なにを隠そう小磯健二は吸血木である。鬼ではなく。一応は吸血種にカテゴライズされてはいるもののひと言断っておくが人間を襲ったことはない。善意で血液をゆずってもらったことは一度や二度ではないがあくまでも健二は鬼ではないので自ら率先して血液を求めるような行為はしない。できない。なぜなら健二は吸血種のなかでも特異な吸血木、その吸血花に属するからだ。それも土着の。スイカでもギロチン台の下で血を浴びたわけでもなくて、戦国時代のとある武将を供養するために植えられたさくらの木がどうしてか化けてしまったのが健二の母方の祖母の先祖だかで。だから健二はかならずしも血が必要なわけではない。基本はやっぱり植物なので、たとえるなら血は嗜好品みたいなもので。植物に必要なものは日光と水と二酸化炭素。けれど健二は植物ではなく人間なので二酸化炭素ではなく酸素を吸って酸素ではなく二酸化炭素を吐く。でも一応は吸血種なので日光がそれなりに苦手だった。死んだもの――いわゆる調理されたものはなかなか栄養にならなくて、だから輸血用にパッキングされた血液では飲んでも無意味だ。生き血限定というわがままさ。でもまったく栄養にならないわけではないから健二はちゃんと真人間の食事で日々を過ごして、ときどき日向ぼっこをして栄養をつくる。真人間という言い方をしたけれど健二の代までくればもうほとんど人間だ。後ろ暗い過去だってない。市役所の戸籍謄本には吸血種としっかり書かれていたりするけれどちょっと鉄分不足で太陽に当たると貧血を起こしやすい草食系男子というのが健二にあたえられた世間からのラベルだ。
「だからってぶっ倒れてちゃ世話ないよな」
「佐久間うるさい」
「ばーか。事実だろ」
 あきれたように肩をすくめる親友に健二は水気の失せたタオルを投げつけて、パイプ椅子を何脚かならべてつくった寝心地最悪の簡易ベッドにふたたび沈没した。こうも頻繁に倒れまくっていると保健室に出入りするのも億劫だ。保健の先生には事前に説明がなされているとしても保健室登校みたいなかたちになるのはどうしてもいやだった。それならまだ部室登校のほうがいくらかマシ。なにより今日は土曜日なので保健室は閉まっている。
「いっそ日傘差してくれば?」
「そういう冗談やめろよ」
「四割くらい本気」
「なおわるい」
 言いながら、健二は手首で目を覆った。蛍光灯は点けていないけれどカーテン越しに射す日光だけでも十分に体力をもっていかれる。日光浴をしなければしないで体調不良を起こすのだから面倒すぎる体質だ。もうこれに十七年も付き合っているのかと思うといい加減うんざりもしてこない。子どものころはもっとひどくて、秋晴れの運動会に出ようものなら午後にはもう救護テントの住人。けれど目玉の演目というのはたいてい午後にあるからそれまでむりにがんばってしまって鼻血を噴いたことなど何回もあって。遠足は常に養護の先生といっしょだった。
 ため息といっしょに手首を上にやったら前髪もかきあがる。
「てゆか。半分は佐久間のせいだろ……」
「だから責任もって提供してやってんじゃん」
「うわ、つめたっ!」
 べしゃ、と中途半端にしぼられたタオルを落とされて健二は悲鳴をあげた。垂れた水が顔の輪郭を伝って首に到り、「わ!」手足をばたつかせた挙句起きあがる。タオルをつかめば手のひらにじわりと濡れて、健二はやれやれと首を振る佐久間を真っ向からにらみつけた。
「あいかわらず色気のない悲鳴」
「あったってどうしようもないだろ色気とか!」
「いやいや。吸気種たるもの色気はないと」
「だから! それは吸血鬼だって言ってるじゃないか」
「おう。知ってる」
