その日、シャーリーが声をかけるのをためらってしまうほどスザクは不機嫌を前面に出していた。 いつもなら割り箸をくわえるなどという行為を彼がするはずないが、今日に限っては箸の先を噛みほぐしてすらいる。食べかけのシィフードヌードルの容器をノートパソコンの筐体に乗せ、頬杖を突いてうりうりと指先でカーソルを動かしている。スザクはマウスを使わない。なんでも前に誰かにうっかりコードを引きちぎられてしまったらしい。 「スザクくん、延びちゃうよ」 「んー……」 声をかけてもスザクはうなるばかりだ。 がじがじと歯でやられ、繊維が毛羽立ってしまったコンビニの割り箸はあれで三本目だ。デスク脇に設置された円筒のごみ箱には割り箸のほかにへし折られたチュッパチャップスのスティックが何本もはいっているはずだ。というか、どうしてスザクはたった十分で舐めきれるのだろう。わたしなんて三十分はかかるのに、スザクくんキス上手いのかな。シャーリーはビニルの包装を丁寧に剥がし、ピンクとクリィム色のマーブル模様をしたキャンディを口の中に放り込んだ。みんなは甘いと言うけれど、シャーリーはストロベリィクリィムが一番好きだ。その次にチョコレイトストロベリィ。誰かにおみやげでもらったマンゴも美味しかった。 シャーリーが会室にきて一時間は経つが誰も来ない。たいていミレイかニーナかがいるのだが、めずらしい日もあるものだ。シャーリーは舌先で甘い味をころころさせながらスザクの右向かいに位置する指定席に腰を落とした。特にすることもなくて両手で顎を支えたままあくびを噛み殺す。 「みんなどうしたのかなあ」 「IT実習室だよ」 「え?」 独り言でつぶやいたはずのそれに返答があって、シャーリーはぱちくりとまばたきした。スザクを見れば、彼はだるそうにディスプレイを見ながらものすごい速さでキィボードをたたいている。 「誰かが間違ってウィルス感染ファイルを解凍したんだ。運がいいことに遅効性のやつらしいんだけれど、おかげで中等科にあるパソコンのデータは全滅。高等科への侵蝕まで時間ないからアインシュタインさんがIT実習室でデータの復旧作業、ルルーシュはデータの保護くらいしかできないからおまけで押しつけた。会長とリヴァルは犯人捜ししているよ」 「スザクくんは?」 「防護壁の強化しつつウィルス駆除。まったく……唯一の救いは学習するタイプじゃなかったことかな」 なるほど、道理で不機嫌そうなわけだ。 シャーリーもパソコン関係にはそれほど明るくないのでスザクたちには協力できない。犯人捜しに加わろうにもミレイがそこにいるのならば全校生徒が動員されるのも時間の問題だろう。それならば会室で待機しているほうがずっと利口だ(賞品にされたらたまったものではない)。 「スザクくん。わたし、なにかすることある?」 「じゃあ、コーヒー淹れてもらえるかな。うんと濃いやつ」 「わかった。牛乳たっぷりのカフェオレね」 「…………砂糖は入れないでね、お願いだから」 「はーい」 にこやかに返してシャーリーは給湯室に向かう。 悔しいことに料理の腕はミレイに、紅茶を淹れるのではルルーシュにかなわないがコーヒーを淹れるのは得意だ。父がコーヒー党なので、シャーリーの家ではちゃんと豆を炒って挽いてドリップする。あまりにも苦いので飲むのは好きではないがコーヒーの香りは好きだ。それに牛乳と砂糖をたくさん入れて甘くしたほうが飲みやすくていいと思う。まだまだ子どもだなと父は言うが、シャーリーはそれでいいといつも言い返している。甘いのが好き、苦いのが嫌いでなにがいけないんだろう。 生徒会役員のほとんどが紅茶党(それと日本茶派が二人)のため、さすがにサイフォンは置いていない。シャーリーはミルクパンに牛乳をなみなみ注いで火にかけ、沸騰しかかったところでインスタントの粉をスプーン一杯分入れた。