疱瘡もがさをわずらってからというもの梵天丸は自室にこもってばかりいる。病で眼窩から突出し、壊疽えそした光のない右の目玉を小十郎がえぐり取ってもそれは変わらず、食事に毒を盛られてからはそれが一層顕著になった。小十郎が梵天丸の傅役になってからも資福寺の住職に教えを乞いに行く以外は晴れも雨もなくぴたりと障子を合わせて布をかぶっている。
 剣術を指南すればそのようにするし、勉学もまた同様だ。病の前とくらべればやはり無口であることに変わりはないが活発でないとも言えない。
 父の輝宗とって梵天丸は黄泉比良坂をかえってきた子どもであり、やはりかわいくて仕方がないらしい。対して義姫は梵天丸をすがたが醜いとあからさまに疎み、次子である竺丸ばかりを目にかけている。ただし竺丸は母の意に反して兄になついている節があった。
 それでいてなお義姫を慕っているらしい梵天丸は彼女を気づかってか自室で食膳に着くようになった。輝宗はいくども気にするなと声をかけていたが梵天丸は首をふりつづけている。息子の健気でかたくなな様子に輝宗は梵天丸の意思を尊重し、彼ら四人がそろって食事をするのは年行事の祝い事のときのみだ。戦勝祝いの宴などだと聡い梵天丸は早々に辞してしまう。子どもながら家臣どもの陰口に気がついているらしい。
 梵天丸は一年後には元服する予定だ。家臣のうちでは梵天丸につくか竺丸につくかでずいぶんと前から派閥ができており、水面下での争いは終結を見せない。桜田元親などをはじめとする輝宗に仕えていた家臣の何人かは派閥争いに嫌気がさして城を辞した。かくいう小十郎は派閥には参じていないものの梵天丸派として数えられている。
 今晩もまた小十郎はひとりで食事をする梵天丸のために膳を運んでいた。
 本来ならば女中の仕事であるが、先走った竺丸派による毒飯の一件の後、梵天丸の鬼役(食物・飲物の毒見役のこと)は小十郎に一任されている。庖厨から梵天丸の部屋まではだいぶ距離があり、人目のないところで毒を盛られるのを防ぐためだ。二度目がないともかぎらない。この手間も梵天丸を思えばこそで、彼の部屋から応えどこら気配すらなかったときに襲った衝撃は戦で受けた傷に勝るものがあった。
 正気をなくした小十郎から膳を引っくりかえしてからこちら、米沢城は上から下まで蜂の巣をつついたような有様だった。
 いったいいつから不在だったのか、梵天丸の部屋は火の気がまったくなく、衣桁には病を得る以前の義姫から贈られた羽織がかけられたままだった。
 捜しにいこうにも雪のせいで馬が使えず、夜間は城の警護もあるので捜索に十分な兵を割くことができない。それに幸か不幸か伊達家に子飼いの忍衆がいなかった。義姫をふくめた竺丸派の家臣たちに捜索を任せるなどとうていできるはずもなく、やはり人手不足は否めない。小十郎とてできることならばすぐにでも城を飛びだして梵天丸の捜索に加わりたかった。いや、たとえ捜索がなされなくとも捜しにいくつもりであったが異父姉の喜多、異母兄の鬼庭綱元、そして輝宗じきじきに再三止められた。いくら意見を重ねようとも三人は止めるばかり。これが異父姉と異母兄だけであったなら小十郎もつっぱねただろうが、城主である輝宗にさえ説得されてしまえばそれも叶わなかった。
 捜しにいけぬ代わりに小十郎が左右にかがり火を焚いた城門の前に立っておよそ二刻、雪雲はどこぞへと流れて月が出ていた。かたむき具合からしてそろそろ乙夜(およそ午後九時から十一時)だ。
 いらいらと――称するならば冬眠明けの熊のように城門前を行ったり来たりする様子に常にふたり配置されている門兵が慣れはじめたころ、城下につづく道よりはずれたあたりから話し声が聞こえてきた。
 小十郎と門兵はとっさに得物をかまえ、すぐさま拍子抜けした。
「なにさ、起きたらずいぶん元気じゃない。心配して損した」
「きたえているのだから当然だ」
「ふうん。それにしてはひょろいね。ちゃんと食べてる?」
「……冷めた飯はまずい」
「じゃあ自分でつくりなよ。それならあったかいし安全でしょう」
「つくり方など知らぬ」
「教えてもらえば。反対されても趣味のひとつにしてみたいとでも言って」
「おお、なるほど! して、おまえはなにかつくれるのか」
