ぼけらっとそれを見ていたハレルヤだがカクテルが半分ほどになったところで腰をあげた。できれば寝るまで監視しておきたいところだが開店準備もあるし、時間的に食事を用意しなければならない。病人食なんて粥以外知らないが、それもまあなんとかなると期待して。店のほうはべつにクローズにしてもいいのだが、見るたびに絵本にかえれと面と向かって言いたくなるような客が来て居住スペースにまで押しかけられてはたまったものではないので防波堤的意味合いで店を開けることにアレルヤと決めた。あの男は本気で絵本にかえればいい。
「そろそろもどるぜ」
「おー」
「ごまかせてるつもりだろうがいいかげん寝とけ。てめえ朝から起きっぱなしだろ」
「わーかってるって。つかそう何度も来ないでいい。むしろ来るな。伝染る」
「ふざけんのも大概にしねえと次アレルヤ寄越すぞ」
「おまえさんもこわいこと言うね……了解、了解。任せとけって」
「てめえが言うとむちゃくちゃ信用ならねえな」
 グラスをかたむけながらひらひらと手を振るロックオンに舌打ちとデコピンをしてやってからハレルヤは部屋を出て、手すりがないので壁に片手をつきながら急な階段を慎重に降りていく。上から見たとき段の幅が半分しかないっていうのは急過ぎやしないか。降りきったところでトレイを持ってくることに気がついたがどうせまたあとでグラスを回収に行くのだからと思いついてバックヤードと厨房を隔てているビーズ細工のカーテンをくぐる。
 厨房ではアレルヤが火もとに立っていた。三つある焜炉のうちの手前ふたつを使い、片方は提案・宣言通りりんごを煮ているのだとして、もう一方では縁取りのある白い琺瑯鍋がことこと火にかけられている。考えるまでもなくロックオンのための病人食だ。ぞれぞれ焦げつかないよう木べらで時おりかき混ぜながら、アレルヤは首ごと視線をこちらに向けてきた。
「どうだった?」
「いーい感じにばかだった」
「仕方ないよ、ロックオンだし」
 ひとつうなずいて、アレルヤはかたわらに置いていたミルクの大瓶を持ちあげてとくとく鍋に注ぐ。なにつくってんだと思わずつっこみを入れかけ、けれどすぐさま塩とこしょうが振り入れられたのでひとまずそれを飲みこむ。
 アレルヤとハレルヤをくらべて料理が得意なのはどちらかと言われれば僅差でアレルヤに軍配があがるのだが片割れはよくわからない論理思考に基づいてとんでもないものをつくりあげることがあるのでよくよく注意していないとそれはもうすごいことになる。できれば例は出したくないが、あえて言うのであれば遊びでつくったアレルヤのオリジナルカクテルを飲んだロックオンがもはやデフォルトの苦笑すら浮かべなかったくらいだ。だってはっきり言った、「まずい」って。
「食欲はありそう?」
「本読んでたくらいだ、ふつうにあるだろ」
「そうなの? ……ふうん、そっかぁ。やっぱり好きな人の看病はしたいものなんだね」
「……ん? 今なんつったおまえ」
「え? んと、あ、ミルクこれでおしまいだ」
「いやだからおまえなんつったよ、アレルヤ」
「買ってこなくちゃだめだよね。ちょっと買ってくるからハレルヤお鍋見てて」
「かまわねえけど人の話聞けや」
「うん、じゃあよろしく。行ってきます」
「行ってらー……って、よろしくじゃねえよ!」
 いいように流されたような気どころか完ぺきに流されて気分的形式上つっこんでは見たけれど最後まで確信犯的にぼけ通したアレルヤには言いながらはずしていたオレンジ色のエプロンをパスされ、どこに用意してあったのやらかわいらしいデザインの小銭入れを持って屋外逃亡された。裏口から出ればいいものを、わざわざ店側の出入り口を使ったのは言い逃げることをあらかじめ狙っていたようの思えてしまう。アレルヤはよくからまわっているがよくよく見れば計算高く、でも損得やら進行などを無意識に計算した上でその場の感情や状況を加味するからよけいにこんがらがっているのだ。結論を言えば常からして計画倒れなのだ、実に救いがたい(まあそこが片割れのかわいいところだったりするのだが口にはぜったいに出してやらない)。
