朝餉の後、得てしては部屋を移動することになった。昨夜小十郎が言っていたようにあそこは客間であり、今朝のようなことがふたたびあっては困るからと気をまわしてくれたらしい。今後寝泊まりするのは五階のひと間で、間取りは広さ以外客間とそう変わらない。 真っ昼間だというのには自らそこに引きこもり、なにをするでもなく付書院に身を乗りあげては開け放した障子窓からぼうっと外をながめている。実際することがなにもなく、したいことはあっても身を置いている環境上勝手をすることは許されないのだ。 湯あがってしばらくいると肌寒さを感じ、花房にすすめられて留紺色の羽織を肩にかけている。袖を通すと慣れないせいかどうにも動きづらい。 その花房も今はここにおらず、ましてや政宗がいるはずもない。いかであれども彼らには身分相応の役があり、めずらしいという理由だけでにかまけてはいけない。否、そう判断してから追いかえした。 「I may have free-time to play anytime, but you don't. I think you should do your work at once. It's your responsibility as a lord of here, right?」 政宗がどこまでヒアリングが得意かは知れないがこればかりは英語で言うしかなかった。家臣でもなんでもないはここまで偉そうなものを言うには彼だけが理解できることが絶対条件だ。忠臣の代名詞にもなりそうな小十郎に知れたが最後、の命はないも同然だ。 また、は強制するのを好まない性格だから意見をどう受け取ろうとそれは政宗の自由意志だ。たとえ強制の響きを持ち、第三者から見ればそうさせているように見えたとしても発生する責任は同等だとも考えている。あいつのせいだとなじらない代わりに自分だけのせいでもないと主張する、卑怯かもしれないがそれがのスタンスだ。 「…………」 ひどく、静かだった。 種類はわからなくともとりあえず鳥が鳴き、ときおり吹き通る風が髪と木々の葉を揺らす以外の音がない。階下にはたしかに人がいてなにかしら動いているはずなのに足音ひとつ、声ひとつ届かないのはなぜだろう。 世界にただひとり残されたような、などといった詩的誇張表現は好きではないしこういった不安にさせる空気はたびたび味わったことがあるからはただまぶたをおろして顔をかすめる風の冷ややかさを楽しんだ。 「……あふ」 直射日光を浴びず、しかし居心地のいい場所で長時間じっとしているとやはり眠くなるのが摂理だ。もう何度目かのあくびを噛み殺し、涙のにじんだ目をこすった。 退屈ではないけれどひまはこれ以上ないほど持てあましている。本の一冊でもあれば解読の必要もあるだろうからかなり時間はつぶせたはずだがこの部屋には掛け軸のひと巻きもない。 解読といえば、とはまたたいた。元はゲームなのだからとなかばスルーしていたが方言についてはどうなっているのか。 ちょうどよく見つかったネタに本腰を入れようとは転落防止の欄干に突いていた頬杖を解き、柵を抱きこむように両腕を組んで頬を押しつけた。 障子と欄干との間は二十センチほど開いており、要は身体を外に乗りだしている状態なのだがひざを伸ばして付書院の縁に引っかけてあるので落ちるようなことはないだろう。個人的にはとくに希少価値でもなんでもない生白い太ももあたりまでちら見せどころかがばりと肌蹴てしまっているがそこはサービスサービス。 何度か腕の上下を組みかえ、収まりのいいところに落ち着くとはふたたび目をつむる。 さて、いくら伊達政宗がとち狂った英語をノリノリで話していようともここは奥州、つまりは東北に位置する。米沢は出羽だから訛りが相当きついはずだ。完全別言語化している九州のそれとはまたちがってなんとか聞き取れるくらいだが、それでも字幕がほしくなるのが自明だ。さらにこの時代には地域訛りのほかに身分訛りもある。