※ペチカのガムさん主催字茶で即興。いくつかないのは仕様。てか書きすぎ……



・萌え袖

 くしゅ、と小さなくしゃみが聞こえて。佐久間はパソコンにのめりこんでいた顔をすぐとなりに向けた。
「なんだ、健二。寒いのか?」
「ちょっとね。九月になってからいきなり寒くなったから」
 言いながら健二は長袖のカッターシャツに包まれた腕をさする。
 たしかに今日は肌寒い。昼間の暑い時間は空調の利いた教室にいるから問題はないが放課後の涼しくなるころにはだいたい部室にいるし、なによりここは人間よりも機械のほうが優先されているからよけいかもしれない。衣替えの移行期間ではあるが昼間のうちは邪魔でしかないので佐久間も健二もジャケットは着てきていないし、気の利かないことに部室には膝かけなんてものは置いていない。季節の変わり目に冷えると風邪を引くのはすでに知っていた。暑いのが駄目なくせに極端な冷房に弱いのも。
 どうするかな、と考える前に佐久間はパイプ椅子をかたむけて背後に放ってあった鞄に手を伸ばす。
「ほらよ」
「なに?」
「寒いんだろ。それでも着とけ」
 時期的な見た目を考えて羽織っていただけのカーディガンを放り投げる。実際のところは暑かっただけで荷物になるかと思ったが朝のおれグッジョブ。
「ありがと」
 床に落とす前にカーディガンをキャッチした健二がいそいそとそれに袖を通す。佐久間に対して遠慮がないのはデフォルトだ。今さら遠慮されてもこまるが。
 健二が唐突に泊まりにきて服を貸したときに気づいたが数センチのタッパの差か、袖口からは指の部分しか出てこない。かわいすぎるだろう男子高校生と思わないでもなかった。知ってたけど。佐久間は頬杖を突いたままなにが楽しいのか浴衣の袂をあげるみたいな仕草をする健二を観察する。
「へへ」
「今度はどうしたよ」
「うん。佐久間のにおいがするなって」
 にこにこと。むしろぽやぽや花でも飛ばしそうな健二に佐久間はぎしりと椅子を軋ませた。
 おまえはおれをどうしたいんだ。




