もう秋だというのにやたらと暑く、しかも今日は上のほうは風もなかったために昼の間だけ庭に面した部屋に移っていた。大きくはなくともみごとな池のあるほうの障子は開け放ち、ときおり吹く風で涼を取る。ひやりとするそれからはもうすぐ訪れる長い冬が感じられた。
 ここからは見えないが、たしかに庭のほうから馬とも猫とも、ましてや人間とは明らかに異なる鳴き声がして政宗は没頭していた手遊びから思考を持ちあげた。ぐるりと首をめぐらせ、うっすらと外の明かりを通す障子戸から透かし見る。
「なんだあ?」
「犬にございます。政宗さま」
So I see. なんで城に犬がいんだよ」
「察するまでもありませぬ。成実のしわざかと」
「またか」
 あきれをにじませて受け答えた小十郎に、政宗もまた肩を落とした。
 成実は政宗に負けず劣らず――両者とも過剰なまでに否定しているが――重度の拾い物ぐせがあった。まるく削れた白い石、開ききっていないまつだんご、飛ばされたらしい手ぬぐい、黒脛巾組のものではない手裏剣、傘をかぶったどんぐりの房、なかばで折れた矢の羽根など、ただただ目にはいった落ち物をその場かぎりの思いつきで持ち帰ってくるのだ。を拾った政宗とはくらべものにならないほど実用性がない。
 まだ生き物を拾ってこないだけましかと思っていた矢先にこれだ。人間を拾ってくる日もそう遠くない気がしてきて思わず額を押さえた。
 もちろん自分のことは棚にあげている。政宗の内においては一区画をしっかりと陣取っているのだ。実用性どころか有能すぎ、まあ無能であったらなんらかの能を与えていたはずだがそういえば。
Hey, 小十郎。のやつはどこ行った」
「さあ、おそらくは御前のところかと。あの方々はまことに仲がよろしいようで」
 右手につかんでいた筆がばきりと折れる。ちょうど墨に浸けようと思っていたころだったので周囲に被害はなかったが、飴色になるまで使いこんだ竹管のそれはどう見ても使いものにならなくなった。
Shit! 猫め……」
 たしかに彼女たちの関係をゆるやかなものにした一端は自分であるが、こうもないがしろにされてはおもしろくない――正しくは政宗が政務をためすぎているせいでは小十郎が言うまでもなく自主的に遠慮しているのだが。
 女同士だからなのか会話も華やいではずんでいるようで、やれ今日はこうこうこのようなことを話したのだと楽しげに知らせる自身の側室に対していらだつのはいかがなものだろうか。自分以上に親しい様子の成実だけでも腹立たしいのに、奥州筆頭の名が聞いてあきれる。
 折った筆を放り投げ、八つ当たるように解決策の見当たらなくなった半紙をくしゃくしゃにまとめた。
 これはがひまだからとつくったもので、問いの意図する異国語を碁盤目の描かれた紙の縦横に当てはめていく遊びだ。くるすわーど、、、、、、と言うらしい。日本語だけでも難易度の高いものは相当むずかしく、しかし異国語ともなるときちんとあるふぁべーと、。、、、、、のつづりを覚えているかも重要になってくる。しかもご丁寧なことに問いすら異国語で書かれているとあれば読解も正確でなくてはならない。
 問いの書かれた半紙は一枚だけ、碁盤目のそれは五枚ほど。読み書きはほとんどできないくせに異国語ばかりは流れるように書くことができる彼女はいまだに得体が知れないでいる。
 しかし、これほどのものを手なぐさみで大量につくってしまうとはどれだけひまだったのだろうか。ひもでくくりつけられて帳簿のようになったそれらを見やり、今後は自分と彼女のためにも政務を溜めぬようにしようと心がける。このままでは城下で師範(学問・技芸を教授する人。あるいは単純に先生の意)の真似事でもはじめかねない。
 よほど凶悪な目つきで紙くずをにらんでいたのだろう、背後に座す小十郎が声をあげた。
「そうお拗ねにならなくともじきにこちらにも参りましょう」
「拗ねてねえ!」
「なれば紙をむだになさるな。いくら裏面が政宗さまの書き損じになられたものであろうとものを書くことのできる部位があるのであれば雪隠用にもまわせますまい」
Say no more!」
「この小十郎、異国語は理解できませぬゆえ」
「だああもう、うるせえ!」
「うるさいのはあんただ、あんた」
 障子戸が敷居を無音ですべり、同時に室内を覗きこんだのはちょうど話題にしていた人物の顔だ。あきれているのかそうでないのか、まるでにらんででもいるような目つきが少々気になって政宗もまた目を細くする。
 そうする間にもは丁寧に障子を閉め、すらりとその場でひざをたたんだ。
「なにがどうしたの。上にまで響いてきたから気使われたよ」
Who did it?」
「だれって、御前に」
 なにを当たり前のことを、と低くつぶやき、しかしそれはたしかに政宗の耳に届いた。一瞬だけいらだちがふくれあがったが先ほど小十郎に指摘されたことを我が身でもって示すのもなんとなく癪で、ぐっと拳をにぎって舌打つだけにとどめる。ご立派です、と今にも言いたげな小十郎をいかんせん。
「おい」
「なんでしょう、片倉さま」
「その手に持っているものはなんだ」
 見れば、なるほど、の手もとには竹皮の包みがあった。一見するとにぎり飯の弁当のようだが、だとすればなぜ彼女はそんなものを持っているのだろうか。
「これですか」
