はじめて通る一階の、その中庭側は寝殿造りのように本丸と櫓――どちらかと言えば家屋に近い――が渡殿でつながっており、その中腹にはふたりの女性が待機していた。
 ひとりは笹に桔梗図が描かれた朱鷺色の小袖に思いきった青竹色の打掛を腰にまとい、もうひとりの小袖は草花亀甲尽くし図の桜色だが襟から覗くじゅばんが紅梅色でシンプルながらも目に鮮やかだ。両人とも見目がよいのは当然として、前者の顔立ちはどことなく小十郎に似ている。
「姉上、くれぐれも」
「ええ。承知していますよ」
 そう思ったが早いが、やはり血縁だったようだ。ならんでみると目じりの垂れ具合がそっくりだ。
 小十郎は一言声をかけただけで踵をかえした。主の命に忠実なのはけっこうだがなんの説明もなしてぽんと置いていくのはいかがなものかと思う。よほど自身の姉を信用しているのだろうけれど。
 たくましい背が渡殿の向こうに隠れるまで首をめぐらせていたはそれを確認してから女性ふたりに向きなおる。
 完璧に計られたタイミングでむだなく頭をさげられた。
「お初にお目文字仕ります、伊達家女中頭を任されております喜多でございます。政宗さまよりさまのお世話を命じられました。こちらは花房、腰元としておあつかいくださいませ」
「花房でございます」
 もまた、手をひざにそえて深く腰を曲げる。
と申します。ご迷惑と存じますがお世話になります」
 双方で顔をあげ、喜多がにこりと微笑んで自身の後方を手のひらで示す。
「さあさ、さま。まずは湯殿のほうへ」
 見れば花房は布やら大きくふくらんだ布包みやらを抱えていた。準備は万全、ということらしい。今朝の騒動のせいでどれほど待たせてしまったのか、瞬時にそれが脳裏を駆けめぐっては申し訳なく思った。
「すみません、お待たせしてしまって」
「ふふ、さまがお気になさる必要はございません。さ、花房。ご案内さしあげて」
「はい。こちらでございます」
 声に連れられて歩きだしながらすれちがう際にもう一度だけ喜多に会釈し、は半歩ほど先を行く花房の背を追う。
 どういう配置になっているかと思えば、なるほど、風呂は別棟にあるらしい。すぐ横にある小部屋は厠だというから、武田信玄と同じく水洗式を採用しているらしい。ことごとく山城と城郭建築がごっちゃになっている。
 棟を囲む六十センチほどのせまい濡れ縁――庇はあっても雨の日は悲惨なことになりそうだ――をぐるりと九十度まわりこみ、渡殿からは建物の影になって見えない部分にある戸を花房が横すべりさせた。
 彼女の身体越しに見えたのは広い空間だ。はいってすぐのところには広く茣蓙ござが敷かれ、壁際には縦長の簀子が設けられている。その上には衣服を収める小櫃、燭台、把手のついた桶があり、壁には刀をかけるのだろう細工と棚がほどこされていた。横に長い一室は三分の一程度が布張りの屏風で仕切られており、その向こうからはわずかではあるが湯けむりがこちら側に漏れている。見あげた天井近くには明かり取りと換気が目的とわかる格子窓がぽつぽつと開いていた。
 櫃のふたを開けてそこに衣類を置き、そばに閉じて置かれていた屏風を一隻開いて簀子を隠すようにし、場を整えた花房は笑んだ顔をふりかえらせてをうながす。
「お脱ぎになったお召し物はこちらに。もしもお熱いようでございましたらお手数ですが水桶から水をたしてうめてくださいませ。わたしはこちらにおりますので、入り用でしたらお呼びください」
 最後に何枚かの手ぬぐいを手渡され、は気づかいに感謝の意を示して屏風裏の簀子にあがった。
 部屋全体が湿気ているのにつけて肌も汗ばんでおり、正直べたべたして気持ちがわるい。着ていた単衣は屏風の上にかけ、昨夜から着たまま下着は小さくたたんで手ぬぐいの一枚にはさむ。こちらの下着に慣れるまでが長そうだと苦笑して、は手ぬぐいを広げて屏風の向こう側を覗きこんだ。
「へえ、こうなってるんだ」
 石川五右衛門を釜ゆでの刑に処したという俗説に基づいている五右衛門風呂や金属の筒を桶内に設置する鉄砲風呂が出てくるのは江戸になってからで、文献にある戦国時代の風呂は足湯か半身浴とされており、そのほかだと天然の温泉になる。武田信玄の隠し湯や、小田原征伐の直前に豊臣秀吉が淀殿や伊達政宗を招いて浸入ったというのがそれだ。なにかの番組で箱根が特集されていたときに得た知識だがずいぶん余裕なことだと思う。
 それらに対してこの風呂はちょうど半々な感じだ。簀子の先にはかまどらしきものと飯炊き用の釜があり、けれど焚き口がないのでそれは外側にあるのだろう。さわればひやりとしていそうな水瓶がふたつならび、木ぶたの上には大きな柄杓が渡されている。
