どういう因果か、ロックオンにまたもや拾われて三ヶ月。ニアリーイコールで村を出て同じくらい経ったわけであるが当初はただの田舎ものであったハレルヤもアレルヤもとうに町の生活に慣れ、今ならばもう大都市のほうにも買いつけに行けるようにまでなった。こういう言い方をするとまるで幼子のするはじめてのおつかいのようであるがあながちまちがいでもないことが単純にくやしい。
 昨年の今ごろ、村ではとうに雪がふつうに降っていて貴重な若い男手であるハレルヤ、アレルヤは毎日屋根にのぼっては雪をおろし、道に出ては雪かきをしていたものだがこの町では雪どころか雨もめったに降らない。けれどしっかり季節相応のつめたい風が吹き抜けて、乾燥しているせいかごほごほせきをするのが店にも何人か来ていたけれど。
「ばっかだよなあ」
 レモンをたてに四つ切りにし、皮と身の間にナイフを入れてうさぎの耳をつくりながらハレルヤは率直な感想を述べた。
「そういう言い方やめなよ、ハレルヤ」
「はっ。ばか以外にばかって言ってどうすんだ」
 となりでりんごを飾り切りしていたアレルヤが(ガラスの器にはうさぎりんごが山になっているのだが、これ以上切ってどうするつもりだ)とがめるように声を発したが片割れこそひどいことを言っている。あくまでも言い方を変えろというだけで言葉の対象がばかだということには一切触れていないのだ。さり気なく性格がわるい。案外でも意外でもなく知っていたが。
 しかし、ふたりがばかと思うのも仕方ない。なにせふだんひとを悪しざまに言わないアレルヤまでもあきれさせた張本人であるロックオンは風邪を引いているのだ。店の客から伝染されたのであればまあご愁傷さま程度のことであるが、あろうことかあのお人好しは体調を崩した知人を見舞って病気をもらってきたのだ。これをばかと言わずになんと言うのか少なくともハレルヤは知らない。
 バーというのは決まりに決まって夜の店、つまりはそこではたらく従業員も当然ながら昼夜逆転の生活を強いられるのが通常だ。しかしロックオンが経営するこの店は、開店時間は相応なのに閉店時間はいたって健全である。客を帰してグラスを洗い酒瓶を整えざっとフロアを掃除して会計確認を終えてからシャワーを浴び、遅くても四時前にはベッドにはいれるタイムテーブルだ。一般男性に必要とされる睡眠時間をきっちり確保して起きても九時、十時。あまりの健全さに、それまである意味不健全な生活を一時的にでも送っていたハレルヤたちにとってはそれに慣れるまでがたいへんだった。
 そんな健康第一な生活を送る従業員三人のうちでいちばん早くに起きだすのはやはりロックオンなのだが(以前、皮肉のつもりで「年のせいか」とからかったら無言でげんこつをもらい、ちょっと本気で涙目になった)、意外にも寝坊助のアレルヤが起きてもすがたを見せず、妙に思って彼の部屋を覗いてみれば白い顔を紅潮させてぜえぜえと荒々しく息をするばかがベッドに沈没していたのだ。
 日ごろからばかだあほだと思っていたが正直言ってああいうところがハレルヤはいちばんきらいだ。たしかに同居しているのだから発覚するも時間の問題だとして、わざわざ申告するのも億劫だったのかもしれないがあの様子では昨夜の時点で兆候があったのは確実だ。なのになにも言わなかったロックオンは気に入らないし、人間より敏感であるはずなのに気づけなかった自分に腹が立つ。この場合アレルヤはどうでもいい。気づいていたにしろいないにしろ、ハレルヤ自身が感知できていなかった時点で機嫌は直下だ。ああもう本当にいらいらする。
 あたためたホルダー付きの耐熱グラスに角砂糖をひとつ落とし、少量の熱湯で溶かす。そこにダーク・ラムを注いで熱湯で割り、軽くステアしてからバターひとかけらとカット・レモン、クローブを浮かべる――ホット・バタード・ラムは言わば西洋風たまご酒らしく、イギリスで考案されて古くから飲まれてきたカクテルらしいのだが正直酒にバターを入れるなんて! という先入観でハレルヤもアレルヤも口にしたことはない。それならふつうにたまご酒や、ブランデー・エッグ・ノックのほうが断然いい。子ども味覚と笑われようとも体調がわるいときだからこそ舌に慣れたものがいいのだ。だからこそチョイスしたこのカクテルだ。ロックオンは見た目からして北欧系、ならばイギリスの飲み物にもなじみがあって然るべきだろう。これでもし苦手というのであれば弱点発見、風邪のことと合わせてとげとげ言える。
 今さらではあるが、ハレルヤに相手は病人なのだからやさしくしてやろうという気はさらさらない。逆にこういうときだからこそあの保護者面したばかなおとなを上から見て笑ってやりたいのだ。
「ハレルヤ、なんだか楽しそうだね」
「おう」