煮出して淹れるロイヤルミルクティーを真似た淹れ方だが味が薄くならないのでシャーリーはいつもこうやってカフェオレを淹れている。本当はこのとき砂糖も入れるのだがスザクに断られてしまったので、茶色っぽくなった牛乳をマグカップに注ぎ分けてから片方だけに角砂糖を三つ落とし、一口だけ舐めてみる。 「よし」 マグカップを両手に(トレイだとどうしてもこぼしてしまう)上手い具合に手を使わないでドアノブをまわし、身体をすべりこませた。 「お待たせーって……あれ? スザクくん?」 シャーリーはきょろきょろと広い会室を見まわした。隠れるところなんてない(ついでにその必要もない)のにスザクの姿はない。ほんの十分くらい前まではノートパソコンに向かっていたはずなのに。 「もう、せっかく淹れたのに!」 急ぎの用事がはいったのなら声くらいかけてくれたっていいのにと、シャーリーは頬をふくらませ、ずかずかとテーブルに近づいて乱暴にマグカップを置いた。衝撃で中身が少し跳ねてしまったのでティッシュ箱を引き寄せて拭き取る。こぼれたのは自分で飲むために淹れたほうなので、ちゃんと拭いておかないと砂糖でべたべたになってしまう。色のついたティッシュを丸めてごみ箱に投げ捨てた。そのまま椅子を引いてスザクの席に座る。 開けっ放しになったノートパソコンのディスプレイでは麦わら帽子にジャージのキャラクタがせっせとオレンジをもいでは籠に入れている。デフォルメされたドット絵のキャラクタはどこかで見た覚えがあるのだが、スザクの趣味なのだろうか。 「誰だっけ、これ」 シャーリーは顎に手を当ててディスプレイを見つめた。その間にも麦わら帽子はぎこちない動きでオレンジを籠に入れ、いっぱいになったらそれを背負って画面から消える。そしてまたしばらくすると空の籠を持って現れてオレンジをもぎはじめる。それのくり返しだ。たまに出てくる髪が白くて長い色黒のキャラクタも、薄いオレンジの髪を八二に分けたような感じのキャラクタもどこかで見た。絶対に見た。 「うー……」 このアニメーションがスクリィンセーヴァであることくらい機械に疎いシャーリーでもわかる。パソコン自体には触れないようにしながら肘を突いて頭を抱えた。喉まで出かかっているのに出てこない。この現象にも名前があって、ちゃんと知っているはずなのにそれすら出てこない。 「すざああああく!」 「ああっ」 ばたーん! と会室のドアが派手な音を立てて開いたのと、それのせいで驚いた拍子にスクリィンセーヴァが途切れたのは同時だった。ブリタニア・カンパニのロゴマークが中央にある画面になってしまい、シャーリーは原因をきっと睨みつける。 「ルルのばか! あとちょっとでわかりそうだったのに!」 「そんなもの知るか! スザクはどこだ!?」 「知らない! わたしが戻ってきたらもういなかったもの!」 売り言葉に買い言葉でお互い怒鳴り合う。 ルルーシュは頭をかきまわし、その場で地団駄を踏みながらわめき出した。それを見ていくぶんか頭が冷えたシャーリーは肩を落とし、ドアに寄りかかって腹を(見ようによっては胸を)抱えているミレイを見つけて今度はそちらのほうに噛みつく。 「会長、どうしたんですか?」 「あはは。あのねえ、中等科のパソコン全部乗っ取られちゃったのよ」 「知っています。ウィルスでしょう?」 「あっれー、なんで知っているの」 「スザクくんが教えてくれました。って、そうじゃなくて、わたしが聞きたいのは……」 「はあ?」 ミレイとルルーシュの声が重なった。二対の目に見つめられ、シャーリーは右へ左へと首を動かし「え?」最後にはかしげた。 「どういうことだ?」 いきなり怖い顔になってルルーシュに肩をつかまれた。ずいと顔を近づけられ、シャーリーは思わず仰け反った。キスとかの前に絶対におでこをぶつけそうだったからだ。