ルルーシュの父親はブリタニア・カンパニの社長という地位にある。その血筋はとても古いもので、遡れば六世紀のイギリス王室の血を汲んでいるらしいが、現在のイギリス王室とは無関係だ(王室における系図はたしかに重要ではあるがわざわざひもとく必要はない)。それでもイギリスというお国柄、旧家というのは重要視される。その上、姓にブリタニアを名乗っているからにはいろいろな業界に顔が利くこととなる。国家に相当するブリタニア家の財力と権力にはだれもが目の色を変える。財界や政界などのパーティには引っ張りだこだ。それはルルーシュの父親だけのみならず、子どもたちにまで取り入ろうとする輩は多い。 ここで問題となるのが子どもの人数だ。イギリス人であるにも関わらず、ルルーシュの父親は皇帝(カイゼル)と巷では呼ばれている。しかしその名に違わず、彼には多くの愛人がいる。その数はいまだ知れない。長男を生んだ女性を本妻として籍を入れており、しかしそのほかの女性たちも本妻と同じく屋敷(城といっても差し支えないかもしれない)に住んでいるのだが、籍を入れているわけではないので彼女たちは旧姓のままだ。いわゆる事実婚というやつである。この場合、長男だけが彼の実子になり、長男の実弟妹以外はすべて母方の戸籍にはいる。しかし、いつどこでブリタニア姓を名乗らざるを得ない事態に陥るか予測はできないので、そのほかの子どもたちは母方に籍を置いたままブリタニア家に養子縁組されるのだ。具体例として、ルルーシュは学校ではルルーシュ・ランペルージと名乗っているが、場合によってはルルーシュ・ヴィ・ブリタニアとすることも可能なのだ。 カンパニにおいて実権を持っていることが世間に知れているのはたった三人だ。上から順に、次男のシュナイゼル、次女のコーネリア、三男のクロヴィス。また、コーネリアの実妹である三女ユーフェミアはまだ学生ということもあってときどきパーティには参加する程度だが、それでも婿養子として近づく男は後を絶たず、来る見合いはすべてコーネリアが蹴散らしている。 特にシュナイゼルはスザクの所属している特派を管轄としているので今後の期待は大きく、社長の座を継ぐのは長男を差し置いて彼ではないかと噂されるほどだ。 そして、そのシュナイゼルが欲しがったのがスザクだ。どこで見つけたのか、シュナイゼルは当時総理大臣の職に就いていた枢木ゲンブ氏(言うまでもなくスザクの父親だ)に取引を持ちかけた。あなたの息子さんはこのまま埋没させるにはいささか惜しすぎる。なによりこのまま放置すればいずれ生きにくい世界に溺れることとになるだろう。だから私に息子さんをいただけないか、と。 一度目の会談では総理は当然その取引を突っぱねた。しかし、その三ヵ月後に秘密裏に行なわれた二度目の会談で総理はどうしても了承しなければならない状況に追いこまれた。ブリタニア・カンパニからの直接的な圧力がかかったのだ。このまま拒否しつづければいずれ日本は消滅する、それを実行するだけの力がこちらにはあるのだとシュナイゼルは暗に示した。 状況が一転したのは三年後の八月十日だ。ゲンブ氏は唐突に文書で辞職を表明し、それ以後が一度もメディアに姿を現していない。 当然のように金が動いていた。金額にして数十億はくだらなく、それだけの価値がスザクにはたしかにあったのだ(ちなみにシュナイゼルのポケットマネだというのがまことしやかにささやかれている)。しかしその記録はどこにも残されておらず、ゲンブ氏はほどなくして政界から失踪。噂では病死したのではないかとのことだが、その件については未だに解明されていない。金はそのまま遺産としてスザクが相続者となっており、結局のところブリタニア・カンパニに損はない。事実として名のある人間が一人社会から消えただけだ。 ルルーシュはイギリス人に不慣れなスザクの相手をするために日本に来た。十一男ということで立場がかなり下のほうにあったが、なぜルルーシュだったのかと言えば単純に性別と年齢が同じだったからにほかならない。もしもルルーシュがいなければユーフェミアがこの役にあったはずだ。 今も昔もスザクは感情の起伏が薄い。特殊すぎる環境は彼から子どもを奪ったのは明らかだ。