す、こん、と。どう聞いてもいきおいあまったとしか思えない効果音では我にかえる。手もとを見れば少しばかりよけいに切られたズッキーニの頭がまな板に転がっていた。気を取りなおしてもう一端も切り落とし、それらを三角コーナーに投げ入れると手早く輪切りにする。熱を通せば水分が抜けて小さくなるから多少大雑把でもさして問題はない。
 さて、なんだかんだでやはり緊張していたらしい子どもはあの後ふたたびクッションに埋もれて眠りこんでしまい、目を覚ましたのはひと晩明けた昼前だ。予想通りパニックに陥ったのを落ち着かせてから訥々となされた説明をかいつまむと、気がついたらこの部屋にいたそうだ。そのときすでには登校しており、家にいたのは従兄ひとり。とりあえず彼の指示にしたがって留守番をし、が帰宅したらおかえりとでも言ってめんどうを見てもらえ、と――。
 我が従兄ながら勝手が過ぎると思わずあきれた。
 ふつう見ず知らずの子どもが家に現れたならほかの対応もあるだろうに。冷静なのだかそうでないのかいまいち判然としない行動はいかにも従兄らしいと言えるが、だからといって不安で不安で仕方がないだろう子を置いて出かけるやつがあるか。
「あの……」
「ん。なに」
「いや、あの者は十日ばかり留守にするとも申しておった」
「ああ、そ……や、怒ってるわけじゃないから。教えてくれてありがとう」
 びくついた様子にあわてて礼を言えば、すぐさま表情をほころばせてほのぼのと頬を赤く染める少年には内心で絶叫した。
 なんというか、あんまりなギャップに同一人物として重ならないのだ。あの倣岸不遜さはどこかで一度宇宙人に誘拐されて改造でもされなければありえない気さえする――思い当たる節が多すぎて実に笑えない。
 いや、これでもコミュニケーションはだいぶスムーズになったほうなのだ。昨日はほとんど口を開こうとせず、の問いかけにうなずくか首をふるかのどちらかだった。しかしそれでは話が一向に進まないので一考してみたところ、どうやら彼は話しだすタイミングをなかなかつかめぬようだったのでそれとなくうながすだけに留めてやれば子どもはしっかりと話してくれたのだ。内気な相手との会話で必要なのはまず忍耐だと改めて教えられただ。
 とんとんとん。リズムカルに包丁を動かしてたまねぎに刃を入れながらため息をつく。
 おたがい思うところもあるだろうはとりあえずは食わねばならない。しかし、毒見が云々を言っていた時代から来てしまったのだから他人のつくったものなど安心して食べられはしないだろう。これが同じ現代人ならレトルトのなにかやらコンビニ弁当などで済ませられるがよけいにあやしまれるだけだ。仕方なしにはキッチンにスツールを持ちこみ、そこに子どもを座らせて料理をしている。
 本人は否定しているが彼の腹の虫が鳴いたのを少なくとも二回聞いている。一度目は少年から経緯を聞いた直後、もう一回は眠ってしまった彼をソファからの部屋に運んだときだ。そのときにもたしか従兄をなじった。留守にすらならせめておにぎりくらい置いていけ。
 ちなみには寝ないでひと晩中映画を観ていた。おかげで関節がぎしぎしする。気まぐれに手をつけている課題を間にはさんだとはいえ、さすがに洋画三本はつらかった。そんな暴挙に踏みきった理由は単純にレンタルしていたDVDの返却期限を忘れていたからなのだが。
 どう考えても自業自得でじくじくうずく左目にまぶたごと手のつけ根で押しつぶす。いや、もしかしたら櫛切りにしているたまねぎが沁みているのか。冷蔵庫には入れず、流しの下にある納戸に置いたダンボールに放りこんでいたのがわるかったのだろう。だからってわざわざサングラスをするのは人前であることを差っ引いたとしても情けないにもほどがあった。
 バーのカウンタにでも置いてありそうなスツールは四足で低いながらも背もたれがあり、しかし子どもは両手を開いた股の間について足をぶらぶらさせている。時おりしぱしぱと目をこすっているのはたまねぎの害が彼にもおよんでいるからだ。
 横目でその様子を確認したは先ほどよりもテンポをあげてそれを切り終えて水を張ったボウルにざっと落とす。つづけてそろえておいた野菜を切りきざんでしまえば、最初に切ったズッキーニ、たまねぎのほかに、茄子、赤と黄色のピーマン、きゅうりがボウルやら網ざるの上でこんもり山をつくった。最後にペティナイフでにんにくひと欠けらをみじん切りに。
 また、従兄が商店街の福引で当ててきた圧力鍋を納戸から出す。中をざっと拭き、オリーブ油をフィリーングで垂らしてコンロのつまみをひねった。