「……あのね。そうきっぱり言うの、さすがに不謹慎だと思うんだ」
「だって楽しいじゃねえか。真性世話焼きの世話焼くなんざめったにない機会だ、眼鏡やガキに自慢できるぜ」
「ティエリアと刹那だよ、ハレルヤ。いいかげん名前で呼びなよね」
「やなこった」
 んべ、とハレルヤは舌を出す。ロックオンにべったりとなついているやつらの名前など、たとえ覚えていたとしてもだれが呼んでやるものか。
 眼鏡のほうはもとからこの町の住人で、ガキのほうは二年くらい前にふらりとやってきてそのまま居ついたらしい。どちらも対人関係がハレルヤ以上に壊滅らしく(ハレルヤの場合はお人好しのアレルヤがいるからロックオンと仕事以外についてはいつだってそちらにまる投げだ)、けれどいきなりロックオンにぶち当たったあたりあのふたりはいかなる意味においても大当たりだ。聞けばどちらも本気でぶつかったらしい。眼鏡はロックオンがこの町に来たばかりのころで、ガキのほうはそいつ自身が町を散策していたときらしいのだが他人の出会い話なんかどうでもいい。
 世の中やたらとどちらが先に出会った云々で言い争うがそれを言えばハレルヤいちばんだし(アレルヤにも言ったかどうかわすれたが、ハレルヤがロックオンに拾われたのはこの町ではないのだ。実は)、第一ハレルヤ自身が関与していないのであれば過去も未来も同じことだ。どちらを見ても自分がいないのなら見る必要も価値もなく、重要なのは確実にハレルヤ、アレルヤにロックオン、それからその他が存在するこの現在だ。
 グラスをトレイに置き、それからりんごが山になっているガラスの器を取りあげる。手に持ったりんごの皮をくるくる剥いているアレルヤだがまだ剥く気なのか。そんなに剥いてどうするのだと視線をきつくすれば、片割れはきょとんとした顔になって、「あ」ようやく気がついたらしい。ちなみに片割れが刃を入れたりんごは合計三つで、今手にしているそれで四つ目。それをすべてロックオンが食べるものと当たり前に善意で決めつけているあたり始末がわるいと心底思う。
「ハレルヤ」
「カラメルつくって煮ときゃいいだろう」
「うん。だからアイスクリームあったっけって聞こうと思ったんだけど、あるかな?」
「ラムレーズンとチョコミントなら見たぜ。バニラは知らん」
「フロート用のがたぶんあったと思うけど。あ、そういえばストロベリーの食べたのきみだよね」
「半分はあいつが食った」
「あれ、ぼくのなんだけど。きみたちなにしてんのさ」
「消費期限ないからっていつまでもとっとくほうがわるいんだよ」
 どうでもいいが、アレルヤは好物を最後まで取っておくタイプであり、ハレルヤは真っ先に食べるほうだ。ただそれはふつうに好きなものであって、これ! という、とっておきのいちばんに関しては逆転する。これについては当人であるハレルヤ、アレルヤもおどろくところなのだがまわりからすれば見ただけでわかるらしい。自分たちのことなのにまわりのほうが理解できているとなると単純に気持ちわるいし、それほど駄々漏れなのだろうかといっそ心配になるくらいには腹立たしい。
 不満そうに眉をしかめているアレルヤをけらけら笑いながらハレルヤはトレイを片手に厨房を出た。居住スペースである二階にもキッチンはあるけれど決して小さいとも痩せているとも言えない男ふたりでがちゃがちゃやるにはあまりに通常の広さでしかないので業務用のほうを利用しているのだ。こちらならば使い勝手がいいし、どこになにがあるかわからないなどと言うこともない。
 間取としては厨房を出た先の左側に傾斜のきつい階段があり(水まわりの関係で右側にバスルームがある)、そこをあがるとダイニングキッチンとわずかにある無意味な段差で隔てられたリビングがあって、階段から見てリビング寄りの正面に個々の部屋につながる扉がある。転がりこんだ居候ふたりに提供されたのは向かって右の部屋で、そこそこ広い部屋にシングルベッドをふたつとクローゼットに棚やらなにやらをつっこんである。その部屋はふたりが使うことになるまでは物置にするでもなくただ不自然なまでにがらんどうで、居候が決定した夜はリビングのソファで三人そろって雑魚寝したものだ(たんに話が盛りあがってそのまま撃沈しただけだったりもするが)。畢竟、ロックオンの部屋は左側のそこになるのだが、ハレルヤはそこまですたすた近づいてトレイを片手に持ち替えこんこここんと形式的にノックして返事を待たずにすぐさまノブをまわした。
「おまえなあ……ノックしたんなら返事があるの待とうぜ」
「寝てるかと思ったんだよ」
 もちろんうそだ。ばか正直に待ったらその間に平静を取りつくろうに決まっているのだからそんな時間など与えやしない。