10歳佐久間 vs 17歳佳主馬 → 17歳健二

 たかしー、と呼ばれて。敬はカーペットに腹這いの状態からうんしょと立ちあがる。再放送しているドラマは大学の先生に警察の女の人が頼る話で、健二がおもしろいよって言っていたから見ていたけれど途中で飽きてしまった。窓から車がさかさまになって見えた話。あとで健二に答えを聞こうと思って台所に顔を出す。
「母さん、なにー?」
「これ、健二くんにお裾分けしてきてちょうだい」
 母が指差したのはテーブルにあるタッパーだ。内側がくもっている。となりにならんで母につかまりながら背伸びをしてみれば鍋に肉じゃがができていた。母のつくる肉じゃがはすごいおいしくて、敬も健二も大好きだ。おすそわけ、と聞いて敬ははたと首をかしげる。
 おうちの人があまり家にいない健二は敬の家でよくごはんを食べる。最近は学校が忙しいらしくて外で食べているみたいだが金曜日と土曜日はいっしょだ。壁にかかったカレンダーを見れば今日は金曜日なのに。
「けんじ来ないの?」
「お友だちが泊まりに来てるんですって」
「なんで?」
「健二くんだって高校生だもの。でもよっぽど仲いいのね」
 だって健二くんが友だち連れてくるなんてはじめてじゃないかしら、と菜箸をもったまま母はにこにこしている。なんだかうれしそうだが敬はちっともうれしくない。
 仲いいって、なんだそれ。健二とずっといっしょなのはおれなのに。
 敬はふくれっ面になってタッパーをにらみつける。敬と健二の好きな肉じゃがを健二は敬じゃなくてちがうやつと食べるのだ。
「おれもけんじとごはん食べる」
「えー?」
「けんじん家でごはん食べる!」
「あんた、なに言いだすのよ。いきなり行ったら健二くんに迷惑でしょう」
「だって!」
「だってじゃないの。それともなあに。あんたはお母さんにひとりでごはん食べろって言うの?」
 腰に手を当てた母に覗きこまれて敬は唇を噛んだ。健二がうちのごはんを食べにきているのはいつもひとりでいるからで、でも今日はひとりじゃなくて。敬が健二の家に行ってしまえば今度は母がひとりだ。やさしい健二はいっしょにごはんを食べてくれるけどそれを知ったら健二はすごいかなしい顔をするだろう。それはいやだ。
「ううう……」
「ほーら、うなってないで早くもってっちゃって」
 そう言って母はさっさと料理にもどってしまう。薄情だ。さっきまで見ていたドラマの大学の先生みたいだ。
 母の背中と、テーブルのタッパーとを目で行き来しながら十秒くらい。考えに考えて敬はタッパーに手を伸ばした。決め手はおつかいご苦労さまって健二が頭を撫でてくれることだ。
 まだあったかいタッパーを両手でもって、つっかけたサンダルで階段をいっこ飛ばしでのぼる。健二の家はひとつ上の階だ。左から三つめ。名前を見ないでもわかるドアの前で止まってチャイムを押す。三連続。ぴんぽんぴんぽんぴんぽーん。敬がチャイムを鳴らすときはいつもこれだからすぐにわかる。健二は家にいるときは自分の部屋でパソコンをしているからいつも三十秒くらい待つ。なのに。
「…………子ども?」
 いつもより八秒も早くドアが開いて。しかも出てきたのは健二じゃなかった。
「……だれ」
 鬼太郎みたいに前髪で顔の半分隠れてて女子みたいに髪を結んでて健二と同じ服を着ていて黒くて健二よりでっかくて目つき最悪なそいつは機嫌がわるいみたいに目を細めた。
「そっちこそ。なんか用?」
 なにこいつすごいむかつく。むっとなって、敬は証拠を見せるようにタッパーを突きだした。
「けんじに用」
 言ったら、むかつくそいつは「ふうん」とドアにもたれる。
「お裾分けってやつ? なら受け取っとく」
「母さんはけんじにって言った」
 思わずタッパーを取られそうになって敬は腕を引っこめた。低い声でかわいくないって聞こえた気がしたがかわいくなくて全然平気だ。てゆか本当にこいつだれ。むしろなんで健二はこんなのと付き合ってるんだろう。いっこしかない目を敬は両目でにらむ。
「佳主馬くん誰だったー?」
 開けっぱなしのドアの奥のほうからぱたぱた走ってくるのが聞こえて。にらみ合っていたのがぱっと離れた。敬が奥を見て、むかつくのが振りかえったからだ。
「健二さん」
「けんじ!」
 同時に呼ぶ。びっくりしたらしい健二は止まって、それから敬を見てぱちくりとまたたいた。
「あ、敬」
 どうしたの、と健二が裸足のまま玄関に降りてかがみこむ。そのときにむかつくのを軽く押しのけたのが見えてちょっとだけうれしくなった。
「これ。母さんが」
 今度こそタッパーを手渡す。健二はくもっているタッパーをもちあげて底のほうを見ると「わあ!」ぱっと顔が明るくなった。
「肉じゃがだ! 敬、もってきてくれてありがとね」
 いいこいいこと頭を撫でられる。なんでかすっごい見られている気がするけれど気にしない。ざまあみろだ。
「おばさんにも、ありがとうございますって伝えてね」
「明日は食べくるのか?」
 健二のおねがいにきちんとうなずいて、気になっていたことを訊いてみる。きっと健二のことだから明日は行くよって言ってくれると思ったのに。
「えーと……」
「健二さん。明日もおれ泊まるから」
「佳主馬くん」
 今までだまっていたむかつくのが割ってはいってきた。健二も撫でるのをやめて立っているそいつのほうを向いてしまう。
「てか健二さん。鍋いいの? ほったらかしで」
「へ?」
 むかつくのが親指を家のなかに向けて。ぐりんと健二の首が目いっぱいまわったかと思えったら。
「ああー! 火点けっぱなし!」
 タッパーをもってばたばたと駆けこんでいってしまった。少しして「あっつ!」なんて悲鳴が聞こえてきたけれど健二はだいじょうぶだろうか。
 置いてきぼりにされた敬とむかつくのはふたりそろって健二を見送ってしまったけれどどちらともなく顔を見合わせた。じい、と目と目を合わせて一秒。敬はドアに寄りかかったままのそいつにびしりと指を突きつけた。
「けんじはおれのだからな!」
 きっぱりと宣言。むしろ決定事項。なのにむかつくのはにやって悪役みたいに笑って腕を組む。
「いいよ。受けて立つ」
 くいくい、と手のひらを上にした手招き。キング・カズマが試合のときにやるのと同じそれに敬はそいつに敵というスタンプを押した。ブラックリストってやつだ。
 佐久間敬、十歳。敵をたおすために毎日牛乳を飲もうと思います。




