遠くから名前を呼ばれた気がして、佳主馬は反射的にふりかえった。両手には縁がちょっとだけ欠けた朝顔の鉢。あらまし落下の衝撃波で朝顔の鉢は軒並みたおれてしまって、そのほとんどが無惨にも割れたり花がちぎれたりしていたが無事だったものを集めて大おばあちゃんの遺影をかざろうということになり(そのほうがきっと大ばあちゃんもよろこぶだろうから)、まだ見た目のいい側の濡れ縁に運んでいたところだ。半壊した屋敷はそれなりに歩きにくい。 「佳主馬。呼ばれているよ」 さっきまでどこぞにか電話をかけまくっていた理一がひょっこりと顔を出す。たぶん、一族でいちばん謎な男だ。得体が知れないと言うか。それでもきっちり役立たず組に放りこまれているあたり陣内の人間なのだが。 「佳主馬?」 「聞いてる。呼んでるって、だれが?」 予想としては母。内容はたぶん着替え。けれど今は着替えどころじゃなくてとにかく屋敷を片づけることとお葬式の準備に奔走している。真吾たちですら朝顔を運ぶ手伝いをさせられていた。 しかし、佳主馬の予想をさらに予測していたらしい理一は首を左右に振るう。 「いや、あの声は夏希だ」 「……なんで」 佳主馬はわかりやすく眉をしかめた。 このいそがしいなか、夏希は片づけを免除されていた。頭を酷使したためにオーバーヒートしてしまった健二の付き添いだ。すっかりウチの男(=ロクデナシ)としてあつかわれ出した彼だがさすがに可哀想だし、功労者でもあるので優先的に休ませている。代わりにはたらかされまくっているのが翔太だがあれもまた健二ががんばらざるを得ない状況をつくった原因なのでせいぜいはたらけばいい。 ぼくだってがんばったのに、と思わないでもない。だがいちばんがんばったはやっぱり健二だし、健二に付き添うなら佳主馬よりも夏希のほうが妥当だ。うん、それはわかる。でも不満だ。だって佳主馬もがんばった。 「夏希姉がぼくになんの用?」 「さあな。そこまでは知らない」 ほら、行ってこい。廊下まで出てきた理一に鉢を取りあげられて、佳主馬は渋々踵をかえした。夏希がいるのはたぶん健二に宛てられたいちばん風通しのいい部屋だ。イコール的な図式がちょっと気に入らない。なんでそんなワンセットみたいな。縁側には瓦礫やらなにやらが散らばってあぶないから室内の襖を片っ端から開けて最短距離で。さすがに部屋にはいるのに壁をこわしたら健二にわるいので庭に面したほうからにしようと思っていたら。 「あ、佳主馬。こっちこっち」 四つん這いになって廊下に出てきた夏希に手招きされる。健二の部屋ではない。わずかに首をかしげなら進めばその体勢のまま彼女は室内に引っこんだ。 「今呼びにいこうと思ってたの。あ、ここ座って」 ぱたぱたと畳をたたく夏希を立ったまま見おろして、心のどこかでとなりを気にしながら佳主馬は口をひらく。 「なにしてんの」 「栄おばあちゃんの、お誕生会の準備」 見ればわかる、とは言わなかった。畳の上にはよくわからない被り物やら浮かれた三角帽子やらきらきらした飾りがばらまかれていてそれはもう一目瞭然だ。わざわざ東京からもってきたらしい。あきれているのを隠さないまま佳主馬はとなりとここを遮る襖にちらりと目を向けた。気になるだから仕方ないじゃないかと自分にでもなく言い訳。 「……あのひとは?」 「あのひと? あ、健二くん? 健二くんなら今電話中。お母さんと」 「おかあさん?」 なんだかものすごい意外な単語だ。 「そう。お母さん。やっとつながったんだって」 「ふうん」 健二にはわるいが連絡する気あったんだ、といった感じだ。その場にいなかったからくわしくは知らないけれど家庭環境はよくないようだし、でも高校生だから自己責任で放任なのかと思っていたがそんなことなかったようだ。ふつうに意外。いくら稼いでいたって年齢的にはまだまだ子どもな佳主馬にとって高校生な夏希や健二はおとなに思えていたから、余計に(でもあくまで年齢だけ。だってすごい情けないところ見ちゃったし)(見られもしたけど)。 「で? なんか用?」 「あ、そうだった」 忘れてましたと言わんばかりに手をたたいて、夏希。 「これとこれと、これとこれ! 祐平たちに渡してきて。あとそっちの紙袋は、えーと、だれがいいかなあ……じゃあ典子おばさんに!」 言いながら指で示されたものをいっしょに目で追いかけて佳主馬はうなずいた。嵩張るだけで大して重そうでもない。それがどう見えたのか夏希は心配げな顔になる。 「大丈夫? もてそう?」 あまりに心外な言葉に佳主馬はむっとして眉をしかめた。 「平気。ばかにしないで」 「えー。してないよ」 「そうは聞こえないし。てゆうか、そっちの」 佳主馬は夏希の背中に隠れるように倒れているやたら重そうな紙袋を指さす。 「そっちのはいいわけ?」 「これ? うん、これはいいの」 ずりりと紙袋をわずかに引きずって、なぜか夏希は照れが混ざったみたいな笑みを浮かべた。あ、すごいヤな予感。 「これね、かなり思いから健二くんに運んでもらおうと思って」 「おにいさんに?」 無理だろ。 しかし夏希はさも当然といった風にうなずく。 「うん。だって健二くんあれでも力あるし。こーんな大きさのパソコンだってひとりで運べちゃうんだから。すごくない?」 「ああ、そう」 佳主馬はうんざりと相づちを打つ。示された大きさからしてラップトップだろう。あれが運べるならたしかに力持ちかもしれない。佳主馬にはがんばってもデスクトップくらいしかもてない。でもそれは体格の問題できっと時間が解決してくれる。だからそれはいい。今はそこじゃない。佳主馬がうんざりというかムカついたのは夏希のほうが健二のことを知っているってことでって今なに考えてた自分。いくらなんでもキモくないかそりゃ健二とは今後仲良くしてもいいかなって思ったけど! 「佳主馬ー?」 「なんでもない」 いつもの癖でぶっきらぼうにかえして、佳主馬は被り物や三角帽子をいっしょに運ぶ紙袋に放りこむ。さったと行って納戸のほうを片づけよう。奥まったところに位置しているとは言え上のほうのものが落っこちている気がする。 とくに力をこめずに紙袋をもちあげて、佳主馬は部屋を出た。よろしくねー、と言う夏希は無視だ。今はここを離れたい。てゆか頭を冷やしたい。だってそんなまるで―― 「夏希先輩、お待たせしました」 「健二くん」 静かに開いた襖の音、気弱そうな声になぜだか頭に血がのぼって。佳主馬は板張りの廊下を踏み鳴らす勢いで駆け出した(断じて逃げてなんかない!)。
だってアナタのことなんか知らない |