 肝心の湯船がどうなっているかと思えば、ぱっと見たままは小さめの酒樽、もしくは大きな漬物樽だ。深さは六十センチあるかないか程度で脚があり、直径は一メートルほどなので成人男性でもひざをかかえて三角に座れば収まる大きさだ。なんのためにか小さな踏み台が備えつけられ、湯は風呂桶の半分くらいで人が浸かってもぎりぎりあふれない量だ。日本人が木桶をひとり用の風呂桶として用いたのは朝鮮出兵のころらしいが、なんとなく西洋の猫脚バスタブを彷彿とさせるデザインだ。
 よく見てみれば底のほうに手のひらほどの栓がしてあり、外側を見れば竹の筒がつきだして壁と床の間にめりこんでいる。おそらくは残り湯を手洗いのほうへ流す仕掛けだろう。
「なるほどね」
 ひと通り観察して満足したは簀子の上で腰を折り、置いてあった桶にぐらぐら煮立った釜から湯を移して水でうめる。具合よくなったそれに手ぬぐいを浸して身体をぬぐってさっぱりしたところでいそいそと湯船に身体を沈めた。
「はあー」
 思わずひと息つく。
 熱めではあるが場所柄か肌寒い朝には適温だ。競りあがった湯は鎖骨あたりで、湯をかぶらない肩にそれを手でかけながら首をまわす。ぐき、といやな音。鼓動に合わせて小さく痛むそこをもみ、指を組んでひじをかえして伸ばせば今度は肩が鳴った。
 相当凝ってる、とは眉をしかめ、ひそやかに聞こえてきた笑い声に照れて頬をかく。
 はその実一時間は余裕で湯船に浸かって手足をふやかすような長風呂派なのだが人を待たせてまで嗜好に走るような性質ではない。四肢の末端まで身体があたたまった――友人はそれを茹であがりと表した――ところで簀子以外を濡らさないよう気をつけて移動し、しぼった手ぬぐいで簡単に水気を拭きとると風呂場を離れた。
 たたまれていた小十郎の羽織は自分でかえすのが最低限の礼儀として、屏風にかけておいた単衣などはすがたを消していた。ついでに言うならば下着も。こういうところにも抜け目はないらしく、不快ではないがなんとも言いがたくてはコメントの代わりにしめった髪ごと頭を引っかいた。
「それにしても」
 かわいた手ぬぐいで身体を拭きなおしてから着物の肩をつかんでべらりと持ちあげ、はあきれてため息もつけなかった。
「わざわざ時代考証するのがばかばかしくなるなあ」
 湯あがりを考慮してなのか、黒塗りの櫃に収められていたのは小袖ではなくて天色の浴衣だ。大胆に描かれているのは椿に似たような、けれど花弁の重なり方からしておそらく薔薇。表面に触れればさらりとしており、その模様が織りではなく染めであることが楽に知れた。染めも図案も、素人であるにもわかるほどの一級品。だがしかし、多色染めであるこれはいわゆる友禅染からの派生であり、創始者の宮崎友禅斎は江戸中期の画工と記憶している。帯にいたっては細帯であるにもかかわらず中黄と鬱金という微妙な色彩で矢車模様に織られていた。
 この時代でなくても現金に換算したらなど考えるだけで頭が痛い。
 せっかく用意してもらったのだし、これ以上めんどうを増やすのも花房にわるいので今はこれに甘んじるとして政宗に直接それとなく文句をつけようと心に決めては肌じゅばんに浴衣を重ねてばさばさと着こなしていく。さすがに下着のつけ方まではわからず、恥を押しやって花房に教わったのだがそれにいぶかしんだ様子のなく応じてくれた彼女こそさすがだった。
 見た目がどうとかよりも自分でほどけるように、と単衣のときと同じく結び目を左前に持ってきて大きく蝶々結びにする。まぎれていたのか意図的なのか、両端が房状になった猩々緋の飾り紐を帯の上に巻いて同じように垂らす。ちょうどよく帯の結び目の上に花結びが重なったことに作意を感じるがこれも粋というやつだろうか。
「パーぺき、かな」
 首をめぐらせてざっと確認し、ひとつうなずいては屏風を取り払った。本来は花房の仕事なのだろうがいろいろとめんどうになったからだ。
 戸口にほど近いところに花房は座し、かたわらには布包みを置いていた。
さま、お湯かげんはいかがでしたか」
「ええ、おかげさまでさっぱりできました」
「それは良うございました」
 花房はから手ぬぐいを受け取り、さり気ない目で上から下までを見やる。自然な動作で立ちあがり、雑になっていたらしいお端折りをなおして満足そうに笑みを浮かべた。
「お召し物もよくお似合いです。殿もお喜びになりましょう」
「え、このお着物は政宗さまが選ばれたのですか」
「いいえ。ですが、お喜多さまは殿のご趣味をよくご存じていらっしゃいますので」
 なるほど、そういうことらしい。
 長風呂というわけでもないが入浴はほどよく空腹を増徴させるもので、今にも鳴りそうな腹の虫を気にしつつは来たときとは逆に自然と花房をしたがえて主殿――厳密にはちがうのだがほかに言いようが見つからない――のほうへと戻った。