小十郎が部屋を辞せば必然的にとふたりきりになるわけだがさして気を張る必要はない。天井裏にはどうせ黒脛巾組のだれかがひそんでいるだろうし、いざとなれば己が身ひとつでなんとかなる。先ほどつかんだ肩はどちらかと言えば骨ばっていてうすかった。 衣擦れの音がだんだんと遠のくのを聞きながら政宗はそっと息つく。 沈黙は不得手ではないが好んでもいない。とは言え、交わすに値する話題も早々に見つからない。 仮にではあるが神隠しに遭ったばかりのに城下で流行りの話をしたところで体よく相づちを打たれるだけであろうし、思い出話をするにしても関わったのはひどく短い時間だ。おたがい名乗りさえもしなかったのだから高が知れている。中身のない話はまだ無意味だ。 はおそろしいほど頭がまわる。彼女の境遇についても自分では肯定も否定もしていないし、けっきょくのところなにも答えていない。無意識だとすればただの天然、しかし意識してやっているとすればその能力を逃がすのは得策ではない。 今はまだ奥州を平定したばかりであわただしいが政宗は天下取りのために中央に出る時期をたんたんと待っている。伊達は武田や上杉などにくらべてまだ若い。たとえどのような面であったとしても戦力強化を図るのは自明。 おそらくは二度隠されている。十年前――当時の政宗は十歳で、今年で十八だから正確には八年前だ――と、今日と。彼女がこちらからあちらに渡ったのかそうでないのか、とにかくも政宗はの持っている知識にも興味がある。戦に関するものは得られそうにないが統治のそれについてはなにかしら参考になるかもしれない。 斬ってしまったほうが後腐れがないとは政宗もわかっている。それでも手綱をつけることを選んだのは甘えの名残だ。あの出会いのおかげで政宗はずいぶんと変わったと自分で思う。救われたわけではないが視野はたしかに広がった。 だからこれは恩がえしなどではない。立ち入らないまま手助けて、踏み入るならここになじんだそれからでいい。 さて、と政宗は羅宇を指ではさんでくるりとまわす。中腰でいるのにも疲れてその場であぐらをかいた。着流しのすそがめくれるがはさして気にした風もなく、その反応に若干のものたりなさを感じているとわずかにそれていた目が政宗を映した。 「伊達さま。先ほどのお言葉ですが、文法的にまちがっておりました。desideは他動詞と言いまして、it との間に is をはさまねばなりません。お気をつけください」 なにを言われるのかと身がまえてみればただの指摘。間を置いたのは政宗に恥をかかさぬためか、たんに思い立ったのか。正直ぐさりと来たが、ともかく彼女は生真面目な性格なようで苦笑を誘う。 「 「不快に思われたら申し訳ありませんが、正直おどろきました」 「あん?」 「その語彙、どなたかに習われたのですか。まさか聞きかじりというわけではありませんでしょう」 「ああ。ガキのころに通っていた寺の僧が異国かぶれで、おもしろ半分に教えられた。あんたに会う前はいい迷惑だったけどな」 「僧、と言いますと」 「 禅僧 臨済宗妙心寺の四三世に就任した その半面できびしい教育を強い、六つのころより彼から仏教や漢学を学んでいた政宗にもいまだに得体が知れない。彼についている小坊主どもはなおさらだろう。 宗乙は政宗に学問を教えるかたわら生き様――常に状況を楽しめ、流れをものとしろ、へそを曲げてみせるなら筋金を入れてとことん、など――を言い聞かせた。中でも焼きついているのは、武士たるもの、添い遂げる女の前で以外は横にならぬもの、という言だ。酒にだらしない師だったから女にもだらしないものと無意識に思っていたからかもしれない。 久しく見ていないが、宗乙は政宗が初陣を終えて寺に通わなくなったあたりからふらりと城に訪れてはなにかしら公案(禅宗で、参禅者に示して坐禅工夫させる課題のこと)を出し、またふらりと寺へ帰っていく。政宗が警戒するのはそのせいだ。あの僧はだれよりもなによりも政宗をからかうことを娯楽にしている節がある。 宗乙から受けたあれやこれを思いだしているうちに眉間にしわが寄り、気がついてそこをもみほぐす。 その様にくすくすとが笑いだした。よほどだったのだろう、ひかえめながらもなかなか治まる兆しのないそれにさすがの政宗も百面相していた自覚があるだけにばつがわるい。だが、先から見ているとあまり表情が変わらないようだったが、なるほど、不意打てばこういう顔もできるらしい。 「ふ、くく…… 笑いの余韻を残したつぶやきに政宗は目をまるくした。 「I amazed ……あんた漢学もできるのか」 異国語を自在にあやつれるだけでもが女であることをかがみれば十分すぎるほどなのに、漢学の知識もあるとくればうれしい誤算だ。つつけばほかにも出てきそうな様子に好奇心がうずく。 教養としてなら、位の高い家の子はひと通りの諸芸の稽古をする。とくに武家の子は公家とちがって戦場における腹芸も必要となるために書で習うことは芸能よりもやはり兵法が多くなる。本朝よりも早く――雄略天皇の治世までに幾度も戦乱と統一とをくりかえしていたと伝え聞く大陸の兵法は教本としての価値が高く、政宗もまた宗乙の講義のもといくつかさらったことがある。 あまり実感が湧かないでいるが、政宗や小十郎の軍略は独学と言えるものであり、ふつう軍師を目指すのであれば野州上杉領内にある足利学校で学ぶのが通例だ。伊達だけでなく他の武家に仕える謀将の多くがこの学校の出身らしい。 政宗にしてみれば型通りの戦をしたところで相手方にも手のうちが知れているのと同様だとしか思えない。それでは意味がないし、つまらない。大胆不敵にして無謀に見えるその裏でいくつもの調略を動かしてこそ だが、政宗の感嘆する理由があまりわかっていないのか、は小首をかしげただけで誇らしげな様子はかけらもなく、ただきょとんとしている。 「そこまで大げさなものではありませんけれどたしなむ程度には。それと、やはりamazeにもbe動詞が必要ございます」 「びーどうし?」 「断定を表すam、are、is の原形、元のかたちを be と申しまして、これらの総称になります。またbe動詞にも過去形がございまして」 「Stop. 時間はたっぷりあるんだ、そう急くことねえだろう」 「まあ、一朝一夕でなるものではありませんから。伊達さまがそれでよろしいのでしたらわたしに異論はございません。お手透きのときにでもお呼びください」 言外に仕事をしろとふくまれているような気がして政宗は若干たじろぐ。まるで小十郎がもうひとりだ。 記憶にある彼女の印象は良い意味で不遜であり、あのさばさばした小気味好さを子どもながらに気に入っていただけに今の彼女はどうしても気味がわるい。すがたかたちはほぼ当時のままだというのだからよけいにそう思う。これでは見つけたら即捕獲しろと長年言い張った甲斐がない。の顔を知っているのは政宗を入れても片手ほど、しかも彼女は長かった髪をばっさり切ってしまっていたから小十郎が見つけられただけでも僥倖なのだ。くやしいのは自分がすぐさまわからなかったことに尽きる。 |