「……激しく表現をたがえたご忠告をどうも。さ、茶碗をお貸しください。右近さんも」
「おお、かたじけない」
「す、すみません。お願いします」
「かまいません。これくらいしか、わたしにはすることもできることもありませんから」
 それぞれにどんぶりサイズの茶碗を手渡し、最後に自分の分をよそう。器にしているのは茶の湯に使うような、かすれば少し大きめの茶碗に白米をしゃもじでひとすくい。量としては標準だろう――飽食の時代、二十世紀では。
「今朝もそれだけなんですか」
 塩汁を飯にかけながら可続が心配そうに首をかしげた。それこそ食事のたびに交わすやりとりで、可直のほうはすでにあきらめているのか漬物にした瓜の皮をおかずに塩汁がけの飯をかきこんでいる。
「兄上に聞きましたよ。さま、間食いもしないんですよね。腹減りません?」
「ええ、だいじょうぶです。わたし、どうも腹持ちがいいようなので」
「そうですか……」
 しゅんと肩を落としつつ瓜皮をかじる可続には申し訳なく思わないわけでもないが、としては一日二食で三合も食えるかと声を大にして主張したい。
 先日あった宴会はべつとして、この時代の食事はひどく質素だ。傾向はもちろん質より量。男は一日五合も食べ、その証拠に飯櫃はまるで寿司屋が飯を冷ますために使うような木桶にも相当する大きさだ。
 汁物のほかにおかずになるのは塩くらいで、武将クラスであってもたでの水煮だとか漬物など。五節句や月初め、月末に赤鰯を焼いて食うのが馳走だと言ったのは真鍋貞成とかいう土豪だ。瓜を厚くむいて、その皮を漬けて台所飯を食う下層奉公人のおかずにさせたのは黒田如水。かの藤堂高虎だって将軍家の宴会でもらった鯛の丸焼きを近習たちに自慢したというし、その点この世界の食事事情は人びとに対して優しくなっている――あくまでも大名に仕えている者まで、だが。補整されているらしい家臣団でさえこの質朴さ、民衆レベルの食事とはどんなものだろうか。
 茄子に似た食感の漬物を物足りなさそうな兄弟に押しやり、ひとり淡々と食事を済ませたは茶碗に直接煎じた葉茶を入れて湯をそそいだ。挽いて粉末にするためにつくられる葉茶は新芽でつくられている、いわゆるファーストフラッシュだ。そのせいか味も幾分かまるい。
 煎茶が庶民一般にも広く飲まれるようになるのは江戸時代初期で、この時代の主流である茶の湯は武士階級の嗜みとして流行った。当然ながら峠の茶屋などが確立したのも江戸中期だ。
 茶は四木の一、つまりは有利な現金作物にして贅沢品だ。一時は慶安御触書で戒められたが前者の理由で大いに普及、生産には金肥の購入をせざるを得なかったために農村の貨幣経済新党を促した立役者とも言える。
 がこんな贅沢品を口にできるのもそれは政宗のおかげだ。曲がりなりにもかまってやれない侘びの品のつもりらしい。最初こそつっかえそうとしたのだが、これを断れば度を越したものになると思いなおしてありがたく受けとることにした。伊達男の名で知られる奥州王は質素倹約を知りながらも場合によっては嬉々として踏み倒すような男だ、用心するに超したことはない。
 飯櫃とどんぶりが空になったところで兄弟は箸を置き、そこをすかさずどんぶりに鉄瓶から湯をそそいだ。一度煎茶を飲ませてみたのだがどうやら彼らにとって茶は嗜好品ではなく気つけや薬らしく、みごとに舌をばかにしたので進んで白湯を飲んでいる。
 それぞれが満足したところでそろって合掌し、鉄瓶と湯のみの除いた食膳などをすべて廊下に運びだす。こうしておけばわざわざ女中を呼ばずともひかえの者が庖厨まで持っていってくれるシステムだ。本当はが運んでもいいのだが女中たちの胸の内を推しはかるとあまり褒められたことではない。よけいなお世話というやつだ。
 湯気をたてる湯のみを前にそれぞれ楽な体勢になる――そうは言っても袴姿ではないから正座には変わりない。