 つっこみに際して思わずエプロンを床にたたきつけそうになったが、これはロックオンが手なぐさみに一枚布を裁って縫ってとしたものなので無碍にすることはさすがにはばかられた。ちなみにアレルヤのこれはストライプで、ハレルヤのはチェック柄。色はどちらもオレンジとクリームが基調になっている。
「ったく。あの表面だけ能天気が」
 舌打ち、しかしぶつくさ言いながらもアレルヤのエプロンをきっちりたたんでその辺に放っておく。まるめて放置だなんて冗談じゃない。
「つかミルクでなにを……って。まじでか」
 ひとまずりんご(カラメルでなくワインで似非コンポート状態だった)のほうは火からおろし、もう一方を見ればミルクが四〇度以上になると起こるラムスデン現象により発生した独特の膜を破って米がふつふつと煮えていた。すぐそばに置かれたまな板の上にはきざみかけのパセリとペティナイフ、かたまりのチーズが然るべきところにセットされたチーズグレーターがあるのだが、まさか病人にチーズリゾットなどと重たいものを食べさせる気なのか。せめてミルクリゾットのままにしておけと東洋系人種としては思ってしまうのだがやはり西洋人はだいじょうぶだったりするのか。
 煮つまったワインとミルクのにおいでなにやらすごいことになっている現場をどうにかするべく換気扇をまわし、ワイン煮りんごにはおとなしくふたをしておく。冷めにくくはなるが余分に水気が飛ばないという利点を重視。味も染みるし。
 ミルクを鍋で熱すると焦げやすく、そこに米が加われば言わずもがな。レシピに忠実なアレルヤのことだからどうせ生米を炒めるところからはじめたのだろうけれどその分かかる手間というものが考慮されていなくてこまる。自分らの食事も適当に準備しなくてはならないし(抜くとロックオンがむちゃくちゃうるさい)、チャームや肴の下ごしらえもしなくてはいけない。あとはホール掃除してグラス磨いて酒瓶ならべて氷は砕くのと削るのとがあって、ああ球形にするやつはアレルヤにやらせよう。ハレルヤが削ればいまいましいことに途中でぜったいにドーム型になるから。
 リゾットが焦げないように適度にかき混ぜ、そのかたわらで大鍋に水を張って湯を沸かす。たまねぎと塊のベーコンがあったと思うから自分たちのはパスタだ。生クリームならストックも十分だろうし。
 ふだんからあまりキッチンに立たないハレルヤだが料理が不得意というわけではない。ただ自分でつくっても手間なだけで冒険しなければ味は一定、なんらおもしろくもない。アレルヤがしたところでやはり食べなれた味だ。だから、アレルヤは申し訳なく思っているようだがハレルヤからすれば料理なんてロックオンがしていればいいと思っている。ただ養われているようなのは単純に気に入らないがそれはそれ、これはこれだ。ギブ・アンド・テイク的にあいつが料理するならその分ハレルヤがべつの面ではたらけばいい――なぜ村を出たかの根本をなかばわすれている思考だとは重々自覚している。養父にめんどうをかけないため。だからとてロックオンに迷惑をかけていいわけではさらさらないが、彼のそばはひどく居心地がいい。最初はただ五年前の礼がしたかっただけだがこうして時間を過ごしてみるとどうにも離れがたく思ってしまう。
 前は一方的に言葉を聞いて触れられるだけだった。しかし今なら自分の言葉を聞かせられるし、触れることだってできる。相互的なコミュニケーション。自分のことを知らない相手との触れ合いはむずがゆくもあるけれどやはり理解されればうれしいし、相手のことがわかってもうれしくて。その分もっと知りたくて、触れ合える距離と関係というのはなかなかどうして貪欲だ。
 そこまでつらつらと考えたところではたとハレルヤは我に帰った。これではまるであいつを、ロックオンを――――
