なにをやっているのか。どこへともなく駆け抜けながらカズマは自問する。とにかく遠くまで走ることを選択して、同時に自問について自身がすでにただの0と1で構築された図象でないことが提示される。自問、なんて。ユーザーのアバターではない個としてのカズマがあることの証拠だ。しかしいまは個の在処なんてどうでもいい。結果に至った過程の検索。0と1であるカズマには過程が必要だ。
 事態のはじまりをログから呼び出す。
 ユーザーがオフラインになってすぐオートウォークに設定されたカズマはケンジを探すために固有のスペースから飛び出した。アドレスとパスワードは伝えてあるが所有者がオフラインになっているときの使用はできない。なによりこの時間はエアポケットができやすいのでたまには外の共有スペースで接触を推奨する検索結果が出た。ユーザーの履歴にもショッピングモールや遊戯場、カジノステージをオンラインのケンジと移動したログがあったからまちがいではない。
 オフライン状態にあるアバターの座標検索はできないためにケンジを探して共有スペースを移動する。そこかしこのオンライン・アバターからカズマにおどろく声があがるがカズマにレスポンスの義務はないし、できない。アバターにユーザーの言葉はわからない。オフラインのアバターは静かだ。信号で挨拶は飛ばしてくるがその程度だ。背景テクスチャかなにかのように基礎ルーチンをくりかえす。これがふつうで、以前までもカズマはユーザーの固有スペースで棒立ちしていた。だからカズマがおかしいのだ。あの一件からこちら、みんなおかしいのだ。
 ケンジは数学コミュニティの近くで空中に数字を指で書き連ねていた。235711131719……まだ数の少ないそれはケンジのユーザーがオフラインになって間もないことを示している。232931374143……ワールドクロックが時間をきざむように数字は増えていく。ケンジがああして数字を書くのはめずらしいことではない。内容は今日のように素数だったり、円周率だったり、累乗だったりとざまさまだ。カズマがそれをそうとわかるのは0と1でできているアバターだからにほかならない。
 そろそろカズマからの信号が届く距離に近づいて、ケンジの短い手が顔の高さに101を書いたところでその数字がべしゃりと茶色いものがへばりついた。つづけざまに地面にもなにかがたたきつけられて飛沫が飛び散る。
「!」
 おどろいたケンジが飛びあがった。大きな尻尾がぴんと根本から上向いて、見たままに焦りを感じさせるモーションでわたわたとあたりを見まわす。同様にカズマも目を細めて周囲を見やれば、数学コミュニティよりも少し高いところに浮いているスレッドて腹をかかえて笑い転げているアバターが複数いた。スレッドの書きこみは瞬く間にもくもくと育っていく。一瞥でケンジの中傷スレッドのひとつとわかってカズマの釣り目がさらに釣りあがる。もちろんカズマはそのように目もとの0と1を動かしてはいない。手足のように表情が動くなんて最近までユーザーの入力履歴にもなかったのに。 もう一度ケンジを見ればどんぐりがプリントされた白いTシャツにも泥が撥ねていた。
 スレッドにたむろしていたアバターが泥だんごらしきものをまるめはじめる。おもしろがったユーザーによる怒濤の勢いで書きこみ。ケンジは気づかない。入射角から逆算すればわかりそうなものだが高低関係的に見えないようだ。
 アバターが泥だんごを振りかぶった。狙え狙えと書きこみがはやす。ケンジがふっと頭をもちあげて。
 次の瞬間、カズマは近くの浮遊物を力強く踏みつけた。ぐ、と膝をバネに一足跳び。カズマの登場にすぐさま周囲が沸騰するが視界が書きこみで埋まる前にケンジの首根っこをつかまえる。
!?
 ぎょっとして目を見開いてもがくケンジを一時的に無視して小脇に抱えなおし、それでも投げつけられた泥だんごをもう片手でたたき落とす。白い体毛のテクスチャがべったりとよごれた腕を掲げたままカズマは中傷スレッドをにらみあげる。
 なにがどうであるかなど、ログを遡らずともあきらかだ。まわりのアバターすべてが事態を注視していたのだから。
 ふいとカズマはスレッドから目をそらす。もちろん判例に倣っただけだ。抱えあげられたケンジがそれなりに落ち着いて、しかしとまどっているのを伝えてきたのでカズマはふたたび下肢に力をこめると高く跳びあがった。状況からの離脱。その際に中傷スレッドを蹴りつけたのはなぜか。
 そして現在の自問にもどる。
 よごれてしまった白い体毛を気にしてかケンジがぱしぱしと腕をたたいてくるもこんなものユーザーがオンラインになればログを遡ってからちゃんと消してくれる。それはケンジのTシャツの染みも同じだことだ。わかっている。破損したデータはすぐさま修正されるものだ。
 ならば。なぜカズマはケンジを助けたのか。検索。前に助けられたから。なぜスレッドをにらみつけたのか。検索。ひどく不愉快だったから。ではなぜ不愉快だったのか。検索。……該当データなし。
 走りカズマのまわりには疑問符が浮かんでは弾けた。がたがたした落書きのような線路を飛び越えてカズマはさらに自問する。そもそも。
 そもそも。なぜカズマはケンジを探したのか。
 小脇にはさまれたままのケンジが心配そうにカズマを見あげていることになど気づかずに、自ら問うていることから逃げるようにカズマはひたすらどこかに走った。





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