七月から八月に変わった硫黄くさい夜。栄にだけ聞こえるように誕生日を祝い、いってきますを告げ、しかし縁側で月見をしていたと言い張る理一に見送られて侘助は陣内の屋敷を抜け出した。家族の手前、自分のつまらない見えと天邪鬼な性質のせいでああ言ってしまったがラブマシーンというハッキングAIに行動のベクトルとして知識欲をあたえたのはまぎれもなく侘助だ。見る人間が見ればラブマシーンの行ったことは己の定義を忠実にまもるものであり暴走ではないとわかるがそれはあくまでも局地論であり、世界のためにもラブマシーンにああしろと命じた加害者は必要で。ダイナマイトを発明したノーベルのように。米軍はとっくに隠蔽工作に動き出しているはずで侘助としても急がなければ消される可能性だってある。蜥蜴の尻尾切り。しかしみすみす消されてやるつもりなどさらさらなく、使える(主に理一の)伝手でもって侘助は自身を公表した。それが八月一日のあかるい時間のこと。
 冷凍庫からいつものように勝手に頂戴してきたソーダ味のアイスキャンディをかじりながらぺたぺたと素足で廊下を踏む。
 侘助が上田にもどってこられたのは旧七夕もとうに過ぎた昨夜で、しかしそんな短期間で釈放(いや、べつに逮捕されていたわけではないが)されたのはひとえにアメリカの国防総省がOZを利用した実証実験をおこなったという事実が報道されたことが大きい。OZの普及率および利用率を考えればたとえ国民であろうとも世論はかんたんに動く。なによりアメリカをはじめとする諸外国は責任問題がシビアだ。銃そのものに罪はなく、罰せられるべきはそれを撃った人間である。ナイフもまたナイフとして使われなければただの金属片に過ぎない。日本はそういった面でひどく人道に寄りすぎているところがあって。アメリカでの生活になじんだ侘助にとってすれは碌でもないと言える部分のひとつだ。有か、無か。行間や沈黙など読む価値もない。ただ事実だけが提示される。
 しゃく、と冷たすぎて味がよくわからない甘さが口のなかでほろほろとくずれた。ソーダ味にコーティングされたバニラアイスは他愛のない駄菓子だ。昔はこれ一本で争奪戦が起きたものだがやはりこういうものはこっそりくすねるにかぎる。決まって理一に見つかっていた気がしなくもないが、そこはもう一本もち出しておいて賄賂にするのが常套手段だった。
 十年ぶりに帰ったあの日のように侘助は縁側から屋敷に侵入した。時間も時間だし、勝手口からはいるには台所は井戸に代わる女性陣の会議場所だ。尻尾を振るハヤテの頭を撫でつつ半壊した屋敷をぐるりとまわる。もともとが武家屋敷。石垣をはじめ、柱や梁の渡し方など城を建てる技術が流用されている。なにより陣内家は戦国時代においていちばんの城づくり。攻めも守りも当然ながら奇襲籠城謀略挑発なんでもござれ。頑丈につくられていた屋敷はあの衝撃波を受けてなお半壊程度、地元の業者でなんとかなるレベルに損壊は軽微だ。修理費等々には米軍が一応からんできそうだがそれを突っぱねるのが陣内家。もらえるものはもらっとけばいいという即物的思考が通用しない日本人の典型。仁義と人情などとヤクザのような考えを尊び人と人とのつながりを慈しんだ老女がまもった屋敷はあの爆風のなか老女の家族をまもってここにある。そしてこの家を家族を世界をまもったのは縁が結んだひとりの少年だ。
 忍ぶように帰宅した侘助を迎えたのは意外にも頼彦の娘だった(いつの間にこさえたんだか)。風呂あがりだったらしいあの子どもは濡れた髪のまま侘助の手を両手でつかむとぐいぐい広間に引っぱり、「おじちゃん帰ってきたよ!」言い放った。それに対する反応はあの日にくらべると異常なまでに気負わないもので、「あんたどこ行ってたの?」「おう、こっちきて付き合え!」「ごはん食べた?」「よく帰ったな」「おじちゃん遊んで!」「遊べ遊べ!」「おかえり」「おかえりなさい」家族の帰宅をねぎらうそれだった。だれかに会うたびにおかえりと言われたのはもしかしたらはじめてかもしれなくて、不覚にも泣きそうになりながら泣きそうなのを誤魔化そうとして適当なところに座りこんだ。だまってビールを注いだら「まったくこの子は……」とあきれられながら取り皿と箸が置かれて。昨夜つまんだ煮っ転がしは栄の味をそのまま継いだ万里子がつくったものなのに、はじめて食べたような味がした。
