なんと言うか、まさに異空間だと称するべきだとは思った。
 真夜中の駅前、コンビニ前の駐車場でもいい。さながら日の出暴走前の集会のような雰囲気のせいで引くに引けない。とにもかくにもひと昔前のヤンキーが半被すがたで猛っている様子は早いところ慣れなければ一生引きずりそうだ。
「おめえら楽しんでるか!」
Yeahhhhh !!
OK! 今晩は無礼講だ! Are you ready?」
Yeahhhhhhhhhh !!
 上座であぐらをかいて音頭を取るのは当然政宗だ。
 はなぜかそのとなりに座らされ、こうして耳をふさいでいる。なんの前口上もなくはじまった宴とテンションに正直ついていけそうにない。政宗の右にひかえる小十郎があきらめろと目で訴えているのには気づいていたがいろいろ突き抜けてしまっている感がものすごくいやだ。人目を気にせずにいられるのはたしかに楽だけれど、
「……絶対にまちがってる」
「なにがだ」
「わたしが言うべきではありませんが、なんのための宴なのですか」
「おまえの歓迎」
「とてもそうは思えません」
 歓迎される主体が置いてきぼりだなんてどういう事態だ。
 どうせ騒ぐ口実が欲しかっただけなのだろうがこれで今後の生活に支障が出てはたまらない。居住がどこになるかは不明だが出入りするたびに呼び止められては迷惑だ。
 よほど不満そうな顔をしていたのか、きゅうりの酢の物をつついていた政宗は箸を置いて銚子を持ちあげた。金蒔絵で描かれた風雲にはもはやつっこむまい。
「つまんねえこと気にしてないで飲め」
「結構です」
「おれの酒が飲めねえのか」
「下戸のくせにからんでこないでください」
 ひくり、と政宗の頬が引きつった。
 隙のない策謀家である伊達政宗が酒にだけは滅法弱いというのは有名な話だ。二代目徳川将軍秀忠との約束を二日酔いですっぽかしたこともあったらしい。
 この世界の政宗はどうかと思っていたのが今の反応からして史実同様のようだ。事実、彼は音頭のときに一杯だけ舐めたきりでそれからは黙々と箸を動かしていた。小十郎のそばに置いてある茶器も良い証拠だ。この様子だと相当弱い。新年などで家臣一同が集まったときに受ける酌はどうしているのか少し気になる。
 案の定政宗は半眼になって声を低めた。
「てめえ、なんで知ってんだ」
「蛇の道は蛇と言うではありませんか」
 うそぶいてみせるは酒に強いか弱いかを訊かれたときは体面上酔ったことはないと答える。さらに飲酒は二十歳からとでも言っておけばたいていの場合律儀にも飲んだことはないのだろうと判断されるから、もちろんそれを見越しての回答だ。反面、好みを訊かれればもっとストレートにかえす。はビールやワインよりも辛口の米酒派だ。
 どうやらも下戸だと思ったらしい。政宗は銚子を置き、隠すようにしてあった小さめの土鍋を杓子でかき混ぜ、茶碗に盛って鉄瓶の湯を注ぐ。
「飲まねえんなら食っとけ」
 手渡された茶碗を受け取り、はじめて中身を見てはぎょっとなった。やわらかく炊かれた粥状のご飯の上からさらに湯がかけてあるのだ。時期が時期だけに炊いた米をそのまま食べているとは思わなかったがさすがにこれは予想外だ。
 予想外といえば食事の内容もそうだ。塗り物の膳には吸い物の椀に小鉢、焼いた鮎や漬物がならべられている。それでもこの場では食べるより飲むことに重点が置かれているのか、家臣の前にある膳には政宗やのものよりも食器の数が少ない。言うなれば肴だ。武士は日に五合も米を食べるというからあれでたりるわけがなく、おそらくは宴の前後でなにか食べるのだろうが見ていると空の徳利ばかりが増えている気がする。
 茶碗を持ったままは少し考える。
 もともとは少食なほうで、夏休みにはいってからというのも起きるのも億劫で二時ごろに朝昼を兼ねて食べ、夜は八時くらいというサイクルだ。今日もそのパターンで、浴衣すがたで食べ歩くのは汚したときが怖かったので着替える前に軽く食べてしまったのもいけなかった。よって、あまり空腹ではなかったりする。
 だがせっかく手ずから盛ってもらったものを断ることはできない。なにより失礼だし、伊達政宗は料理に対するこだわりがあるらしいからだ。曰く、馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなすことである。ならばそれに応えるのが礼儀だが食欲とは別問題だ。
「おい」
「はい?」
「あ」
「あ……っ!」
 ひょいとなにか放りこまれ、は反射的に口を閉じ、また咄嗟に吐きだそうとするのを手で抑えてそれを噛む。こりこりというか、ぐにぐにしている。生姜のからさにむせそうになりながらもなんとか飲みこんだ。
 口に手をやったまま横目でにらみつけると箸をかまえたままの政宗がいた。
「どうだ」
「……なにこれ」
「くらげ」
「く、くらげ !?
