察してくれたらしく、すぐさまつかんでいた顔面が解放され、おもむろにあげられた青年のそれとの目が合った。
 愛嬌のある顔でへらりと笑われる。
 もまた営業スマイルを貼りつけて、
Whyn't you get out of hereさ っ さ と ど け?」
 箸をにぎったまま親指を伸ばして明後日へ放る。これなら言葉がわからなくても意味は通じるだろう。
 英語の良いところは本場が相手でなければいくら乱暴に言っても問題ないところにあるとは素で思っている。たいていの日本人は英語を訳すときはなぜか単語や文法を忠実に丁寧になおすから。
「えーと、そーりー……だっけ、梵」
Do it without delayい い か ら 動 け!」
「い、いえっさー?」
 の笑顔が効いたのか、あるいは政宗がどすを利かせたせいか、青年は猫かたこのような動作で上体を起きあがらせたのでひとまず茶碗と箸を置くことができた。
 それにしてもこの膝上占拠の犯人、ほかの家臣にくらべてずいぶんと毛色がちがう。
 見た感じの年齢はと同じくらいだが言動が若干ゆるい気がする。日に焼けた小麦色の髪をきりきりとひとつにくくり、身につけているのも袖を落とした裾の短い着物に八分丈の筒袴と、政宗たちとならべてみれば若い恰好だ。なかでもひと際目を引くのは顔面を縦にななめに走る傷跡だ。健康的な浅黒い肌とあいまってよく目立っているが、痛々しいとか気の毒に思わないとは彼のキャラクタなのかもしれない。
 会って数分、あまり良いエンカウントではなかったにもかかわらずの頭は冷静に見聞を開始している。
 その間無言でじいとながめていたものだから見られていた側は居心地わるそうに身をよじらせて政宗に視線をやった。
 情けねえ、と政宗は毒づく。それでも助け舟を出すところが彼たる所以だろう。

 あごでしゃくって示しながら、政宗。
「そいつは」
 言いかけたところで、がしゃん、と盛大な音がした。生理的反射で肩が震える。ついで聞こえてきたのは怒声、政宗を呼ぶ陽気な声。
「うるっせえんだよ!」
 政宗が一言投げつけるも逆にエスカレートしている。酒のはいっていない彼にとって、たとえ部下であっても酔っぱらいはごめんなのだろう。いつもはどうにかさばいているのだろうに、話の途中であったことも原因しているのか初見のからしても対応が大雑把に見える。
「あー、ほらほら梵、呼ばれてるよ」
 それに苦笑したのは青年だ。ひらひらと片手を下座のほうへ払い、さらに言う。
「この子の相手はおれがしとくから行ってきなよ」
「……なんかやらかしやがったらただじゃおかねえからな。You see?」
「あいしー、あいしー。美人さんと話せておれってば役得」
「成実!」
 すがめた片目でぎらりと青年をねめつけ、政宗は腰をあげた。その際視線を向けられ、は会釈することでかえす。彼はひとつうなずいて着流しの裾をさばいた。下座へ近づくごとに家臣たちが声をあげ、また政宗も気さくに応じていく。
 笑ったままそれを見送っていた青年はくるりとに向きなおり、眉尻をさげた。
「さっきはごめんねー。おどろいたっしょ」
「いえ、茶碗はぶじでしたから」
 同時に、謝るくらいならやるな、とは思った。けれどそれを言ってはこじれるだけなので本音は呑みこんで、当たり障りのないことを口にしておく。実を言えばそちらのほうを気にしていたから。
「茶碗? げ、中なんかはいってた?」
「はい。ですが結果的に問題はありませんでしたのでそうお気になさらず」
「あんたいい人だなあ……や、ほんとにごめん」
 政宗とよく似た動作でがしゃがしゃと頭をかき、もう片手をぴんと伸ばした状態で顔の前に立てて軽く頭をさげる。
 いわゆるごめんなさいのパフォーマンスだが、果たしてこの時代に確立しているものだったのか。
 いくら文献を漁ろうと学者が仮説をたてて議論を交わそうとも当時の思想や話題などがすべてわかるはずがない。遺されているのは一世を風靡したものや広域で一般化したものばかりで、たとえば小規模な集落などでのそれは別口でも文献に記されないかぎりなかったと同じだ。どこかの大学の過去問題にもそのようなリード文があった気がする。教科書か参考書かもしれないけれどこの際なんでもいい。
