この時代の薬ははっきり言って応急処置もいいところだ。良くて殺菌、わるくて傷口をひとまず埋めておく程度にしかあつかわれない。切ったり縫ったりでけがや病を治すのは西洋医学であり、東洋医学はそのほとんどが自然治癒力に頼られている。あくまでも自身の力で治す。だからこそ初期の祈祷にはじまり湯治や鍼、軟膏などが今でも残っているのだろう。 しかしその場かぎりの手当てでもしておかないよりは後の結果がだいぶちがうのはたしかだ。 女が負った傷は背、腕や足のように膿んで腐っても切り落とせるわけがない。 「ひ、必要ない!」 「ばかなことおっしゃってないで。ああ、それとも脱がされたいですか」 「ふざけるな! 自分で巻ける、布をよこせ」 「見えもしないのに意地を張らないでください」 「敵のほどこしなど……」 「では自決でもなさいますか」 飾らずに言って、。 「ここでわたしが人を呼べばあなたは即座に首が刎ねられます。脱するは不可能と見ていい。わたしは、あなたが生きようと死のうと直接のかかわりはありません。よほど名のある人物でもなければ死など道端に転がっている石よりも世には無価値ですから。でもわたしはあなたを知っている、知ってしまった」 ひじをついて起きあがろうとしていた彼女の肩を引いて上体を起こすのを手伝いながらひと息に告げた。 仮想であれ戦国時代の人間からすればの考えなど甘すぎて笑えもしないほど情けないものにちがいない。けれどこれがの本心そのものだ。政宗にもいつかは伝えなければならないことだ、今言ってもたいして変わらない。倫理的にひどい話かもしれないが目の前で死なれるのだけはごめんだ。あとは好きにすればいい。 普段からのなじみのない人物が死んだところで心はなかなかどうして動かないものだ。失って涙するとはそういうこと。たとえばの話、小十郎が死んだとしてもはまだ泣かない。けれどクロエが死んだらおそらく泣ける。多ければ日に二度、少なければ週に三度ほどしか顔を会わせない小十郎と、ほぼ一日中そばにいるクロエ。どちらとのかかわりが深いかなど言わずとも知れることだ。 畢竟、人の付き合いとは時間ではなく濃度がものをいう。 出会い頭にメールアドレスを交換してもメールを交わさなければただの他人、使ったことのない情報がアドレス帳に蓄積されるだけ。登録件数は一○○件以上、そのうち使ったことがあるのは半数以下。 世の中、所詮、そんなものだけれど。 「……わたしを生かして、その業でここの城主が死んでもか」 「業腹ですね。けれど所詮は客の身、そのときは流れるだけです」 は涼しい顔をしているが、たんに業腹という言葉を使ってみたかっただけである。 事実、女の言い分聞いた瞬間きょとんとなった。まったく念頭に置いていなかったそれにある意味目から鱗状態。 結果がどうであれ、女はたしかに米沢城に忍びこんだ。現段階での目的は動向を探ることであったとしてもいつそれが暗殺に変わるかは知れない。下手人である女が捕縛もしくは殺害されないかぎりがうたがわれるのは必至。 再考してみるとメリットは目立たない。しかしそれは奥州が上杉と同盟でも結べば逆転し、危惧される精神負担はぐんと減るはず。他人になんと言われようと逃げ道は事前にいくつもこさえておくのが世渡りの基本だ。安易に言いきらないのも処世術のひとつ。最終的には自分がいちばん。友情よりも義、そして最も尊ばれるのは実は潔さだ。もちろんそれは寝返りや身内の切り捨てとはわけがちがう。己の信念を貫いてこそ先がある。 「恩をかえされるにしろ、仇なされるにしろ。どちらにせよ生きていただいたほうが寝覚めもいいというものです」 手持ち無沙汰に布きれをくるくると巻きながらは小さく笑った。こうしておいたほうが後々巻きやすくて便利なのだ。 自身、言っていることと考えていることのベクトルがほとんどねじれに位置していることを自覚している。かすってはいるかもしれないが、本当にそのくらいだ。虚偽ではない分よけいに性質がわるいパターンだ。 「……かすが」 「はい?」 ふと、女がしぼったような声をあげた。 内心で苦笑していたは当然それを聞きかえす。 すると女はきっと顔をあげてこちらをにらむように見た。ぎこちなくもしなやかな動作で上半身を起こし、ににじり寄る。 「わたしの名だ。受けた恩は必ずかえす、見くびるな!」 「はあ」 かすがと名乗った女の変わりようへの応じはだいぶ気が抜けていた。いわゆるツンデレというやつだろうか。