Yes. 最上領内で獲れたのが昼に届いたから刺身にさせた。美味いか」
「ええ、まあ……美味しいです」
Good.
 政宗は口の端を吊りあげ、けれど自分ではくらげの和え物を口にしようとしない。
 舌先はいまだに生姜でしびれているがなんとなく酒っぽい後味があり、なるほど、どうやら煎り酒で和えてあるようだ。そう何度でもないが、醤油の代わりにこれでいか刺を食べたことがある。煮つめてあるからアルコール分はほとんど飛んでいるようなものだがこの程度でもだめらしい。
 こうなると一体どのような失敗談があるのかが逆に気になる。本人に訊いても答えてくれるわけがないだろうが、小十郎が教えてくれるとも思わない。それでも今のところの知り合いはこのふたりだけで、増えるかどうかは未定だ。
「いっそ酔わせるか」
 とりあえず箸を持ち、さらさらどろどろのよくわからない湯漬けがゆを無意味にかき混ぜながらはつぶやいた。同時に下座のほうで歓声だか怒声だかがあがってせいで政宗には聞こえなかったらしく、ちらとそちらを見やっただけでまた茶碗に目を落とす。
 酔わせてもいいが、結果として起こる事態に巻きこまれたくない。笑い上戸、泣き上戸、豹変泥酔甘えにからみ酒と予想はさまざまできる。さすがに襲われそうになったら小十郎あたりが止めるだろうが身体を張ってまで知りたいことでもない。抱きつく程度なら許容できてもがたいのいい男が酔うとキス魔設定はどうがんばってもかわいくない。
「ぼーん! あいかわらず飲んでない?」
「うるせえ成実。Get out来 ん な!」
「わあ、なに言われたかわかんないけど傷ついた!」
「うざい暑いからむな」
「ひっでえ言いぐさ。梵天が来ないからおれが来たんだっての」
 そうそうかわいいのはこれくらいだよなあと考え、はたとは我にかえった。
 知らない間にひとり増えている。
 そこまではまだいいのだが、なぜか正座しているのひざに横から覆いかぶさるように手とひざをついている。有り体を言えば弓なりになった背中が目の前にあるわけで、動くに動けず、仕方なしに深く考えること放棄した。かわいらしく悲鳴をあげるのはキャラじゃない。たとえまっとうな反応がそれだとしても想像するだけで鳥肌がたつ。
 どういうわけかさいわいにも茶碗の中身は無事だ。頼みの綱である小十郎はいつの間にやらいなくなっており、することがほかに見当たらないのではようやく粥もどきに口をつける。当然それは冷めており、塩気もないのであまり美味しくなかった。本来ならほぐした焼き魚や薬味なりで味を調えるのだろうが目の前の彼のせいでお膳が見えない。
「おいこらてめえなにしてやがんだ。そっからどけ」
「梵、待っ、いたいたいたいたい!」
Shut up!」
 政宗の指がぎりぎりと青年の額に食いこんでいる。およそ四○○匁(一・五キロ)ある刀を片手で三本もふるえるような握力ではりんごはおろか小ぶりのかぼちゃもくだけるかもしれない。そんな怪力でアイアンクローされた日には頭蓋骨にひびがはいる。それが悲鳴だけですんでいるのだから武士というのはとことん丈夫な生き物らしい。もしくはただの石頭。そのようなシチュエーションに遭遇する予定はないが頭突きには気をつけたほうがよさそうだ。
 とくにおどろいてはいないけれど、下座でさわいでいる家臣たちはこちらの惨状に気づいているのかいないのか終始スルーしている。よくあることなのだろうか。だとすれば小十郎の胃痛はひどいだろうなとは内心で手を合わせた。
 ばしばしと畳をたたいて青年がギブアップを主張するも政宗は力をこめるばかりで、それに比例して悲鳴も大きくなる。
 さすがにうっとうしくなってきて、は上体をわずかにかしげて政宗をひじで小突いた。