赤ん坊が生まれてくる頃合いは妊娠時期さえ発覚すればだいたい予想が立てられる。十月十日で、朝。いわゆる出産だなんて迷信だと思っていたけど実際にそんなものらしく。おばあちゃんに師匠、半分聞き流してごめんなさい。
「じゃあもうすぐなんだ」
「うん」
「随分おなか目立ってたもんね。もう入院してるの?」
「それはまだ。なんか父さんが上田で産めばいいとか言い出した」
「上田でってことは、……ええっ。自宅出産っ!?」
「母さんには一蹴されてたけどね」
 ショッピングモールを飛びまわるカズマが代わりにため息をつく。我が父ながら能天気というか、あほっぽいというか。さすがは葬式にアロハシャツで来ただけはある。てゆか名古屋から来ておいてアロハって。
 カズマに付き合ってスペースをひょこひょこ動いてまわるケンジがまるで自分のことのようにうれしそうに笑う。
「でも、楽しみだね」
「うん」
「聖美さんも妹さんも元気で産まれてくれるといいなあ」
「うん」
 カズマが力強くうなずいた。夏のあの一件で流産にならなかったのは安定期にはいっていたからで、しかし油断はできない。むしろ出産時がいちばん危険だ。 ぴょん、と下の段に飛び移って、あとから下りてくるケンジを受け止める。本当にはそんな必要ないのだけれど、気分的に。
 ありがとう、と吹き出しをつくるケンジにカズマが首を左右に振った。
 普段ならセカンドアバターにスタイルを変えて買い物などをするべきところを、今回は特別にケンジがもつOZのアルバイター特権でいっしょに裏口からはいらせてもらっていた。たとえるならコンビニの冷蔵庫みたいな感じ。薄暗く見える商品がなんだか新鮮だ。
 スタッフオンリーの裏棚に本来佳主馬ははいれない。カズマにあたえられている権限はこういったところおよぶものではないためだ。それなのにこうもあっさり許可が出るあたり、なんだかんだで健二の有用性に気づいたらしいOZの管理サイドが友人の佐久間とまとめて正式雇用を考えているという噂もあながち嘘でもなさそうで。こうなれば誰が早いか徒競走もいいところ。健二の将来は本人が思っている以上に選択肢が多い。
 負けてられない、と強く思う。ただでさえ年齢がネックになっているのにこれ以上障害が増えてたまるものか。相手は一〇〇人組手のNPCではないから、油断は禁物。負けられない。佳主馬はもうおとななのだから勝たなきゃならない勝負だ(師匠ありがとう!)。
「てゆか。佳主馬くんがこういうのに興味あるって意外だな。やっぱり妹さんの?」
「そんな感じ」
「そっか」
 健二がそう思うのもむりはない。今めぐっているエリアは本屋や雑貨などではなくて家具が中心のインテリアエリアだ。先ほどまで見ていたのは床から天井までぴったりつめられるブックシェルフだが目的としてはベビー用品。専門店街には恥ずかしくて行きたくないからこういうところで、しかも健二にも付き合ってもらってるとかどんだけ情けないんだ自分。
 そもそも今さら妹のためにベビー用品を買いそろえる必要はない。探せば佳主馬のときのものがあるだろうし、ベビーベッドやベビーカーなら加奈や恭平のを譲ってもらえばいい話。ここ数年は第何次出産ラッシュだがこういうとき親族が多いのはありがたいことだ。話に聞くような子育て不安のノイローゼなんて陣内家にとってすれば都市伝説に等しい。実際にそれでこまっている人がいるのは本当だから笑い飛ばすなんてことはないけれど。
 だから今日のこれは本当に暇つぶしだ。いつもみたいに佳主馬の所有するスペースで雑談していて、たまにはショッピングモールを冷やかしにいくのも楽しいんじゃないかとどちらとなく言い出して。それでやってきた家具のエリア。裏棚ゆえに薄暗い空間をベッドやルームランプが列をつくってただよっているのはなかなかシュールだ。
「あ、二段ベッド」
 少し離れたところにある家具をひとつ指差して、ケンジがほけほけ笑う。
「ぼく、昔から二段ベッドってあこがれなんだよね」
「どうして?」
 リスの短い指が差すものを見あげたカズマが長い耳をそよがせる。そんなことしなくてもユーザーの佳主馬は全視点で見ることができるけれど。非言語コミュニケーション。人は言葉のみで会話をするわけではない。とくに日本人は身振り手振りの表現がやたら情緒的だ。OMCの試合でもアバターのユーザーが日本人かそうでないかなんて拳を交わせばすぐにわかるくらい。差別ではなく区別。外国人は外国人と呼ばれることを嫌うらしいけれど肌の色で優劣を決めるのとなにがちがうのだろう。
