ばしゃん、と水のはじける音では素でおどろいた。あわてて身体を起こせば髪をアップにするために巻いていたタオルがひざのあたりに沈んでおり、垂れた髪もすっかり濡れそぼっている。 「あー」 どうやらうっかり寝てしまったらしい。その証拠に、ぬるめの湯に浸かりながら読んでいた本――特殊加工されたプラスチックでできた本で、風呂場で覚えるシリーズ日本史年号篇も水底だ。ちゃんと乾かさないと一枚一枚はがすことになるそれにうんざりしながらタオルごと引きあげ、そこら辺に置いてタオルをぎゅうとしぼった。 湯沸かし器のパネルに表示されているデジタル時計を確認すればは入浴をはじめてとうに三○分が経っている。これが常ならば手足の先がふやけないよう気をつけてまで一時間はよゆうで浸かっていたりするのだが新たに増えた客人のために湯船からあがった。 柔軟剤入りの洗濯洗剤におかげでふわふわの、けれど欲室内に置いていたせいで若干湿った真白いバスタオルで水気をざっと拭きとり、過分に水気の残る髪は蝶のモチーフのついたコンコルドでまとめてしまう。それからパジャマではなく修学旅行のときに買った水着に着替え、その上からバスタオルを巻いた。 自宅で水着というのも妙な気分だがすべては子どもを風呂に入れるためであり、 的には銭湯やプールなどの公共施設のノリなので全然平気だが突如として浮かんだ彼の保護者に脳内で説教されてしまってはごり押すわけにもいかない。むしろどうでもいいというのが本音だ。 浴室と脱衣所とをへだてる二つ折りのすりガラス戸を横に引けば、なぜか座布団を持ちこんできちんと正座している子どもが船を漕いでいた。 「犬じゃないんだから」 初日をのぞいてこの二日、なにを思っているのか彼はにべったりだ。文字通りそうなのではなく、がなにをするにもかならず視界にはいる位置にいるのである。やはり多少なりの不安があるのだろう。慣れぬところにひとりきりでいるよりも、少しでも見知った人間がいたほうが安心できるものだ。がそのことに気づけたのは自身にも覚えがあるからだ。比較にならないことだがクラス替えなどがあると時たまそういうことがある。 は彼のすぐ前にかがみこみ、太ももに肘をついて頬をくるんで眺めやる。短い手足、まるみのある頬、ひざの上ににぎった拳を置いて眠りこけるさまはあどけないものだ。これがあの鋭利で丹精な顔になるのかと思えば実にふしぎだ。 しかし、いくら夏とはいえどもこのままでいたらどちらも風邪を引いてしまう。それはの良しとするものではないので左手の親指に人差指を引っかけ、彼の額に向けて容赦なく弾いた。 「いたっ」 「こんなところで寝ないの。ほら、お風呂はいるから服を脱げ」 脱がされたくないでしょう、と手をわきわきさせながら努めて無表情に告げる。 涙目になって額を押さえた子どもはさあっと青ざめて腰帯をほどきだした。 彼が着ているのは従兄が幼いころ着ていたと思われる浴衣を借用している。使わないものは片っぱしから捨てていくような性質の従兄だけに子供用の浴衣など残っているのがふしぎで仕方がないが今回ばかりは助かった。それでもローテーションできるほどの枚数はないし、浴衣が家庭用洗濯機で洗える気がしないから明日あたり衣類を買いに出かけたほうがよさそうだ。子どもが何日留まっているかは不明だがせめて三パターンもあればまわせるだろう。一週間前後経っても変化がないようならそのときまたそろえればいい。 そうこうしている間には戸を開けたままふたたび浴室にもどる。タオルは置いておいたからちゃんと隠すところは隠すだろう。まあ子どものそれを見たところでどうということはないが、それはいまだ幼い彼の名誉のために黙っておく。将来のトラウマになられては家の存続に関わってしまう。それがのせいだとばれたあかつきには責任を取って嫁入りを強要されることも十二分に考えられた。むしろあの右目ならやりかねない。 ごそごそと服を脱ぐ物音が途絶えたのでは脱衣所に向かって声をかける。 「脱げた?」 「ん」 「それじゃこっちおいで。その目、濡れないようにしてあげるから」 そう言ったところですぐさま彼が来ないのはも二重の意味で理解している。 素っ裸であることは置いておくとして、眼窩からこぼれてしまったという右の目玉はおそらく癒えることのないトラウマのはずだ。