ぐう、と腹部にかかる圧迫感では目が覚めた。枠にはまった天井板に見覚えがなく、ぼんやりとそれを数えているうちに思考の霞が晴れてきた。 起きるのは二回目だ。先ほど起きたときはまだ外がうす暗く、弁当をつくるときのくせで身体が勝手に応じたのだ。それでも眠くないわけがないから二度寝てみたわけだが。 上体を起こして無意識に指を髪に差しいれれば耳に異物感があり、そう言えばピアスをつけたままだったと寝ぼけた頭で思いだす。波打った髪を撫で梳けばこれまたつけっぱなしだった時計とリングがぶつかって音をたてた。 片腕を伸ばし、もう片方でそのひじを支えながら背筋をわずかにそらす。やりすぎると肩が攣るのが難点だ。 「うー……う?」 ふと横を見ればこんもりとしたまんじゅうがひとつできていた。 昨夜眠ったときはたしかにひとりだったし、だれかを招いた記憶もない。夜這いをかけられた覚えもなければ夜着の単衣は裾と襟元が多少はだけているくらいだ。 意を決するまでもなくはべろりとふとんを剥ぎ取った。障子に透けて射す朝日のおかげで中身がはっきり見える。 「……なにごと」 まんじゅうの具は成実だった。が不用としたらしい高枕をあごではさみ、うつ伏せになって着の身着のままぐうぐうと寝入っている。 むうっと漂う酒気に鼻を押さえ、とりあえず空気を入れ替えようと障子を半分ほど開けた。 ひんやりした朝独特の空気を楽しんでいる場合でもなく、は付書院に手をついて立ちあがると大またで成実に近寄った。 うつ伏せになっているなら引っくりかえす手間がなくて好都合だ。重なりあった単衣の裾をたくしあげるようにしてひざで左右にさばき、広がった太ももの間に後ろを向いて座る。がばりと惜しみもなく足を開いてひざとひざを噛み合わせて固定、そのまま成実の足を小脇に抱えたところで寝ぼけた声が右からしたがそれは左に受け流して。 「よいしょ」 一拍遅れて、成実の絶叫が城内にこだました。 政宗は頭を抱えたくなった。 目の前には単衣の上に羽織を肩にかけてきちんと正座した、その後ろには四つんばいになって腰を押さえてうめいている成実がいる。 尋常でない彼の悲鳴にたたき起こされ、刀を引っつかんで小十郎と共に駆けつけてみればたどり着いたのはなぜかにあてがったという部屋で、最悪の事態を予想しながらも襖を開け放てば、ばしばしと畳をたたく成実と、その脚をあられもないすがたで逆方向に折り曲げていたがきょとんとした。呆然とする政宗たちに対して何事もないかのようにおはようございますと言った彼女に小十郎が自身の着ていた羽織をかぶせ、今にいたる。 さすがに恥じているのだろう、は気まずそうの視線を落としていて反省の意を見せている。ひざの上に重ねられた白い手がわずかに動いた。最低限の筋肉しかついていなさそうなあの細っこい身体のどこに成実を悶絶させかけるほどの力あるのか。 「Unbelievable ……」 どかりとあぐらをかいて座り、袂にそれぞれ手をつっこんで政宗は天井をあおいだ。 「で、なんだって朝っぱらからこんなことになってやがんだ」 「起きたら成実さまがとなりにいらっしゃいましたので、つい」 言い訳じみた風もなく、さも当然とでも言いたげには真顔だ。 うっかりはいそうですかとうなずいてその場が流れかけたが、異を唱えたのは手打ちにされかけた成実だ。あげた顔の目もとにはひかるものがある。 「つい !? あんな嬉々としてやっときながら、つい !?」 「Shut up. だいたいなあ成実、てめえがここにいることからして解せねえんだよ。酒飲んだあとあがるのがめんどうだって言うからこないだの戦の前に替えてやったよな。あ?」 にはなぜか知られていたが政宗が下戸であることは伊達家でも上位にある密事だ。国主が酒に弱いと近隣諸国の大名に知れれば大江山の酒呑童子のように討ち取ってくれようと宴に招く者があるやもしれぬ。ただ困ったことに祖父も父も酒豪であり、成実もそうだ。母が酒を嗜むかどうかは知らないがこの性質は母に由来するものと見ている。これで母までもが酒を好んでいたら柄でもなく落ちこむ自信が政宗にはあった。情けないことこの上ない。 