ルルーシュとはじめて会ったときもにこりとして握手に応じただけで社交での「よろしく」のほかにはなにも言わず、当時から矜恃の高かったルルーシュはそれすらもなかった。十に満たない子ども同士にしては殺伐とした顔合わせに、ちょうど居合わせた特派のスタッフは内心で苦いものを噛んだという。 シュナイゼルの目論みは見事にはずれ、二人の仲は一向に良くはならなかった。もともとルルーシュは自発的に話しかけるような性格ではないし、スザクは相手のことを察して動くのが常であったためにそれを敏感に感じとって必要以外はルルーシュに近づきすらしなかった。 転機が訪れたのはルルーシュが日本に来ておよそ一ヶ月が経った九月のことだ。それは初秋だというにやけに寒い雨の日で、スザクは新学期だからと傷一つない立方体に近い黒のかばんを背負って小学校に行っていた。 スザクのほかには年配の女性しかいない枢木家はやけに静かだった。一人でいるには広すぎる。いつもなら、会話がないとはいえスザクが一緒にいたのでさびしいとは思わなかった。 ルルーシュは庭に面した吹き抜けの廊下(縁側というらしい)に座ってしとしとと降る雨をぼんやりと見ていた。本はたくさんあったが日本語はひらがなとかたかなくらいしか読めないので、漢字ばかりのそれは見ていても気持ちが悪くなるだけだ。興味を引かれるものはなにもなく、ルルーシュは暇を持て余していた。 ひたひたという抑えられた足音でルルーシュが目を覚ましたとき(いつの間に眠っていたんだろう)雨はまだ降っていた。変な体制でいたせいか身体のあちこちが痛い。夢は見なかった。 「あ、」 顔をあげれば黒い立方体を背負ったスザクが立っていた。ミルク色の肌はうっすら赤みを帯びていて、目がいつもに比べてとろんとしている。 「ただいま」 スザクはにっこり笑った。その笑顔にルルーシュは違和感を覚えて眉をしかめた。今までなにがあろうと彼はルルーシュにただいまなんて言わなかった。おはようくらいは言ったかもしれないが、それだけだ。記憶力には自信があるのでそれは間違いない。でも聞き間違いなんかでもない。 ルルーシュがそうこう考えているうちにスザクは「よいしょ」立方体を膝に乗せて、ルルーシュのとなりに座った。 「なんか眠そうだねえ……あ、もしかして寝ていた? だめだよ、こんなところで。いくら九月だからって今日は寒いんだから風邪引いちゃうよ」 「………………」 ルルーシュはそれこそ驚いてスザクの顔を凝視した。あれほど驚いたのははじめてで、自分でも目玉が落ちるんじゃないかとすら思った。ここ一ヶ月間ばかりそばで見てきたが、スザクが一度でも一般的なことを言った例(ためし)はなかった。もとから気のまわる性質ではあったようだが立ち入ったことは一切口にしない。社交辞令の一つも言わない。要するに、無駄なことは即座に無駄と斬り捨てていたのだ。そのスザクが、ルルーシュを心配するような普通のことを言いながらへらへら笑っている。 具合が悪いんじゃないかと思い、ルルーシュが口を開こうとした瞬間、 「……あれ?」 ごとん、と重たい音がして。反射的に目をつむったルルーシュがふたたび世界をとらえたとき、スザクが仰向けにぶっ倒れていた。顔は赤く、呼吸は浅く速い。 「こんの……ばかっ!」 それが、ルルーシュが枢木家に来てはじめてあげた怒号だった。声に驚いた女中が数人駆けつけてきて、すぐさまスザクを部屋に運んでふとんに寝かせた。病名は風邪。それと極度の疲労らしい。環境が変わったことによるオーヴァワークだ。 それだけならまだしも、そこそこ親しみのあった女中の一人が教えてくれたスザクの病気の見分け方にルルーシュは心底あきれ、慣れない手ながら一生懸命介抱した。とは言っても額に置いた布を一時間に一度ほど濡らしたり、彼が起き出したりしないように見張っていただけだったが。 三日以上眠りっぱなしのスザクを見てルルーシュは確信した。こいつは目を離したら自分でも気づかないで死ぬ、と。 それがなけなしの世話焼き魂に火がついた瞬間でもあった。 額に冷えピタを貼ったスザクはぬるくなったミネラルウォータを喉に流しながらあきれたように熱に焼かれた声でぼそぼそとつぶやいた。 