あの口うるさい傅役にばれたら確実に今はいらぬ世話だとすごまれ、怒鳴られること確実だが、
「まあ、これも経験でしょう」
 とくになんでもないことだったので――いくらなんでもそれとわかる子どもに胸つかまれたくらいで騒ぐほどおとなげなくはない、それが故意でさえなければ――は子どもの頭を軽く撫で、ようやく動かしたスツールに落ち着けてやる。
「じゃ、つづきやるか」
 改めてコンロに火をつけてにんにくを揚げるように炒め、途中で気がついて換気扇のスイッチを押す。
 ごうごうと低くうなりながら煙を吸いこんでいくそれに子どもは首をすくめた。そして、その反応をが忍び笑っていることに気がついて身を乗りだす。
「べ、べつにこわがってなど……」
「はいはい」
「……その言い方、どうせ信じておらぬのだろう」
「まあね」
「んなっ」
 スツールに両手をついたまま口をぱくぱくさせる子どもに苦笑いをかえした。くちびるの動きからしておまえだとかきさまだとか、そういった類のことを言いたいのだろうと察する。
ですよ、お坊ちゃん。ほらほら危ないから近づかない」
 片手で子どもの肩を引いてちゃんと座りなおさせ、木べらを動かしていたもう一方のそれで野菜のざるを引き寄せる。適当に水気を切っただけでとくに順序立てもせずに鍋に空ければ瞬時に水と油が反発しあって先ほどよりもさらにはでな爆竹状態だ。
 びくついて身を縮こまらせる子どもはさて置き、何度かかき混ぜるだけに留めて完全に火が通りきらないうちに冷蔵庫から出した水のボトルキャップをひねる。
 がなによりも危惧しているのは水の問題だ。消毒だの再利用だので水道を流れるそれは化学薬品で汚染されていると言っても過言ではない。うれしくないことに生まれこの方だんだんと濃度を増している毒の水に慣れた身体はただ味覚だけが不快を訴えてあとは毒物を体内に蓄積させるだけ。しかし子どもの場合はいきなり劇薬を投与するようなものだ。もしそれが原因で具合をわるくしたとしても戸籍のない――あるはずがない彼を病院に連れていくことはできないのだから気をまわしすぎてもこまることはなにひとつとしてない。
 とっ、とっ、とっ、と二リットルのペットボトルが中身を半分くらいまで減らしたところで鍋に月桂樹の葉数枚と灰汁取りシートを放り入れる。使っている夏野菜のどれもが加熱にそう時間がかかるものではないので十分もいらないだろう。
 いつもならば二十分も使わないで終わる工程にずるずる時間がかかっているのは材料や調理器具について子どもに訊ねられたことをていねいに説明しているからだ。前もってこちらから説明してやるほどは過保護ではないのでほとんどを彼の自主性に任せている。知っていることをわざわざ教えなおされることほど自尊心が傷つけられることもない。
 火を少し強めにして加熱を早める。その間に昨日しまったばかりのホールトマトの缶をストッカーから引っぱりだし、上の部分を軽く布で撫でると円周に沿わせて缶切りの刃を立てた。手ごたえがあるのは最初の一回だけで、あとはするすると金属が切り取られていく。
 やはり興味があるのか、子どもはついにスツールの上に立った。一メートルと二○センチほどの身体で危なっかしくバランスを取り、それを横目に肩をたたいてやれば今度はおとなしくそこに手をついてナギサの手もとを覗きこむ。
「なにを開けているのだ?」
「缶づめ。日持ちする保存食料というか、携帯食料というか……とにかく腐らないようにしてあるの」
「わかった。兵糧だな」
「んー、微妙にちがうけど、まあ似たようなものかな。うん、そんな認識でいいと思うよ」
 円周がぎざぎざしたふたに気をつけて反らし、灰汁取りシートを取りのぞいた鍋の上で缶をさかさにした。
