした……て、あんたな、ガキじゃねえんだから名前で呼べ」 「だって、殿さまだとばれたらまずいんでしょう」 だから苦心してみたのに、と。純粋にそう言えば政宗はますます機嫌をななめにしたのだが、はて、もともと機嫌とは縦なのか横なのか。神経がとがると表現することもあるから平常時は横かもしれない。 くだらないと知りつつ考えていると、機嫌が鋭角三○度ほどの政宗はお決まりのスラングで毒づいた。 「だれも 「ああ、そうか。うん、了解。梵」 「そっちじゃねえよ!」 「あ、 「聞け!」 「聞いてますよー、梵」 「!」 「はいはいさんですがなにか」 「てめえ……」 徐々に低くなる声を知りつつは軽々と打ちかえす。 |