ぶっちゃけてしまえば生活面においては政宗におんぶに抱っこだ。最初こそこちらに来てしまったときの浴衣とその晩に用いた単衣、翌日着た時代無視の浴衣しか収めるもののなかった唐櫃も今や多彩な衣服であふれており、ひとつで収まりきらなくなったそれらはおそらくひと月まわしてもあまるほどだ。
 理由は政宗の道楽にほかならず、奥方である猫御前と知り合ってからはそちらからの贈り物まで増えた。やはりというか、似たもの夫婦なだけあって贈られる――というよりは押しつけられるニュアンスで渡される品々はどう用いても相乗効果しか生まず、それが着物だけでなく帯や細々した装飾品などバリエーションも豊かだ。気がつけばにぎやかなになってしまった室内をよろこぶのは当のふたり以外では部屋の常連である成実や腰元の花房くらいで、実際そこで寝起きしているは苦笑を禁じえない。先の一件からこちら、伊達の財政に首をつっこむようになってからは何度頭を痛めたことだろう。この浪費癖が進言して止む問題ならば小十郎がとっくにやっている。
 さて、いくらが我関せずの衣装持ちであろうと季節それぞれに対してふさわしい色や生地などを細かく分ければそう多くはない。着物というものは重ねる枚数や生地の厚さで寒暖の調節をするものだからだ。
 今の季節は晩秋長月――新暦でいう十月と関東はようやく涼しくなりはじめる時期だが北国である奥州ではこの時期からぐんと山の色合いがあざやかになる。青々としていた木々は次第に黄、橙、赤、濃色と葉を紅葉させ、聞けば神無月にはもう風花(初冬の風がたって雪がちらちら降ること、あるいは山の頂から吹き降ろされた雪)が舞うという。そうすれば奥州は長い長い冬に閉ざされ、雪解けもまた遅くて場所によっては卯月になっても雪が残っているらしい。
 まさしく天然の要塞。しかしそれは諸刃の剣だ。
 外敵諸国からの侵攻は抑えられても内で謀叛でも起きたときには打つ手がない。援軍がなければ籠城のしようもないのだ。
 そもそも温暖化だ猛暑日だと騒ぎたてるだけ騒ぎたてて、でもとくになんの対処法も見つからない二一世紀から来たにとってこの時代は全体的に気温が低く感じられ、奥州なんか北海道と同等な感覚さえしている。
 こちらに来た当初でさえ秋かと思うほどの過ごしやすさであり、今の時期になってからは他人にくらべて一、二枚は多く着こんでいる。もともと厚着も重ね着もきらいな性質であるのだが背に腹は変えられない。もはや持病である自律神経失調症――末端冷え性は筋金入りだから治る見こみなし。
 今朝は起きてすぐに成実を投げとばし、着替える間もなく政宗に呼ばれて朝餉を取り、昼から立つという市を見物に城下へ行く約束を取りつけられて先ほど部屋へ戻ってきたばかりだ。クロエはもちろん影となって張りついているし、可直もそばにいた。つまるところ部屋は完全に無人であり、鍵があるわけでもないから出入りは自由。しかも高層に位置しているので人目にはつきにくい。
Dammit!」
 思いきり舌を打ち、無自覚にもそれが日本語でなかったことに気がついては頭をかきなでた。わずかに引っかかる寝ぐせによけい腹が立つ。唯一の救いは着替えるからと言って可直に席をはずしてもらったことくらいだ。
「ああもう! どうするかな、これ」
 ずかずかと畳を踏みつけて広げっぱなしの臥処にどっかりあぐらをかき、乱暴に髪を撫でつける。
 見せつけるかのようにふたの開いた唐櫃の中にはたっぷりとした水で浸され、政宗のお気に入りである天色の浴衣は濡れてさらに色を濃くさせていた。
 衣服においてもっともダメージが大きいのは隠されたり引き裂かれたりするよりもその場で汚されたり盛大に濡らされたりしたときだとは思う。前者ならば胸ぐらつかんで責めたててもこちらに不利ではないが、後者だとただの過失で済まされてしまう。相手に悪意があったとしても文句を言ったところで言いがかりだと撥ねつけられるに決まっている。
「は、ずいぶん頭がまわりやがることで」
 問題は相手側に隠すつもりがないところだ。
 は先ほどまで政宗とともにいたのだから犯人は自ずとしぼられ、しかし特定にはいたらない。実を言えばこういったことは今回がはじめてではなく、今までも小さないやがらせはたびたびあった。挙げたらきりがないのでいちいち記憶してはいないが、要は複数犯なのだ。これでは政宗がいくら処断したとしても城の管理が立ち行かなくだけで根本的解決にはならない。
 訴えるのはかんたんでも最悪奥州に戦の火種を落とすことになるだろう。譜代の処罰よりも城仕えや女中を処断するほうが骨折れることなのだ。二君に仕えずという理念が確立していない今、下手にきびしく罰すればすぐさま自分を買ってくれる他の勢力に鞍替えすることなどめずらしくない。それは男も女も変わらず、むしろ保身に関していえば女のほうがあさましいものがある。死んで花実をなそうとするのは出自が武門である者の考えであり、少なくとも公家や農民は腹もふくれぬプライドなんかよりも自分の命こそ惜しい。
 相手もさすがにそこまでは考えていないだろう、しかしのさらにむだに回転率をあげる頭はそういう結果を可能性としてたたき出した。ならば今できるのは見て見ぬふり、気づかぬふりをして、政宗とて知らぬわけではないだろうから彼が自発的に動くのを待てばいい。刃傷沙汰にでもなればいくらなんでも動かざるを得ないだろうし、なによりもそこまでされれば我慢するつもりはない。だれがなんと言おうとの立場はいまだ客人の域を出ないでいる。それを傷つけたのだから相手が泣こうがわめこうが知ったことではないのだ。ざまあみろ。