至近距離にあるやけにきれいな顔を見ながら心の中でため息を吐く。前まで普通に好きだったのに、いつの間にかスザクのポイントのほうが高くなっていた。素直に言えば振りまわされているルルーシュを見ているのが楽しくなってきた。そのことをミレイに相談したら「ようやく起きたのねー」なんて頭を撫でられた。今でならなんとなく意味がわかる。 「いい、か、げん、にして!」 がくんがくんと揺さぶられ、気持ち悪くなってきてシャーリーはルルーシュの腕をたたき落とした。あいかわらずの細腕だ。水泳をしている分、シャーリーのほうが絶対に腕力があるに違いない。微妙に痛がる素振りの彼をきっぱり無視し、にやにやしながら状況を見ていたミレイに向き直る。 「これ、どういうことなのか説明してください」 「うふふ、オッケー」 ミレイはその大きな胸を抱えるように腕を組んで、ふたたびドアの枠にもたれかかった。不機嫌そうにルルーシュもどかりと椅子に座ったのを見て(ついでにスザクのカフェオレに口をつけて眉をしかめている)シャーリーも椅子の背もたれを引っ張った。揃えた膝の上に手を乗せる。 「中等科のパソコンがウィルスにやられたのは知っているみたいだから飛ばすね。犯人は知っている? ――――なんだ、それは知らないのか。犯人はジェレミア先生よ」 「先生が?」 シャーリーは目をまるくする。ジェレミアは中・高等科の男子体育を担当している先生だ。スペインの出身らしく、熱くなりやすい性格とお気に入りらしいアディダスの紺色ジャージが特徴だ。たしかサッカー部の顧問をしていたはずだが、どちらかと言えばシャーリーの所属している水泳部の外来コーチであるヴィレッタの恋人らしいという認識のほうが強い。そこまで考えて、ぴんと一本につながった。 「ああ! さっきの!」 「さっきの?」 きょとんとした様子のミレイに、シャーリーは顔を赤くして首をすくめた。なんでもありません、と小さく告げる。話の腰を折ったのもそうだが、となりから向けられているルルーシュの視線がちくちくする。 「ま、いっか。聞けばジェレミア先生はファイルなんか解凍していないって言うじゃない。でもログが残っていたから先生なのはたしかなんだよね。さすがに事情を聞かないわけにもいかないからさ、聞いてみたわけよ。そしたらびっくり! ね、なんのデータだったと思う?」 びし、と指を差されたが見当もつかないので首をかしげる。 「なんだったんですか?」 「それがさあ…………」 「スザクの個人情報だ」 ふたたびお腹を抱えたミレイの代わりに答えたのはルルーシュだ。偉そうで腕を組み、指先でとんとんとリズムをきざみながら憎々しげに低くうなる。 「あの男……ジェレミアめ。スザクのデータを見てなにをするつもりだ」 ルル、なんだかパパみたい。シャーリーは横目で彼をちらりと見、治まってきたらしいミレイを見直す。話がちっとも進まない。 「じゃあ、スザクくんのデータにウィルスがかかっていたんですか」 「そうなのよー。ニーナが慌てて隔離したけれどだめだったから、駆除と防壁はスザクくんに任せてわたしらは中等科のほう行ったんだけれどさ」 「それなら聞きました」 「うんうん。でもね、ウィルスはそれ一個じゃなかったのよ」 「まだあったんですか!?」 思わず声をあげる。スザクもニーナもがんばったのに、まだあったなんて。だからスザクはいなくなったのだろうか。 「ちがう」 今まで黙っていたルルーシュにさえぎられ、シャーリーは横を向いた。どうやら口に出ていたらしい。彼は冷めているはずのカフェオレをちびちび舐めながらマグカップをにぎる手に力を込めた。 「どうやらそのどっちもスザクが仕掛けたらしい」 「え?」 素っ頓狂な声で聞き返し、ぱっとミレイを見れば彼女も大仰にうなずいている。 