 とろりとした金色がぷつり、ぷつりと小さな泡を吐きだしたのを見はからって、ナイフの腹できざんだにんにくをすくいあげると鍋底に落とす。
 瞬間、まるで爆竹でも弾けたかのようなけたたましい音に子どもがびくりと上体をそらせた。
 それを認め、は木べらでにんにくを炒める手を止める。
「ああ、ごめん。跳ねたら火傷するから」
 いくらなんでも火のそばにスツールを置いたのはまちがいだった。慣れてしまえばどうということでもないが、さすがに子どもの柔肌に水ぶくれができるのは忍びない。子どもの腕は細く未発達で、そこにつながる手は小さい。その手がいずれ刀三本を一度ににぎるようになるかと思うとふしぎな感じがした。
 そう思っては一度火を止め、彼を移動させようと手を伸ばす。
 しかし子どもはそれこそとんでもないとでも言いたげに首をふるった。まるで往復びんたでも食らった後のように両頬が真っ赤だ。関係ないけれど一瞬に茹でだこになるのは実はいかのほうが早かったりする。それでも茹でいかと言わないのはたぶんさして赤くならないからだろう。火を通したいかはいささかグロテスクなむらさき色だ。
「いい! 自分でおりられるっ」
「だめ。火のまわりで暴れたらあぶないの、わかるでしょう」
「だからとて女人にだきあげられるなど……!」
「へいき、へいき。軽いからよゆう」
「そういうことでないわっ」
 人馴れしていない猫のように手足をばたつかせる子どもをあしらい、有言実行では彼をひょいと抱えた。しかも片手で。
「わ」
 もともと高いところにあった視界がさらに高くなり、支えを求めて子どもは首筋に両腕を巻きつけた。
「ちょ、絞まってる、絞まってる」
 細い腕をたたいて絞めつけをゆるめさせ、わざとらしくひと息ついて子どもを抱えたままスツールを位置をずらす。跳ねた油の被害は受けず、けれど手もとはしっかり見えるところを試行錯誤する。
 それにしても、昨晩運んだときも思ったのだがやはり軽い。発育に関してはここ一○○年で変化した生活様式のために比較するのもばかばかしいことだが、だからとてこの軽さはまずい気がする。体格はいいのだが肉づきがわるい。成長と栄養摂取の釣り合いが取れていない証拠だ。
 まあ獣肉を食べない時代の子どもだからと結論づけてしまえばそれで終わるのだが。一時は彼が親しんでいる食文化に徹底みようかと思ったが現代社会においてそれは逆にむずかしく――素材の味で勝負できる食材はどれも高価だ――ならば一応の考慮した上でズッキーニなどの外来品を放りこむことにしたのだ。肉は使わず、けれどイロモノ中心に。かつてはじめて食べさせられたものがくらげだったことを思えばかわいい意趣がえしだ。口に合わないのなら食べなければいい、そうしたらまたべつのものをつくるだけだ。
 郷に入れば郷に従えとも言うし、と自分を納得させ、さあ子どもを降ろそうとしたところで顔をりんごにさせたまま半冷凍状態であることに気がつく。
「ん? どうかしたの」
「その……」
 むねが、と聞き取りにくくつぶやいたきり黙りこんでしまう。
「胸?」
 言われるまま目線を身体に這わせて落としてみれば、
「あー」
 このところ測る機会がなかったからサイズがどれくらいあるかはわからないけれど、とりあえず小さくはない胸を小さな手がわしづかむようにして支えにしている。なにやら違和感があると思えば子どものせいだったらしい。
 それにしても情操教育にわるいと頭をかいた。
 あちらの女性は露出なんかほぼなく、したとしてもそれは農民などがやむを得なくだ。いくら武家の子といってもまだ房事の知識などないだろうし――むしろこの年齢で正確なそれがあったらいやだ――ましてや遊び女のところに赴いたこともないだろう。いや、遊び女であってもここまで肌をさらしたりしないかもしれない。もしかなくとも昨日ぎょっとされたのはセーラー服の丈のせいか。
 しかも今は夏、それも長期休暇中だ。一日ジャージだとかいうのは病気をしたか正月でもなければありえないとして、こう毎日暑いと着るものも外出でもしないかぎり重ね着はしない。
 今日着ているのもふわふわっとしたAラインのひざ上ワンピースで、脚はもちろんのこと肩や腕どころか鎖骨まで見える。その上からこれぞエプロンといった黒いシンプルなそれをつけているので見ようによっては新婚さんでなくても永遠のロマンである裸エプロンとやらに見えなくもない――などと自分で考えてもさしておもしろくなかった。





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