「ぅあっつ!!」
 無意識に下がっていた手が大鍋の胴に触れて、瞬間的に感じた言いようのない刺激に悲鳴をあげた。脊髄反射で木べらから手を離したおかげで鍋を引っくりかえすといった大惨事にはならないで済んだが左手の甲はぱっと見ただけでも微妙に赤くなっている。あわてて蛇口をひねって患部を流水にさらしつつ、なぜか水道代などという意味不明なことが脳裏をよぎったがそんなものはいっさい無視だ。今はとにかく冷やすことが先決、それでも一瞬のタイムロスのせいで水ぶくれは免れられないだろう。思ったそばからぷっくりふくらんだ火傷にうんざりする。ただでさえやることがあるというのに、これでは水仕事関係はすべてアレルヤに任せるしかない。それなら店は休みにしたほうが早い気がしてきて、片割れがもどり次第弁解ついでに提案してみようと心に決める。こうなったのも八割ロックオンのせいなので、あのきれい系優ばか男は本当にろくでもない。イコールぜんぶあいつがわるい。以上。
 じくじくとした火傷特有の痛みのせいでぴくぴく生理的に震える頭部のそれにぶじな手を添えながらいやなことを思い出す。半月くらい前のことだ。閉店した後で店の片づけを簡単にしている最中にロックオンがとうとつに笑い出してなにかと思えば「昔拾った小犬に似てる」などと抜かしやがったのだ。
 五年前のことを覚えてくれていたことは単純にうれしかった。それはもう目ではなくて文字通り耳が飛び出るかと思うくらいびっくりして、でも内心はうれしくてしかたなかった。同時に自分がそれだとも言ってしまいたかったがそんな衝動でバラしてしまっていい問題ではなくて(だってふつうに考えて気味がわるいだろう。人間と獣が半分ずつなんて)、そのときはこちらも本音的に「犬と同じにするんじゃねえ!」と思わず怒鳴りかえしてしまった。彼は笑って謝ってくれたけれど、それからしばらくは犬に見られているようで気が気じゃなかったのも事実だ。というか小犬って。たしかに同時はまだからだも小さかったからその言い方は仕方ないのかもしれないが決してあれは成獣のサイズではない。断じて。それに、たしかにハレルヤは(もちろんアレルヤも)イヌ科ではあるかもしれないが。
「犬じゃなくて狼だばか野郎」
 似てる、と言われた瞬間即座に言いかえしたかった訂正を低くつぶやいて、ハレルヤは頭部に移った獣の耳をぐいっと引っぱる。痛覚はちゃんとあるのでそこそこ痛いのだがこの行為は正しく無意味だ。いまいましく思うことは多々あれど、それでも生まれてこの方このからだでずっと生きてきて、これからもずっと生きていくのだ。ハレルヤも、アレルヤも。
 じゃら、と。これ以上ないタイミングでビーズのカーテンが揺れる音がして、反射でなくてもハレルヤはそちらをふり向いた。まさかもなにもこちらから来るのなんてただひとりしかいない。
「あ、えと……グラスもどしに来たついでって言うか、えーと、そう。寝るから水もらいたくてって言うか、その……なあ?」
 きれいにたいらげられたガラスの器とグラスを重ねて持ったロックオンは視線をあちらへこちらへとさまよわせた挙句、あれで案外デフォルトな感じに言いおよんで。最終的にへらりと笑ってたったふた言。
「は、ハレルヤ? おまえ…………その、コスプレ好き?」
 白い顔をほんのり赤くさせたままきょとりと首をかしげたロックオンがやたらかわいく見えたのは目の錯覚ということにして。見られた! と思考が脳に達するより確実に先に脊髄反射で近くの籠にあったオレンジをまるごとひとつ投げつけて(ナイフ、いや鍋そのものでなかったことは純粋に褒めてほしい)顔面に直撃、それをちょうど買い物から帰ってきたアレルヤ(てめえ若干遅いんだよ!)に見られてくどくどとしかられて大笑いされた上にフォローされた詳細はわざわざ言いたくない。





純情片恋バーストアウト
「よかったじゃない。半獣ってバレなくて」「その代償にコスプレ好きだと思われたけどな」