子どもの髪は存外やわらかい。泡を髪の合間にすべらせ、爪は立てないよう気をつけながら指の腹で頭皮を刺激する。片目しかないと負担はもう一方にかかるしかないからそれを軽減するマッサージだ。身体にも気の流れがある。目の疲れは流れて首や肩、腰の不調にもつながるのでなおさら気を配らねばならない。本当は目を酷使しないことがいちばんの薬なのだがそのような贅沢は言っていられないだろう。五官と歯は一生涯つきあっていくものだ。
「流すよー。目つむって」
 ぎゅうっと持ちあがった両肩を微笑ましく思いながら洗面器を引っくりかえす。手おけとそれとで交互に湯をかけてしっかり石鹸を流した。
「よくできました。と、リンスはどうしようか」
 先ほどとはべつのボトルを手に、
 彼には鬢付け油のようなものだと説明してある。前二日は試しにやったのだがさらさらの髪をしきりに気にしていて、案の定、子どもは顔をゆがめた。
「ぬるぬるするからいやだ」
「じゃあやめとこうか」
 ボトルを備えつけの棚にもどし、手首にはめていたヘアゴムで彼の髪をまとめあげる。いつもはひもでくくっているそれは濡らすとと同じくらいの長さがあり、耳の高さくらいでかんたんなお団子にした。
 スクラブ用の目の粗いタオルにボディーソープと湯をふくませ、何度かにぎって泡立たせて子どもに手渡す。なんでもやってあげるのはやさしさではなく、それは相手の能力をあなどっているのだと誤解されることは少なくない。彼とて初日は泡を怖がっていたものの日に何度も目にしていればどうにか親しめたようで、タオルを数瞬見つめた後に左腕から順にそれをこすりつけた。
 左腕を洗い、次に右腕。それから全体を洗うやり方はどことなく手水ちょうずの手順を思いおこさせる。そういえば彼の右目は神社の次男だったか。神道においては、神に対して左が下位であり、右が上位にあたるのだと先日なにかのクイズ番組で見た気がする。
 ん、とかえされたタオルを受けとって手が届かない背中をのんびり洗う。全身の垢すりは初日に長時間かけてやったから今日は軽くでいいだろう。が手を出すのは背中だけで、あとは後ろから指摘するだけにとどめる。
 泡だらけになった子どもに湯をざばざばかけて石鹸をすべて落とす。わずか耳にはいった泡をタオルでぬぐい、髪をくくっていたヘアゴムを取ってからは彼の背をたたいた。
「はい、おしまい。おつかれさま。じゃ、同じところに寝巻き置いてあるから着替えて部屋もどって。ああ、そう。髪もきちんと拭くこと」
 言えば、子どもはいやそうに――正しくは至極めんどうそうに顔をゆがめた。
 しかしとてむりやり湯船に浸からせないだけ譲歩しているのだ。なにせさんざん暴れられたのだ。だれだって進んで痛い思いはしたくない。
「また、あの小づちを使うのか……」
「は、小づち?」
 非難するようなそれには一瞬きょとりとし、すぐさま合点した。
「あー、わかった、ドライヤーか。や、あれ使わないでいいから。へたしたら髪焦げるし」
「こげっ……火が出るのかっ」
「出ない、出ない」
 手をひらひらさせて否定する。どうにもまちがった知識で納得しかけていて実に危うい。風邪を引かせてはまずいという気づかいが思いっきり裏目に出ているのが見て取れて、は水滴をあまたにくっつけている天井をあおいだ。はふだんからしてドライヤーを使わない。夏であろうと冬であろうと天然乾燥ひと筋だ。
「ほら、わたしに拭かれたくないんだったら自分でやるしかないってわかってんでしょう」
 言外にさっさと動けとふくませて浴室から追いだし、戸を閉めやる。
 思えば彼の髪が生がわきだったとしてもそれこそドライヤーを使ってちゃんと拭いてやればいいことなのだが、それでは洗濯物がまた増える。今年は空梅雨だったからなるべく節水に気を使いたいところだ。
 浴槽のふちに座り、両足をそうっと伸ばして腰かけに乗せる。くすぐったいような、表現しがたいじんとした感覚にふちを強くつかんで耐えた。
「くぁー……足、しびれたあ」
 同じ体勢でいるとむりな負荷がかかる。正座への耐性はあるのに、どうしてか中腰になったり長時間あぐらをかいていたりすると動けなくなるのだ。それはたとえひざ立ちであってに変わらず、過去いちばんの屈辱は体育座り――三角座りとも言うらしい。とにかくひざを抱えていただけなのに立てなくなったことだ。いまだに原因は不明。
 そこそこしびれが収まったところで手を伸ばして足の裏やふくらはぎなどを揉みほぐす。手足のしびれというのは血流がわるくなって起きるのであるからして揉んだりあたためたりすれば回復が早まるという俗説だ。知人のように『家庭の医学』を好んで読む趣味はないので正否のほどは知らない。
