※やよゐ主催字茶で即興。アホすぎ ・湯船で首絞め 湯船にたまった湯の具合をみるために浴室へと向かうのをなんとなく追いかけて、巻き取るふたをすべてはがす健二を背後からながめる。シャツのストライプが青いうすっぺらな背中。なぞれば骨のかたちがわかるような温度の低い皮膚だ。長い袖をひじまでまくりあげて湯をかきまわす。縁にもう片手をついて、まだそれほど溜まっていないのか頭なんて風呂釜にもぐってしまっていて。小さい子どもの事故死が風呂場で起こりやすいことを思い出した。おさない妹がまちがって湯船に落ちてしまわないように実家の風呂場には柵が設けられていたのはそういうのを防ぐためで、たしかに頭が重たい赤ん坊や子どもはあやまって落ちてしまうかもしれない。 じゃあおとなは? ボウカラーのゆるやかな襟物から焼けていない白いうなじが覗く。火照るとうっすら染まることを知っているのは佳主馬だけでいいのに。 白い首に手を伸ばす。ミルク色の湯気うっすらのぼる温度がひくいそこにさわりたい。きっとひややかな温度をしているんだろう。ちゃんと生きてるか、少し不安になる健二の温度。 す、っと健二が湯船を覗いていたからだを起こす。 健二がふりかえる。それはつまり健二を見ている佳主馬を見られるということで。 とっさに佳主馬は健二の背中を突き飛ばす。もしかしたら蹴りつけたのかもしれない。とにかく健二は「うわ!」声をあげて湯船に落ちた。溜まっていた湯はそれほど飛沫をあげずに落ちた健二を受け止める。たぶん頭は打ってない、はず。 大股で湯船に寄って中を見れば健二は手足をばたつかせていて。青いストライプが湯の中でにじんでいる。生きている感じのしない健二の体温。思えばあたたかい中でたしかめたことはなくて、佳主馬は先ほどの健二と同じように風呂釜の縁に手をつくとパニック状態で暴れる健二の首に触れる。 あたたかいに湯気の中で触れた白い首はやはりつめたくて。 反射的に佳主馬は首にふれた手にちからをこめて水底にたたきつけた。 蛇口から湯は流れつづけていて水嵩は増していく。早く溜まってしまえ。でないとつめたい健二があたたまらない。肺がお湯でいっぱいになればきっとからだの芯からあったかくなるはずだ。それまでは少し苦しいかもしれないけれど。悲鳴も吐息もぜんぜんお湯に溶けていく。苦しいのだろうか。蛇口から水面に落ちるのと、底からあがってくる気泡で顔が見えない。 ふと、水中で健二が佳主馬の手に触れた。水温は体温よりも高く設定されているのにちっともあたたかくないつめたい手が手首をつかむ。 唐突にこわくなって佳主馬は両手で健二を湯船に沈める。このままあたたまらないで死んでしまったらどうしようどうしようどうしようと考えて。先日ステンレスの大鍋を買ったことをなぜか思い出した。 ・かにばりずむ? さて、なにをつくろうかな。脱衣所と浴室との段差で膝を抱えて座りながら佳主馬はずいぶんと湯が少なくなった湯船を見つめる。 最初の晩は肉がかたかったから圧力鍋でほろほろになるまで煮こんでシチューにした。野菜が少ないのを誤魔化そうとして残っていたワインをぜんぶ放りこんだからやたら赤くて味はものすごく大雑把になった。やはり野菜は常備しておかなければダメだったようだ。食べているときに舌を噛んでしまったせいかやたら血の味がした。 次の日の朝は残っていたシチューを食べて、買い物にいった。お昼は切り落とし肉をつかってちゃんぽんにした。買ってきた紅しょうがをどばっと入れたせいで白いスープはすぐに真っ赤になった。調味料をまちがえたせいで変わった味がしたが食べられないことはなかった。