めずらしく――つづきの間には小十郎がひかえているけれど、ふたりきりの夕餉で聞かされたそれにはほかほかの混ぜごはんを頬張りながら小首をかしげた。
「戦?」
 混ぜごはんには小十郎の畑でとれたという大根を干したのと炒った塩漬けの高菜をきざみこんであり、それぞれの塩気のおかげで箸が進む。副菜には細竹の節を器の代わりにしたつくねで、妙に手のこんだこれは政宗の作だ。昼間に成実が狩ってきた野鳥の肉をすり身にし、くさみとりに梅肉を少々、そこにきざんだれんこんとごぼうを入れて練ったのを蒸し焼きにしたらしい。
 ご相伴にあずかったはひと口食べてみてすなおに舌鼓を打った。彼が料理をするようになった発端を知り、またけしかけただけにあきれられない。凝り性な彼のことだから長年やっているうちに目的と手段がずれたのだろう。
 刀を持つ手で包丁を持つ、そんな皮肉は言ってやらない。それは彼自身がいちばんわかっていることだろうから、わざわざえぐってやるような趣味は生憎と持ちあわせていないのだ。
「どこと」
「うちがじゃねえ。越後と甲斐がきなくさいってんで散ってる黒脛巾の連中が伝えてきてな、クロエ走らせてみりゃどっちでも牢人を集めているらしい」
「どうりで見ないと思ったら。無断で仕事させてたの」
Oh, sorry. 言ってなかったか」
「ひとっ言もね」
 ただでさえ可直も帰城していて不在だというのに、これでクロエもいないのでは気が休まらないではないか。
 一応別の側役はつけられているが面識はほぼなく、ここのところは政宗、小十郎、成実のいずれかのそばにいる。べつに知らない人間であろうとかまいはしないのだが彼らなりに気を使ってくれているらしい。いっしょにいるだけなら猫御前でもいいのだがそれは双方の立場が邪魔をして叶わない。あくまでも彼女は政宗の奥方で、は彼の客なのだから。
 箸を止めてにらみつけると、形勢不利と悟った政宗は目をそらした。口にものをふくんでごまかそうにもどんぶりは空、それを見越しては手を差し伸べてそれを受けとる。
「ともかく。一戦やらかすのは上杉と武田だ」
「まさか今からなわけではないでしょう」
「当然だな。いくらなんでも冬になれば動けねえ」
「早く見積もっても春、牢人集めは練度をじゅうぶんにするためと考えると――川中島?」
Excellent!」
「上杉と武田で大きな合戦で言われたらね」
 いやがらせのように盛りに盛ったどんぶりをかえしてやる。出されたものを残すことをよしとせず、なにより若いのだからきっと食べきれるだろう。昼間は小十郎に怒鳴られるまで成実と暴れていたし。
 政宗はさっそく箸でひとすくいして口に入れた。
 それを見ながらも小さくしたつくねを噛みしめる。
 食事がおいしいというのはしあわせなことだ。いくら高級な料理であろうと好物がならんでいようとおいしくないときはとことんおいしくない。味覚ではおいしいと感じてもどこか味気ないのだ。それはそのときの気分だったり体調だったり、あとは場の雰囲気だ。
 食事をおいしくするのは空腹と楽しむこと、複数人で場を共有すること。今や個食だ孤食だといっているが食事を共有しないことこそが関係崩壊のはじまりである。いくらいそがしい生活をしていたとしても同じ家ないし同じ場にいるのであれば食事くらいはいっしょにすごしていいと思う。ただ、食事はきっかけであってそこからの進退は個人の努力しだいだ。恋人がレストランで食事しながら喧嘩して別れ話に発展しようが知ったことか。
 食事もあらかた終わり、腹休めに時事ネタで会話していると小ぎれいな着物の侍女が膳などを下げに来た。そのほかにも鉄瓶の湯を変え、火鉢の炭をかくなどをする彼女らに気を留めた風もなく政宗はかたわらにあった細長い桐の箱を畳にすべらせた。
 箱のすみには見たことのない意匠の焼き鏝がほどこされている。おそらくは家紋。どことなく稲妻のような気もするが、そもそも家紋など有名どころ以外覚えていない。
「なんです、これ」
「阿近からだ。おれ宛ての文といっしょにとどいた。おまえにだとよ、たぶんな」
 伊東家の紋はこういうのなのかとまじまじ箱を見ていたはつけたされたひと言に顔をあげる。
「たぶんって……」
「あいつがそんなもの送る相手なんざおまえ以外いねえ」
「そのようなことは」
「あるんだよ。いいから受けとっとけ、いらないなら捨てろ」
「もう、どうしてそういう言い方しかできないのですか」
 まるで子どものかんしゃくじみたことを言いだす政宗にはついついあきれてしまった。
 彼にはときどきこういったことがあり、聞けばふと拍子にあらゆる物事が気に入らなくなるらしい。最初こそは抑えていられるのだがだんだんとボルテージがあがって一度ショートしてしまえばもう自分でもどうにもならないのだとか。
 だからなにか言われても気にせずにいてやれと言った小十郎の言葉には苦いものがにじんでいた。
 襖が閉められ、侍女たちの気配が遠のくのをたしかめたはふたたび政宗に向きなおる。
「で、本当になにこれ」
「開けてみりゃいいだろう」
「ごもっとも」