 遅い夕飯を肴に酒を飲み、ぬるくなった湯をもらい、普段とくらべて早い時間に寝んだはずなのに起きたときにはもう随分と日が高かった。栄の遺言のため食事は全員がそろってからとるのが暗黙の了解になっているのだが今回ばかりは放置されていたようだ。侘助としてはそれでかまわない。いまなら起こされないのは目の上の瘤ではなく気づかいだとわかるから。
 侘助の衣類は当たり前に処分されてしまっていて(それ以前に十年前の服なんぞ着られたものではないが)、仕方なしに理一のそれを勝手に横領して着替えて顔を洗ったころには屋敷は静かなものだった。御世辞にもつつましやかとか言えなかったであろう栄の葬儀はつつがなく終わり、仕事のある男どもはそれぞれ自分の御役目を果たしているらしい。旧盆を過ぎれば三々五々帰っていくのだろう。家族ではあるが個々の生活環境はまた余所にある。そうすればまたここは静かになる。栄が亡くなってしまったから、この家をまもるのは万里子と理香しかいないということには目をそらして、侘助は子どもたちのおやつにと常備されている氷菓に歯を立てた。すでに冷えた口内では知覚過敏にもならない。
 ひたひたと廊下を歩く。男だけでなく女性陣のすがたもないのは買い物あたりだろう。たしかにこのあたりは陣内家所有の土地で(数キロ単位で離れている)近所には知り合いしか住んでいないが留守番を任せるのであればひと言なりとも声をかけるべきだ。理一や三兄弟とちがってこちとら完全インドアだ。下手をすれば夏希にさえ腕相撲で負けるかもしれない、佳主馬なんて言わずもがな。翔太は馬鹿だからなんとかなりそうだ。とりあえず万が一に強盗が押し入ってきたときはまず負けるなと冷静に検討しながら溶けて雫になったのが垂れる前にそれを舐めとる。ついでに少し吸っておく。
 それにしても子どもたちまでいないのはめずらしい。ちびどもはまだわかるが、中高生三人まで不在というのはあまりないと思う。いくら十代といえども年かさが増せば増すだけ外出が億劫になるものだ。夏希と健二のデートというにはあまりに健全な散歩に佳主馬もついていったのであれば想像にたやすい図だがそれが事実だとすればあまりに青い。青々としすぎて目がくらみそうだ。侘助的には青春も朱夏もすっ飛ばして白秋にはいりたくて仕方がない。
 さて、家にだれもいないのであれば正直に言ってやるべきことなどなにもないのが現実だ。昼食はおそらく女性陣が帰宅してからになるだろうし、プログラミング関係は機器がないし自粛中だ。いくら釈放されたと言ってもおそらく監視なんかはついているだろうし、うたがわしきは罰せよ的に主犯にしたてられては適わない。冤罪はごめんだ(完全に冤罪と言えないところが苦しい)。できることと言えばおやつのソーダアイスを盗み食いしながらだいぶ復旧作業の済んだ屋敷を見てまわることくらいだ。室内散歩。じりじりと白っぽい砂の道を焼く日差しの下を歩く気がしれない。それにたぶん留守番役なので余計に外出できない。するつもりもないが。
 健二がいるのであればふたりで話がしたかった。栄と最後に言葉を交わしたのは彼で、自分は喧嘩別れで。だがそれについてはすでに話は済んでいる。七月三一日のあいだに少しだけ話をした。侘助は気がつけば四一になっていて、だからそれで十分だった。
 話というのはもっと私的なこと。主に健二の能力について。あれは危険なちからだ。OZの管理パスワードを変換させた二〇五六桁の暗号を解いたのは五五人。健二は惜しくも正解には至らず同様の解答を出した者はごまんといるだろうが彼ほど早く解いた人間はいないだろう。いまとなっては検証する術もないがラブマシーンが健二のアバターに擬態していたのもそこに起因すると考えられる。すなわち彼は数学を基礎とする防壁の天敵というわけだ。完全なバックアップ、あるいは健二がだれかのバックアップとなればそれこそラブマシーンにも匹敵するハッカーのできあがりだ。各方面に目をつけられるのは時間の問題。理一あたりはすでに自分の部署に引きこむ算段をたてているにちがいない。同い年の甥はそういうやつだ。