 ひょうひょうとしている佐久間は実のところ健二とは血筋的な意味で無縁でない。どこでどうつながってなのか、武将の供養にとさくらの苗木を植えたのはかつて宮司をしていた佐久間の遠縁の先祖で。しかもその宮司の娘婿がさくらで首を吊ったとか吊らないとかそういう昔語りまでのこっているのだから笑えない。ただのさくらが吸血木になった由縁。そういうわけで古い縁のせいで健二と佐久間はものすごくうすい、舐めてもだいじょうぶなくらい水で延ばした塩酸くらいうすい従属関係にある。とてつもなく非公式。小学校と学童が同じで中学校で分かれて高校で再開したときに発覚したこと。だから健二は佐久間を名前で呼ぶことができない。主が真名で呼びかければ従は逆らうことがないから。小さいころは敬くんと呼んでいたから無効化されていた古い魔法。ただしく魔で真の法だ。けれどそれはおたがいが望む関係ではないので妥協案として名字呼び。おそらくずっとこのままだと思う。佐久間が健二を名前で呼ぶのは、魔は真名を隠せないため。もうほとんど人間であってもやはり健二は吸血種。おおむね無害といえどもやはり人間と対する生き物に属するものなので。
「で。今日も貧血を起こした健二くんは血をご所望ですか?」
「べつにいいよ。いらない」
「ほーう。ぶっ倒れておいてよく言う」
「佐久間だって血の気が多いほうじゃないじゃないか。そんなたびたび血抜いてたら倒れるよ」
「おまえよかマシ」
 専用の回転椅子を引っぱって。健二のすぐそばまで来てどっかり腰をおろすと「ほらよ」佐久間は左腕を差し出した。吸血木も吸血花は名前に反してあまり血を吸わないけれど一切吸わないわけでもないのでいくら嗜好品程度の価値観だとしても血は必要だ。けっきょくのところいちばん直接的に栄養になるものなので。正確には生きているものを生かすエネルギー。からだをめぐりめぐる流れを汲みとって自分のエネルギーに換算する。損失したエネルギーと摂取したエネルギーの量は原則的に一定だ。エネルギー保存の法則。ただし根かぎり一方通行だ。
 目の前のそれに手をかけながら健二は持ち主を見やった。
「佐久間。体重」
「えーと、たぶん六〇はないぜ、って健二。おまえどんだけ吸う気なわけ?」
「具体的に言うと四〇〇ミリリットルくらい? あ、致死量の二リットルには全然たらないから安心していいよ」
「あーあー、そうですか……いいからさっさと飲んじまえよ。焦らされると逆にこわいっつの」
「佐久間注射きらいだもんね」
「好きなやつなんかいねえよ」
 ああ恐ろしい。ぶるぶるとわざとらしく震えてみせる親友を横目に健二はその手首を両手で支えて口もとにもってくる。鬼ではなく木で花だけれど基本的に経口摂取。ちょっとあれな話、唾液に痛覚麻痺とか麻酔みたいな効果があるから尖った犬歯(牙というのはちょっと……)が刺さってもあまり痛くない、はずだ。吸血鬼はまるで牙で血を吸うように表現されるけれど牙に穴が空いていてかつそこから血を吸えるわけでもなし、牙の役目は穴を空けることだ。身近なたとえを挙げれば蚊じゃないので。牙で空けた穴から血を吸う。我がことながらものすごい肺活量だ。おかげさまで五〇〇ミリのペッドボトルを一気飲みするのも超余裕。披露したことはないけれど牛乳瓶を空にするのも早い、早い。
 あーん、と精いっぱいの大口を開けて。
「いただきます」
 噛みつく。かぷり。感覚としてはぶつんて皮膚がトマトの皮みたいにはじけるのがわかるけれどたぶん佐久間には伝わっていないはずだ。さすがに温度とか伝わっているだろうがきっともう慣れている。
 はじめて血を提供してもらったのは高校で再会してわりとすぐだ。逆算して一年と半分くらい前。人魚の血を引いている子どもは十六歳までに海に浸らなければ水に濡れても足が尾びれにならないように、血のうすまった吸血種も十六歳までに他人の血を摂取しなければ血は必要のないもので。けれどそれを知る前に健二は佐久間の血を飲んだ。ある意味でとても自業自得。貧血の害を被っているのは佐久間だけれど吸血を提案したのも佐久間なので連帯責任的に自業自得なのだ。