 うなずき、は箱を封じている緋いひもの両端を引いた。複雑に組まれていたそれは難なくかたちをなくし、すぐさま元の一本になったそれをひとつに結んでまとめる。熱で曲げてつくる曲線を四隅に持ったふたを持ちあげ、
「へ」
 頓狂な声をあげた。
 ななめにして横たわっていたのは三○センチに満たない黒塗りの鞘に収められている刃物だ。鞘に結わえられた房飾りは藤色をしており、柄から鞘全体に蒔絵の龍が走っている。
「刃物、かな」
What?」
「ん」
 にじり寄ってきた政宗にも中身を見せるように箱ごと押しつける。
「あー、鎧通しだな」
「よろいどおし、ってなに」
「要は懐刀だな。仕込むにはちいとばかし長いが、まあお守りみたいなものだ」
 箱から鎧通しを持ちあげ、作法に則って政宗はそれをすらりと抜いた。
 短くとも刀は刀、刀身に浮かぶ模様はまっすぐだ。素人目にも美しく映るそれは蝋燭の灯りを冷ややかにはじく。
「無銘だが、わるくねえな」
 音をたてずに刃を鞘にもどして政宗が不可解そうにぼやいた。
「しかし、女に刀ねえ……どういう感覚センスだ」
「これで装飾物アクセサリなんて贈られたらもう阿近さん見れない」
「ちがいない」
 ふたりで笑いあう。
 これで酒でも交えていたら言うことなしだが下戸にむりを言うほども鬼ではない。酔いつぶれた政宗ほど翌日使えないものはないということはすでに学習が済んでいる。仕事がまわらないではない。奥州筆頭直々の目通しが必要なものだとそうなく、けれど最終的には彼が確認しないと立ち行かなくなるものがほとんどなので相当な量が溜まると弊害があちこちに出る。救いは悪酔いしてひたすらからみ酒なタイプでなかったことだ。
 は鎧通しを直接受けとると箱に収め、もとあったようにひもをかけなおす。
 それを見ながら煙草盆を引き寄せ、袂から取りだした煙管の火皿にきざんだ草をつめて、政宗。
「まあ持っていても損はねえ。おのれを守るも殺すもつきつめれば自分だからな」
 かんかんと火打石を鳴る。しばらくして独特のにおいをはらんだ煙があがった。の知るものとはどこかちがうけれど煙草が嗜好品で中毒性があることには同様だ。しかし朝昼夜と日に三回喫煙するのが政宗の習慣だ。だれかれかまわず煙草を喫むすがたを見るのは今も以前も好きだけれど副流煙に巻きこまれるのはごめんである。いつの話かわかったものではないが、いずれ自分の腹から生まれてくる子どもになんらかの影響があってはたまらない。障害を持っていちばん悲しいのは親ではなく本人なのだから。
「抱いて寝てやれば格好もつくだろう。クロエもいねえことだし」
「だれのせいだか」
「さあな」
 すっとぼけたことをいけしゃあしゃあと言いながら政宗は煙をくゆらせる。何度が吸口に口をつけては吐きだす仕草をくりかえし、ふとなにかに気がついて彼は煙管を口から離した。

「なに」
「どうした」
「だからなにが」
「顔が赤い」
「うそ」
 反射的にぺたぺた頬に触れてみるも自分の指先が冷えきっているせいでどこもかしもあたたかく感じる。食事の直後であることも手伝っていまいち確信が持てず、はそろりと政宗のほうへ視線をやりかけて、
「ひゃ!」
 音もなくひたいに押しつけられたひやっこいものが彼の手だと理解するのに数瞬を要した。最初こそおどろいたもののじわじわと染み入るその低い温度に肩の力が抜ける。節のあるかわいた手はやはり大きくて、ひたいどころか目のあたりまで覆ってしまっているのでは自然と目を閉じた。
「はー、つめたー」
「少し高いな。疲れでも出たか」
「そうかも」
 言われてみれば頭も肩も重い気がしないでもない。
 朝から倦怠感はあったけれど疲れているだけだと思っていた。もしくは寝不足。寝れていないわけではないが最近はとんと眠りが浅い。可直でないことを気にして成実もわるふざけをひかえているようだから身体が暴れたりないのかと考えていた矢先にこの微熱だ。たんに、慣れない気候に身体のほうが参ってしまったらしい。
「今夜も冷えるからな。湯冷めする前に寝ろ」
「もう湯冷めてるからむり」
「ならそんな薄着でいんじゃねえよ。奥州の冬をなめん、な」
「いっだ!」
 手が離れたかと思えば前置きもなく弾けた痛みには悲鳴をあげた。指弾されてじんじんとちがう種の熱を持ったそこを両手で押さえる。痛みもさることながら音もすごいのがしたのでたぶん赤くなっているだろう。
 反撃してやろうにも今は夜。宴でもないのにこのような時間帯にぎゃあぎゃあ暴れては迷惑にしかならない。彼はべつにかまわないのだろうけれどはごめんこうむりたい。みんなの殿――この言い方もどうだろう――相手にけんかを売るほど向こう見ずではないつもりだ。
 むしろこの状況になってもひかえているだけにとどまる小十郎をすごいと思うが、逆にもはや慣れたことだと突きつけられているようで微妙に気落ちしてしまう。彼ら相手に性格キャラクタもなにもあったものではないが、できればもう少しおとなしいイメージでありたかった。今となっては後の祭り、そう主張したところで気味がわるいと一蹴されて終わる。