「えーと、ども、伊達成実です。梵天のひとつ下で、梵天と輝宗殿のいとこ。よろしくー」
といいます。武蔵から参りました」
「武蔵? あそこってなにもないじゃん」
「はい、なにも」
 成実がいぶかるのも無理はない。
 関東、ひいては現代日本における中心地である東京のあたりがふたたび重要視されるのは豊臣秀吉の小田原征伐後、関東に移封させられた徳川家康が江戸を根拠地にしてからだ。
 鎌倉幕府滅亡後、次なる平将門や源頼朝が現れることを恐れた室町幕府は東国支配のために鎌倉府を起き、政治からは離されていた。
 そのおかげで上杉憲政から上杉姓と関東官僚職をゆずられた長尾景虎(上杉謙信の初名)や、紆余曲折を経て堀越公方足利茶々丸をたおした北条早雲(北条氏政の曽祖父)が戦国乱世に名乗りをあげることができたというのだから皮肉なものだろうか。
 とにかくこの時代の武蔵は秩父に銅山を有していてもさしたる重要拠点ではなく、むしろ目が行くのは関東一円を治めている北条氏が根拠地である小田原だ。近世以降もあのあたりは対外国貿易の要であり、今後異国との交流を得たいのであれば領地にしておきたいところだろう。もしかしたら浦賀にペルリ大佐もどきが蝋燭の材料確保のための捕鯨と対中国貿易の中継地点を目当てに夜も寝られない軍艦四隻を率いてくるかもしれない。
 友人に教えてもらった登場武将とその根拠地をかなりアバウトな日本地図に当てはめて思い浮かべながらはため息をつきたくなる。さすがゲーム、他社のでも思ったが実に美味しいところ取りだ。たとえプレイヤーキャラクタでなくても押さえるところはきっちり押さえている。大筋はオリジナル街道爆走しているくせに細かいところで史実ネタ頻出なあたりに製作側のむだなクオリティが感じられる。どうせなら徳川家康で伊賀越え、つまりは三国無双の蜀軍における長坂の戦いに匹敵するような時限式逃走ステージくらい組みこんでくれてもいいのに。それなら確実に買っていた。
「海もなく、たいした名所もなく、治める領主の名すらひびかないようなつまらぬ国です」
 事実、の印象では本当になにもないところだ。
 今でこそさいたまスタジアムやら浦和レッドダイヤモンズやら『鉄腕アトム』やら『クレヨンしんちゃん』やら『おおきく振りかぶって』などでそこそこ有名になってはいるが、南部が衛星都市として機能しはじめたのは当然東京遷都の後。ほかに覚えているのは秩父産出の銅で鋳造した和同開珎が皇朝十二銭の一番目で年号のほうに金偏がつくこと、それより前のものとして富本銭が見つかっていること、あとは明治期の民権運動最大の武装蜂起である秩父事件が鎮台兵(一八七一年以来設けられた陸軍の軍団。警察機動隊の前身)により鎮圧されたことくらいだ。それから中山道と奥州道中。後者は栗橋に関所があって、熊谷は陣屋(城郭のない小藩大名の居所のこと)だった気がする。また小仏は甲州道中の関所だ。でもこれは江戸期にはいってからの話。かつてはかの有名な源義経の正室の実家である河越家が支配し、今でも小江戸と呼ばれるあのあたりも同様だ。
「ふうん」
 あぐらをかいた太ももの上にひじをつき、手のひらで頬をくるんだ成実は気のない相づちを打つ。
「そうかもしれないけど、それうそだろ」
「なんでうそ」
 面食らい、思わず素のままかえす。言った直後、切りかえしに間がない分だけは後悔した。なにやら同じようなことをくりかえしてばかりで反省の色が自分で見えない。いや、していないからそれも当たり前なのだが不覚を取ったのはたしかだ。伊達姓とは相性がわるいのだろうかと勘ぐりたくなる。
 そのかたわらで成実はさして気にした様子もなく、よい言葉を探しているのか手なぐさみのように首をまわした。こきこきぐき、と小気味好いのとにぶい音。少々痛がるそぶりでまた反対側に首をたおし、同じような音をさせながら口を開いた。
「だって、梵のお守り、あれあげたの殿だろ」
「呼び捨てていただいて結構ですよ。ええそうです」
「じゃあおれも成実で。この辺伊達ばっかりだし、あとふつうにしゃべってほしい。やっぱりな、だと思った。ところであれってなに」
「あったらいいもの、なくてもいいもの。要は気休め」
「気休め?」