 喉を焼くような飢餓感がうすれていく。生唾を飲みこむその感覚が消え失せることで飢えていたことをあらためて知った。ごくごくと喉を鳴らすわけではない経口摂取。もうういいかな、と思ったところで牙痕をぺろりと舐めて。仰向けた手首の内側を遠ざけた。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまで」
「うん。でも薄味」
「そりゃ、草食系ですし?」
「なんだよ。根にもたないでよ」
「べっつにー?」
 健二が噛みついた手をひらひらさせて、佐久間はごっちゃりとたくさんのものが乗っかったテーブルに置いたコンビニのビニール袋から手のひらサイズのパックを取り出すとストローを差しこんだ。赤野菜のジュース。完全に私物化している回転椅子に足を組んで座りながらそれを飲む佐久間はどちらかと言えば健二よりもずっと吸血種らしい。ぴかぴかにみがいた新鮮なりんごをかじってみたり、起きぬけにトマトジュースを飲んでみたり。そういう吸血種らしいことの一切合切が健二はもうべらぼうに似合わない。起きてまずすることと言ったらベランダに出て日光を浴びながら水を飲むことだ。なにせ木も花なので。健康優良児もいいところだが吸血種なので夜に生きるものなので夜更かしもできたりする。だが睡眠は絶対不可欠だ。健二は吸血木のさくらの末端だが人間でもある。けれど夜想花ではない。
 ならべたパイプ椅子のひとつに乗りあげて健二はあぐらをかいた。腕を伸ばしてビニール袋からミネラルウォーターのボトルを引っぱり出してキャップをひねる。
 こういうことを言うと根っからの人外のようで心外なのだが実のところ血というものは心臓に近いほうがほかの部位と比較しておいしいのだ。味覚ではなくエネルギーが豊富という意味。静脈よりも動脈のほうがいいのは当然で。だから吸血鬼は首を噛むのだ。血管一本まちがえただけでエネルギー量は大差だがそこのところは厳密に死活問題なのでミスをするのは本当に初心者だけらしい。これは小さいころに聞かされた笑い話。鬼とちがって血が絶対必要というわけではない木に属する健二だが嗜好品ならば嗜好品でおいしいほうがうれしいというものだ。
 ごくごくと喉を鳴らして水を飲む。いつまでも口のなかに血の味がのこっていると悪酔いしてしまうから水でもって洗い流そうという寸法だ。健二はアルコールでは酔わない(若気の至りで実証済み。ごめんなさい)けれど血で酔うから吸血種としてとても情けない。血を混ぜたサングリアなんて供された日にはぶっ倒れるだろう。赤ワインは聖人の血ということで。とある説では、旧い吸血種は啓蒙なクリスチャンだったそうだ。武将の無念を慰めるために植えられたのが健二の祖なので実のところは関係のない話。
「なーあ、健二」
 赤い野菜ジュースを片手に、かたかたとリズムカルにキーボードをたたいていた佐久間が背もたれに腕を置いたいつものポーズで振りかえる。
「今日晩飯食い行かね?」
「いいけど。どっか行きたいとこあんの?」
「おう。日高屋」
 飛び出た店名に健二はペットボトルに口をつけたままぱちくりとまたたいた。いつもならサイゼリヤだとかジョナサンだとか、ドリンクバーがあって長居ができるファミレスが候補に挙がるのに日高屋はめずらしい。三九〇円は懐にやさしいしボリュームもあるから行かないわけではないけれど。
「ニラレバ食いたい」
「ごめん佐久間おれのために死んで」





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「ニラレバきらいなの知ってるだろ!」「いま血たりないのわかってんだろ!」