 ある程度まで動かせるようになったのと同時くらいにこんこんとかたい音がした。戸を見れば黒いような青いような小さな影がある。
「着替えられた?」
 すりガラスのせいでおぼろになっている影がわずかに動いて、それがうなずいたからというのは考えずともわかる。
「なら部屋行ってて」
 影はすぐには動かなかったが、湯船にふたをするためにが立てかけておいたそれを持ちあげた音にでもはじかれたように脱衣所を飛びだしていった。
「うーん。初心うぶっちゃ初心なのか」
 適当に浴槽のふたをはめ合わせた後にもまた浴室を出、すっかり濡れたタオルと水着をぽいぽい脱いで洗濯籠に入れた。私物の水着と競泳用のそれをローテーションさせているのだが、これが夏でなければ前者は屋外に干していてあやしいことこの上ない。
 子どもにはああ言ったが自分は体調をくずしてもべつに問題はあまりないのでコンコルドをはずした髪の先から水が滴らないほどで拭くのをやめ、早々にパジャマ代わりのTシャツと薄手のジャージズボンを着て脱衣所を出た。
 脱衣所と廊下をへだてる戸を閉める寸前に見えた鏡の自分を思いだし、なんとなく腹に空いている手をあてがいつつ階段をのぼる間にも頭に乗せたタオルを片手でがしがし動かす。
 の部屋はどこの家にもありがちな和室だ。六畳間よりもひとまわり広い面積だがベランダに出るための一面と襖のあるところをのぞいた二面に本棚やら机やらたんすやら押入れやらがあるのでさほど広くは見えない。
 年ごろの少女を主張するようなものはかけらほどしかなく、空いた壁スペースにあるのはアイドルのポスターではなく数枚の写真やメモを貼ったコルクボードと『銀河鉄道の夜』をイメージした一○○○ピースのパズルだ。
 折りたたむことが可能である収納型机のそばにはなぜかぱんぱんにふくれたままの赤いドラム缶バッグが鎮座しており、押入れのふちにはハンガーにかけられたセーラー服が引っかかっている。様式に反して展開しっぱなしの机にはノートパソコンと積みあがったハードカバーが何冊か。
 とくべつなかわいげのない部屋の中央に据えたふとんはふた組あり、その一方はマットにシーツをかぶせただけの簡易なものだ。それらにまたがるのはうす青いタオルケットで、押入れのほうに枕がふたつならんでいる――風呂にはいる前にが子どもに手伝わせてそう敷いた。
「眠いなら寝てればよかったのに」
 真っ暗な室内――なぜか電気にだけはなじめなかったからだ。その分ベランダ側の障子を開けているので、外の街路灯のおかげでかろうじて顔が見える――で、ふた組のふとんのちょうど接着している部分に子どもが座っていて、まるで待てを言い渡された犬のように雰囲気ではいってきたばかりのをとろんとした目で見あげていた。
 ちなみに彼の格好は白いTシャツ一枚でワンピース状態だ。もちろん下には体育着のハーフパンツを穿いているはずだがこれだけ見れば完全にショタである。心底どうでもいい。
 タオルを首にかけ、襖を閉めて彼と同じくブランケットの上にあぐらをかけば、子どもはむくれたように頬をふくらせて、けれどやはり眠いのか左目をこする。
「だめ、こすらないの。傷がついて見えなくなるよ」
 あわてて細い手首をつかんで止め、ついでと言ってはなんだが貼ったままのフィルムの端に人差指の爪を食わせてひと思いに引きはがす。
「いたっ」
 皮膚が引っぱられて痛んだ部位を手で隠すように押さえ、子どもはきっと顔をあげてを真っ向からにらんだ。
「いきなりなにするっ」
「だって密閉したままじゃ逆に傷にわるいし。適度に空気さらさないとね」
「そうならそうと言えばよかろう!」
「ふふん、実はこれで三度目だったりするわけだよ。この時間になるとおねむみたいだから覚えてなくても仕方ないよねえ」
 その証拠に昼間とくらべて子どもの口調はどことなく舌たらずだ。
 人間の持つ概日リズム――覚醒と睡眠のサイクルは環境がとつぜん変わったとしても一週間前後は狂うことがない。つまり子どもはいわゆる時差ぼけ状態にあるのだ。
 図星をさされて口をあくあくさせている子どもをからかうことなくはいまだしけっている彼の髪を撫でる。中身のない、ああ言えばこう言うといった舌戦をするには今の彼ではものたりなさすぎる。なにせ語彙のストックからして差が歴然としているのだからむしろ泣かせてしまう可能性も捨てきれないのだ。今さらながら対子ども用の口調も寒い。
「まあ寝ちゃっていいと思うよ、つか寝な。あんまり遅くまで起きていると頭痛いわ肩重いわ背伸びないわでいいことないよ。本当に」