「と、つまらない今後の想定シミュレーションはここまでにして」
 はぱん、と手を合わせて音をたてる。
「クロエ、わるいけどあなたの服――忍すがたのでいいから貸して。あと、本当は頼むようなことじゃないんだろうけど、濡れてる着物隠すなりなんなりして復帰作業急いで」
「承知」
 答えがかえったかと思えばまばたきをする間もなく目の前が鏡映しになり、彼の手にはていねいにたたまれた衣服がある。あまりにも早すぎる応対に瞬間おどろくも、部屋の惨状から導きだされる可能性としての要求をすでに察していたとすればたやすいことだ。まったくもって畏れ入る。
「着替えろ。風邪を引く」
 わずかな力で肩を押されただけなのには後方へとたたらを踏み、からまりかけた脚をなんとかして顔をあげてみればそこにあったのはクロエではなく衝立で。わかりにくいどころかいささか律儀すぎる気づかいにあきれるも、はすなおに羽織を脱ぎ、単衣の腰帯の結び目をほどいた。
 腕を抜き、しかし単衣自体は肩にかけたままという中途半端な格好手渡された衣服を一枚一枚手に取ってはまじまじと眺める。黒いノースリーブのハイネックトップスにレギンスのような同色の筒袴、うすい墨色の着流しは和物のゴシックロリータによくあるラッパ袖だ。
 連鎖的にかすがとか言った女忍の着ていたものを思い出し、押さえるところは押さえているなあとついつい感心してしまう。こういったサブカルチャー的なことで深く考えないようになったのはだいぶ前だ。疑問には思っても追求しないでいる。つついて蛇が飛びでてきたらもはや対処の施しようがないから。
「着られるか」
「問題ないよ」
「重畳。しかし」
 言葉が切れると同時にがこんと重たいものが動いた。たぷたぷ音がするからおそらくは唐櫃ごと持ちあげたのだろう。ただでさえ重たい着物数着が水を吸い、さらに浸っていては重さなど考えたくもない。思うに、水ほど日常的に見た目と重さがそぐわないものもないはずだ。
「かわかしたほうがよくないか」
「それだと時間かかるからね。花房さんに見られたら意味ないから」
「次はごっそりなくなっているだろうな」
「なら、そのうち質屋でお目にかかるでしょう」
 インナーらしき上下を難なく着こみ、上の一枚はお端折をつくらずに重ねて帯を巻く。あまった両端は文庫のようにひとまとめにするのが正しいようだがやはりそこはふつうに結んでもつまらないので青い濃淡の三尺手ぬぐい――実際は鯨尺三尺以上あるそれをクロエに放ってもらい、腰まわりを二周ほどさせて左前で小さな蝶結びをつくって提げ帯にする。
「いいなあ、これ」
 動きやすさを重視しているのか足もとは自然と前が開いているつくりの着物は軽く、それに反して十分あたたかい。まさしくの理想だ。
「これほしいな」
「かまわないが、死にたくなくばそれで外に出てくれるなよ」
「ふうん。やっぱりねらわれるんだ」
「ここのやつらにな」
「あら」
 同業者なのに命の取り合いなのかと思いつつ適当にかえしながら衝立を押しのける。そこにだれもいないことは予想済みで、わずかに濡れた畳に名残があるばかりだ。ついでなのか、起きたときのまま放っておいたふとんもきちんとたたまれている。もはや忍の仕事じゃない。
「でもなあ」
 やっと肩に届いた髪をばさばさ梳かしながら目をすがめる。
 外出するなと言われても政宗と出かけることを約束してしまった。これで行けないなどと断れば拗ねて使いものにならなくなること請負だ。そうなったときいちばんの迷惑を被るのは小十郎、次点で泣きつかれる。もっともな被害に遭うのは八つ当たり対象である成実あたり。いずれにせよ、めんどうなことに変わりはないのだ。
 かと言ってすなおに相談するという手段はいのいちばんに選択肢から葬り去っている。
 処断云々は置いておくとして、これを機にさらに着物を増やされてはたまらない。いつだったか小十郎と組んでこんこんと説き伏せて以来もあの夫婦はいまだに機会をねらっているらしい。生活するのに衣服はさほど量が必要なものでないと身をもって知っているはずなのに。
「まあいいや。無問題、無問題」
 わかりにくいピアスホールをぐりぐりとほぐし、当たりをつけたところに針を刺しこんでキャッチをはめた。
 めずらしくもわるかった寝相のせいでピアスを壊して以来寝起きの際にははずすように心がけている。じゃらじゃらしていたり大ぶりだったりすると必ず気がつくのだがワンポイントタイプなものだと忘れてそのまま寝入ってしまうこともままあり、うっかり壊してしまったものは二桁にのぼる。そうでなくてもゆがんでしまったりペアがなかったりして組み合わせようもなくあぶれてしまったものもいくつかあるのだ。
 そういうわけで今日の装飾品はいつものカヤナイトのリングに、シルバーのセクス・フルールの一対。有名ブランドのシリーズではないけれど、アクセサリショップで似たデザインのそれにひと目惚れして衝動買いした一品だ。少々ごつい感じのテイストが気に入っている。これならクロエ仕様の格好にも合うだろう。