――国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
 その光景は川端康成の代表作の一節を思いださせた。『雪国』の第一文をそらんじることができる人は多いがなぜか途中で「そこは」がはいる傾向にある。ついこの間まで自分もそうだったが暇つぶしに読んでみて認識を改めたばかりだ。
 あたりは雪が降り積もる音が聞こえるような錯覚さえ起こす静けさに包まれていて、ときどき重さに耐えられなくなった枝が落とした雪以外は均一な白が広がっている。光源などないというのに、雪のおかげなのか視界はそうわるくない。ばさ、とまたどこかで雪が落ちた。
 その音ではっと我にかえる。
「ここどこ」
 思わず見とれてしまったがまったく記憶にない光景だ。道をまちがえただろうかと首をかしげ、即座にそれはないと否定する。昼間もトンネルを通ったがそのときに見たのはいかにもレトロな感じの酒屋や雑貨ストアなどがぽつぽつある商店街風の通りで、決して森などではなかったはず。そもそも雪など降っていなかった。もし降っていたとしたら傘くらい持っている。
 いやな予感がしてとっさにふりかえった。漫画などであるようにトンネルが消えてしまっているのではと思ったのだが先と変わらずトンネルはぽっかりとした穴をのぞかせていた。奥のほうで今にもフィラメントが焼ききれそうな電灯が仄白いひかりを伝えてくる。その頼りなさが逆に恐怖心をあおって向こう側に戻ることをためらわせた。
 とりあえず帰り道は失われていない。早鐘を打ちはじめていた心臓をどうにか落ち着けようと深呼吸をくりかえし、成功したところで今度は状況を整理しはじめる。パニック時ほど冷静なる頭もたまには役に立つ。
 二週間ほど前に中学校を卒業して、小学校入学時から仲良くしている親友とは高校がちがくなるから卒業旅行と称したその場のノリで旅行に来た。行き先はここ、山形県某所。理由は単純に親友の田舎が鳥海山のふもとだからだ。運動音痴で歴史に興味のない彼女の主張でそういう関係をまわる予定はざんねんながらない。一般受験を乗りきったばかりだから余計に見たくないのだろう、今回ばかりは彼女の意見を優先した。旅行の予定では二泊三日。旅行会社の企画するツアーでない代わりに彼女が親から出された条件がそれだ。きびしいというわけではないがさすがに未成年、それも中学を出たばかりの子どもふたりを放りだせるはずもない。けれどそれを見ないで走りだすのも未成年。一泊目だというのに彼女はもう宿周辺の地理を覚えたらしく、鼻歌まじりに徒歩十分ほどのところにあるというコンビニへと飛び出していった。目当てはおそらく酒類。それが九時をすぎたころの話で、三十分しても彼女は帰らない。だから浴衣の上にコートを羽織って捜しにきたのだ。
「証明終わり」
 つぶやき、両手に息を吐きかけた。そのまま触れた頬は火照っていて、手のせいでかなりひやりとする。
 三月半ばといっても夜は寒い。だが、もともと寒さには耐性があるほうで普段から薄着だったのも功を奏したのか騒ぐほどのものではない。足元も宿側が用意した下駄ではなくて自前のブーツだ。
 さて、ようやく思考が最初に戻ってきた。
 仮にもここは温泉街、ここまで人がいる気がしないのもどうだろうか。
「んー、川端康成じゃなくて実はジブリ、みたいな」
 自然と思い出されたのは似たり寄ったりなキャッチフレーズだ。
 タイトルはたしか『千と千尋の神隠し』。引っ越してきたばかりの女の子がとつぜんまぎれこんだ世界の温泉宿ではたらいて正体が竜だか川の神さまだかの少年と恋仲になるとかそのような話だった気がする。正直あまり覚えていない。世界的な評価は高いらしいが、どちらかといえば『耳をすませば』とか『もののけ姫』のほうが好みだ。とくに前者は親友につきあわされてセリフまで覚えさせられた。『紅の豚』はロマンを感じるし、『風の谷のナウシカ』は原作派。閑話休題。
「帰れないわけじゃなさそうだけど」
 トンネルをもう一度ふりかえるが、やはり先ほど変わらず妙におどろおどろしい雰囲気をかもし出していて、どうにも帰る気が萎えた。ひらひら降る雪がその気持ちを増徴させる。
 関東のまんなかあたりで生まれて育っているから雪はいつまで経ってもめずらしいもので、高校生になるというのにはしゃぎたくなる自分がいる。はしゃぐと言っても新雪に足跡をつけたり指で引っかいたりするくらいだ。雪だるまや雪うさぎをつくるのは部署がちがう。あれは親友が担当だ。
「や、意味わかんないし」
 ついくせですぐ横を手の甲で凪いだ。いわゆるノリつっこみ。だれかに見られていたら恥ずかしいけれどあいにくひとりだ。そろそろ卒業したい気もする。今まではまわりがボケばかりだったから収拾つけるためにやっていたようなもの。高校にはいったら絶対にボケたおしてやろうと心に決めていた。
 三メートルも離れていないところにばさばさ雪が落ちる。
「あー」
 なんともなしに見れば雪が肩にもこんもり山になっていた。
 素手のまま掃ってみたが粒がくっついたままで、コートが黒いせいかよけいに目立つ。溶けたときの被害を考えてため息がもれた。お年玉をはたいて買ったウールコートだからすごく気に入っている。染みになったらどうしよう。ならないことを祈るばかりだ。
 どさり、と今までいちばん大きな音がした。
 視界の端で雪けむりがあがっているからずいぶんな量が落下したらしい。いくら距離があるからってあんな風になるものが自分の上に落ちてくるかもと思うと想像しただけで背中が寒い。