 朝餉の後は比較的のんびりとした時間だ。可直の仕事はの護衛だし、可続の仕事はまず算盤係の長に、最終的には政宗の目が通って完了する。なにより算盤係の仕事は年末と年貢納期、戦の前後が忙しさのピーク。畢竟、政宗が仕事をまわさなければ末端がたびたび滞る部署なのだろう。
 一昨日だか、その前だかに城を脱けでて遠駆けに行ったそうだから今日あたりにひまができるのは順当とも言える。こういった指示は小十郎の判断、なんだかんだと言って彼も鬼ではない――なにせ所詮は自業自得なのだから地獄に仏と言い換えることもできよう。できないわけでもないくせにやらないのだからここの城主は性質がわるい。
「でね、おかしいんです」
 中身が半分ほど減った湯のみを畳に直接置き、傍らの書付を手に取った可続は困ったように首をひねった。
 食後の話題はやはり楽しいものではなく、ごはんの硬さや漬物の塩加減から当然のような流れで可続の仕事へと移った。国の財政事情はたとえ末端であっても重要機密だというのに自身が感じた疑問を包み隠さず訴えてくれたのはひとえに彼からに向けられた信頼にほかならない。可直も弟をいさめるどころか自分も乗っかっている節があるので、本当にどれだけ信用されているのか。
 うれしいやら申し訳ないやら、なにやら頭のあがらない人びとがゆるやかに増えていることには微妙な思いが積もるばかりだ。
 さて、可続に首をかしげさせている原因はとある米蔵に納められていた年貢米だ。あと数ヶ月もすれば稲の刈り入れ時、つまるところもうすぐ貯蔵していた年貢米も減りが目立つ時期になる。しかし、可続によれば米沢城の米蔵に納められた量と、運搬を担当した馬借、中継地点となった大名からあがってきた資料とで齟齬が生じているらしい。聞くに、およそ五○○石の米がごそっと抜け落ちているそうだからどう見ても大事だ。
 現代の感覚では石という単位は捉えにくい。具体例で言い表せば、男性の年間消費量は――一年を三六○日とすると一石八斗(約三二四リットル)であり、女性の場合では一石八升(約一九四リットル)。概算すれば五○○人の食事を一年間賄える量だ。現代に置き換えて考えてみても、女性のひとり扶持でも四人家族だとして一年は優に過ごせる量である。
「去年の取れ高は例年よりも豊作だったのですか」
「いえ、昨年は雨が少なく、収穫は例年を多少なりとも下まわっております。ゆえに年貢米の量を減らすよう命じられたのですが……ここのところ農民からの訴えが増えているのが現状ですな」
「それなら、おそらくは枡の大きさを勝手に変えたのか、領民には年貢引き下げを知らせなかったのでは」
 平凡な頭ではそれくらいしか思い当たらない、と傍目にはのん気に湯のみをかたむけながら、。水だの白湯だのはあまり好んではいなかったのだがそれは水のせいだったようだ。水がきれいだと白湯にしてもおいしい。この分ではあちらの水がよけいに飲めなくなること請負だ。
 可続は太ももの上に置いた拳をぎゅっと握りしめ、しかられた子どものようにしゅんとなる。
「おれもそう思いました。でも、新人のおれが気づいたことなんて殿もすでにご存知でいらっしゃると言われて……」
「訴えが出ているのはどのあたりですか」
「陸奥のほうが大半です。あそこはもともと南部氏が治めていた地域でして、お屋形さまが奥州を統一した後も引きつづき統治をしておりまする」
「ここだけの話なんですけど、長の妹さんが陸奥に嫁いでいるらしくて」
「うわ、あからさま」
 兄弟がそれぞれ説明する内情には思わず手をたたきそうになる。
 ここまで明らかになっておきながらなんの対処もされていないのはいっそみごと、政宗が無能なのではなくてあえて泳がせている線が濃厚だ。またはご都合主義のお膳立てデウス・エクス・マッキナとしては前者であることを望みたい。後者だとすれば、そこに政宗の思惑があるのであれば彼を殴らなければ気が治まらない気がする。
「右近、算盤を貸しなさい」
「あ、はい、兄上」
 可続は言われるままに算盤――そろばんを引っぱり出すと兄に手渡し、可直はそれをざっとすべらせてへパス、自分では書付を手に取る。弟は墨壺と筆をかまえている。
