「おまえのことは報告させてもらった。あの御方はおまえに興味をお持ちになり、またいたく気に入られたようだ」
「謙信公が、わたしを」
「そうだ。謙信さまは、おまえは『竜脈』だと」
「りゅうみゃく」
「ああ、気が向けば文がほしいともおっしゃっていたな」
「えっと、それは冗談では……ないんですね。すみません」
 気に入られるに値する心当たりもなく、まぜっかえそうとしたはすぐにそれを後悔する。美人が怒るとものすごい迫力があるということをうかつにも目の当たりにしてしまった。
「貴様……いくらおまえとてあの御方を愚弄したら許さんぞ」
 明るい色をした目を三角にし、かすがはわなわなと肩をふるわせている。袖で隠れた手にはアンバランスなひし形をしたうすい鉄片が深くにぎられており、先端だけがに向いている。
「だいたい奥州にいるような者があの御方の名を呼ぶことすら忌々しい。おまえでなければその首切り刻んでやるものを……ああ、謙信さまぁ」
 あらぬ方向を見やり、かすがはうっとりした。
 語尾にはハートマーク、後ろにきらきら効果の花びらトーンでも背負っていそうな雰囲気に寒いものを感じてはひと言うめく。
So crazy ……!」
 一見冷ややかな印象を受ける彼女にここまで狂信されるとは、上杉謙信恐るべし。
 正直に話せばはこういうタイプにこそ弱い。いくら美点を訴えられても共感はできず、対応にこまるから。意外にもまわりには常駐していなかったために耐性がついていないことも苦手視してしまう理由だ。
 げっそりしてしまったはひとり悦っているかすがを放って先ほどの言葉の吟味にかかえる。
 関東管領である分、武田信玄や織田信長よりかは上洛を望んでいなかったと思われるがそれでも天下に近い人物であることはたしかだ。そんな大物が、部下ひとり、それも忍を助けたくらいで興味を持つだろうか。しかもそれを伝えに敵地へ送るとは――少なくともの持つ偏見にはありない。
 しかし上杉謙信は――気まぐれかどうか知れないが、個人につなぎをつけてきたということだ。理由は不明。なんにせよ文がほしいだなんてうたがえと言っているようなものだ。裏がある気がしてならない。
 たしかには上杉方に恩を売ろうと意図していた。だがそれは勝率が一割にも満たない博打であって、かすがに会うまで忘れていたほどだ。それをこのタイミングで拾ってくるとは相手もになんらかの利用価値を見出したということ。
「では、有事の際はお頼み申しまする、とどうかお伝え願えますか」
「わかった」
 しかとうなずいたかすがには確信を得た。鎌かけのつもりだったが、どうやらそういうことらしい。ますます真意が読めなくなり、内心で文句をたれた。口にはとても出せない、こわくて。
 ふと、何気なく町のほうを見やった彼女がすらりと立ちあがる。
 釣られても腰をあげ、そちらを見てみれば不機嫌を全身で表している男がやたらとゆっくりした足取りで歩いてくるのが見えた。遠目でもにやにや笑っているのがわかる。
「げ」
 そういえばは彼から逃げてきたのだ。
 こちらからすれば照れ隠しでも、あちらにしてみればただの理不尽な暴力だ。意外でもなんでもなく容赦のない彼だからある程度の“お仕置き”は覚悟しなければなるまい。フェミニストであることは露見しているから体罰的なのはないとして、むだに豊富な知識でなにされるかわかったものでない。いちばん有力かつが泣いてやめてくれと懇願しそうなのは政宗や成実がお気に入りでいる白蕾との昼寝だ。ぜったい泣く。この間頭を撫でたのだけで精いっぱいだ。
 ざあっと自身の血の気が下がる音が聞こえて、急性血液欠乏症でたおれられたらどれだけ楽なことかとは現実から逃げたくなった。実際にめまいはしている――ただの立ちくらみかもしれないけれど。
 すっかり青ざめてしまったをちらりと見、顔を見られぬ角度で笠をかぶったかすがはそっと耳もとに口を寄せた。
「赤い髪の男には気をつけろ」
 聞きかえす間もあたえずに彼女はの肩を圧してふたたび座らせ、ゆうらりと手をふってなに食わぬ顔で政宗とすれちがった。
 双方とも奇妙なくらい自然体で、彼女を目で追っていたが気づいたときには時すでに遅く、政宗は目の前だった。

「はい、ごめんなさい! 殴ってごめんなさい逃げてごめんなさいなんかもうごめんなさいだからごめんなさい白蕾と昼寝は勘弁してください」