夜はフードプロセッサーでこまかくした肉を練ってハンバーグにした。少し多めにつくって肉詰めピーマンやら茄子ではさんだのとかをラップに包んで冷凍しておく。これでしばらくはお弁当のおかずが楽だ。 けれど佳主馬のレパートリーだけではどうしても使いきれない気がする。野菜炒めの具にしたり、煮つけにしてみたり、塩漬けにしてみたりとOZのレシピサイトなどを覗いてみてもまだまだあまっている。 とりあえず今日はシンプルにスープにしよう。具はレタスとお肉だけで。唐揚げとかは片づけがたいへんだからあまりしたくない。使い捨てができるほど油も安くないし。 いただきます、の意味を教えてくれたのはおばあちゃんだった。栄養になってくれる動植物に感謝を伝えるお祈り。だから陣内家では食事の前に手を合わせて、おばあちゃんの言葉を復唱してから箸をつけるのが決まりだった。 そ、と佳主馬は両手を合わせる。いつだったか不慣れにもうれしそうに手を合わせているのを思い出しながら。 「いただきます」 健二さん、ぼくは今日も元気です。 ・標本づくり 捕まえた虫を留めるためのピンには昔から馴染みがあった。 たしかに夏希がよりなついていたのは侘助だが翔太とだってちゃんと外に遊びにいっていた。侘助は見るままにインドア派だったから、山や川やひまわり畑に連れて行ってくれたのは翔太だった。蝉捕りなんかだれよりも上手で。だから偶然見つけたこのピンはたぶん翔太のものだ。 ぷつ、ぷつ。畳に直接寝ころんで銀色の細いピンを等間隔に刺していく。穴だらけにならないようになるべく浅く、けれどちょっとしたことでは抜けないくらい深く。 ぷつ、ぷつ。細い針をならべて刺す。ていねいにていねいに、かたちをつくる。 畳の上での昼寝は格別だ。東京の家はフローリングだからカーペットがないとからだが痛くなってしまって、冬は寒い。だからいつも藺草のにおいのするおばあちゃんの家は大好きだ。 ぷつ、ぷつ。本当ならこういうことはしてはいけないんだと知っている。けれど夏希は昔からこの虫ピンを畳に刺してみたかった。ぷつ、ぷつ。蝉が動かないようにしっかりと。蝶のきれいな翅がこわれないようにやさしく。 この部屋はいちばん風通りがいいし、角度的に直接日が照っているわけでもないから昼寝には最適だ。ぷつ、ぷつ。ざらりと撒いた虫ピンを一本一本つまんではうつ伏せに寝そべったまま畳の目に刺しこんでいく。 翔太は捕まえた蝉を籠には入れないで指のあいだにはさんでいたり、ズボンのポケットに入れたりしていた。それでも蝉は逃げたりも鳴いたりもしないで静かにしていた。 ぷつ、ぷつ。 蝉は七年間土の中にいて、地上に出て七日間だけしか生きられない。それを教えてくれたのは侘助だった。集めた蝉の抜け殻を褒めてもらおうと思って差し出した代わりにもらった真実。 捕まえられた蝉が逃げなかったのは死んでしまうことを知っていたからだろうか。 ぷつ、ぷつ。ぷつ、ぷつ。ぷつ、ぷつ。ていねいにていねいにピンを刺していく。にげないように。こわれないように。 ぷつ……これが最後の一本。少しだけピンが足りない。縫い針とか待ち針でも探してこようか。 肘でからだを支えて頬杖をつく。未完成のいびつな標本を眺める。不格好な、夏希の力作だ。夏休みの自由研究として提出したらどんな評価をもらうだろう。 ふるりと睫毛がふるえた。閉じていたまぶたがゆっくりもちあがって、まばたきを一回、二回。ぼんやりした感じ。昼寝から覚めて天井を思わず見てしまうあの感じ。わかる、わかる。 両腕を枕にぺったりと耳をつけて横を向く。得した気分になって夏希は笑う。 「おはよ。健二くん」 |