通称――なぜ通称かと言うと中学時から一貫して呼ばれつづけているあだ名がなまじ本名よりもそれらしく浸透しているからで、本名で呼んでくれるのはごくわずかだ――の大学受験は高校生活最後の夏休みにはいる前につつがなく終了した。いわゆるAO入試のおかげだ。早期におこなわれるこれは指定校推薦とは異なり、推薦のようでありながらも大学入学後の成績が高校側に流れない。 三年生に進級する前後はまじめに二月まで受験生をすることを漠然と考えていたのだが六月の三者面談で唐突に進路を変更し、自己推薦と基礎的な筆記試験と面談とを経た末にみごと某私立大学文学部英文学科に合格。あまりのあっけなさに拍子抜けしたのは自身だ。 うそのような受験を終えた今になって思うのは、持つべきは理解力のある放任主義の従兄と学校における日々の騒動を知る担任だ、ということ。また、行くなら経済学部でもよかったかもしれないというのが唯一残っている悩みだがこれを教室で口にしたらなにが起きるかわかったものではない。 受験が終わってがしたことと言えばまずは参考書の処分、それからピアスホールを左にひとつ、右にふたつ、合わせて三つほど開けてもらった。 は以前から誕生日プレゼントやバレンタインのおかえしなどでピアスをもらうことが多々あった。雰囲気的に開いていそうだからというわけらしいが自身としてはせめて大学受験が終わるまではおとなしくしていようという心づもりから今まで処女耳でいた。 予定では冬に開けるつもりだったのが、合格通知が届いたその日に調子に乗った従兄の知人にセルフピアッサーのトリガーをがしゃんがしゃんがしゃんと引かれた。なぜ三つなのかと聞いてみればピアッサーの手持ちがそれだったのと、女のピアスホールは奇数、という意味のわからないジンクスのせいだった。 あれからおよそ一ヶ月と少し。膿むことなく完成したのピアスホールにはピアッサーに装填されていたのとはちがうピアスがはまっている。 古美金の小さな三日月が一対、それとなぜか片方しかなかった燻し銀のリングピアス。どちらも従兄が経営している喫茶店の常連で自称アクセサリ専門の露天商が売れ残りだとかでくれたものだと記憶している。 とくにリングのほうはいつもらったかまでは覚えていなくて、衣替えのときにお気に入りのコートのポケットから出てきたものだ。三ミリほどの側面に等間隔であしらわれた青い宝石が気に入って入浴のとき以外はほぼつけっぱなしにしている。 サファイアのイミテーションかと思ったらカヤナイトというメジャーでない鉱物らしい。この間もらったドラゴンアイと言い、タイガーアイと言い、どこが安物なのだろう。さすがにだめもとで頼んだルチルクォーツやガーデンクリスタルをあっさり差しだされたときには眩暈がした。それもすべて好みに加工してあるあたりがなんとも憎い。 自分の交友関係もたいがいだが、従兄のそれはをはるかに上まわっている。なし崩しで付き合いのある癖のある客たちを思い浮かべながらサンダルの先で小石を蹴り飛ばした。 は今日高校近辺の神社でおこなわれる祭りに遊びにきていた。 いつもならばめんどうだと一蹴して――だって電車を使って片道一時間だ――家に閉じこもっていただろうが仲のよい先輩が泊まりにこいと誘ってくれたので気まぐれが起きた。着替えやらなにはいつも泊まるたびに借りているので持っていくものは身ひとつだ。ただ今回は先輩がアクセサリだけでファッションショーがしたいらしく、はケースにピアスやブレスレットなどを持っているだけつめて先日衝動買いしたバッグの放りこみ、自作の浴衣に着替えて家を出た。 下駄だと確実に靴ずれするので妥協してもらってシンプルなサンダル。五センチのヒールは少々細めだがこれで走れることがくだらないと知りつつものひそかな自慢だ。走るのを前提にするなら足首に巻きつけるタイプの麦わらっぽい厚底サンダルのほうがいいけれどあれは浴衣にはミスマッチだ。 かつんかつんとヒールが石畳を蹴るたびに甲高い音がする。すれちがった子どもの足を踏みつけそうになってはあわてて脇に寄った。貫通させて病院沙汰など冗談じゃない。 「……失敗したかな」 まだ明るいからと油断していたが思っていたよりもにぎわっていて、境内をぐるりと囲むようにかまえられた屋台を遠目に見ながらは拝殿の前を通りすぎる。