(後)刹那ロマンス



 アッシュフォード学園の全校会は他校と異なって教師は一切関与しない。仕切るのはもちろん生徒会で、講話をするのは学園長ではなくて生徒会長だ。このときばかりはミレイも開始五分間は真面目なので、スタンドマイクの前に立つ司会進行役のルルーシュの仕事も楽なものだった、一学期の終業式よりは(あのときはミレイが水着姿で登場したものだから体育館内がおそろしいことになった)。
 生徒たちが各クラスの担当教師から悪魔のような通知表(遊んでばかりいるがこれでも進学校だ)を受け取っている間、ルルーシュたち生徒会は公欠あつかいで準備に奔走した。準備といっても会場設置や料理ではなく、発注した食器やシャンパンのチェックなどだ。ときおり飛び入りの客人も訪れたりすることがあるのでないがしろにはできない問題だ。
 予定されているクリスマスパーティは午後六時からだ。参加者は総勢で三百人より少ないくらいで、かなりの人数があみだくじで篩(ふるい)にかけられたらしい。もともと女子生徒数が多いのだが、男女比はちょうどいいくらいだ。
 生徒会メンバは来客に備えてすでに正装し、ホールにスタンバイしている。ルルーシュやリヴァルはシンプルな黒のディナジャケットだが、女性陣は一層華やかだ。しかし、肝心なスザクはまだ来ていない。エントランスで会った後からルルーシュも会っていないし、なにより連絡がない。こちらからかけようにも例のごとく電源が落とされていた。
 時計の針は着々と進んでいる。一分と経たないうちに何度も携帯電話を確認してはみしみしと音を立てさせ、その度にリヴァルやシャーリーになだめられていたが最早限界だ。ルルーシュは壁際にひっそりと立っていたカレンに目を向けた。
 やや膝上の白いパーティドレスを着た彼女は自宅通学だったはずだ。大方校舎裏手の駐車場に愛車が置いてあるのだろう。プリーツ加工スカートはボリュームがあってブルーのサテンリボンがラッピング風に巻いてあるドレスはたしかに清楚だがあれであの峠仕様の赤い車を乗りまわして来たのかと思うとぞっとする。少なくともミュールはスニーカに履き替えて、モケモケファのボレロは豪快に脱ぎ捨てているに違いない。だが手段は選んでもいられないので(もしかしたらまたもや部屋で寝倒れているかもしれない)ルルーシュは意を決してカレンに近づく。ルルーシュの意図に気がついたらしいカレンが一瞬だけものすごく嫌そうに顔をゆがめた。ルルーシュとスザクに会ってから彼女はやけに化けの皮がはがれやすくなった気がしないでもない。
「おい、カレ――――」
「ほーら! ルル、行くよ」
 声をかけようとした瞬間、シャーリーに腕を引かれてルルーシュはたたらを踏んだ。彼女は普段ハーフアップにしている長い髪を今日はチョーカーとおそろいの白いファ飾りで高く巻きあげている。歩くたびにパステルピンクのシフォンを何枚も重ねたドレスについた腰のリボンがひらひらと揺れて、ルルーシュの足にからみついた。
「ちょ、シャーリー!」
「受付でだってスザクくん待っていられるよ。ミレイさんのあの格好じゃ目に毒だからルルが代わるってさっき決めたじゃない」
「う……」
 たしかにミレイのドレスはすごかった。大胆にも腰のあたりまで背中がむき出しになっていて、あろうことか両サイドにスリットまではいった黒のカクテルドレスだ。彼女に気があるらしいリヴァルは即効で撃墜されていたし、ルルーシュも極力視界に入れないようにしていたくらいだ。彼女は今理事長のところで最終確認を行なっている。ニーナはその付き添いでこの場にはいない。ニーナはどのような場であっても人目につくのが得意でないらしく、ミレイがなにを言っても断固としてツーピースであることを譲らなかった。