 成長ホルモンは夜更けを見はからったタイミングで分泌、活性化するものだ。十分な栄養、それに見合うだけの運動と骨への刺激、そして人間が生まれ持った超回復の能力を促進させるだけの休息がそろったところで身体は成長するのだ。
 身長に関してなら日々の姿勢も関係する。勉学だ執務だで日夜部屋にこもってひざをたたんでいるよりも屋外でどろんこになるまで駆けまわっているほうが背を伸ばすのは自明だろう。
 だから寝なさい。不満そうな子どもの額を人差指の背でたたいてやる。
 背が伸びないと言った途端小さく反応を示してみせた子どもは反論する風もなくがいる側に寄ってくる。
 出入り口に近いほうのふとんを彼に、と決めたのはもちろんだ。武家屋敷とちがって個を確立した現代の家は逃げるという面でおいてはひどく不便だ。家の中は安全という無意識の認識も関係しているのかもしれない。
 入れ替わるようにどいてやれば彼はおとなしくタオルケットにもぐりこんだ。低反発の枕がなかなかお気に召したようで、何度か枕の場所をあらためて落ち着くところを探し、ようやく満足がいったのかぐにゃりとしたそれに顔の右側を枕で隠す。
 上になった片目だけでをぼんやりと見つめた。
「さっきの……」
「さっきの?」
「いこくごの、もういちど」
「あれはなあ、ちょっと変えたやつだから」
「そう、か」
 人間は重力の関係上、横になるとどうしても筋肉が弛緩してしまう。起きあがっていれば元気はつらつであっても身体がつかれているときほどその傾向は大きく、彼の場合はいまだ慣れないことばかりで気が張っていたせいだろう。
 またたいた目がざんねんそうな色をふくんでいたのを見つけ、自分用の枕もふとんの境目近くまで動かしてタオルケットにすべりこむ。
Okay, little lord. I'll sing for your wising.
 だれかと共寝した経験など赤子のときくらいなのだろう。クーラーをドライにして入れているせいで涼しい室内の中で熱を求めて子どもがにすり寄る。微笑ましい行為をそのままに左のひじをついて頭を支え、もう一方で子どものうすっぺらい背をやわらかくたたいた。
 子どもという生き物はうらやましいことに入眠が早いからおそらくは無意識、しかし声が届かないわけではない。
A was an apple-pie; B bit it, C cut it, D dealt it, E eat it, G got it,
 子どもに寝聞かせるのに適した歌をはあまり知らない。日本の子守唄でさえ正確な歌詞を知らないのだから、自然とチョイスはマザーグースだ。
H had it, I inspected it, J jumped for it, K kept it, L longed for it, M mourned for it, N nodded at it, O opened it,
 がはじめてマザーグースを知ったのは『鏡の国のアリス』の原作を訳本で読んだときだ。それ以前から『だれが駒鳥殺したの』や『アーサー王のプディング』、『ロンドン橋落ちる』などは知っていたけれどそれがマザーグースとは認識していなかった。
P peeped in it, T took it, U upset it, V viewed it, W wanted it,
 教材としてマザーグースを使った中学の英語教師はマザーグースの認知度の低さに、だから日本の子どもは弱いのだと言った。聞けば残酷なうたばかりが目立つマザーグースを童謡としている英国人にくらべ、日本の子どもは考えがやさしすぎるらしい。
X, Y, Z, and ampersand.
 たしかに日本の童謡は比較的おだやかで、その残酷さはよくよくばらしていかなければわからないほど抽象的にコーティングされている。それでいてマザーグースとはくらべる次元が異なるほど時代の生活に密着した生々しさがある。
All wished for a piece in hand.
 それはまるで狂気の種を植えつけるかのように。
 最後のフレーズまで歌いきったとき、すでに子どもはすうすう寝息を立てていた。右目を枕に押しつけ、左手で無意識にのTシャツをにぎっているのでうつ伏せのようになっている。
 苦しくはないかと顔を覗きこんでみるに、そこにあったのはにはあまりに幼い寝顔だ。
 意識はないのだとわかってなお、は彼の背を一定のリズムでたたきつづける。
「それを持ってられたなら、よかったのにねえ」
 胸のあたりをつかんだままおだやかに眠る子どものひとつ頭を撫で、ふたり分の肩にタオルケットをかけなおしてはゆうるり目を閉じた。





Married on Wednesday,