「あー……わかった。わかったからその口閉じな。当たってねえから気にしないでいい。まあ逃げた理由は聞かせてもらうが、それでチャラだ。Are you OK?」
What a deal! Thank you very much and I love!」
 は手をたたいてよろこんだ。鬼気迫る様子に政宗が若干引いていたのは気づいていたがそれどころではない。彼の中での心象が変わるよりもお仕置き回避のほうが重要だ。それおほどまでに犬はだめだ。こわいのではなく、ただ単純にひたすらだめなのだ。
 あからさまにほっとした様子のに目を細め、政宗は先ほどまでかすがが座していたところに腰を落とした。
「だれだ。今の女」
「香具師さんの奥さん」
 けろりとうそをついて、
「人酔いしたらしくてね、ここで休んでたんだそうよ」
Ah-hah. あいつのねえ」
「それもすごい上玉」
「あれにはもったいねえな」
「そうでもないみたい。短時間で濃い惚気聞かされたし」
 きれいに聞き流したがひたすら彼女の主がいかにすばらしいかを語っていたからこれはなまじうそではない。それに、左右の耳を直結してスルーしたにもかかわらず体力をごっそり持っていかれた。
Oh ……」
 よほどな表情をしていたのか、いたわるように政宗がの頭を撫でてきた。
 すぐさまその手を払いのけ、ふと思いたって彼にたずねる。
「そういえば香具師さんは?」
「連れが帰ってこねえとかで見世たたんでたぜ。さっきの女がそうなら捜す手間がはぶけてよかったんじゃねえのか」
「へえ」
 は視線をさまよわせる。ひょうたんから駒が出てしまった。これで本当に夫婦だったらどうしよう。
「わるいことしたかな」
「さあな。ただ相当な気まぐれだとか嘆いてやがったから、べつにおまえが引きとめようがとめまいが変わらなかったんじゃねえのか」
「ふうん――そうだ。わたし、あの簪どうしたっけ」
「律儀にも置いていってたぜ。だいじにあつかえだとよ」
「う」
 それを言われると弱い。たしかに商品とわかっていながらあのあつかいは雑すぎたと反省する。できれば謝りたいけれど今彼と鉢合わせたらそれこそ元も子もあったものではない。政宗のことだから会えばかならずからかうくらいはする。それではうそをついた意味がなくなってしまう。
「ぎゃ!」
「色気のねえ悲鳴」
「うるさい。てかなにするの」
「んー」
 なんの前ふりもなく髪を覆っていた布を乱暴にはぎとった政宗は答えず、だらりと垂れた帯の端をつかんでの耳もとにあてがった。あまりに意味不明すぎる行動にもはやなにを言っていいかわからない。
 しばらくして満足したのか政宗は帯を手放し、ついでに布をかえしてよこす。
 受けとるも巻きなおす気になれず、適当にたたみながらは横目でとなりを見た。
「なんだったの、いったい」
「大したことじゃない」
 いつものわるだくんでいるような、それでいていたずらが成功した子どもが勝ち誇っているような笑顔になって、政宗。
「赤もいいが、おまえは青だな」
「………………」
 見てわかる通り伊達軍のチームカラーは青だ。つまりは遠まわしに伊達軍の、政宗の所有物だと公言されたも同然だ。しかしがおどろいているのはそこではなく、あまりにも気障ったらしいそれに絶句したのだ。
「……なにかわるいものでも食べたの」
「てめえと同じものしか食ってねえよ」
「それもそうね」
 思えば朝餉からいっしょにいる。市を見てまわる途中で寄った蔓屋でも同じ皿に乗っただんごを食べたのだからおかしくなるのはもでなければならない。自身を内観してもいたってふつう。すなわち、政宗もまた素で言っているということ。
 もうやだこの人、と口の中でつぶやき、はあからさまにため息をついた。そうでもしないとおもしろすぎて笑いだしてしまいそうだ。
 むっとしたような政宗の子どもっぽい表情が目にはいって、それがなおさらおもしろい。
 近いうちに天下に名がとどろくだろう独眼竜も――戦や駆け引き、腹のさぐりあいなどの血なまぐさいことはべつにして――ここではまだまだ経験不足な子どもというわけだ。いくら奥州を平定したと言えど大海を知らない蛙も同じ。年齢的にどうしても不安定になってしまう青年期を越えてこそ竜は高みへとのぼるのか。
 はそれを見たくして仕方がない。
「あ。お昼食べそこねた」
「切麦(うどんの古称)でも食ってくか」
 だから、なにがあっても――たとえプライドを捨て、政宗に甘えてでもここにいようかと思った。





悪意が満ちる夢の園