は起きるとまず軽くストレッチをし、一週間のうちに二日は部屋をまちがえている――のかかなりあやしいところだがいつの間にか部屋に寝転がっている成実を締め起こすことを日課としている。技術というものは知っているだけならばただの知識、実践してこそ真価を発揮するものだ。 「あ、ん、た、も。懲りない、ね!」 成実の首と腕を巻きつかせて固め、締めあげる。さらに両手両足をからめ、持ちあげて締めた。人呼んでルクレチア――コブラクラッチとエル・ヌドの併せ技である。脚やら腕やらを惜しげもなくさらしつつ成実の関節を軋ませながらナギサは襖の外に座しているであろう人に声をかけた。 「すみません、伊東さま。しばしお待ちくださいませ」 「いえ、それがしのことはお気になさらず――しかし、成実殿もわかっておいででいながらよくもまあおやりになる……」 「まったくです」 めき、とひと際奇妙な音をたてた成実をうつ伏せになるようふとんに落としてついでに掛け布を重ね、は単衣の腰帯をほどく。 初めは慣れないことでも毎日のようにくりかえせばそれは自然と生活の一部になる。あれほど苦戦していた帯締めも簡単にできるようになり、化粧をする必要もない今では学校に行くよりも身支度に手間がいらないほどだ。 「ミニスカが恋しい」 ピルケースからピアスを選びとりながらはつぶやく。 出会って数日、といった他人行儀もすっかり抜け落ちた今だから用意される着物も次第に落ち着いていくものだと踏んでいた。しかし現実はその真逆で、葛篭に収められるのは派手ではないものの素人目にも相当値が張るとわかるものばかりだ。ときおり参城する反物屋と引きあわされていないだけまだましだがそれも時間の問題だろう。考えるだけでも頭が痛い。 ちなみに今日の着物は上品な藤紫色で、袂と裾は藤の花穂に見立てて絞り染められている。帯は青みの強い青緑で、 もともとは脚にまとわりつくような服装は好まない。着物やロングスカートはたまに着るからいいな、と思うのであって普段はもっぱらミニスカートやショートパンツなどで過ごしていた。膝下五センチなんていう校則を律儀に守っていたのは高一までの話、高二からはスカートを織って短くしたし、高三になった今ではいっそ裾を切ってニーハイソックスと合わせている。高校生になって失ったものは髪と生真面目さだと常々思う。たまたま会う機会のあった中三のときの担任教師は泣きそうだった。 「いっそつくろうか。いつまでも世話になってちゃわるいし、でも先立つものがなあ」 小指の爪ほどの大きさをした、インカローズの名と色にふさわしい薔薇の細工のなされたそれと、いつもと同じリングピアス。それらを感覚だけでピアスホールに刺しいれ、しっかりとキャッチをはめる。 一度だけピアスをしないでいたらなぜか政宗が不機嫌だったので以来リングのだけは欠かさないようにしている。幸いなことに持っていたピアスは豊富だったのでうまい具合にローテーションできているが、あまり大ぶりなものはよけいな人目を引くのでシンプルなものばかりだ。ピアスに関してはじゃらじゃらしたものも好んでいるとしては残念なかぎりだが人との摩擦は小さいほうがいい。そのようなつまらないことでまたクロエのような暗殺者を仕向けられてはたまったものではないから。 手ぐしで髪を軽く梳いて整え、最後に時計を左手首に巻きつける。いつ止まるものとも知れないが太陽で時間を計れるようになるにはまだ経験値がたりない。内蔵されている電池が尽きるころにはものになっていると期待しておく。 成実はいまだふとんの中で痛みにもだえている。絞め落ちないようにと加減はしたつもりなのでそのうち復活するだろうと見、は彼を尻目に襖を横すべりさせた。 「おはようございます、さま」 「おはようございます、伊東さま。もう、小娘を敬わずとも結構ですと申しましたのに」 「はは、そうでしたな。しかしながらさま、それがしの名は伊東ではありませぬぞ」 「ええ。