 水煮のホールトマトを汁ごと投下。楕円形の実を木べらでつぶしながら味を調えていく。子どものためを思うと塩味がベストなのだがそれでは味気ないし、なによりトマトの風味に力負けするだろう。なので刺激の少ないスパイスなども入れ、隠し味にしょう油をぐるりとひとまわし。
「……なんだこれは」
「ガスパッチョになれなかった汁物」
「がすぱ、ちよ?」
「スペインだからえーと、そう、イスパニアの食べ物ね。本当はピューレにして裏ごして冷やして食べるんだけど、材料もレシピも変えてつくったからどうなるか様子見」
 実際は様子見どころの問題ではなく、これではまったくのべつものだ。赤いスープをかき混ぜながらは心の中で空笑う。相手がものを知らないから平気でついているうそだが、これでもし真実を知ったとき彼はどのような反応を示すだろう。まあピューレにしなくともとろとろになるまで煮こんでしまえばいっしょだと思う。調理師免許取得のために専門学校に行くという友人に知られたら小一時間は説教だ。
 ガス・パッ・チョといって思いだすのは料理ではなく某ガス会社のテレビコマーシャルだ。なぜか女の小野妹子からはじまり、さまざまな歴史的偉人がその家を訪れてはさまざまなガス製品を楽しんでいき、本能寺にかえる織田信長で終わるというその筋が好きな人間からすればうるっとしてしまう。それら一連のCMに主演していた俳優が大河ドラマの主役を演じるというのだからこれも因果と呼べるのだろうか。それにしても信長と光秀の気まぐれクッキング篇は見てみたかった。
 鍋を見つめながら子どもが言う。
「真っ赤だ……」
「そうだね」
「は、さっきのは生きぎもか !?」
「んなわけあるかっ」
 がく然とした様子の子どもの頭を張り飛ばし――もちろん手加減している――痛がるそこを撫でながら背後の作業台に置いてあった電子辞書を手早く操作する。
「トマト、トマトと……うん、蕃茄ばんかっていう赤い茄子、茄子はわかる? それの一種で、一応は果実、になるのかな。水分をたくさんふくんでいて果汁が赤っぽいの。あれといっしょにほかの野菜をぐずぐずになるまで煮こんじゃったから水に色移りしたんでしょう」
 適当なことを言ってみせれば、彼はなるほどとうなずいた。あまりわかってはないようだが果実と聞いてひとまずは安心したらしい。
 さすがのも生き胆の発想にはおどろいた。子どもとはすなおな分思ったことをすぐに口に出すというけれど、この発想は戦国の子ならではだと思う。先ほどのホールトマトを思い浮かべてみる。生き胆。実物を見たことがないからわからないが、ああいうものなのだろうか。
 木べらからレードルに持ちかえ、くるりとスープをひと混ぜして少しだけ小皿に移す。息を吹きかけて冷まし、それを無造作に手渡した。
「味見て」
 受けとった彼はうっすらと赤みのある液体がうすく盛られた小皿を両手で持ち、鼻を近づけたり水平に見たりとだいぶ警戒している様子だ。
 目の前で調理してはみたが、やはり先に自分でたしかめたほうがよかったかと今さら後悔したところでぺろりとスープを舐めた。吟味するようにわずかに残ったそれをにらみつける。
 緊張の一瞬。
「……塩からい。ん、すっぱい?」
「まあ、そういうものだからね」
 直接レードルに口をつけて自分でも味を見ながらはコメントする。やはりトマトの味が前面に出てしまっているが、これで塩からいとなるとだいぶ考えなければならない。東北のほうはなんとなく味が濃いイメージがある。それともスパイスが口に合わなかったか。
「どう、食べられそう?」
「おそらくは」
「そいつは重畳」
 食べられるなら問題はない。
 あとはごはんが炊きあがるのを待つだけで、とうとつに湯気を噴きだした炊飯ジャーに対する子どもの過剰反応を楽しみながらはコンロの火を消した。
 明日は笹かまにしよう。





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