 笑顔で手を振る(他人事だと思って!)カレンにルルーシュは視線を投げかけた。カレンもスザクの電話番号を知っていたはずだから、電話するように目で指示する。いつからアイコンタクトだけで意思の疎通ができるようになったか定かではないが、とりあえずスザクのせいであることに間違いはない。渋々といった風にカレンは腕にかけていたバッグからオレンジ色の携帯電話を取り出すと素早く操作して耳にあてる。シャーリーが見ていないのを良いことに、引きずられるルルーシュに向かってあろうことかカレンは親指と人差し指で輪をつくって見せた。浮かぶ微笑みが猫被りヴァージョンなので余計に性質が悪い。
 パーティは一度始まってしまえば坂を転がる石のごとくだ。
 見事招待状を勝ち取った参加生徒たちはみな一様に着飾っており、思い思いにパーティを楽しんでいるようだ。その中には数人の来客が交ざり、秀でた分野のある生徒と自分の専門について話をしている。驚きなのはあのニーナに多くの人間が殺到したことだ。彼女は理数分野に優れているためにさまざまな学部からオファが来ているらしい。デフォルトである引っ込み思案と上目遣いはどこへやら、ニーナはかなり興奮した様子で初老の男性や理知的な女性とマシンガンさながらの会話をくり広げている。聞こえてくる端々からして人語ではなく、あそこにスザクが交ざったらさらにひどいことになるんだろうな、とルルーシュは思わず遠い目をしてしまった。そんなニーナの手には中身が半分ほど残ったシャンパングラスが握られている。おそらくはミレイかリヴァルの仕業だろうが、アルコォルは人を変えるとはよく言ったものだ。
 受付をリヴァルと交替したルルーシュはエントランスにつづくドアにもたれて、フルート形のグラスを片手にちらちらと左手首に巻いた時計を気にしていた。立食パーティは八時までで、それからはダンスパーティに移行する予定なのだ。前半は免除するとして後半は絶対参加というのが、ミレイがスザクに下したお達しだ。特派の研究所に直接迎えに行くにしても頼みの綱であるカレンはファンという名の取り巻き連中に囲まれたまま身動きが取れていない。むしろ存分に食事ができないせいか雰囲気が刺々しくなってきているのでルルーシュとしてはあまり近づきたくない。
 グラスをかたむけると口の中でぱちぱちと気泡がはじけた。見た目はシャンパンだが実際はノンアルコォルだ。スザクの相手をするために日本に来るより以前はこのような立食パーティなど日常茶飯事で、アルコォルなどもそこそこ嗜んでいた。よく急性アルコォル中毒にならなかったものだと、中等部の保健の授業時にルルーシュは自分のアセトアルデヒド分解酵素を褒め称えた。ちなみにスザクは酒豪、それもザルを通り越してワクだ。飲んでも飲んでも酔わないらしく、たまに嫌なことがあったりすると缶ビールやチューハイなどの安酒を肴(さかな)もなしに水のように飲んでは翌朝けろっとしている。そのたびに巻き込まれるルルーシュはしっかり二日酔いだ。吐くという醜態はさらしていないらしいが記憶が最後まであった覚えが一度もない。
 浮かんでははじける小さな泡を見ながら前回のそれについて思い返していると、突然遠くからエンジン音が聞こえてきた。だんだんと近づいてくるそれは派手なブレーキ音と共に停止し、白いスポーツカーがエントランスに横づけされた。
 するり、と右の助手席から降りてきたのは髪の長い人物だ。そいつはドライヴァに向かって礼をすると、ぐいっと腕を引かれて運転席に座る人物(おそらく男)に頬をキスされていた。ルルーシュがそうと知れたのは、そいつがむすっとした様子で自分の頬を撫でていたのが離れたところからでもわかったからだ。もしパーティに賓客がいないのであればルルーシュは一も二もなくあのスポーツカーに蹴りをくれてやっただろう。ドライヴァは確実に二番目の異腹兄だ。なにしに来やがった、と絶叫できない代わりにルルーシュは拳を握り、去り行く白いスポーツカーを睨む。
 件の人物がエントランスに足を踏み入れた途端、ホール内の空気がざわついた。
 濃い臙脂に色鮮やかな牡丹が大胆に描かれた着物を、型をそのままにリメイクしたような裾広がりのドレスは袖の部分だけがラッパ状になっており、袖口から薄色の襦袢が覗いた。合わせのすぐ下に巻かれた帯はてらてらした白地に金で蝶の刺繍がされており、古風な文庫でだらり帯にされている。帯揚げは赤く、帯留めには小ぶりの牡丹のコサージュが。一歩一歩踏み出すたびに裾から覗く白い足の爪先までも鮮やかに色づけられていた。