存じております」 「そうでありましょうな」 快活に笑いながらも有無を言わせぬ彼、 実を言うとこのふたりは同い年なのだがならべてみると二、三の開きがあるように見える。どちらが上かは言わずもがな。閑話休題。 かすがが米沢城に忍びこんだ夜、黙っているのもめんどうになったので帰還したクロエも交えて話をした。咄嗟の判断で城に忍んでいたのをクロエに仕立てあげ、ついでに主従を契った経緯についても説明すると政宗は翌日から護衛として可直をのそばに置いた。口では身を守るためだのなんだと言ってはいるが要は首輪のつもりなのだろう。隠してだめなら大っぴらにしてしまえばいい、クロエの存在は政宗に監視役を置く口実を与えてしまったのだ。本当に食えない男だ。 もちろん可直は人柄ができていたし、多少ではあるが小十郎よりは話が通りやすいく、彼を伴ってならば容易に城下町へ行けるようになったことも利点としては大きい。なにより可直は節度をわきまえており、始終べったりということではない。過度ではなく、しかし不足もしていない彼の行動はまさに洗練されたものだ。 素足のままのはぺたぺたと、当然足袋を履いている可直はすたすたと階段をくだる。 自力で起きてもだれかが起こしにくるまでふとんを出ないことをポリシーにしている政宗に合わせていると早起きが習慣化しているにすればむだな時間を過ごすことになる。なおかつ成実も調子にのるので喜多と相談して彼女から小十郎に、また彼から政宗へと話を通してもらったのだ。 そのこともあって、可直が守り役になってからは朝食を彼とともに一緒に取っている。時間があえばもうひとり増えるのだが、そのもうひとりはここのところいそがしそうにしていた。 「右近さんはもう召しあがられたのでしょうか」 「さあ、あの愚弟のことです。訪ねてみますかな」 「ぜひに」 件の三人目は可直の弟である 可直がひと声かけ、返事も待たずに襖を開け放つと可続はすでに身なりを整えており、なにやら数枚の書付とにらめっこをしていた。しかしふたりの来室に気がついた彼はすぐさまそれらを放り投げた。だいじな書類だろうに、いいのだろうか、とは少しだけ思う。 「おはようございます、さま! 兄上!」 「はい。おはようございます」 「やあ、小法師。兄よりも先にさまをお呼びすることを覚えてくれてなによりだ」 「右近です、兄上」 「ああ、そうだったな。小法師」 「右近です!」 傍で見ていると兄は弟がむきになってはむくれるのが楽しくてやっているような節があるのだが害はなさそうなのでは黙殺することにしている。慣れてしまえば微笑ましいだけだ。ときおりすれちがう女中たちも目もとに笑みを浮かべている。 城下町に行くたびに無邪気にだんごをねだる籐太と、目の前でぎゃいのぎゃいのと一方的に騒いでいる可続。ユニットでも組ませたら世のお母さんやお姉さんがたの受けが良さそうだと、さりげなく状況に置いていかれているは考えた。そこに成実をたしても問題ないだろうが、その場合のつっこみ要員はだれだ。 「さて。右近よ、朝餉はどうする」 「あ、いただきます」 「そうか。では女中にもそう伝えよう」 「兄上、おれが」 「いや、いい。座っておいで。さまもこちらでお待ちになってください」 絶妙のタイミングで可直は中座した。噛みついていた獲物をひょいと取りあげられた可続は一瞬だけぽかんとなり、つづいてはっとなって畳に沈んだ。なぜだか要人としてのあつかいを受けているを放ってしまった自身を恥じて嫌悪しているらしい。 素直すぎる反応に苦笑し、畳に散らばった半紙を下敷きにしないよう適当にのけてからすとんとひざをたたむ。 「手ごわい方ですね」 「……もう、この先ずっと勝てない気がします」 「いつもああだとしますと、阿近さまをおきらいにならないのがふしぎでなりません」 「まさか! 阿兄ぃも左兄ぃもとても立派で、おれの自慢です!」 前者は可直だとして、後者はおそらく城主だという長兄のことだろう。