こころはだれのものでもないわ



 七月十日。
 語呂合わせで納豆の日だとかどっかのだれかが死んだとか甲午農民戦争が終わって日本が清国にいけずーなんて言ったとか言わないとかそんな大学受験にしか使わないような知識はさておき、この日は言わずと知れたスザクの誕生日である。
 なんでか父が総理大臣なんてものになってしまったせいで財政界じゃ公に酒を飲むネタにされ、ブリタニア・カンパニと関わってからは世界各国を飛びまわることに。祝われる立場にあるスザクが平和でいられるのは毎年日本時間の当日の午前六時までだ。つまりはルルーシュが踏みこんでくるまでだが一番を狙う輩は多い(中坊のころつるんでいた連中も律儀にメールをくれる。大好きだ)からスザクは毎年前日から逃亡を開始する。
 携帯も端末もソファに転がしてある。相棒は陸王とはちがう大型バイクだけ。
 恒例になった鬼ごっこ。
 ただし今年はまじで逃げなければならない。
 四月に進級し、押しあげられるように三年になったスザクは十八になる。民法ではもう結婚ができる年齢なわけで今までつっぱねていた縁談が激化し、さいきんでは拉致まがいなことまでされる始末(もちろん十倍返しが基本だ)。
 夏の早朝は意外と霧が濃い。いくらスザクでも五回連続ヘアピンカーヴをくだる気はない。途中でパンダとすれちがった気がするから今度はカレンと車で来てみよう。
 スザクは普段口には出さないでいるが結婚する気はゼロだ。恋人もまた同様に。スザクは子どもを――この異能を残す気はないから遊びでつきあっては女性に不誠実だ。そうとわかってそばにいてくれるひともいるだろうけどスザクにやってくる縁談の相手はスザクの子を産めとかいつぞやの政治家みたいな非人道的なことを親に言われているに決まっている。時代錯誤もいいところだ。スザクのとなりはいつから平安の後宮、もしくは江戸の大奥になったのか。すくなくともスザクは望んでないし認めていない。
「ルルーシュったらまじにするんだもんなあ」
 カレン、シュナイゼルに次ぐ長いつきあいなのに愛すべき旧友である彼はスザクの考えが汲み取れないでいる。スザク自身にしてみれば当たり前の思考も、ルルーシュにしてみればさっぱりぽんらしい。いちおうはブリタニア・カンパニの人間なくせに、いやブリタニア・カンパニの出だからこそ結婚が当然なのだ。彼にしてみれば時代錯誤の政略結婚はまだ生きている。
 それを思うと、シュナイゼルはかなり寛大だ――性質は最悪だが。
 笑った顔がむかつく彼を思考から追いやり、ジーンズにつないでいた金のチェーンを引っ張る。これはずさんなあつかい方を見かねたユーフェミアからの贈り物。ただし彼女はヘンリー物語とちがって質屋に髪は入れていない。
「五時、ちょっとすぎか」
 進行形で沈みゆくヴェネチアにて優雅に大聖堂めぐりでもしているだろう父親(まがりなりにも枢木家は神道のはずだ)の内閣退陣をまことしやかにするためだけに押しつけられた懐中時計はいまだ現役だ。
 サモアだかどこかの酋長は時間に固執するのを病気と評していらぬお節介に燃えていたが現代人にとっては時間こそすべての基盤。リアルタイムでの情報が物を言い、一分一秒の遅れがインフレィション、デフレ・スパイラルを引き起こす。
「そろそろいいかな」
 懐中時計をみりやり尻のポケットにねじこみ、スザクはバイクをまたいでサイドのそれを踏み落とす。低いうなりをあげて息を吹きかえす愛車があたたまるのを待ってヘルメットをかぶった。アクセルを二、三度まわして公道に滑りだす。
 しばらくしてスザクは独りごちる。
「帰るの夜でいいや」
 要はユーフェミアやカレンの顔をつぶさなければいいのだ。ルルーシュはどうでもいいとして(なんてったって毎日会っている。一日会わないくらいじゃだれも死にはしない)。
 やっぱりバイクを転がすのは楽しくて、スザクはさらに加速。グリップをにぎるのは素手だからきっと真っ赤になって皮がむける。プレゼントに軟膏があったら結婚を考えてもいいのに。