武家言葉、公家言葉、百姓言葉に京言葉――これは主に花街で使われるのが一緒にくくってしまう――他国語を覚えるくらいならそれより先に日本の言語を統一してみせろと文部科学省に喧嘩を売った知り合いがいないでもないが、とにかく日本も他国に負けず劣らず固有言語が多いのはたしかだ。 そして東京人の、いわゆる標準語装備の人間が各地の訛りを知覚できないのと同様に各地の訛り装備の人間には標準語もまた訛って聞こえている。これは言語にかぎらず常識などにも言い当てられることだが人間は基本的に自分とその周囲を基準に物事を判断する性質がある。矛盾している言葉ではあるが、いっそ後天的本能と呼んでもいいかもしれない。それの論議については保留にしておくとして、そういった性質上言語に関しての互換性はほぼないと言ってかまわないはずだ。 しかしは政宗の言葉を理解し、政宗らもまたと意思の疎通できないという事態にはなっていない。ゲームだからと断じればそこまでの話、けれどそれにしては疑問を抱かざるを得ない。口約束や口頭で述べれば済むようなことでもいちいち文書になされたのは単なる記録保持のためでだけではなくて双方で使う言葉がちがったからではないだろうか。文書には決まった型があり、それに数はあっても異体はない。だれもが読んでわかるもの。それが文字であり、ゆえに文字文化が広く浸透したのだから。 あれがああでこれがこうだからそうなって……と一応の終結を迎え、つづけざまに0÷0=1について考えるがこれは数字を入れかえれば一発で解ける。移行すればただの0=1×0だ。 は完全文型体質だが数学は好きで、証明と微積に関してはひたすらそれだけやっていたくなる。それに、∞×0≠0と0×n=0がべつの理論に基づくことをふとしたときにわすれるからくだらなくても体のいい遊び道具だ。フェルマーの最終定理への興味はつきないけれどこれはこれで楽しい。空想の盤でおこなうエイトクイーンとどちらが健全かは推して測るべし。 ∞が無量大数より先へと拡散していく数列を表すならば、0はひたすら零へと収束する数列を示す。つまりこれらは仮に置かれている記号であって数としての意味は持たない。0×nとはちがって∞×0の0は定数でないから答えはなし、もしくはなんでもあり。 「証明終わり」 形式的につぶやき、は長く息を吐きだす。さあ次はどうしようと考えた矢先に、 「Hey, ! すぱあん、と。襖が反動で跳ねかえりそうなほどの勢いで開けられ、その音と突然降って湧いた政宗の声におどろいた肩がびくりと跳ねる。 心拍数を増やす心臓を押さえながらそろそろとふりかえれば彼はすでに部屋に侵入ってきており、青藍に染められた夏小袖の裾を蹴りあげるように大またで近づいてくるとその骨ばった大きな手での肩をつかんだ。 「う、わ」 引き起こされたは布が足にからんでバランスを崩し、倒れそうになったがそこはそばにある政宗を支えにした。とっさに袷の部分をつかんだせいで轢かれた蛙のような声――実際にそんなグロテスクなものを見たことも聞いたこともない――をあげたが転倒しかけたのは彼のせいなのだから自業自得だ。 それでも一応は軽く謝罪し、双方の服の乱れを適当になおしながらは手のひら一枚分ほど高いところにある政宗の顔を見あげる。 「 「なくなった」 「じゃあなんなの下の騒ぎは」 政宗が来る直前まではほぼ無音の空間が形成されていて気味がわるかったというのに、今や火事でもあったかのような大惨事だ。もっとも声を張りあげているのは言うまでもなく、いくつもの野太い声が政宗さまやら殿やらと叫びながらばたばた走りまわっている。だれがどう見ても政宗が執務を放り投げたのは目に明らかだ。 ちなみに“make time”は朝餉のとき場のなりゆきで教えたもので、知ったばかりの言葉を使いたいだけなのではと思わず勘ぐってしまう。いや、そこまで子どもではないと思いたい。切に。 階下の騒ぎはいまだ続行中だ。女中の悲鳴が聞こえないだけましというもので、なぜか足音はひとつに終結している。おおかた全員が小十郎に泣きついて徒党を組んだといったところか。 |