 頭をわずかにかしげさせて、
「対州さまにいただいたんです。上方からの峠で売られていたそうで、おみやげに買ってこられたのをおすそわけしていただきました」
 対州とは安部対馬守重定のことだ。黒脛巾組の筆頭人であっても彼自身が忍の修行を積んだわけではないので、おそらくみやげを買ってきたのは西のほうへと赴いていた伊達忍のうちのだれかだろう。忍の脚力をもってすれば京から奥州までの道のりを三日で駆けることはむずかしくない。
 それにしてもいつ伊達忍からみやげをもらうような仲になったか。部下である忍から――音に聞こえた武田や真田、上杉や徳川ほどではなくとも政宗もまた忍のはたらきに重きを置いている。乱世を生き抜くには生の情報こそがみそである――みやげをもらうなど主である政宗とで今までに二、三度あるかないかのことだ。
 だが、しかし。
All right. じゃあ髪をあげてみな」
 言えば、はふしぎそうというよりは不機嫌な様子にわずかに眉根を寄せた。
 そばに座す小十郎もまた怪訝な目を向けてくるがそれにはかまわず、政宗は絶対の自信を持って挑発的に言葉を投げかける。
Please, show me. 今日はどんな耳飾りピアスをつけてんだ――クロエ」
 表情に先ほどとの差異は見られないが政宗に向けられるものが確実に刺々しくなった。さすがに殺気とまではいかないものの、もしも腰に得物を差していたとすれば小十郎でなくとも柄に手をやりそうだ。
 ひざをついて腰を浮かせる小十郎を無言で制し――なにせ彼がこの忍に会ったのは数えるほどで、それもとそろっているか一瞬ですがたを消すかだ――政宗はにやりと笑ってみせる。
「あいつはそう面識のないやつぁ名前で呼ばねえんだよ。You see?」
 なにせ小十郎のことでさえいまだ名字で呼ぶ始末だ。可直や可続はまだわかるとして、黒脛巾組をひきいる対馬守重定とそう頻繁に顔を会わせるとは考えがたい。むしろそんなひまがあるのならこちらへ来いというのが根からの本音だ。
 きしり、とひかえめながらも室内が凍りつく音がするはずもないのに耳に届いた。心なしかひんやりするのは吹き抜けた風のせいでないことは目で見るより明らかだ。直接的にも間接的にもなにかをした覚えはさらさらなく、もしかすればにしたことで敵意をもたれているのだろうか。だがそちらのほうにも思い当たることはない。
「あらら、ばれたか」
 耳をすまさねば聞こえなかっだろう舌打ちの直後に降って湧いた声はいたずらめいた色をふくんでいた。
Ha! おれをだませるわけがねえ」
「今回は、でしょう」
 目を向ければ障子戸を開けた向こうに――今度こそ本物だろう。座しているほうが実は本物だとかいうふざけた仕掛けトリックでなければ。
 彼女の気配はあれでいてやはり読みやすく、しかし今の今まで気づかなかったことからしてクロエが隠形の忍術でも練ったのだろう。果たして彼女らはなにがしたかったのやら。
 たたずむ彼女はそこから動く気配はなく、代わりにクロエがしなやかな動作で立ちあがると入れ替わるようにがつかんでいるのとは逆の障子に手をかけた。
 そのさまはまるで水鏡に映したような、しかし実際にはありえない鏡面をつくりだしていてなかなか気味がわるい。政宗と猫とではどうしても目についてしまう体格差もそっくり同じな着物で補われており、どちらかの存在を知らなければ知らないままになってしまいそうだ。
「クロエ、もういいよ。わるいね、つきあわせて」
「否。なかなかに興味深く」
「ふうん。意外と見てるって?」
「いかさま」
「てめえら……それはおれのことか」
 きょとりとした顔のが見えた。それからクロエと顔を見合わせ、こちらへ向きなおった彼女は首をめぐらせた忍と同時に真顔でうなずいた。
That's right.
Devil take it!」
 覚えて久しい悪態をつく。
 ふたりはあつらえたような同じ顔でけらけら笑った。そしてどちらともなく肩のあたりまであげた手のひらをおたがいのそれに打ちつけるとなんの言葉もなくすれちがう。
 ひとりは内へ。
 ひとりは外へ。
 霧散するようにすがたを消すクロエにかまわず障子をぱたりと閉め、は置きざりにされた包みのそばに腰をおろした。
「で、これどうする」
「中身はなんだ」
「まんじゅう」
OK. 茶でも飲むか。おい、小十郎」
「しばしお待ちくだされ」
 言葉とは裏腹に小十郎はすぐさま鉄瓶と湯のみを運んできた。とくに銘があるでもない陶器のそれに碾茶前の茶葉を直接放りこんで湯を注ぐ。
 茶の湯のように気を張らなくていい分、これはこれで風情があると政宗は思う。なにより作法もなにも気にせずに茶を交わすというのは私事の談合をするときにももってこいだ。白湯だと味気ない上に場も締まらず、かといって茶の湯は流派がちがえばどうすることもできない。
 それぞれの前に薬湯のような香りを立たせるそれが置かれた。
 味のほうはそうでもないのだが、香りは茶の湯にくらべて断然苦いのだ。平然としているを非難したこともあったが唐土では聞茶といって飲まずに茶の香気だけで良否を判別する遊びがあるそうだ。茶を飲む習慣はたしかにあちらから流れてきたもので、その際はなぜか納得したものの今思えばはぐらかされただけなのだろうが今さら蒸しかえすのも情けない話なのでだまっている。