雨粒が水面をたたいてる。連続して溶けあう水の生んだ衝撃に、ぼんやり映る月が揺れている。どうやら狐の嫁入り行列が通っているらしい。 (夜なのに) 制服のまま学校のプールにひとり。わざわざ金網をのぼって侵入して――鍵を持っているのは風紀委員長と体育教師くらいだし――なにをしているかと思えば泳ぐでもなくただ足を浸しているだけ。ワイシャツがまだらに濡れて薄い肩が透けていた。 (むかつく) 雨が降り出したのは六時くらいであいつのおふくろさんから電話があったのは八時ごろ、ついでに今は九時半すぎ。雨は強まったり弱まったりしていたけど一時もやんでいない。 (むかつく) 思ったよりも時間がかかった。あいつは顔は広いけど(いっそみんなあいつを忘れりゃいいのに)行動範囲はせまい。だけどまさか学校にいるとは考えなかった(だってここはやつのテリトリ)。補習で残っているのを見たのに靴があるのを知っていたのに。 (すっげーむかつく。なんだこれ) おれの気持ちも知らないで(もしかしたら知ってっかも)あいつはいつだって見ない振り知らない振り。いくら見てたって気のない風を見せたってあいつはちっとも変わらない。投手の手を離れたボールが落ちるのか伸びるのかを見分けんのより全然むずかしい。 (ちくしょうなんで) 金網に足を引っかけて飛び越える。がしゃん、やけに大きな音が雨にまじって主張した。プールサイドに着地したときスニーカの不快さが直に来た。捜すのに夢中で傘なんてどっか行っていた。 「ツナ」 ふりむく。そりゃそうだ、呼んどいて気がつかないとかじゃシカトしているに決まっている。 「なーにしてんだ」 「やまもと」 ああ、そうだ。おまえはいつだって名前じゃ呼ばない。それはほかのやつも同じ、女は呼んでやるのに――ひとり例外がいた。名前で呼ばれているやつ(死ねばいいのに)。 「おふくろさん心配してたぞ」 「うん」 「つーか寒くねーの。風邪引くぜ」 「うん」 金網に寄りかかったまま、水に足を浸したまま。五メートルにも満たない距離は縮まらない。自分から動くつもりはあんまりない。どうせなら寄ってきてほしい。 求め人はこちらの顔をじいと見つめ、困ったような曖昧な感じで首をかたむけた。 「なんでだろうねえ」 なんでなのかな、と。訊かれたところで答えはやれない。いくらずっとだれより見ていてもおまえは見せてくれないんだ。腹立たしいのとか悔しいとかがごちゃまぜだ。ぐるぐる、ぐる。八つ当たりに金網をなぐった(壊したら殺されっかな)。 なのにおれの唯一ときたら意外そうなだけでビビりもしない。 「そっか」 なにがわかったのかすりゃわかりゃしない。殺してやりたいくらいむかついたけど、右手は熱いまんまだった。世の中上手くいかないもんだ。
マイボス、マイヒーロー |