ずいぶんと前から流行っている気がするがブームはいつ尽きることやら、しかし人間は案外ギャップや二面性に惹かれるのが通説だ。それだけは古今東西変わらないし、ツンデレはその典型的かつ顕著になったケースだ。もしかしたら半永久的なものになるかもしれない。 先ほどまでの抵抗がまるでうそだったかのようなしおらしさでかすがは着物から両腕を抜き、露わになりかけた胸を抱いた。やはり本人も気にしているらしい。くだらないことを考えながらは油薬を塗った上から砕いた丸薬を擦りこんだ。 この丸薬は忍秘蔵のもので、なまなかな医師や薬師が所持するものよりも即効性がある。擦りこんでよし、飲んでよしとまさに万能薬だが原材料と効能がいまいち不明なことだけが不安を呼ぶがそこはクロエを信用するしかない。一応、事前にかすがにも確認をとったが泰然としていたのでまず問題ないだろうが。 動作のじゃまにならない程度に包帯をぐるぐる巻きつけ――このときにもひと悶着あったがノリが女子高生の修学旅行並みだったので割愛――さらに黒っぽい打衣を肩に羽織らせる。かすが本人は不必要だと言い張ったが雨が降っているのだからとむりに押しつけたかたちだ。思っている以上に雨は体力をうばうもの、生存率はあげておいて損はない。 筆舌尽くしがたい雰囲気でもって部屋のすみに気配が凝ったのは手当てを終えて間がないころだ。当然ながらまずかすがが気づいて手に武器を帯び、ついでが彼女を制して声をかけた。 「クロエ」 呼びかけると同時にどろんと忍らしくすがたを表した青年は空気も動かさないような素早さでのそばにひざをついた。目を白黒させているかすがなどまるきり無視しており、妙にいらだった彼は今にも舌を打ちそうだ。 「しくじった」 「見られたの」 「おれじゃない、その女だ。こちらへ来る」 「なんて間のわるい……」 思わずは芝居がかった風に額を覆った。完全に読みちがえた。黒脛巾組が動かなかったのは見失ったのではなくて見逃すよう命じられていたのだろう。クロエの口ぶりでは彼本人は見つかっていないようだがこのままでは時間の問題だ。やつが来る。 「仕方ない。この人、走れるんでしょう。抱えて外の森にでも放ってきちゃって」 「なっ!」 「心得た」 いきなり話に引き出されて息を呑んだかすがとは対照的にクロエは冷静なまでにうなずいた。 なんとなくだが、彼はかすがを邪険にあつかっている気がする。いや、彼女以上にきらわれているのはなぜか政宗だが。 現時点ではさらさら関係のないそれを遠く追い散らし、もまた真剣にクロエの顔をのぞきこんだ。同じ顔でまさに合わせ鏡だが恰好がちがうせいか女忍が気づいた様子はない。 「参考までに訊くけど、彼女が逃げきれる見こみは」 「あんたの願いとあらば」 「上等」 とクロエは儀式めいたようにおたがい握った拳を軽くぶつけた。作戦が成功したときなどはこれがハイタッチになるのだがそこはあれ、要はフィーリングだ。 会話の流れから状況を察したかすがは羽織っていた打衣に袖を通してあまっていた包帯で腰をしぼる。好意に応えようとしてくれるところがなんとも好ましい。 「それではかすがさん。ご武運を」 「ああ……」 「行くぞ」 「あ、おい! 待てっ」 「うるさい」 かすがの返事を待たずにクロエは彼女を肩にかつぎあげ、いつの間にか雨戸が開けられていた窓から跳びだし、欄干を蹴って外の夜闇に消えた。さらさらと音をたてる雨が気配をうまく隠すのだろう、目立つと思われたかすがの髪色もすぐに溶けてしまった。 ここから森までを往復しておよそ二○分。クロエの足ならばもっと速いと考えながらはじいっと外を見つめる。 雨だけは退屈だ。どうせなら雷でも落ちれば一興なのに。 ――ずがん! と地を鳴らしたような音がした。 光速と音速では光のほうがだんぜん速い。雷であればおよそ秒速三四○メートルだそうだから光ってから音までの時間で距離がはかれる――なので先ほどの音は稲光がなかったので雷鳴ではないのだろう。いや、それは最初からわかっていたことだ。ただ認めたくなかっただけで。 一部に定評のあるスルースキルを発揮しきれなかったはため息をひとつ洩らして背後をふりかえった。 「迷惑だから夜中に大きな音たてない。あと、襖壊れる」 「Shut up!」 胸もとが大きくはだけた寝巻きは仕様なのか。とりあえず、どうして廊下側からはいってこないのだろうかこの非常識野郎はよぉなどと思いつくかぎりの悪態をむりやり胸にしまいこみ、今度は肩も一緒にため息を落とす。 「 「 就寝間際にして独眼竜政宗、来襲。 |