夜が来る! 夜が来る!
 きゃあきゃあと子どもたちが笑いながら運河のそばを駆けていく。ここはヴェネツィア、水の都。もう何年もしたら沈んでしまう町。世界は美しいところから欠けていく。それがひどくひどくざんねんだ。たとえ原因である人間を減らしてもなくなったものは戻らない。こぼしたミルクを嘆いてもどうしようもないと言ったのは昔々の大昔のチーノの釣り人らしい。考えごとがあるから釣りをする、そんなの夢のまた夢だと言ったのは虹の末端を彩る後輩だった。
 運河の向こう、水平線は真っ赤だ。それを彩るグラデーションはどんどん色を濃くしていく。昼間はあんなに青かった空を焦がしながら反対側へと遠のいていく太陽の跡はどんどんと色を失って(もしくは得て)暗くなる。黒も藍とも似つかない色で覆われる。
 かつん、汚れたタイルを蹴る音にふりむければ待ち人が路地からひょっこりと出てきたところだった。視線をさまよわせることなくこちらを見つけ(隠れているつもりはかけらもないがだれもが気づかないで素通りした)、ひと受けの良い顔をさらにやわらかくして小首をかしげる。二十代前半とは思えないそれでも彼ならばありえなくはない。
「お待たせ」
「おそいよ」
「うん、ごめんね」
 さあ帰ろう、と差し出された手を迷わずつかんだ。

 夜が来る! 夜が来る! ぼくらのだいじな空を喰べに!




ホリゾントの夕焼け小焼け
( 見てよ、すごい色。あしたもきっと晴れるよ )