とにかく成実は政宗とくらべるのがばかばかしくなるほどの酒飲みであり、たいていの場合は自力で米沢城での自室に――あれでいて一応はいち城主だ。それは小十郎もだが心配性な彼は平時も戦時もほとんどこちらにつめている――ときおり度を越してぐでんぐでんになってはその場で寝入ることもめずらしくない。この軍ではよくあることだが伊達三傑の武である彼がそうひんぱんにそのようなすがたをさらしていてはいざというときの士気にかかわる。褒められた処置ではないが、部屋の階層を変えてやったことは記憶に新しい。 さらに言えば、以前成実が使っていたのはそもそもここではない。 「酔いにかこつけておれのものに夜這いかけるたぁいい度胸じゃねえか」 手指を組んでばきぼきと鳴らし、政宗はにいと笑みを刷く。 音が聞こえそうなほどおもしろい勢いで成実の顔がざあっと青ざめた。ぶんぶんと首と手を左右にふり、痛がっていた腰は完全に引けている。 「んな滅相もない! ちょ、梵、おれの話をっ」 「 「政宗さま、刀をお使いになられるのでしたらばどうか城外でなさってください。女中どもがおびえます」 「ち、小言は聞き飽きたぜ。おい」 ふたたび声をかけられ、正直ひまをもてあまして羽織紐をいじっていたは顔をあげる。 成実の首根っこをつかんでいるのとは反対側で拳つくって親指を立て、その先をくいとどこぞへか投げられた。 「こいつはおれがじっくりしぼっといてやるからおまえは湯浴みしてこい。飯はそれからだ」 「はあ」 風呂も朝ごはんも頭からすっかり抜け落ちていたは生返事だ。 そういえばお腹が空いて起きたんだっけ、と心なしか昨夜よりも厚みの減った腹をおさえる。 風呂にいたっては形式が思いつかない。武田信玄が風呂の残り水を利用した水洗トイレを考案したという知識があるかたわらで、失礼ながらこの時代は風呂ではなく水浴びだとなぜか思っていた。なによりも先にこういうところにも慣れていかなければならなさそうだ。そうでないと生活がままならない。 「小十郎」 「は」 成実が発する苦悶の声をBGMにして小十郎はを部屋の外へと連れだした。 くぐもった声にちらりとふりかえれば、うつ伏せた成実の背骨に片ひざを押しつけながら両手をあごにかけて上体を後方に倒す政宗がいた。どうやら刀ではなくて寝技にしたらしい。ちなみにあれを後世ではキャメルクラッチと呼ぶ。 「遅くなりましたが、おはようございます。片倉さま」 「ああ」 「本当、朝早くからご迷惑をおかけしてすみません。少し動転していたみたいです」 「いや、ちいとばかしやりすぎだがどう見てもあれは成実に非がある。なに、殿が気にすることじゃねえさ」 昨夜のあれが効いたのか小十郎の口はだいぶくだけている。やはりこれが彼の地なのだろう、低音の声とあいまってなかなかの凄みがあるが見た目に相応な分だけ敬語よりもずっと聞きやすい。それでも一点だけ気になって、面には出さずには内心で舌を出す。自分の精神安定のためならそこそこしたたかでなくてはいけない。女は度胸とは、なるほど言ったものだ。 ひんやりした廊下を素足で踏みながらは改めて小十郎を見あげる。袖を引くのも有効だろうが年齢的にアウト。 「あの、呼び捨てていただいてかまいません」 「ほう、ずいぶん剛毅じゃねえか」 「そのほうがしっくりきますから」 「はっは。あんた変わってるな」 「それほどでもありません」 小十郎は今にも腹をかかえて笑いだしそうだ。 おもしろいことを言ったつもりはなくて、素で首をかしげたの頭を小十郎はさらに笑ってぐしゃぐしゃ撫でまわす。寝起きたばかりだったからいいものを、髪はみごとに鳥の巣状態になった。 上機嫌な彼から眼をそらして適当に髪を梳き、われながら子どもっぽいだろうかとこっそり首をひねる。なにやら自分の反応が従兄やその友人に対するものに近いと知り、やはり自分は年上に弱いのかもしれない。 部屋を出たときよりもだいぶ和やかな雰囲気で長い階段をおりる。途中で奇声が聞こえた気がしたがおたがいなにかを言わずともあっさり流した。外国人風の笑い声までひびいてきたときにはさすがにぎょっとなったが小十郎が平然としていたからおそらく政宗のそれだろうとむりやり納得しておく。 |