 しかしそれではもったいない。健二のあれは才能だ。他人にはおそらく天からの授かりものに見えるだろう、だが侘助にはわかる。あれは彼が欲して得たものだ。とある目的の手段として選んだものがぴたりとはまって伸びただけのもの。侘助と同じ。侘助と健二は合同ではなく相似であるがヴェクタは少しずれたねじれの関係にある。彼はかたくなに数学しかできないと言っていて、だからおそらく自覚はしているのだ。できたから得意になったのではないことを。できるようになりたくて得意になっただけということを。根底にあるのはもっと他愛のない、けれど欲しい人間にとっては努力しても得られるかどうかわからなくて。
「――うわ!」
 がつ、と突然の物音と悲鳴に侘助はそこで足を止めた。この家で叫ぶようなのは翔太と子どもたちくらいで、けれど聞こえたのはたった数日間でもっとも叫んでいたような気のする子のものだ。
 鴨居をまたいで畳を踏む。人の脂がみがいた板張りの廊下とはちがう冷やかさが足の裏に触れる感覚は好きだ。アメリカにいたころは寝るときと風呂以外では常に靴を履いたままだったからこうして素足というのもなつかしくて楽しい。
 いまはだれに宛がわれている部屋かは知らないががらんとしたそこにあるのは桐箪笥と押し入れくらいで。戸が半開きになった押し入れの襖にはだれが破いたのか応急処置の紙が当ててある。
「なにしてるんだ? そんなとこで」
「あ……」
 その前にひょいとかがみこんで中を覗きこむ。上段にはふとんが積みあげられており、下段には衣類のつまったプラスチックボックスがしまわれているがまだまだ余裕があって。空いたスペースにすっぽりと収まった少年がひとり、ぶつけたらしい頭を両手で押さえながら目を大きく見ひらいた。
「侘助さん」
「よお」
 アイスをかじりながら片手をあげてみせれば、律儀にも「おはようございます」頭をさげられた。時間帯的もうこんにちはが妥当なところだが眠っていたと知っている相手にかける挨拶としては概ね正解。言う人間が変わればただの厭味だがそこのところは健二の性格が為せるわざだ。天然ぼけ気味のお人好しは無邪気に悪気なく悪意を振りまくものだが半分は受け取り手の問題。健二の場合は社会的コミュニケーションのフィードバックが不完全だがそれは社会に出てたたきなおされるだろう。腫れものあつかいが甘やかしになって育った範例が侘助なので実感だけはこもっている。半分くらいは自覚してやっているところもあるが敵をつくりやすいことにちがいはない。そういうところは健二よりも佳主馬のほうが近いがあいつは根が潔癖だからなんとかなる気がする。けっきょくはどちらもどうにかなる話。翔太はもう手遅れだ。
「それで、だれかに叱られでもしたか?」
「へ」
 間抜けにも口を開けてぱちくりままたく姪の婿候補に侘助はしししと笑う。
「押し入れでひざ抱えてると来たらそれしかねえだろ」
「え!? いや、あの、これは!」
 あわてた健二がわたわたと両手を動かした。その勢いではふたたび頭をぶつけるのに時間はかからないなと思う。変なところで落ち着きがない子だ。いや、妙なところで肝が据わっているのか。
「あの、いま皆さん買い物に行ってて、それで真吾くんたちとかくれんぼを……」
「ああ、そういう」
「はい」
 両ひざをもちあげてへらりと笑われるとどうしてだか気が抜ける。一族にはいなかったタイプだけに和むか気に障るかで分かれているようだが侘助的にはちがう印象だ。ボーダーラインのような、いわゆる余所行きの。あの騒ぎのなかでさくまというらしい学校の友人に対しての傍若無人こそがこの子の素なのだろう。何人が気づいているかは知らない。だがこの家でにこにこしている健二だけが健二と考えるのは気が急いている。単複はすぐさま雑ざらない。個が集合にはいるというのは個にとってそれなりにストレスだ。