この神社は入り口が双方にあって、鳥居の色がちがうことから、がはいってきたほうを石門と言い、反対側は朱門と呼ばれている。待ち合わせているのは朱門で、駅があるのは石門側だ。ぐるりと外からまわりこんでもいいが時間短縮のメリットを取っては苦手な人ごみを突っ切る。 あれだけ熱を放っていた太陽がじわじわと沈んで、やかましいあぶら蝉がひぐらしにその場をゆずる。こっからが本番、と言わんばかりに吊るされたちょうちんにやわらかな灯がともった。 そう広くない神社なのに端に来るに連れて人は少なくなり、屋台にもどことなく活気がない。祭り内に同じ屋台があれば客が集中するのは人目につく中央付近。端のほうはショバ代が安い分収入もいまひとつなのだろうか。 は手首に巻いた時計に目を落とした。重ねてつけた、ヘッド部分がドラゴンアイのリングがするりとすべる。午後五時半すぎ。朱門のそばに目星の人影はないがなんてことはない、が予定よりも早く着いただけだ。幸運なのは先輩が時間にルーズではないことだろう。これで十五分以上待たせられた直接家に乗りこめばいい。 汗ばんだ身体に風を送ろうと襟元をつかんではためかせるもぬるいそれに逆に不快になった。 涼を求める身体のために冷たいものでも買おうかとはひっそりと設置された自動販売機を目指す。屋台のはそんなに冷えていないしやたらと高い。 なににしようか考えつつ、浴衣と共布でつくったガマ口をバッグから出して鳥居をくぐり、 「はあ?」 やぐらの隅から四方に渡されたちょうちんにはすっとんきょうな――聞きようによって柄のわるい声をあげた。 一瞬だけ思考が凍りついて、すぐさま復帰。悲しいことに日ごろから超常現象に慣れた思考回路は早々フリーズを起こしてくれない。脳裏をよぎった在校宇宙人を強制的に追いだして、は一度深呼吸する。ついくせで拳を鳴らしていたことに気がつき、思わず顔を覆って嘆きたくなった。たった三年間でなぜこんなにも過激派になってしまったのだろうか、いや原因はわかっているけれど。 通行の邪魔になっては申し訳ないので鳥居に寄りかかる。いらないところで冷静になる自分に苦笑し、はぐるりと見渡した。ついでにガマ口をバッグの中へ。 先ほど目にはいったやぐらを中央に、あちらこちらで露天商が品をならべて声をあげていて屋台など見る影もなく、それを冷やかす客たちはみな浴衣で見慣れたTシャツやGパンなんてひとりも着ていない。その浴衣も生成りや薄緑が多く、目に痛いカラフルさとは無縁で柄も申し訳程度の絞りやぼかしばかりだ。 が来た祭りはただの縁日で盆踊りではないだとか、まわりの浴衣がやけに地味だから自分は浮いていやしないだろうかとかを考える以前の問題だった。祭りより浴衣より男性が腰に携えている細長いものに対して持ち前の知識のせいで否定するどころかむしろ感動してしまい、は痛みだしたこめかみを押さえてその場にしゃがみこんだ。 「むりむり、信じらんない」 口ではそう言いながらも本物の刀にテンションがあがりそうになる自分にあきれかえって不覚にも泣きそうだ。ついで復活しつつある危機感に背筋が寒くなって抱えたひざに突っ伏す。 帯刀するということは自分以外信用していないのと同意だ。なにからなにまでが殺意に変換される絶対的な攻撃心。 ドラマの撮影現場だとかそういうイベントなんていう逃げ道は当初から捨てている。これはもっとリアルなものだと直感した。そしてのこういう勘はよく当たる。 「Hey! 「えー…… 「What?」 「 「……あんた、異国語わかるのか?」 顔を伏せたままはまたたいた。 英語で訊ねられたからあまり深く考えずに英語で答えてしまったが先ほどの結論と大きく矛盾する。考えられるのは開国以後、神仏分離政策や廃刀令以前だが、それだったら異国語などとまわりくどい言い方をしないはずだ。 「え、だめなの?」 そんなことを考えていたせいで口は脳を経由せずに脊髄反射で訊きかえし、顔をあげたは今度こそ硬直した。 「あー……だめってわけじゃねえが、めずらしくはあるな。異国語話せるやつなんてそういねえし、どちらかと言えば南蛮語のがなじみがある」 がしがしと頭をかきまぜながらされる弁解を聞きつつもの目は一点――眼帯に集中している。 |