 本当かよ、と苦笑するロックオンの声はふだんより当たり前に小さくてがさがさしている。彼の低い声は聞いていて心地いいものがあるが、こうなってはただのだみ声で正しく不愉快だ。ハレルヤのものではないけれどおれの声をかえせと本人すれば理不尽なことをさらっと考えてしまうくらいにひどい。
 乾燥を防ぐためにも加湿器具がほしいところだが彼の部屋はそういったものを置けるようにはなっておらず、苦肉の策としてこまめに水分を取らせている。ペットボトルにはいったミネラルウォーターでないのはあれだとからだを冷やしすぎるかもしれず、また栄養価的な期待はゼロだし、なにより味覚的にさびしいから。最後の訴えは本人から寄せられたものなのだが発熱で舌がばかになっているくにになに言いやがる、と言いたいのをぐっとがまんしたのがハレルヤだ。ロックオンのなんとなくずれた進言あってこそアレルヤ曰く不謹慎に楽しんでいるわけで。
「どーだよ。具合のほうは」
「ああ、だいぶいいぜ。これなら夜までには引きそうだ」
「うし、よく言った。じゃあ今のアレルヤにも言えや、あいつの目ぇ見て一言一句たがえずに」
「……なんでそういうこと言うんだ、おまえさんは」
「あんたがばかだからに決まってんだろう。このきれい系優ばか男」
「それってどういう罵倒……」
「まんまだ、まんま」
「いや、だからどういう……」
 熱で紅潮した顔であきれたような、こまったような表情をつくったロックオンは背中にまくらをはさんで上半身を起こしていた。たった今起きあがったのではない証拠に寝間着であるシャツに寝乱れた様子はなく、やわらかなモスグリーンのブランケットがしっかり腰から下を覆っている。奇妙に右手がブランケットにもぐっているのは本でも読んでいたにちがいない。
 ひまなのはわかるがおとなしく寝ていやがれこのばか、と早口で言いながらずかずか部屋にはいりこんでベッドわきにそのままあぐらをかいて座りこむ。すぐそばにライティングデスクとデスクチェアがあるけれどわざわざそちらに座るほど長居するつもりはないし、ロックオンの部屋には毛足の長いカーペットが敷いてあるので直接座したほうがハレルヤ的には快適なのだ。
 わきに置いたトレイからりんご盛りの器を押しつけるように渡せば、ロックオンは今にもこぼれそうな疑似うさぎに群れにどこかはっきりしない色の目を大きく見開いた。
「これはまた、なんと言うかすごい量だな」
「アレルヤが調子に乗って切りまくった。下でまだ煮てるのもあるぜ」
「あいつはストック使い尽くす気か」
「かもな」
「まあフェルトにたくさんもらったからいいけどな」
 いつものように笑ってうさぎりんごを頭からかじる(そう言えばピンを刺していなかった)ロックオンに、ハレルヤは前髪で隠れたほうの眉だけ器用にしかめる。
 フェルトというのは眼鏡やガキ同様にロックオンになついてかわいがられている少女で、いっぱしにロックオンに恋しているような感じだがふたりの間にでんとかまえる年の差なんと十年分だ。たった五年でもわずらわしく思うのに、その倍となってはさらにしんどいにちがいない。
 それでもハレルヤにはすなおにがんばれなどと応援するつもりはなく、なにせ今回ロックオンが風邪をもらってきたのはその少女からだ。りんごをお裾分けしてもらった礼に言いに行くのはけっこうだがだからと言って風邪まで分けてもらってくるなと言いたい。この場合でだれかがわるいと言うならばロックオンにおいてほかにないのでハレルヤのいらだちの矛先はすべて彼に向けられている。少女を応援はしないが責めもしない。だってその子はかけら程度にしかわるくない。
 風邪治ったらもう一回お礼しに行かないと、とりんごのうさぎを噛み殺しながら天井を見てつぶやく優ばか男を前にハレルヤはひとつため息をついた。どうしようもない、なさすぎる。仕方なしにトレイに載せたままだったグラスの縁をつかみ、ホルダーの把手をロックオンに向けて差し出す。
「ふざけたこと抜かしてねえでこれ飲んで寝ろ」
「お、ありがとうな」
 バターはすっかり溶けてしまっていたが、平然と受けとったロックオンは当たり前の仕草で差したマドラーを用いて油分を攪拌させ、べつに迷った様子もなくグラスに口をつけた。
 からだが弱っているときはそれとなく本音が表情に出やすいのは経験上知っていた(常にポーカーフェイスな義妹がそれだ)からまず不正解ではなかったとひと安心する。口ではざまあ見ろと言ってやりたいが心配でないわけでがないのだが、もしこれでうっかり指摘でもされれば心にもあることないこと言ってしまうどころかそれこそうっかり手が出てしまいそうな自分がこわい。だがしかし東で流行りらしいツンデレって言うな。





純情片恋バーストアウト