 笑う健二を同じ視点で眺めながら侘助はのこりのひと欠けを口に放りこんだ。すでに冷えて温痛覚が麻痺しているせいで頭痛も起きない。平べったいはずれの棒に歯をたてながらひらりと手を横に振る。
「そっち、つめてくれないか」
「え?」
「おれも入れてくれ」
「は!? ちょ、ここせまいですよっ?」
「いいから、いいから」
 言いながらも侘助は二を押しのけて隙間にからだを収める。せまいなかでの方向転換は普通に至難のわざだがそこは昔とった杵柄的に問題解決して。ほこりっぽいそこに「よい、せ」腰を落ち着けてから襖を閉める。ぱたん、と。隙間から射すひかりは微々たるものでおたがいの輪郭をぼんやりさせる程度でしかない。侘助の行動、あるいはその暗さにでも動揺したのか、となりで健二がみじろいだ気配がした。
「わるいな。いきなり」
「いえ……意外と、暗いんですね」
「なんだ。初体験か」
「はい。うちには押し入れなんてないですし、こういう機会もあまり……あ、でもドラえもんとか見てるとはいってみたなあって思ったことは何度か」
「まあ、ドラえもんはな。あこがれるわな」
「ですよね!」
 もう目が慣れてきたのかこちらに顔を向けている健二の声は明るい。統計的に見て都市部で暮らしている子どもはこういったせまくてほこりっぽい場所に嫌悪感を抱くものだが彼はどうやらそうではないらしい。思えば個別化されていない箸やタオルも共有している。もしかすると遠慮しているだけなのかもしれないがそこは大人数のネックだ。侘助も気がつけば慣れていた。
 片ひざを壁にぶつけ、もう片方を抱くようにして侘助は内壁に寄りかかった。理一のシャツは好んで着ているものよりも生地がうすいらしく壁の温度がじわりと背中に伝う。
「この押し入れな、おれの隠れ家だったんだよ」
「侘助さんの?」
「ああ。だいたいは納戸にいたが、見つかりたくないときなんかはここだった」
 それは主に三兄弟のだれかと喧嘩をしたとか、万里子か万助と言い争ったとか。単純にいらいらしていたときもここでひざを抱えていた。そのたびにやはり厭味は言われたけれどぎすぎすした空気に触れてまで同じ空間にいたくなどなかったのだから仕方がない。
「まあ。けっきょくは見つけられてたんだけどな」
「そうだったんですか……」
 襖で区切られたせまい世界。納戸よりもせまい、当時は侘助だけで完結していた世界にいまは健二とふたりでうずくまっている。四〇を過ぎた大のおとなと男子高校生がぎゅうぎゅう寿司づめ状態になっている光景など侘助は頼まれてもみたくないと冷静に思った。
 噛んだアイスの棒を上下させながらどちらともなく黙ってしまう。健二がここにいたのはもともと隠れるためなのだからそれはべつにかまわない。侘助にしても単純に暇つぶしだ。話はしたいがいますぐでなくていい。視点を変えれば事は一刻を争うがそれでも今日明日でどうにかなる問題ではない。
「鬼はだれなんだ?」
「えっと、だれだろう……隠れ鬼みたいなルールでやっているので、鬼に見つかった人が次の鬼になるんで……最初はぼくで、さっき真吾くんを」
「へえ」
 真吾というと頼彦の子どもか。見た目的にはなぜか翔太によく似ていて。しかしあのちび助は万作の孫だから遺伝子を考えると侘助の父のそれが隔世遺伝したのだろう。自分はどこが似ているかなんて知らないが。だいたい父親のことなど碌に覚えていない。だが真吾が鬼のままであるならしばらくは見つからない。
 健二は知らないようだがここは実は侘助の父親の、そして侘助が以前使っていた部屋だ。当主夫婦が離れに居を移した後もここだけは栄自らが掃き清めをしていて、だからここは栄の特別なところ。おそらくはいまでもあまり立ち入らないように言いつけられているはずだ。鬼が子どもたちのいずれかであるならばいましばらくは健二とふたりで押し入れにこもっていられる。彼といるのは楽でいい。親族とのあいだには埋める必要のある溝が深すぎて、どういう距離で付き合えばいいのか間合いを測るだけでもう疲れる。しなければならない努力を回避しつづけることはできないが間隙をほしいと思うのは我儘だろうか。
