机の上でごったがえしている意図不明な物をむりやり押しのけてスペースをつくると夏希はそこに高校の近所にあるHottoMottoで買ってきたあったかいお弁当を広げる。ふだんは母のつくるお弁当を持参してきているが今日は日曜日だ。毎日の仕事疲れもあって土日だけは買い弁するよう言われていて、それならと思って選んだ五○○円の日替わり幕の内弁当。数量限定だというそれはやはり日曜日だからふつうに積んであって。 「あーあ。なんでわたし学校にいるのかしら」 「そりゃあ、先輩たちは模試だからでしょ」 ぎぃとパイプ椅子を鳴らして愚痴を言えば即座に佐久間から返事が来た。当然だ。ここは教室ではなくて物理部の部室なのだから。 せっかくの日曜日。しかし夏希は一斉模試のせいでいつものように制服を着てこうして学校にいる。ちゃんとカレンダーの通りにお休みだったなら健二を誘って秋物とかブーツとかを見にいきたかったのに。今年のトレンドはふわふわモフモフのケモファーだ。たとえばそう、ラビットファーとか。 ばき、と。ちょっとあり得ない音をたてて割り箸がふたつに割けた。先をもってゆっくり割いたところでダメなときはダメだ。ささくれがひどいそれをおたがいで擦り合わせて毛羽立った部分を落とす。 夏希の視線の先には片手でキーボードをたたきながらパックのコーヒー牛乳をがぶ飲みする佐久間の背中がある。最近気づいたのだが食べるものがパン類のときはコーヒー牛乳で、お米や麺類だったらお茶らしい。王道なのか邪道なのかちょっとわからないが、でもチョココロネを食べながらココアを飲む気持ちはさっぱりわからない。 餡がかかった肉団子を箸でつまんで夏希はため息をつく。ひとりいないだけでこれほど憂鬱になったことが今まであっただろうか。 「ねえ、佐久間くん」 「なんスか」 回転椅子の背もたれに片腕を乗せて振りかえる後輩に夏希は肉団子をつまんだ箸をそのまま向ける。餡が黒胡麻のかかったごはんに垂れて、涙箸や紅箸にもきびしかった曾祖母をふと思い出す。お行儀わるいけど、たまにはいいよね。栄おばあちゃん。 「なんで健二くん今日いないの? バイトは? まだやってるんでしょ? OZのバイト」 「あいつ、前々から上に休みの申請してたんですよ。だからあっさり通っちゃって」 「へえ。そうだったんだ」 プチトマトのへたをひねり取ってぱくり。思ったよりもすっぱくて、おまけに惹かれて買ったレモンティーで口直し。こういうの好きですか、って教えてくれた健二にはわるけれど実はリプトンのレモンティーはあまり好きじゃない。おまけは好きだけど。 「じゃあわたし、わるくないよね」 「いったいなにをやらかしたんです? 先輩」 「ちょっとね」 佐久間がおもしろそうに眼鏡をもちあげる。なんだかとってもわるい顔。でも気持ちはよくわかる。というか、今だけならたぶん同志だろう。今だけなら。 冷めて少しかたくなったごはんに箸を入れて、夏希はにっこり笑ってみせる。 「健二くん、すごいこまってたから。佳主馬の好きなもの教えてあげただけ」 やられた。 いっそ苛立ちを隠さずにいられたらいいのになぜか健二はそういうところだけは撒き散らした気配にすら敏感なので代わりに奥歯を噛みしめる。なんだってこんなところに。 土日と体育の日を追加した三連休に佳主馬は東京に遊びにきた。正しく言うならば健二に会いに。出産をひかえた母はすでに入院していて、父もそれに付き添って病院にいることが多いせいか許可はかんたんにおりた。ひとりでさみしい思いをさせている息子の我儘くらい聞いてやろうという心らしい(母談)が毎晩のように健二とチャットをしているのでべつにさみしいと思ったことはないがそれはそれだ。さすがに宿泊先は指定されたが大した問題ではなく、その篠原家からも色の好い返事(夏希に頼むとどうせ邪魔されるから母から伯母に言ってもらって正解だ)。唯一のネックは都内高校の一斉模試だったが実施されるのが一年生と三年生だけと健二から聞いて思わずガッツポーズを決めたのがおとといの晩で、東京に着いたのが昨日。 それで今日だ。どこへ行くでもなく、とりあえず健二を夏希から取りあげて時間がゆるすかぎり(本当はずっといっしょに)過ごせたらよかったのに約束の時間に待ち合わせの場所で健二に迎えられた佳主馬は有無も言わせてもらえぬままあちこち連れまわされた。電器屋、スポーツウェアショップ、キング・カズマ関連グッズ専門店(聞いてないんだけど!)、なぜかディスカウントショップなどなど。健二にしてはめずらしい、意外とも言えるくらい強引な振りまわしっぷりにさすがの佳主馬もおどろいた。 お兄さんキャラちがくない? とでも言えたらよかったのに。 東京は偏見のように思っていたどこもかしこもうるさいイメージがそのままで、人間があまりにも多い。駅を歩くだけでおぼれそうになる。人波に何度も流されそうになるのを健二に引っぱりあげられるたびにこの人は東京の生き物なのだと佳主馬はしみじみ思った。 だれかが前もって決めたようなコースをめぐって(初デートのカップルってこんな感じ?)、最終地点。