「うそ…………」 「ウィルスが連動していたのよ。ウィルス一号が駆除されると二号が漏れ出すようにね」 「でも、だからってスザクくんがやったとは限らないでしょう」 「いや、間違いないな」 中身が半分ほど残ったマグカップをテーブルに戻し、ルルーシュはため息雑じりに口を開く。 「あの絵を描いているのを、おれは家で見た」 「絵って…………あ、オレンジ狩り」 当てずっぽうで言ってみれば、彼はこっくりとうなずいた。ぎしりと背もたれに寄りかかる。 「見たときから誰かに似ているとは思ったんだ……」 疲れたようなあきれたような、ともかくルルーシュが肩を落とす様はがっくりという表現が似合う。どうこうしたってスザクに遊ばれているようにしか見えないのが不憫(ふびん)だ。 「そっか、あれ、やっぱりジェレミア先生だったんだ」 たしかに髪の色はみごとにジェレミアのそれと同じだった。だとすればときどき出てきた白髪はヴィレッタで、ニ八はたぶん事務のキューエルだったのだろう。あの様子だとキューエルがジェレミアの後輩だという話は本当のようだ。学校に滅多に出てこないスザクがなぜそれらを知っているのかという疑問は無視だ。それこそスザクだからで充分すぎるほど通用するのだから考えるだけ無駄だ。 ルルーシュにはわからないようだが、なぜスザクがジェレミアをねらったのかは微妙にわかる気がする。運動部の中でもっぱらの噂になっていることなのだが、なんでもジェレミアはサッカー部の戦力強化のためにスザクに声をかけたらしい。部活同士の水面下で彼にだけは手を出さないことが暗黙の了解になっているというのにだ。しかしスザクは誰もが予想したとおりその話を蹴った。自信家というか、視界のせまいジェレミアが猪のごとく突進したってシャーリーは別に驚かない。部活後の更衣室をにぎわせている恋バナの中にはヴィレッタの苦労話も多数ふくまれているのだから。 「でも、なんでオレンジなんですか?」 いつの間のか給湯室のほうへ行っていたらしいミレイが帰ってきたところでシャーリーは尋ねた。何気なく流していたけれどどうしてだろう。 「あれ、知らないんだ」 果汁とスライスしたイラストがプリントされている紙パックを上下に振って、ミレイは楽しそうに笑う。目がきゅっとなってまるで猫みたいだ。 「ジェレミア先生の実家ってオレンジ農場なのよ」 「あ、スペイン」 「そのとおり!」 ウィンクとセットで親指を立てるミレイと一緒になぜかルルーシュもうなずいていた。 ヴィレッタも苦労しているんだなとしみじみ思い、シャーリーはミレイにコップ一杯分のオレンジジュースを所望した。 通称オレンジ事件≠ニ呼ばれるその珍事は、どこから話が流出したのか国内外でミリオンセラを記録するノンフィクション学園ドラマとして世に公開された。売上金や印税はすべてユニセフなどの国際ボランティア団体へ寄付されており、それを出版したブリタニア・カンパニには一銭の利益もないという。 しかし、その余波を受けたのかカンパニはウィルスを駆除することでウィルスを活性化させるウィルス≠フ改良に乗り出したらしい。これを応用することで情報セキュリティ技術が飛躍的に向上すると踏んだのだ。また、一部で問題となったスクリィンセーヴァをソフト化してはどうかという声もあがっているとかいないとか。公開されたのがほんの数分間であったのにも関わらず、昔ながらのドット絵に興味を持った生徒が多数いたのだ。その相乗効果によって某家庭用ゲーム機の復刻版携帯端末の売れ筋は右肩あがりだ。 この一連が、たった一人の生徒のささいなうさ晴らしであることを知る者がいないまま、事件は幕を閉じた。 少なくとも表面上は。 運の悪いことに被害者となってしまった体育科の教師は、今では本名ではなく『オレンジ先生』という親しみと同情を込めたニックネームで呼ばれている。 |