ましてここは咲いて暴れる戦国乱世。慣れたころにひょいと戻れたとして、いったい自分はどうなっているのだろう。
「……だめだ。ひざまくらって、ひま」
 本もない、ケータイもない、話す相手も寝ていると来ては完全に手づまりだ。バッグは政宗の私室に置いたままだし、そう言えばどこで寝ればいいか。
 はたと気がついては政宗の顔を凝視する。
 これほど整った顔をしているのにさらに眼帯とは反則だ。彼にとってはコンプレックスでハンディキャップでしかなくとも現代人のにすればおいしいアイテムだ。外見よりも中身重視のでも目の保養だと思う。ふつうにかっこいい。ただ、寝ている人間が顔をさらしていたら落書いてやるのがお約束だ。しかし、かなしいかな、手元にの求めるものはない。
「筆ペンがほしい。切実に」
 としては、身の安全さえ保障してもらえればべつに雑魚寝でもかまわない。唯一の難点は浴衣にしわがつくこと。ああ着替えの心配もしなければと連鎖的に思いたつ。おおむねは政宗に相談すればいいとしても下着関連はさすがに女の人がいい。訊きたいこともいくつかある。
 す、と左手の襖がすべった。極々小さいこすれる音が聞こえては首をめぐらせる。
「片倉さま」
殿。政宗さまは、と。すでに眠ってしまわれたか」
「ええ。事前にご自分で申告された通りに」
 小さく笑いながらひざを示せば、小十郎はわずかに目を見張る。
 意外なものを見た、というようなそれにはだろうなと苦いものをかんだ。なかば冗談でした提案だったし、せいぜい横になるくらいでまさか本当に寝るとは思ってもみなかった。
「やれやれ、困ったお方だ」
 あきれたように小十郎は肩をすくめ、それからと目を合わせる。
「客間を用意致しました。今夜はそちらで休まれますよう」
「ありがとうございます」
 礼を言いながらはさすが智の片倉小十郎だと場ちがいな感想をいだいた。顔はこわいが気質はおかん。こういうところは以前と変わらない気がする。
 小十郎は政宗に一声かけ、覚醒の気配がないと知れると長息した後に彼の背と膝裏に腕を差し入れてそっと抱きあげた。
 しびれた足をもみほぐしていたが一瞬だけ呆けた頭で思ったのはただひとつ、見目のいい男が任侠風の男にプリンセスホールドされるのは実にシュールだ。このふたりのカップリングが好物のお嬢さんがたにとってはごちそうなのだろうけれど萌えとかを考える前に本気で死体に見えた。
 果たして政宗は起きた様子もない。これでたぬき寝入りだった日にはそういう趣味嗜好なのかと胸ぐらつかんで揺すって真正面から問いただしたい。
 ぐだぐだと考えをめぐらせつつ、小十郎にうながされては立ちあがる。よろけるかと思ったが足はじんじんとするだけで歩けないということはなさそうだ。
 宴もたけなわ、といったところだろうか。部屋を出る直前に見た光景はまさに死屍累々。酔いつぶれて高いびきをあげている者、ふんどし一枚になって引っくりかえっている者、かいがいしくそれらの世話をしている者、尻目にまだ飲んでいる者などさまざまだ。成実はといえば最後に当てはまる。政宗とはちがってなかなかの酒豪らしい。
 複雑な廊下を右へ曲っては階段をのぼり、左に行ってはまた段を踏む。どこから見ても完全な城郭建築だ。最初に通された部屋は三階に、先の宴会場は二階にあった。けれど今進んでいるのはさらに上に行く階段だ。たぶん、六階。外からは五層くらいに見えたが内外の構造が一致していない造りなのだろう、上から見れば様式もはっきりわかる。ここがどこかは知らないが少なくとも仙台城ではない。だとすれば米沢か。
 米沢がもともとは伊達の領地だったとは知ったのはつい最近だ。米沢といえば上杉、の公式が勝手に成り立っていたせいだ。最終的に日本史担当教師のところに授業後追撃をかけたことは記憶に新しい。それも受験が終わってからだったから教師や友人たちはひたすらあきれていた気がする。
 城郭というのは上に行くほど部屋がせまくなる。基本的な造りは畳を敷きつめた大部屋をひとつ、それを襖で小室に区切っていくのだ。この様式ならば必要に応じて部屋の広さを変えることができる。襖を開けても開けても部屋がつづいていく正体がこれ。
 最上階まであがりきった。政宗の寝間は非常識にも外に面しているらしく、小十郎はすたすたと簀子縁すのこえんを歩いていく。
