どうしたものかと政宗は煙管を置き、たがいちがいに両手をたもとにつっこむ。
 いきなり敬語――にしてはいささか中途半端だが、それをやめろと言ったところでつっぱねられる。家名で呼ばれることをあまり好まない小十郎がそれを許容しているのは直感的にあきらめているのではなかろうか。正式などころか臣下ですらないのに命令することはできないし、あまり得策とは言えない。見かけはくだけているようで確実に言葉を選ばれる。
 近まるどころかどう考えても遠のいている。
 応とも否ともなく考えこんでしまった政宗を不審に思ったのか、顔を覗きこむように首をかたむけた。
「伊達さま、どう」
「それだ」
「うわ」
 不意に顔をあげたせいでがのけぞり、わずかに引いた肩を政宗は反射的につかんで顔を寄せる。成実曰く、こうするとたいていの女は赤面するか蒼白になるからしいのだが、どちらの反応も見せない彼女はなかなかどうして変わっている。己の尋常でない握力はしかと自覚しているからが眉根を寄せたのを見てそっと力をゆるめた。放さないのはあえての保険。
「政宗、だ。こっちが教えを請うんだからな、公平フェアで当然だろう。You see?」
「いいえ。それは了承しかねます。この地にいたっては身分もないような身、もともと拝謁をたまわることすらできませんのにこれ以上は身にあまります」
No way! Try to call my first name without reserve, no, call me.知 る か 。 そ ん な こ と 気 に し て ね え で 呼 ん で み ろ 、 む し ろ 呼 べ
Bloody heck ……」
What? 今なんて言った」
「さあ、空耳でしょう」
 とぼけた表情くらいで流される政宗ではない。血まみれ地獄ブラッディ・ヘルなどと言われても意味がわからず、だがこれもすらんぐ、、、、というやつでどうせ悪態だろうと当たりをつけた。
 じろりとにらみつけるもさして気にした様子はなく、さり気なく政宗の手を払いのけては右手で自分の頬をくるんだ。
「呼ぶだけでよろしいのですか」
「わざわざ訊く必要があるのか」
「いいえ。要するに敬語を使うな、と」
 打てばひびくと言った風にの返答は早い。
That's right. Are you OK?」
「…… If you must, you must.
Shit! Speak as I can understand !!だ か ら わ か ん ね え っ つ っ て ん だ ろ う が
So Sorry. わかったって言ったの。わたし相当口わるいらしいから後で不愉快に思っても責任取らないよ」
Ha! 上等だ」
「言質取った。あ、ただし条件つきね」
 なんだそれは、と政宗が問いかえすよりも先にはそのほっそりした指を人差指から順に伸ばしていく。
「いち、ふたりきりのときかこれを許容してくれる人以外の前では敬語。に、支離滅裂になっても気にしない。さん、片倉さま以下わたしと頻繁に接触するであろう家臣がたを自分で説得。し、場合と場所を考えて臨機応変に。ご、以下省略」
I see. だが最後のはなんだ」
「流れ」
 表情も変えずにさらりと言われ、政宗は脱力した。望んだのはたしかに自分だが、もう少しくらい戸惑いがあってもいいのではないかと考えるのはわがままだろうか。
 ため息をひとつ。
 政宗は髪をがしがしかき乱し、会ったら訊こうと決めていたことをふと思いだした。うたがっているわけではないが一応は確認を取っておきたい。
「おい」
「なに」
「これがなんだかわかるな」
 言いながら首にかけていた守り袋を放った。
 はそれを難なく受け止めるとひと言断ってから中身を手のひらに転がした。
「あ」
 すがたを現したのは厚みのある小さな鈍色の環だ。側面には青い石。鉄ともぎやまんともちがうそれぞれは十年前から変わることもなく、ただ小十郎から受け取ったときに紐が結わえてあった部分だけがない。
 自分でもそれを見るのは久々で、事実なかば忘れていたようなものだ。
 壊れるまではずいぶんと気にしていたのに守り袋に入れてから年に二、三度見るか見ないかだった。幼いころは見飽きるほど見ていたからどのようなものか細部まで記憶していたがたまに持っていることを忘れた。
「初陣後の宴の最中にそこ、細いところが折れた。彫金師にあずけても見たことがねえってさじ投げられて、修理しようにもできなかったからそのままだ」
 壊したことを侘びるつもりはさらさらないが口調は自然と言い訳じみてしまう。
「や、そうじゃなくて」
Ah?」
「えーと、ね。ここにあったんだあっていう、感動? 疑問の氷解? みたいな」
 一向に的を射ないそれに政宗はさらに首をかしげる。
「なにが言いたい」
「忘れてた」
 これ見つけたのもさいきんなの、と右耳のそれをいじりながらはわざとらしく頬をかいた。たまに成実がごまかすときの表情に似ている。
 本来ならば絶句するなり怒鳴るなりする場面なのだろう。だがそれよりも早く本音が口からすべり出た。
「気色わりぃ」
「知ってる」
 手の中にある思い出の残骸を守り袋に戻しながら即答するはすげない。
 間もなくかえされたそれをふたたび首にかけなおして袷の下に隠し、ふと顔をそらすと目が合った。
 それ、とが政宗の胸元を指差す。
「つっこんでほしい?」
No thanks. それよりも、これはどうするものなんだ」
 見たところはあれを耳につけていた。壊れたのはもう何年も前だし、とくに気になってもいなかったから元の形態を知らないが、唐人がつけているものに近しい感じではある。耳朶にぶらさげるあれは重さのせいで肉が伸びるらしいがのは短いままだ。
「えー、言うより見せたほうが早い」
 めんどうそうに片目をすがめ、は両手を耳にやる。その手もとをまじまじと見ていた政宗は足音をたてずに近づいてくる小十郎の気配に気がつき、軽く手で制す。体勢もそのままに障子戸を見やると同じようにすればうすぼんやりした影はちょうど映った。
 小十郎は障子に手をかけずその場に座す。大柄な彼がそうするとまるで大岩がそこにあるようだ。
「宴の準備、すべて整いましてございます」
OK! Let's party !!
 政宗はひざをたたいて立ちあがり、座ったままのにあごをしゃくってうながす。
That sounds great.
 ため息まじりに言われた応答の意味はわからなかったが、渋々という風ではない様子にこれくらいは許してやるかと政宗は片手で障子を開け放ち、もう一方での手を引く。下手に力を入れればぐしゃりといきそうなそれは夏だというのにひやりとしていた。





嵐の前にも風は吹く