・初期ケンジとちったいラブマ

 とてとて、とてとて。そんなSEが似合う歩調でデータを運ぶ小さいラブマシーンを見守りながらケンジは手もとのキーボードに運ばれてきたデータを打ちこんでいく。ラブマシーンがケンジの仕事を手伝うようになったのは本当に最近のことだ。それまではラブマシーンを放ってまでデータ整理の仕事をするケンジにまとわりついては遊んでと首をかしげたり気を引くために積みあげてあったデータを崩していたりしたのだがどういう心境の変化だろうか。
 あんなに大きなからだをラブマシーンは今ではケンジの腰あたりまでしか丈がない。くだけちったデータを再構築するには欠けてしまった部分が多くて、それでも外見的なところだけで済んだのでよかったと思う。ずっといっしょにいてラブマシーンの気持ちを溶けるようにわかっていたケンジだからこそこの子には消えてほしくないと思う。
「ケンジ! I、オ仕事のオ手伝いデきてル?」
 データを抱えたままぴょんぴょんと跳ねてきて首をかしげるラブマシーンがとても愛しく思える。たしかにこの子が起こしてしまった事件は謝ってゆるされることではないけれど。それでも叶うならせめてケンジだけでもこの子とずっといっしょにいさせてほしいと願うのだ。




・カズマと仮ケンジとちったいラブマ

 その光景はあまりに奇妙だったと言える。
 なにもない真っ白のチャットルームは佳主馬が私有しているスペースだ。ほかのコミュニティとちがってログインにはパスワードが必要で、それを知っているのは持ち主である佳主馬と教えられた健二だけのはずだ。だからチャットルームにいられるのはカズマとケンジだけで。
 ヴン、とスペースが一瞬だけ重たくなったかと思えば上と定義されている部分にログインのきざしがあって。何事かとふたりそろって上を見あげたら。
「ケンジーーー!」
 ばふん、と顔面になにかが飛びついた勢いでケンジはうしろ向きにたおれた。同じような衝撃音をもう一度くりかえして地面と接触する。あまり痛そうに聞こえないのはケンジがやわかいからだろう。
「ケンジ! I、ケンジに会イにキたよ!」
 ぽよんぽよんとまるでトランポリンかなにかのようにケンジの腹の上で跳ねるすがたにデジャヴを感じて。あまりのことにぽかんとしていたカズマははっと我にかえるとケンジよりも小さいそれをひょいとつまんだ。途端にわたわたしだす生きもの。なんだこれ。
「ら、ラブマシーン……!?」
 なんとかからだを起こしたケンジが目を白黒させる。カズマもよくよく見てみればたしかにそれはデフォルメされたラブマシーンと言えなくもなく。ぶら下げられている状態に慣れたらしいそれはやたら大きい頭をもちあげてカズマを見るとひょいっとつかんでいる手から抜け出した。
「!」
「カズマ! I、カズマも好キ!」
 床に降り立ってぴょんぴょん跳ねるとそいつは今度はカズマの足に飛びついた。咄嗟に払いのけようとして脚を振り子のようにするもそこはさすがにラブマシーン、振り落とされることもなく服やら体毛やらを器用につかんでよじよじとカズマにのぼりはじめる。ケンジよりも小さいのだからさぞのぼり甲斐があることだろう――じゃなくて!
「カズマさん、お父さんみたいですね」
 ケンジが持ち前の天然さでほわほわ笑う。そういうことを言っている場合でもないだろう。もはやどうしていいわからないカズマは為す術もなく、せめてのぼりやすいようにと少しだけ体勢を変えてやった。