とくにためらった風でもなく階数ボタンを押す健二にふっと嫌な予感を抱いて乗ったエレベーターのドアが開いた瞬間目に飛びこんできた内装に佳主馬はくらりとした。なに、これ。 暗いような明るいような赤みのある間接照明。白いクロスのかかったテーブルとホテルのロビーなんかに置いてありそうなソファ。カーペットの床。そしてあまりにも圧倒的すぎる女性人口。ちゃらちゃらしたような人間ではまちがってでもはいれないような。 佳主馬がエレベーターから一歩出たところで絶句しているあいだに健二はきちんとしたモノクロの制服を着ている女性に何事か伝えて名前を確認されて(なんで予約してあるの!?)、あきらかに場ちがいなナイロンの財布からチケットみたいなものを取り出して提示。笑顔で受け取った女性はそれをホルダーにはさむとていねいな動作でテーブルへと誘導。健二にうながされてソファに座る。窓際の四人掛け。状況的に今ここ。 お冷や取ってくるね、と。早々テーブルに置いてきぼりされた佳主馬は四方八方から向けられている視線と密やかな話声をシャットアウトしようとまだ真新しいケータイを操作する。ディスプレイには多少のデフォルメが加えられた最強の相棒が所在なげにたたずんでいて、今すぐにでも仕事をさせてやりたかったが宛先の主はたぶんテストの真っ最中。夏希のことだ、電源を切るなりマナーモードにして鞄に放りこむなりしているだろうからメールを送ったところで完全に負け犬の遠吠えだ。ちくしょうめ。 つま先のよごれたスニーカーでやわらかそうなカーペットを踏んで健二がグラスを両手にもどってきたのに気がついて、佳主馬はケータイのフリップをたたんでパーカーのポケットに押しこむ。向かいのソファに座りこむタイミングを狙って間抜けな顔をにらみつけた。 「なんで?」 「え?」 「なんでここに来たの? 意味わかんないだけど」 「あれ。佳主馬くん、嫌だった?」 ぱちぱちとまたたいて、健二が首をかしげる。ものすごく意外そうに。あれ、なんて。まるで記憶ちがいでもしていたみたいに。 「夏希先輩に聞いたんだけどなあ。佳主馬くんは甘いもの好きだから、こういうところ連れてきてあげたらよろこぶって」 だから先輩わざわざチケットゆずってくれたのに。からからと氷の浮かんだグラスをまわして口をつけながらそんなことを言う健二を条件反射で殴りつけたくなって、でも相手は健二でいくらなんでも翔太ではないから拳をぎゅっとにぎってとりあえず我慢。たしかに甘いものは好きだけど。好きだけど! そう言ってやりたい気持ちを精いっぱい呑みこむ。この人本当に意味がわからない。現実を正視していくら佳主馬が中学生だからってふつう男ふたりでケーキバイキングとかなにを考えているんだろう。夏希の冗談三割悪意六割真実一割の助言をそのまま鵜呑みにするだろうか、一応はちゃんと常識人の健二が(なにをもって常識とするかなんて知らないけど)。そこまで考えがたどりついて佳主馬は顔をあげる。そう言えば、なんでだ。 「お兄さん、ちょっと」 「ん? なに。佳主馬くん」 いつまでもテーブルを立とうとしないのを急かしにきたのか、それとも善意で気を利かせたのか先ほどの女性が運んできた皿とフォークを受け取っていた健二が首をめぐらせてこちらに向きなおる。ぐりん。梟ってこんな感じなんだっけ。そういう方向に思考が飛ぶあたり佳主馬も本音ではまんざらでもないらしい。要は佳主馬と出かけるのに他人の要素が混ざっているのが気に入らないだけであって。白いテーブルクロスの上に両腕を置いて佳主馬は健二に少しだけつめ寄る。 「いくら夏希姉にタダ券もらったからってふつうにここ来ようとか思ったわけ?」 「うーん……先輩がチケットくれなくてもここには来てもいいなあと思ってたけど」 「…………なんで」 健二はきょとりとして「だって」白い皿と柄の長いフォークをきちんとそろえて佳主馬に差し出して、ちょっとだけ照れたみたいに笑った。 「ここ、佐久間と何回か来てるんだよね」 くあ、と欠伸を噛み殺す。昼飯を食べ終えた夏希はものすごく嫌そうな顔で模試へと戻っていった。午後は数学と日本史が待っているらしい。受験生はたいへんだ。 かたかたと保守点検と書き換えを行いながら佐久間はズボンのポケットで存在を主張しはじめたiPhoneを引っぱり出した。画面を見てみれば使い慣れたアバターが白い封筒といっしょにくるくるまわっているのを操作してメールをひらかせる。 『なんか佳主馬くん、不機嫌そうにケーキ食べてるんだけど。おれまずった?』 ある意味でどこか予想していた健二からのヘルプメールがものすごくおもしろい。同時に、今晩はOZにインするのはやめておこうと思う。なんだか格技場に引きずりこまれてぼこぼこにされそうだ。くつくつ笑いながら佐久間は親指でタッチパネルをたたいていく。 『いくらキングでも中学生なんてそんなもんだろ』 毒にも薬にもならない返事に健二の眉が下がるのが見てもいないのにわかる。 くわばら、くわばら。そう唱えながら佐久間はメールをアバターにあずけた。送信。
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