 背中に流れる鳶色の猫っ毛をゆるやかに波打たせ、どこを取っても完璧な女に化けたスザクはわざとらしくルルーシュの前で頭を下げた。
「今晩はお招きいただき、ありがとうございます」
顔をあげ、にこりと微笑む。スザクが軽く首をかたむければ、髪に飾られた淡紅色の牡丹についた藤色の房がさらりと揺れた。
「んまー! スザクちゃんたら美人に化けちゃって!」
「うわあ、スザクくんすごい綺麗! ドレスも素敵だなあ、わたしもそういうの着てみたい」
 ルルーシュが声をかけるより先にミレイとシャーリーを筆頭に女性陣が殺到してしまった。
 イヴェントはほぼ不参加、それ以上に学校自体にあまり出てこないスザクは女子生徒の中でかなり人気がある。それは写真部と新聞部が結託して隠し撮りのブロマイドが出まわるくらいだ。そして生徒会(というかルルーシュ)はそれのネガ回収に全力をあげているので、現像分だけが生き残っている写真はオークションで高く売買されているのだ。生徒会にとっては悩みの種でしかないが、いわゆる被害者であるスザクがノータッチであることが最大の問題だとルルーシュは思っている。
 女子生徒の波に飲み込まれるスザクを見やりながら(さすがに助けたいとはかけらも思えない)ルルーシュはそっとシャンパングラスをもう一つ手に取り、なるべくスザクに見えるようにシャツの襟首に指を引っかけた。本来の意味は「屋根裏部屋で話そう」というサインだが、ちょうどクラブハウスのホールには吹き抜けの二階に外に迫り出したバルコニィがある。そばにいたシャーリーに(やけにそわそわしてどうしたのだろうか)抜け出す旨を伝えるだけ伝え、ルルーシュは奥にある階段を昇った。途中、ミレイに親指を立てられたのはなぜだろう。
 バルコニィは、いつだったか音楽の授業で見た『ロミオとジュリエット』の舞台セットのような半円の形をしている。中からはガラス越しにか見えず、先客がいたら見て見ぬふりをするのが暗黙の了解というここ(ミレイ曰くロマンティックスポット)からはライトアップされた庭園のイルミネーションがよく見える。庭園の中央にある噴水より奥には今日のために一本の樅(もみ)の大木が植えられている。これだけはほかと違ってオーナメントはつけられておらず、ただ枝葉が三角錐にカッティングされているだけだ。
 ひんやりした夜気が火照ったルルーシュの顔にそっと触れるのが心地良い。吐く息は白いが、それほど寒さは感じなかった。ルルーシュは高さが腰の辺りまでしかない手すりに背中とグラスを預け、首をそらして夜空を見あげた。天気は快晴。雲一つない空には雪の代わりに無数の星々が冷ややかにまたたいている。この辺りでこれほどまでの星が見えることなど滅多にないが、それは昨日一日中降りつづけた雨のおかげだろう。心なしか空気も済んでいる気がしないでもない。シャーリーなんかは「雪が降ればいいのに」と愚痴をこぼしていたが、日本生活の長いルルーシュからすれば雪が降らないのは当たり前だった。そして降らないに越したことはない。一度雪が降れば交通機関はほぼストップし、誰がとは言わないが帰宅できないというケースがたびたびあったからだ。
 ガラス戸の開く音に視線を戻すと、スザクが多少ふらつきながらひたひたと歩いてきた。ルルーシュはひらりと片手をあげる。
「お疲れ」
「ほんっとうにね」
 いつになくぐったりとした様子でスザクはルルーシュのとなりに足を投げ出して座る。着崩れることなど念頭にすらないようだ。ふと気になって、ルルーシュはグラスを手渡しながら尋ねてみる。同時に嫌な予感もした。
「……それ、どうしたんだ」
「セシルさんに事態を相談したら聞き耳立てていたロイドさんがその場でシュナイゼルさんに国際電話かけやがってね、『ドレス一着をお願いしますよお』って頼んだんだ。それだけ、本当に言ったのはそれだけなのにサイズはぴったりだし必要なもの全部そろっているしで……」
