それを見つけたのは本当にただの偶然だった。
 まっしろいミルクパン。外装も把手も白くて内側と縁だけがとっぷり暮れた紺の夜色の片手なべ。次いで浮かびあがったヴィジョンに思わずそれを手に取っていた。あかるい昼間のフリーマーケット。平素ならそんなところには一歩たりとも寄りつかない好んでいくのはオカマとバカ鮫くらいなそんな空間に足を踏み入れて雑踏と人の気配のなかで見つけたキチネットの住人はステンレスのそれが最もポピュラーで使い勝手いいことを話のなかでは知っていて(だって王子だし。王子がキチネットにいるとかそれって料理人どもへの侮辱じゃん)。だけどそのやわらかな見た目のミルクパンはミルクをあたためてつくるやわらかな飲み物をつくるのにとても適して見えた。
 紅茶でもコーヒーでも、ついでに茶菓子のチョイスに関してはルッスーリアに敵う者はまずいない。目利きはできてもヴァリアーの幹部全員の好みなんか知ったこっちゃないのと、味の良し悪しを気にしないのとで半々ずつ。だからそういう嗜好品を常に談話室に湛えておくのはルッスーリアの仕事で(むしろ好きでやっていることだ。それでも礼を言うとよろこぶ)、なんとなく足を向けた先でよくわからない土産を買ってくるのがスクアーロだ。育ちは最悪だし救えないバカだがあれでいて頭はわるくないし空気は読めなくても感触はわかっているので土産の選択をはずしたことはあまりない男だった。バカのくせに。まあそのあたりはボスあたりに仕込まれたのだろうと思って努めて納得してつつかない。そういうものだと思っておく。
 新聞紙でおざなりに包まれたミルクパンの柄をもってぶらぶらさせながら露天のマーケットをぶらぶら歩く。やわらかな彩色のなべはきっとあの冷たい色をした銀の鮫によく似合うことだろう。なんだかんだと言いながら世話焼きで子どもの面倒をみるのに長けた性質。それはやっぱり(直接口に出したら確実にかっ消されるけど)ボスのせいもあるんだろう、あの人は自分からみても中途半端だ。自分みたいに貫き通せたら楽なのに。わかっていて教えてやらないんだかそうじゃないんだかよくわからないバカ鮫はやっぱり真正のマゾヒストだ。ぜったいに。
 スクアーロの部屋に備えつけられた小さなキチネットにはぼこぼこになったミルクパンがフックに吊るされているのを知っている。それがいつからあって、なんのためにあるのかも知っている。ボスのいなかった八年間よりも前からあるもので、あれを買ってきたのはスクアーロ自身。塗装も禿げて底は焦げてぼこぼこになった傷だらけのミルクパン。古いしきたないし不格好だけど、自分はあのなべであたためられてつくられらやわらかな飲み物が好きだ。でもあのミルクパンはやっぱり古くてきたなくてもうぼろぼろだったから。外装も把手も白くて内側と縁だけがとっぷり暮れた紺の夜色の片手なべ。きっとこれであたためてつくられた飲み物もやわらかで、それをあたためてつくるスクアーロもやわらかく見えるだろう。
 自分のために用意されたマグカップになみなみ注がれてゆらゆらのぼるうすい白の湯気越しにあまいにおいと味をふわふわした温度を手のひらで「火傷すんなよぉ」といちいち添えられる声を聞いて五官で五感を知覚して傲慢を張りつけた顔で獰猛に笑うスクアーロがやわらかく見える、ベルフェゴールはその瞬間が好きだった。





やさしさの名前