「えっとね」
 恥じらうよう言葉を選ぶようにケンジがおのれのアンバランスに大きい尻尾を胸に抱いてもぞもぞいじる。あの、笑わないでね? 必然的に上目遣いになるそれにカズマがうなずいた。
「二段ベッドってさ、つまり部屋にもうひとりいるってことだよね」
「まあ、だいたいは。そうなんじゃないの」
 ノートパソコンを置いた机に肘をついて頬をくるみ、もう片手でぱちぱちとレスを入力しながら佳主馬はクラスメイトの話を思い出す。話というか半分くらい愚痴で。聞いたのではなく聞こえただけだが。
 兄がいるというそいつは最近まで部屋をふたりで使っていて、部屋の中央に二段ベッドを置いてテリトリーを分けていたそうだ。それでも領域侵犯がどうだと意味がわかっているんだかいないんだかの言葉で不満を表していたがその兄が大学に通うために今年家を出たとかで、ふたりで使っていた部屋もベッドも独り占めだと自慢げだった。
 そのことについて自分の部屋をもたないやつや、自室がせまいやつなんかはうらやましげな反応を示して。自分だったらベッドを捨てるな、と佳主馬は机に突っ伏した。ベッドなんて邪魔なだけ。たしかにちょっとは欲しい気もするけれどベッドに食われる場所がもったいない。
 佳主馬の入力はそのままカズマの吹き出しになる。音も抑揚もあったものではないそれなのになぜかひどく冷えて見えて。どうでもよさげ。あわてて打ち消しの言葉を打ちはじめたところでケンジが「うん」吹き出しをつくった。小さなまるいそれがカズマのセリフにそっと寄り添う。それだけで鍵盤を這う佳主馬の手がとまる。あまりに些細な抑止力。カズマは動かない。
「でも、それってさ、寝てるときだけでもだれかいるってことだから。高校生にもなってみっともないけど、やっぱりうらやましいなと。思うわけです……」
 だんだんとケンジの吹き出しが小さくなる。アニメーション仕様の吹き出しはあまり使ったことはないけれど。そんな効果なくって健二が尻すぼみな感じに入力しているのはケンジを見ればよくわかる。自慢らしい尻尾を抱いてうつむいていればしょんぼりしているのは一目瞭然だ。アバターがユーザーの情緒を完全に反映する日もたぶん遠くない。じゃなくて。
「健二さんってベッド?」
「え? うん、そうだよ」
「ずっと?」
「うん。だから畳でふとんで寝たのは幼稚園のとき以来かな」
 話題がずれて、ケンジがやたらめったら大きい頭をかたむけた。うなずいているの見るとたまに取れるんじゃないかと思う。頭だけになったケンジをもちあげるカズマを想像したらなかなかわるくなくて。もげたらもげたで問題はない。うん、かわいい。
「佳主馬くんはふとんて感じだよね」
 モーション・ショートカット登録してあるコマンドでカズマがうなずく。そのあいだにキーボードをたたいて文字入力。
「大学行ったら家出るの?」
 我ながら脈絡がなくていっそ笑える。コンテキストが行方不明。なんだこれ。
「へ」
 ぱちくり。ケンジの目が音をたてそうな感じにまばたいた。
「い、いきなりどうしたの?」
「いいから。答えて」
「えっと、どうだろう……そろそろ志望校決めなきゃだめなんだけど、まだ考えてもなかったから」
「二段ベッドにして」
 間髪容れずに佳主馬はつづける。手強い相手に先手必勝はファイトの基本。
「ぼくが泊まりいくから」
 まるで用意してあったみたいにずらりと表示される大学の名前。数学で有名な学校の検索結果だ。佳主馬でも聞いたことがあるような東京の有名なところ、各県の国公立、アルファベットのはたぶん海外のだろう。佳主馬がわかる英語なんて一部も一部だけど。日本ならどこでもいい、海外はちょっとこまる。でも平気。だいじょうぶ。行けないことはない。だって健二が大学生になったとき佳主馬も十五歳だ。
 あわあわと焦りのモーションで時間を稼いでいる(ようにしか見えない)ケンジをカズマが抱きあげる。動作的にはもちあげるに近いニュアンス。高さを合わせて、ダメ? と首をかしげさせたけれどディスプレイとOZをはさんだ向こうにいる健二には届いただろうか。遠い距離。名古屋と東京じゃ新幹線で二時間分も離れているから、つまらない理由でいいから遊びにいく言い訳づくり。
 健二は二段ベッドがあこがれで佳主馬は健二に会いたくて。それならこれでマルだろう。





ふたりぶん、はんぶん
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