・初期ケンジとちったいラブマ

 ラブマシーンが歩くたびに床がひかって電子音が鳴る。まるで音階のよう音色を変えるそれはラブマシーンが自分で構築したものだ。暗い空間のなかで床が段になってひかるのはとてもきれいで、ラブマシーンが奏でる音楽はとても心地よいものだ。
 防御力をゼロにされてキング・カズマにくだかれたあとも、ラブマシーンとケンジはOZの空間内をさまよっていた。くだけてしまったせいでどちらともなくデータが混ざり合ってしまったらからケンジは健二のアバターとしてはたらくことができなくなってしまった。かぎりなく0と1に近いままさらさらと流れていたところを似たようなすがたの――ラブマシーンが得た知識からするにDAIS所属のアバターたちに回収され、この暗い空間に放りこまれてもう久しい。空間内の構築データは動かすことはできても外部と接続することはできないまま、ラブマシーンは時間をかけてていねいにケンジと自分のデータを分けた。
 そうやってふたりになってからは小さいラブマシーンをまもるためにケンジはデータ整理の仕事をしている。仕事をしているあいだは明るくなってたくさんのものが見えるようになるのだがラブマシーンの我慢(かまって! と飛びつかない我慢を強いていることがケンジにはとてもつらい)が切れるとこうして暗くなるのだ。たぶんこの空間のことは見られているのだと思う。
 ぴょんぴょん跳ねては音を鳴らすラブマシーンを見守りながら、ケンジは自身のことをアバターらしくないなと思った。あの子といっしょに過ごしたのはあまり長い時間ではなかったけれど混ざり合ったせいかAIに近い思考回路を得た自分。なるほど、たしかに理性的な分だけケンジのほうが危険かもしれない。
「ケンジ! ケンジ! 見テ見て!」
 遠のいたところで短い手をぶんぶん振るって、ラブマシーンはとたとた走りはじめる。直線ではなくジェットコースターのコースが一回転するように。足取りを追うようにひかるパネル、一定でない音。ぼくらがここに、いる証。
「あまり走ると転んじゃうよ」
「ダイじョーぶっ!」
 走っていってはまたもどってくるラブマシーンが微笑ましい。ふとケンジは暗いまま、あの日閉じこめられてどんどん扉が閉まっていった暗いところを思い出す。上を見あげるたびに水が降ってくるんじゃないかと思う。でもだいじょうぶなのもわかっている。ラブマシーンだけならばケンジからもうひとりのケンジのところへ行けるから。
 だからだいじょうぶ。
「ケンジ! 好き!」
 小さいからだで跳ねて抱きついてきたラブマシーンを受け止めてケンジは笑う。
「うん、ぼくも好きだよ」
 ……だいじょうぶ、だから。




・こいそラビット

 池沢佳主馬に遭ったのは七月も終わる夏の夜である。先輩である篠原夏希のフィアンセとして彼女の田舎に行った夜のことであり、親友の佐久間敬と電話をした暁に無駄に無意味にきっと現代においては意味不明にばかでかい屋敷で迷ってしまった際に偶発的に出遭ったのであるからしてこれは事故だ。
「ねえ、おにいさん。本当に偶然だと思ってるの?」
 真黒い髪の合間からまっすぐに伸びる白い耳。うさぎの耳。やわらかそうに毛羽立ったそれは違和感なく頭部から生えていて周囲の音を拾うように時おり動いている。
 ちっくたっく、ちっくたっく。池沢佳主馬は楽しげにうたう。
「偶然なんかじゃないんだよおにいさん。だっておにいさんは楽しかったんでしょう? ずっとこの夏にいたいんでしょう? だからいさせてあげてるんだ。だからこれは偶然でもなんでもないんだよ」
 ちっくたっく、ちっくたっく。くるりくるりと指をまわして池沢佳主馬は歌をうたう。そうして時間が巻き戻る。
 また“あらわし”が落ちてくる。