いまだに疱瘡の発疹が痕になっている顔もみにくいものでしかないのだろう。感受性ゆたかな時期だけにその印象は顕著だ。 また、見られることと同時に彼は伝染を恐れているように思える。 日本で天然痘が流行したのは過去数度あり、有名なところでは奈良時代の公卿、藤原四家の始祖である藤原四子あたりか。しかし、今日び天然痘は種痘によっての予防ができ、一九八○年にはWHOによって絶滅宣言がなされている。もしウィルスが現存しているとすればそれは研究所のシャーレの上くらいだ。 一向に動きを見せない子どもにしびれを切らし、が浴室を出た途端にびくついた彼の前で仁王立った。当然ながら両手はくびれの目立たない腰にあてている。 「あのね、昨日もおとといも言ったけれど片目がないなんてそんなめずらしくないよ。たしかに目だったり腕だったり足とかない人は少ない、でもそんなの関心を集めることじゃないの。コンプレックス……ええと、あれだ、いろいろとうとましいとは思うだろうけどいつまでもぐちぐちしてるな。男の子なんだから」 身を引きかけている子どもにぐいと上体を曲げて顔を近づけ、一気に言いはなつ。 ぶっちゃければは片目を持たない人など知り合いでは彼以外にいない。しかし両目とも失明寸前なまでに視力が低い人は多いし、戦争や事故で手足を失った人がたくさんいることをたしかに知っている。どこでかは忘れてしまったが片足がないホームレスの老人を町中で見かけたこともある。 もちろん目に見える傷がすべてではない。脊髄損傷、神経麻痺、病気、幻肢痛。精神的なこともふくめてしまえばそれこそ星の数だ。世界は理不尽で満ちている。 しかし、そのような傷跡に関心を持ち、あるいは哀れむのは極わずかでしかない。その中からさらに手を貸してくれるのもそう数はなく、ほとんどが見て見ぬふりをしてしまう。単純に興味がわかないというのもあるだろうが多くは関わりたくないがため、一部ではどうしていいのかわからないから。 かくいうは不運なことにケロイド体質だ。一般的に四人にひとりの割合でいるとされ、たとえばリストカットなどをすれば傷跡が一生消えないものとして残る。おかげで昔自転車ですっ転んだ際に切った手のひらには小さな筋が黒ずんでいる。 の欠点のひとつに、あまり話すのが得意でないことがある。基本的に自己完結させてからものを言うせいかなにかを説明的に話せない。一度整理してしまったことをふたたび順序だてることができないので途中から支離滅裂になることもままあるのだ。教職にはぜったい就けない。 であるからして、いきなりぼろぼろ泣きだしてしまった子どもをなぐさめることも容易ではない。男女の性差も年齢も問わずしてだれかに泣かれるのは苦手だ。間接的に泣かすことは多々あれど、目の前でだとこちらもパニックになってしまう。 どうすれば最適なのかわからず、仕方なしにはその場でひざ立ちになると子どもの目もとに手の甲をあてた。彼がまばたきするたびに頬を伝うそれを力をこめずにぬぐいとる。 「泣くなとは言わないよ。泣いてどうこうしなくたってすっきりはするもの」 ね、とわずかに首をかたむける。 子どもはこまったような、ぼんやりした表情を見せてすぐに顔をうつむけた。 それを両頬を手ばさんで持ちあげ、はかたわらの棚を開けて手のひらサイズの箱を指の合間でふたつ同時につかんだ。殺菌状態を保つために別個にパッキングされたのをそれぞれひとつずつ取って、箱はふたたび棚の中へ。 その片方の包装を破ってガーゼを出し、一度広げてから五センチ四方に折りたたみなおして子どもの右目の包帯の上から押しあてる。こうすれば傷跡をに見られないで済むだろう。 「おさえてて」 言うなりはガーゼから手をはなした。あわてて腕を持ちあげる動きを目の端に入れながら目隠しに巻いていた包帯の結びをほどく。 「覚えなくてもいいから聞いて。ただのひとり言と思ってくれてもいい」 下しか映していなかった子どもの左目がナギサに向いた。 ほどいた包帯は巻きなおさないまま洗濯かごに投げいれ、もうひとつのパックを開ける。手や足のけがのようにビニールぶくろをかぶせるわけにはいかないから、少し高かったけれど水をはじくフィルムを上から張ることにした。水仕事にも耐えられるのだから入浴も許容範囲内のはずだ。 「あのね、なにか言いたいこととかやりたいことがあるのなら自分の口で言いなさい。