 つづけざまに考えたのは服の間に雪を入れられるのはもう勘弁してほしいということ。あれは男子同士がやるからこそ許される遊びだ。雪が降るたびに親友にやられたあれは思い出すだけで頭痛と寒気がしてくる。あと顔面から押したおされたこともあった。あのときはめずらしく足首が埋まるくらい積もっていたからちょうどあそこでたおれている子どもとおなじ感じでばふっと――
「ぎゃあ! なんで子ども埋まってんの!」
 同時に、ひとりで騒ぐなんてみっともないと冷静な部分で自分につっこみつつ、きしきしと音をたてて子どもに近づいた。
 くっきりとした型にはまっていたのは十歳前後くらいの少年だ。なにを血迷ったのか紺色の浴衣一枚に草履。顔の右側が埋まっていてよくわからないが顔色はまわりの雪みたいに青白い。草履の片方がすっ飛んで素足になった指先は若干グロテスクになっていた。
 あわてて駆け寄って抱き起こせばどうやら意識不明みたいで首がだらんとのけぞった。こういうときに起こしていいのかはさすがに保健体育の授業では習わなかったからそっと頭をこちらに寄りかからせる。妙な体勢で窒息死だなんて冗談ではない。
 雪に直接ひざをついているせいでかなり冷たいけれど気にしていられない。
 わたわたとコートを脱いで少年をつつむ。袖に余裕のあるLサイズだったことがさいわいして首から下をすっぽりと覆い隠すことができた。受験そっちのけで行った新春セールの激戦を勝ち抜いた自分ナイス。
「はあーさむいー」
 今までコートを着ていたせいであまり気にしていなかった寒気がじわじわ浸透してくる。このままだと確実にふたりとも風邪をひくだろう。
 それに、少年はけがもしているらしい。顔を胸に押しつけるようなかたちで支えているから今は見えないけれど、抱きあげたときに顔に包帯が巻かれているのが見えた。病院から抜けだしてでもきたのだろうか。
「こういうときって警察? 救急車? でもケータイ持ってないしなあ」
 高校にはいるまで必要ないと思っていたからDoCoMoAUVodafoneのどこにするかも考えていない。閑話休題その二。
 とにかく早いところ移動しなければと思い、見た目よりもいくぶんか軽い身体を持ちあげた。本当はおんぶしたいところだがコートの関係で却下だ。第二案の二人羽織も遠慮したいので第三案のプリンセスホールド。これならば身体がくっついていて多少はあたたかい。とくに格闘技を習ったわけでもないのにむだにある怪力のおかげでそう苦労せずに運べる。今はありがたがっているけれど面と向かって言われた日にはショックで落ちこむこと確実だ。
 安定しやすいように何度か抱えなおし、宿に戻ったらフロントで医者なり救急車なりを呼んでもらおうと思ったが、
「うーわ、最低」
 時間差でトンネル消失というのは流れ的にどうだろう。
 王道すぎる。
 最初からありませんでしたと言わんばかりの潔さで消えてしまったトンネル跡をじいっと見つめるとパニックになりかけた頭が冷えた。
 この場にいるのが自分ひとりだったなら思う存分叫ぶなり悪態をつくなりするが腕には少年がいて、人命までかかっているのだ。いちいち騒ぐ時間がもったいない。
 冷却が完了するまでおよそ十秒。
 あきらめるには十分だ。
「さて、どっちに行くかなあ」
 当然のことながら地理には明るくない。
 むしろトンネルが消えてしまったあたりから神隠し、もしくは夢小説における王道のトリップなるものの可能性が高い。
 ジャンル自体を読むには読むけれど、ああいうのは実際に起こらないからこそ娯楽にできるのにこうして現実になった日にはどうしようもない。ましてや世界がわからない以上、さまざまな夢ヒロインのようにパニックになるのも冷静になるのも能天気に喜ぶこともできない。いや、もともとそのようなかわいらしい性格をしていない。
 さいわいにして少年が踏みつけたらしい足跡がうっすらとではあるがぽつぽつとつづいている。
 夜の森にはいるのは自殺行為だというのは都会っ子である自分にも予想できたし、ここは今までとは別世界である確率が八割だ。すなわち、このまま森に突入して生きていられるかわからない。少年がなんらかの目的があって足跡の先から来たのならまだ救いはあるが、もし迷子だとしたら考えるまでもなくいずれ凍死する。また、前者だったとしても足跡が途中で消えていればジ・エンド。
「……Okay, okay.
 むだに発音がいいのはご愛嬌。洋楽や洋画をふくめて雑多に見聞きしていたら自然とこうなった。
 ともかく腹をくくって歩きだす。どちらにしても一か八かであることには変わりない。それならば一縷の望みにでも賭けてみたほうがまだ利口だ。最悪死ぬかもしれないという考えが浮かばないでもないが、子どもを見殺しにするのはいやだ。こういうのを寝覚めがわるいというのだろう。そうでなくても現代人は死ぬということに鈍感だ。殺人なり事故死なりが毎日毎日ニュースで流れているせいで漠然とテレビの中だけでの話のような認識になっているのだろう。本来ならば警告の意味合いをふくめているはずなのに逆のサブリミナル効果が表れている。
「人の死が手柄でなくなった代わりにワイドショーのネタになるとは、本当におかしな世の中だ」
 中学生以上高校生未満らしくない、妙に達観した意見だとは自覚している。周囲にさんざん言われればいやでも自覚するというものだ。おかげで元中では変人あつかいだったが今度からは口にしないよう気をつけるつもりでいる。これは話が合う合わない以前の問題だ。 目の前でだれかが死んでもけろっとしていそう、とは親友の弁。





 
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