Don't mock me. つくれるよ。見た目は保障しないけど」
「だから異国語はわからぬと!」
「梵天丸さま!」
「あ」
 怒りやら喜びやら安堵やらをないまぜにしたような声を発して駆け寄った小十郎とは対照的に、梵天丸と女があげたのはたった今気がつきましたむしろ忘れていましたと言わんばかりのそれだった。
 その後すぐさま梵天丸は喜多によって湯殿へと放りこまれた。彼女のことだからすでに部屋をあたため、また大事をとって御典医である仁斎翁も待機しているのだろう。
 小十郎といえば城の一室にて女とひざを向きあわせている。見れば見るほど奇妙な女だ。脛当てが合わさったような履物に陣羽織のような厚手の上着、今着ているのはうすい藍でさざなみ模様が描かれた白の浴衣にもかかわらずあの雪の中で平然としていたのだ。冷えているものと思って喜多は女にも風呂を勧めたが彼女はそれを断り、せめて着替えをと言うのも是としなかった。
 梵天丸を送った足をかえしてまた森に戻ろうとした女を引きとめたのは小十郎だ。一時であるとはいえ梵天丸の失踪が彼女によるものならば主がなにを言おうと小十郎は女を切らなければならない。
 女は一度ため息をついたきり正座をしたまま微動だしない。背筋はぴんとしていてが好ましく、ただ正座になれていないのか何度か足を組みかえているのが妙だった。身のこなしからして農民ではなさそうだが、ちらと見えた手指は白く長い。武士というには手足が細く、姫とするには顔つきがほっそりしている。身分というものを感じさせないことがなによりも小十郎の警戒心をあおるが間者のたぐいではないと根拠もなく直感が告げていた。
 ふたり分の茶を運んできた女中が去ったのを糸口に、小十郎は深々と頭をさげた。女が面食らったような気配が如実に感じられたが面をあげずにつづける。
「まずは伊達家当主輝宗公が長子、梵天丸さまを無事保護してくださったことを御礼申しあげる。私は片倉小十郎景綱。梵天丸さまの傅役をしております」
「あー……、と申します。その、まさか伊達家の御子だとは露知らず、数々の無礼をお許しいただければと思います」
「いえ、めんどうをおかけしたのはこちらでございます」
「そんな、有無を言わさず連れてきてしまったのはわたしです。いわゆる自己満足ですから、顔をあげてください」
 聞いている分にはふくみもなく、また悪意もなさそうな声に応じて小十郎はようやく上体を起こし、そのあからさまにほっとした様子に目を細めた。
 不自然でないように場をつなぐためにいまだ湯気の立つ湯のみを手に取る。添えられている茶請けは夜分であるからか菓子ではなく小ぶりの握り飯だ。
「ところで、殿はどちらから参られたのか」
 小十郎が湯のみを置いても茶を口にしようとしないのでまさか雪女郎ではなかろうなと思いつつ真正直の問うてみれば、はこまったように首をかしげた。
「……散歩のつもりで泊まっていた宿を出て、気がついたら森にいました。そこで気を失っている彼を見つけまして……さいわい、足跡が残っていましたからそれをたどって、こちらまで」
 宿、と聞いて思いあたるものは城下に二箇所ある。ひとつは一般客が泊まるための旅籠屋、もうひとつは大名配下の武士が泊まる脇本陣。米沢城城下に本陣はなく、輝宗に用があって米沢を訪れた大名はたいてい城に泊まるのだ。ただし、が一介の旅人だろうと流浪の武人であろうと宿泊所は城下の中央部に位置していて、たとえどう歩いたとしても米沢城を三方に囲うあの森に迷いこむことは不可能だ。だが、うそをついているようには見えない。
「片倉さま」
 呼ばれ、いつの間にかうつむけていた顔をに向けたと同時に彼女は空の湯のみを置いた。見れば皿の握り飯まで消えている。どれほどの間意識がそれていたのか考えてみてもわからず、後悔と羞恥に埋まりかけたところで再度呼ばれた。今度こそ彼女に向きなおる。
 はひざの前に手をついて丁寧に頭をさげた。
「ごちそうさまでした。よろしければそろそろおいとまさせていただきたいのですが」
「お待ちくだされ。我が主を助けていただいた手前、御礼もなしにお帰しするわけには参りませぬ。もう夜も遅いゆえ、泊まっていかれてはいかがか」