言わなくてもまわりが察してくれるのはすてきだし楽だけどさ、それって自分の意見はどうでもいいのと同じってわかる?」 フィルムの保護シートはがす手をとめて訊けば首肯してみせたのでもまたひとつうなずく。その一瞬後に、これではひとり言ではないと気づいたが彼は気にしていない様子なのでそのままつづける。 「いつもいつも言わないでいたらまわりの人たちが、きみはこう思っているのだからこうしたんですって勝手なことをしてしまうかもしれない。つまりぜんぶきみのせいにするのね。もしそれできみがちがうって言っても信じてくれる人はきっと少ないよ、だっていつも黙っているから」 まだ他人を信じていたい時期にこのようなことを言うのは酷かもしれない。でも、なんというか今まで見知っていたのとは二一六度ほどもちがう彼に心配になってしまったのも事実で、の言ったことが彼に反映するかはわからなくとも伝えておかなければならないような気がしたのだ。 手をどけてもらい、粘着面をむき出しにした透明なフィルムを右目にあてがったガーゼの上にぺたりと張りつける。慣れないそれは気持ちわるいものでしかないだろう、しかしこればかりはがまんしてもらわねば。 「Do you understand?」 意味はわかっていないだろう。わかるはずがない。しかしニュアンス的にどのような意味かをそらえて子どもは小さくうなずいた。おぼろげには理解できたようで、今はそれだけで十分だ。 「Good. 」 笑い、は彼の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。 「こ、子どもあつかいするなっ」 「ありゃ、それは失礼」 頭をふって撫でる手から逃げた彼の背後にまわり、浴室に押しこめて引き戸を閉めた。 ずっと戸を開けていたせいで先ほどまでくもっていた鏡には水滴がまばらに残っているだけだ。 はその前に腰かけを置いて彼を座らせ、洗面器で湯船の湯をすくって肩にかけてやる。いきなり熱い湯――この家では、シャワーは夏でも基本四○度だ――をかけるよりはぬるいほうが身体も慣れやすいと見越してだ。 三度目だというのに緊張の抜けた様子のないうすっぺらい肩を前にどうしたものかと思う。反応がまるで猫だ。どちらも文化のちがいなのだからしょうがないと見切りをつけた。伊達家が秘湯を持っていないとして、この年齢のころならメジャーなのはいわゆる蒸し風呂だろう。沸かした湯の蒸気で垢を浮かせ、それを竹べらでこそぎ取るというのだからぞっとしない。 温度設定をいじって二、三度下げるとカランから洗面器にぬるま湯を溜める。ある程度溜まったところで水を止め、 「目閉じろー」 「は?」 両手で持った洗面器をくるりんぱと子どもの頭上で引っくりかえした。 しとどに水をかぶった彼は犬のように頭をふって余分な水気をふり飛ばし、ぐるりと首をめぐらせた。 「いきなりなにをする!」 「なにを、って。頭洗うから髪濡らしただけ」 つまらぬ説教が効いたのか、さっそく噛みついた彼をひざ立ちのまま見おろし、はソープボトルのピストンを押して手のひらにシャンプーを乗せると毛を逆立てる猫さながらの子どもの頭をその手でかきまぜた。 ぐらぐらと小さな頭が泡まみれになりながら左右前後に揺れる。 「何度でも言うけど目ぇ閉じてなさいね。あとで痛くなっても知らないよ」 「わかって、おるっ」 「こら、口開けない。まずい思いしたくないでしょう」 先日うっかり泡を口にふくんでしまった彼はすぐさま貝になった。 シャンプーハットなるものがあればベストなのだ。しかしそのようなものはこの家にないし、それ以前にはそれを使ったことがない。CMで見るたびに河童もどきになってなにが楽しいのだろうかと思っていた記憶があるような、ないような。 「Aはあつあつアップルパイ、Bはびっくりビスケット、Cはしっとりシュークリーム、Dはどっきりドーナツ」 そもそも髪を洗うこと自体が不可解なのかもしれない。戦国の世なれば、ほとんどの武士は 伊達男の語源を知る後世の人間であるとしては若干の不安がよぎる。料理といい、これといい、もしかしたら英語に関しても後の彼がああなったのはのせいなのかもしれない。 「Eはえっへんエクレアー」 そうは思いながらもついついよけいなのを口ずさんでしまっているのだから実に世話ない。 |