「えー、願いましては」
「は、わたしがやんの!?」
 すっとんきょうな声をあげつつも読みあげられる数に反応して指はぱちぱちと珠を弾いていく。珠算検定は受けたことはないが子どものころは教育熱心だった両親と一応経営者である従兄のおかげでしっかり身についている。持ってないからできない、ということはないのだ。隠しスキルが多ければ多いほど世渡りは楽だ、ただ履歴書に書けないだけで。
 ひと通りの計算が終わってはざっと珠をリセットし、いと呼吸分の間を置いて次の書付が読みあげられるのを無心で弾く。こういった単純作業は集中していないととんでもないほうへ転がるもの。さらに言えば電卓のようにメモリー機能もないので一からやりなおしとかいう泣きたい事態になる。
 最初こそどこかぎこちなかった手つきも終わるころにはなめらかに動くようになり、しかし可直が終了を告げた直後には手の筋が攣りそうだ。は自身の右手を労わるように軽く揉みほぐしながらさり気なく一番のめんどうを押しつけた彼をにらみつけた。彼は涼しい顔で可続が新たに書きとめた半紙を取りあげる。
「ふむ、右近の計算に問題はないようだな。踏まえて考えられるのは報告に誤りがあったか、横領がなされているのか……どうであれ、見逃すには大きい数だ」
 そう言って、可直は半紙を四つ折にすると自身の懐へとしまいこんだ。
「私からも片倉に言ってみよう」
「真ですか、兄上っ」
「ああ。それに」
 言葉を切った彼は弟からへと意味深に視線を流す。
さまも、お屋形さまに直接進言なさってくださろう」
「ええっ」
「本当ですか!」
 聞いてない、言ってない、とが口をはさむ間も開けずに可続がぎゅうと手をにぎった。
「え、いや、あの」
「うわあ、ありがとうございますさま! さまが申しあげてくださるなら殿もきっとお聞きくださります! あ、おれ、みんなに知らせてきますっ」
「は? あ、ちょ……待てやこらぁ!」
 が半身をひねり、咄嗟のことにずるりとむけた化け猫の皮もそのままに柄わるく大声をあげたところで静止は遅く、可続は衣服に見合わぬスタートダッシュでばたばたと廊下を駆けていった。
「はっは。あれは幼少のころより落ち着きがありませぬゆえ、まったく仕様のない弟です」
 にくめないキャラ立ちなだけに腹が立つ、いっそ転んでしまえとろくでもない邪念を遮ったのは可続よりもさらにろくでもない彼の兄だ。当然、はうらみのこもった目で可直をにらみつける。
「……阿近さん」
「はて、私には見当もつきかねまする」
Up yours.ちくしょうめ
 舌打ち、口汚く吐き捨てたスラングをすすぐつもりではすっかりぬるくなった白湯を豪快にあおった。
 その日は数日ぶりに政宗と差し向かいで夕餉を取った。そのとき出た話題はやはりというべきかこのことで、どういうわけが良案を求められた。足場づくりもかねたそれにあきれるや否や、副菜の川魚を箸先で器用に解体しながらは廊下に座しているであろう可直の笑顔を思い浮かべる。おそらくそのとなりには小十郎もいる――なぜかここのところ政宗は彼を外で追いだしてしまう。そうまでしてとため口を利きあいたいのか。
 とりあえず思うのは、その時点で可直がのそばを一時も離れていなかったことに尽きる。一体全体、彼はどうやって小十郎まで話を通したというのだろう。
「ねえ」
Ah?」
「奥六郡はいい国ね」
Without Saying. おれの国なんだぜ」
「ああ、それもそうか」
 したたかという面で見れば政宗以上の人物が容易には浮かばず、しかし小十郎や可直のような人となりの臣下もいるからこそ国がなりたっていくのかもしれない。
 内政に関する興味がなかったと言えばそれはうそ。天下を呑みこむ一端は流通にある、それにはまず農村域にまで貨幣制度を浸透させるよりほかない。そのためにはまず人心掌握が必須。
賽は投げられたアーレア・ヤクタ・エスト、か」
 つぶやき、は苦笑した。
 口の端はにんまり釣りあがっていたけれど。





天国より野蛮