存在を知っているからこそこうして納得できているが、もし知らなければアニーにサニーってどこぞのミュージカルですかと本気で首をかしげたかもしれない。 同時に、相当好きなんだなあと少しうらやましい気持ちになる。 はひとりっ子だ。従兄はいても年が離れているし、一緒に育ったというよりはめんどうを見てもらっていたような感覚に近い。彼の家に転がりこんだのは高校に通うためであり、志望校がちがっていたらはだれもいない自宅でひとり暮らしを送っていたはずだ。忙しい両親は九州だか四国だかに赴任していて、性質のわるいことにどちらかが残っているものと本気で思っている矢先に法廷でぶつかりあっているのだから本当に世話ない。こちらの自主性を尊重しての放任なのはも重々理解しているし、だから真夜中にたたき起こされ電話口で謝罪されるたびに睡眠不足を悩む娘の立場にもなってもらいたいものだ。 ほどなくして可直が戻ってきた。後から四方やら飯櫃やらを持った女中たちが彼とは少し間を開けて部屋にはいり、それぞれの前に食膳を据えた。そのまま給仕をしようとするのを可直はていねいに断り、彼女たちに退室をうながす。 「なにか御用ができましたらば、どうぞお呼びつけくださいませ」 複数いた中でも立場のあるらしい女性が最後まで残り、襖の向こうに座して頭を低くする。彼女が顔をあげる間際、ちらりとではあるが視線をよこされたような気がした。 はこっそりと苦笑を噛み殺す。どう見ても好感情は持たれていまい。それもそうだろう、政宗を筆頭としてに友好的な人たちのほうがマイノリティであり、先の女中たちのような反応こそがマジョリティであってしかるべきだ。 そうでなくても単一民族――厳密にはちがうが、日本列島というせまい世界でくくった上で外ツ国の人間から見れば誇張表現ではないだろう――は自分たちを全とし、異質な一を徹底的なまでに排する性質がある。それは見た目であったり、身分であったりと時代や地域によってさまざまではあるがいつまで経ってもなくならない思想だ。それこそ理由なんてさまざま、信ずるところがちがうのだから当たり前の感情。問題となるのはそれを表に出すということ。 極端な話、おたがいがおたがいに無関心であればなんの摩擦も発生しないのだ。けれど人間、生き物はコミュニケーションを取るもの。たとえ一方的であっても自分と他人とを比較してはうらやんだり、蔑んだりしてしまう。そして切磋琢磨する。 人間とは本能的に比較することを知っている。真似るや学ぶといったことも突きつめれば比較だ。自分の知っていることを比べてみて、どちらが優れているかを確認して取捨選択。ずいぶんと合理的にできている。 だから彼女も比較しているのだ。自分と、政宗のどちらが正しいのか。いや、彼女にとって正しいのは政宗であり、頭ではそう理解していても納得はできない。先ほどの視線はそういうことだ。もしも政宗がを切れば、彼女もまたそう考えるのだろう。心のどこかで、やっぱりわたしが正しかった、なんて思うのかもしれない。 付和雷同なんてものじゃない、彼女の考え方はきっと時代と立場に適ったそれなのだ。 民主主義、なんてうそっぱちな言葉が生まれるのは何百年も後のことだから。 襖が閉まる音を聞いた上で、は飯櫃の蓋をはずした。表面が少し乾いた、それでもほかほかとあたたかい炊いた玄米をしゃもじでぐるりと上下を混ぜっかえす。 オーライ、問題はない。 ただ、さびしいと思うだけ。 それだけ。 「さま、力みすぎては飯も餅になりましょうぞ」 小鉢に品よく盛りつけられた漬物を箸でつまみながら、可直。 「あまり気にかけなさいますな。そう気に病んでは顔がなくなりまする」 それは無表情だとでも言いたいのか。 彼なりの冗談だとはわかっていても、あまりにも微妙さにはため息を隠さない。もしかしたら本気でごはんの心配をしていた可能性もあって、可続ではないがやはり勝てる気がしない。やれやれだ。 |