「お気づかい感謝します。ですが連れの者が心配いたしますので」
「そうですか……いえ、ならばせめて梵天丸さまにお会いになってからでも」
「それこそご迷惑になりましょう」
 言葉を重ねれば重ねただけはぴしゃりと跳ねのける。
 しかし、小十郎とてこのまま彼女を帰すわけにはいかないのだ。
 梵天丸はあれでいて気に入ったものは後生大事に――言い方を変えれば執着する性質だ。とともに帰城した際の様子を思いだせばがんぜない主が彼女をいたく気に入っていることが手に取るようにわかった。もしもを梵天丸に会わせないまま帰したとしたら今後どう転がるか見当もつかない。そう思わせるまでに先ほどの梵天丸はさまざまな表情を浮かべていたのだ。嫉妬がないと言えばうそになるが、せっかくのよい傾向を反転させることなど小十郎にできるはずがない。
 無意識にも小十郎が眉尻をさげるのを見ていたらしく、なんの前触れもなくはそばにまるめてあった上着を広げると腰骨あたりに縫いつけられた袋状の部分に手をつっこんだ。
 すぐさま抜かれた手のひらに乗っていたのは鉄色の袖珍しゅうちんだ。大きさにして親指のつめほどで、横から見るといくらか厚みのある、上からだと細い輪になっている。黒ずんでいながらもなめらかな光沢のあるそれには波斯ぺるしあの瑠璃とも玻璃ともつかぬ、まるで水のような透明さと青さを持った石が等間隔にぐるりと埋まっていた。
 目を見張った小十郎を尻目には革ひもを己の首からはずすと小さな輪をひもに通して一箇所だけ細くなっている部位をきつくしばる。それからしばらくひもをいじったり結びなおしたりをくりかえし、ようやく満足したのかそれを小十郎につきだした。勢いで輪が振り子のように前後する。
「彼に差しあげてください」
 反射的に受け取り、あらためてまじまじと見つめた。革ひもを結わえた細い部分は金具に留まっているが先端は鋭くとがっており、青い石は仏像の白毫びゃくごうに似ている気がする。なにに使うものなのかさっぱり見当がつかない。
「これは」
「異国伝来の装飾具です。わたしはいたのだという証さえあれば彼も納得してくれるでしょう」
「そんな……いえ、たとえそうだとしても高価なものをいただくわけには」
 は一瞬きょとんとし、すぐさま表情をほころばせた。
「それ、もらいものなので正確な価値がどうかは知りません。ただ今のわたしには使いようのないものですから、こうして役立てたほうが贈ってくださったほうもかまわないと思います」
「しかし」
「片倉さま。不必要であれば捨てていただいてかまいませんが、それはどうかわたしの目が離れた後にお願いします」
 言外に受け取れとふくんでいるのがわからないほど鈍くはない。と装飾具とで何度か視線を往復させ、折れる様子のない彼女に小十郎はそれを懐にしまうことで応えた。そうしてもう一度だけ頭を垂れる。
 もまた礼を言い、灯りだけ貸していただけないかと言った。
 小十郎はすこし待つよう告げ、茶器をかえすついでに雪洞ぼんぼり蝋燭ろうそくを拝借して部屋に戻り、を連れて城を出た。紙張りの覆いがついた手燭に蝋燭を立て、かがり火から火を移してから手渡すと彼女は目をしばたかせた。思った通りの反応に満足する反面、やはり身分がわからない。
 蝋はたしかに貴重品であるが伊達家ともなれば一本や二本なくなったところで管理の帳簿をつけている担当者以外知れないくらい十分な量がたくわえられている。武士も農民もみな一様にわかっているはずのことだ。
 だが小十郎はのその反応が純粋におもしろいと思った。出会って間もないというのに彼女を気に入りはじめている自分がいることに内心おどろく。奇妙な印象しか残さないでいるただの女だというのに、だ。もし彼女がそばにいれば梵天丸にもなにかしら影響をもたらすだろうに。
 考えだせば切りがなく、息を吐くことでそれを打ちきった。
殿、道中どうかお気をつけて」
「ありがとうございます。それでは片倉さま。縁があれば、またどこかで」
 雪洞を持ち、異国めいた羽織と履物を身につけたはたしかな足取りで森へと進んでいく。
 そのすがたが見えなくなるまでそこに立ちつくしていた小十郎はあずけられた装飾具を梵天丸に渡すべく城門をくぐった。





そのうち会える