 瞳孔がひらいて暗所に慣れた目が健二を捉える。現代っ子らしくとがり気味のあごを寄せたひざに乗せて足首あたりで手を組む猫背のすがたはひょろりとして頼りない子どもだ。肩なんか同い年の侘助とくらべても貧層なくらいだ。掴んで引っ張れば簡単に脱臼しそうで、だがこの肩で世界の命運を背負ったのかと思うと感慨深い。巻きこんだ元凶、そして押しつけるように頼んだのは自分であるがそれを踏まえてみても立派とは言えないうすっぺらな肩だ。けれどそれは事実で現実だ。否定材料のかけらもない真実。うすい肩を前のめりに肩甲骨を浮かせるように背中をまるめる彼こそがたったひとつの救いをもっていた。
「あの」
 唐突に健二の頭がもちあがって侘助を上目遣い気味に見あげる。少ない光源を反射させた目が暗闇のなかで黒々とつややかで、観察していたのがばれたかと思って一瞬だけぎょっとした。
「あの……?」
「いや、なんでもない」
「そうですか。えっと、訊いてもいいですか?」
「ああ。なんだ?」
 わずかに首をかしげさせるのが癖になっているのだろう、小動物じみたそれはなかなかどうしてかわいらしい。二〇以上も年が離れていてば性別に関係なくかわいく映るものだ。健二にしろ夏希にしろ、侘助によっては自分の子どもであってもおかしくないほどの年齢差があるのだからなおさらだ。克彦のところにも高校生の子どもがいたが自分が覚えているのは十年前のすがただ。野球の試合中継はちょこちょこ見ていたが直接は会っていないのどういう風に育ったものやら。どうせ父親に似た性格をしているのだろう。
 こちらを見る健二の目がぱちりとはじけるようにまばたいた。
「侘助さんは、その……だれに見つけてもらってたんです?」
「あー、それはだな」
 己の名誉的に言っていいものかとあごをもちあげて考えて、「いてっ」天井に額をがつりとぶつけた。
「だっ、だいじょうぶですか?」
「なんとか」
 先ほどの健二と同じ図でじんじん痛むぶつけたところを撫でさする。自分の体格を考えずに昔と同じことをするものではなかった。思えばこうやってからだのどこかをぶつけてはその音で見つかっていたような気がしないでもない。べつに煙たがられていたわけではないけれど侘助の部屋にまで来るようなもの好きはもうひとりくらいしかいない。
 まるでいつかのように襖が横にすべる。突然射しこんだ日光に目を焼かれて「まぶし!」健二が悲鳴をあげた。侘助もまたとっさに目を覆い、しかし隙間から襖の縁をつかんでいる甥を視界に入れてにやりと笑った。
「やっぱりおまえか」
「やっぱりとはなんだ。そっちこそまたこんなところにいたのか。今度は健二くんまで連れこんで」
「気の利かねえやつだなあ。逢引だよ、逢引。なあ、健二くん」
「へっ?」
 いきなり話を振ってやれば健二はぎょっとして肩を跳ねさせた。それ以上のリアクションは期待できそうになくて侘助は押し入れで中途半端なあぐらをかいたまま理一に向きなおる。(健二をからかうためだけの)カウンターの準備はおたがい万全だ。
「侘助、冗談もほどほどにしておけ。健二くんにはぜひともうちに来てもらうんだから」
「はっ?」
「ししし、勝手なこと言ってんじゃねえよ理一。健二くんはおれとアメリカだ」
「えっ?」
 襖の陰でいまだひざを抱えた体勢のまま、健二は理一と侘助のあいだできょろきょろととまどっている。単音以外出てこないところを見ると相当混乱しているらしい。夏希との仲を冷やかしたり佳主馬を煽ってからかったりするのも楽しいがこれはこれで乙なもので。
 片方のひざを両手でかこったまま侘助はため息をついて体温が移った内側の壁にふたたび寄りかかる。納戸は佳主馬にとられたし押し入れは健二にもばれてしまったから使えそうにない。あとはもう瓦屋根の上くらいしかないがこの気温で外には出たくない。
「おれも年食ったな……」
 なにやら考えこんでしまった健二には聞こえないようにぼそりとつぶやいて、とりあえず意味ありげに微笑んでいる理一に侘助は目をすがめた。





SHELL'TERHYTHM
殻に籠もれば自分だけはまもれたんだ