 は一瞬だけ足がすくんだ。手すりはあるものの、こわい。明かりは月のそれだけで足元に気をつけるので精いっぱいだ。景色を堪能する余裕もない。もっとも、見えるのは黒々としたものばかりだが。
 ふたたび中にはいった小十郎は足を止め、遅れたに開けるように言った。
 するりと襖を動かせば殺風景な部屋が覗く。
 まず十五畳はありそうな板の間、一段高くなって畳が敷かれている。そこには文机、燭台、脇息、煙草盆。それと和綴じ本がいくらか積みあげられ、床の間には鞘に納められた刀が六振り。まるきり私室の体を表してはいるがどこかさびしい空気だ。列挙すればものがあるように思えるが広さがある分だけやはりがらんと印象を受ける。
 衣桁いこうにかけられている、背に仙台笹が描かれた青の陣羽織――それにしては袖がなかったり襟がなかったり裾がずたずただったりとやけに奇抜だが、たぶんそう――を見ているうちに小十郎は室内へと踏み入り、すでに調えられていた寝床にそっと政宗を横たえた。いかにも手馴れたしぐさになぜだか安心する。掛布を肩までかぶせ、彼は襖を閉めた。
 それからを結論から言えばの貸与された客間は四階だった。主優先なのは結構だが二階を上下運動した分の体力はかえしてほしい。
 道中にて、小十郎は唐突にの荷物を検分した旨を伝えた。宴の最中で不在だったのはそのためにあったらしい。ちなみにこれは小十郎の独断であるとのこと。ケータイは意図して置いてきたし、見られても説明すれば済むようなものしかはいっていなかったと思うから肯定的な返答をすれば彼はわずかに眉をしかめた。強面がさらにすごみを増して少しこわい。
 こちらです、と低く案内されたのはこれまた表に面した部屋だ。三方が襖、一方が明かり障子で仕切られたそこはの感覚からすればとても広々している。
「片倉さま」
 礼を一言。それからは彼を呼んで首をめぐらせて顔を見あげた。
「以前から申しあげようと思っていたのですが、むりな敬語は必要ありませんので楽にお話しください。片倉さまがお仕えしているのは伊達さまなのですから」
「ですが」
「わたしのことはお気になさらず。そう遠くないうちに崩れるのが関の山でございましょうから、そのときは笑ってください」
 それではおやすみなさいませ、と言い逃げては襖を閉めた。かたん、と枠同士がぶつかって音をたてる。
 障子に映った人影はそうもしないうちに遠のいた。去り際の応答は聞きまちがえではないはず。
 は小さく笑った。
 首尾は上々。
 伊達三傑が手ごわいであることはすでに予想していたから不即不離ヒット・アンド・アウェイ会心の一撃クリティカル・ヒットをくりかえして警戒心を削る作戦だ。彼らを信用していないわけではないが最恵待遇にはほど遠い。出し惜しむつもりはなくともなにかと不意打ってはみたく思う。そのための機と形勢を読みちがえたくはない。
 これは布石。
 後になって功をなす、敷いておいて損はないもの。
 ふりかえった室内は思ったよりも明るかった。明かりをつけてはいないが、の左手にある障子から月明かりが透けている。夜目は利くほうだから光源はそれで十分だ。
「うーん、書院造り」
 十畳以上ありそうなだだっ広い部屋のまんなかあたりにふとんが一組敷かれている。枕元にはきちんとたたまれた夜着、それからバッグが置かれていた。
 中身をあらためたと小十郎は言っていたがたしかめたい気分ではない。どうせ政宗にも説明を求められるだろうからそのときにでも十分ことたりる。
 つけっぱなしだった時計を見れば午後八時すぎ。寝る気はさらさらなかったが夜着に着替えると自覚していなかった疲れがどっと出てきた。
 浴衣を脱いでていねいにたたみ、夜着に袖を通す。さらりとした肌ざわりのそれは袂が長くこしらえてあり、長じゅばんに似ている。そういえばじゅばんは元をジバンと言い、ポルトガルからの外来語なのだそうだ。
 苦しくないようにえりを抜き、一緒に置かれていたやわらかな細帯で腰を締める。思いのほか帯が長くて締まりもわるかったのでぐるぐる巻きにして左前で大ざっぱに蝶々にした。ふくれた下腹部が気になるけれどこれなら寝乱れる心配はない。
「つ、かれたあ」
 口に出すとさらに倍になってのしかかってくる。
 はぐぐっと背筋をのばし、ばたりとかけふとんの上に倒れこんだ。知らない天井を見ないよううつ伏せに、知らないにおいに慣れるよう深く息を吸って冷たい掛布にもぐりこむ。
 睡魔はすぐに訪れて、暗転。





兵どもが夢の跡