 ふう、とスザクは疲れたように手すりにもたれた。ぐっとグラスをかたむけて一気にあおる。「なんだ、お酒じゃないんだ」という不満そうなつぶやきを耳にしつつ、ルルーシュはこの憤りをどこにぶつけてやろうと必死に考えをめぐらせていた。たしかにスザクをこうしてパーティに参加させてくれたことには感謝するが、だからと言ってドレスまで用意することはないだろう。そしてスザクはそれを普通に着るな。似合いすぎていて逆に腹が立つ。
「よく着る気になったな……」
 胸に渦巻く百万言を押し込めながらルルーシュは低くうめいた。
「まあね。本当は参加する気すらなかったんだけど、これ渡されて二日間もお休みもらっちゃったら断れなくてさ。なにが大変だったって、着付けしてエクステンションつけて化粧してさあ行こうかってときにシュナイゼルさん来ちゃってもう……ぼくのことであんな騒ぎになったのは七五三以来だと思うよ」
 澱みなく無表情で文句を垂れるスザクは微妙に末恐ろしい。二日間の休みというのはこのハイになったテンションの冷却期間なのではないかとルルーシュは声に出さずともそう思った。そしてそれこそスザクがこちらのクリスマスパーティにまわされた理由なのだろう。このテンションのままカンパニのパーティなんかに出したらなにを言い出すかわかったものではない。むしろ愛想なんてかなぐり捨てて延々とアルコォルを口にしていたに違いない。
 ルルーシュはユーフェミアがこちらにいなくて良かったと心底思った。なぜか知らないがスザクに対して夢を通り越して幻想を抱いているあの異腹妹までからんできたらどうなることやら。なんだか無償にナナリーに会いたくなってしまったルルーシュは身を反転させて庭園を眺めた。
「あ」
「どうしたの?」
「いや……ただ、樅(もみ)の木の天辺に星があるって。それだけ」
「ふうん」
 スザクは興味なさそうな相槌を打ったが慣れた身のこなしで立ちあがり「どこ?」と尋ねる。ルルーシュはまっすぐ指を差し、やけに明るい星を示した。北極星だろうか。
「ベツレヘムの星だね」
「ベツレヘム?」
「そう。クリスマスツリィの天辺にある星のことで、キリスト誕生のときに現れてマギ――東方の三賢者であるバルセイザ、メルキア、カスパを導いたと伝えられているらしいよ。ちなみにベツレヘムはパレスチナの町だよ。アラビア語だとバイトラフムだったけ」
 聞いたことない? とスザクは首をかしげた。
 そう言えば、とルルーシュは記憶を掘り返す。幼いころ異腹姉のコーネリアにユーフェミアやナナリーと一緒にそんな話を聞かせてもらった覚えがある。ルルーシュとユーフェミアは年齢が一つ違いということでそこそこ仲も良かったのでコーネリアもよく相手にしてくれた。ただしそれは昔の話で、ユーフェミアはスザクを狙う要注意人物だ。下手したらコーネリアまで出てくるかもしれない。
 ふと、スザクがもたれていた手すりから身を起こした。手を伸ばして空から舞ってきた小さな白をつかむ。
「雪だ……」
 空は変わらず晴れ渡っている。しかし雪は雲もないのにたしかに舞っており、まるで春の桜のようにはらはらと揺れる雪は地面につくより前に空中で溶け消えた。さあっと吹いた風がスザクの髪をたなびかせ、さらに雪を運んでくる。
「風花、だったか?」
「そうだよ。よく知っていたね」
「ばかにするな」
 くだらない軽口をテンポよく言いながら二人はそのまま雪を眺めた。風花は積もるまでとはいかなくてもわずかに庭園を白く染めていく。
 階下から漏れる音楽の曲調が変わった。先ほどまで誰が知っているようなにぎやかなクリスマスソングのピアノアレンジだったのが、今はゆったりとしたワルツだ。腕時計の文字盤を見ればちょうど八時を過ぎたところ。
 ルルーシュはふざけて右手のひらを上にしてスザクに差し出す。
「踊っていただけますか?」
「無理」
 スザクは至極真面目な笑顔で即答した。