「だからって、今日休まなくたって……」 「うるさい。だまれ。病人は大人しく食って寝ていろ」 ルルーシュが秀麗な顔をいらだたしそうにゆがめてぴしゃりとはねつけると、スザクは困ったように笑う。しょうがないなあとでも言いたげな彼を睨みつけつつ、ルルーシュは適度に冷ました粥(かゆ)を口元につきつけた。そのまま汁椀ごと受け取ろうとするので即座に遠くへやればスザクは不満そうに口を曲げた。 「自分で食べられるよ」 「三十九度の熱が出るまで不調に気づかなかったやつがほざくな」 そう言ってやると、スザクは渋々と背もたれの枕に身を沈めた。ルルーシュはため息を吐いてふたたびれんげに塩味の粥をすくった。残念ながらこれはレトルトだ。ルルーシュのレパートリにも粥はまだない。ちょうどいい水加減で焦がさずつくるにはレヴェルが足りなすぎる。なによりスザクに手づくりの粥は鬼門だ。トラウマと言ってもいい。以前三日間ほどぶっ通して完全徹夜をやってのけたスザクに特派所属の女性が好意一○○パーセントで粥を差し入れたのだ(徹夜中水しか飲まなかったらしいので女性の選択はかぎりなく正しい)。しかしその粥は砂糖水で炊いてあり、ブルーベリのジャムがトッピングされていた。あれにはさすがのルルーシュも頬を引きつらせた。甘党でないスザクには拷問だったであろうに天然フェミニストである彼は苦心してそれをたいらげた。後にスザクは粥をこしらえた女性に礼を言いつつ中国にはこういったデザートがあるが普通は塩味であることをそれとなく教えていた。人畜無害な笑顔で懇切丁寧に教えるさまの陰には二度と食べたくないというストレートな感想が見え隠れしていたことをルルーシュは忘れない。そして自分は絶対にやるまいと誓った。古今東西、食べものの恨みはおそろしいと相場は決まっている。 スザクは差し出したれんげに今度はおとなしく口をつけた。水と一緒に飲み込みながら味がないとぼやくスザクに無言で粥を食べさせながらルルーシュは今朝のことを思い返す。 いつものようにルルーシュが六時半すぎにスザクの部屋に行き、いつものようにブザァを鳴らした。しばらくしても反応がなければ手持ちのカードキィで開けようとバッグのジップを半分ほどずらして待つ(たいてい無反応なのだが過去に何度か例外があった)。しかし今日はそこからおかしかった。今さら思い出してみればロックしてあるか否かを表すランプがグリーンだったのだ。ルルーシュがブザァを押してすぐにスザクが自らロックをはずして顔を出した。あまつさえ「いらっしゃい」とまで言われてしまった。 はじめてスザクが倒れたところを目にしたときに女中が教えてくれたことは、スザクは具合が悪くなると饒舌になるのだという。いつもどこかずれている思考がかちんと正常にはまって言うことなすことすべてが普通になる。しかも自分では熱があるという自覚がないものだからやたらと動きまわるのだ。 このままだと学校に行くと言いかねない様子に一瞬青ざめたルルーシュは即座にスザクを引っぱって自室にとんぼ返りした(だってスザクの部屋にはソファしかない)。渋るスザクを自分のベッドに文字どおり縛りつけて体温計をくわえさせ、すぐさま財布と携帯電話だけを持って部屋を飛び出した。歩いて十分の場所にあるコンビニへと走りながら担任と毎日迎えに来るクラスメイトに欠席の旨を連絡し、冷えピタとレトルト粥とロックアイスを買ってふたたび走ってもどる。途中、スザクの部屋に寄って彼の携帯電話をつかむとつけっぱなしだったコンロの火を消して(気がついてよかった……)部屋を出た。どの部屋もオートロックなのにカードキィなしにルルーシュが入れたのはドアに靴がはさまっていたからにほかならない。しっかりとランプがレッドになったのを確認した。 「ごちそうさまでした」 「おそまつさまでした」 静かに手を合わせたのを見て、ルルーシュはうなずいた。スザクは昔から薬が効きにくい性質なので市販の風邪薬は無意味だ。病院に行こうにも足がない。食欲はあるようだから回復は早いだろうが、一応スザクの上司に連絡しておこうと空になった食器を手に床から立ちあがった。怪しい言動と行動がいやに特徴的な彼はたしか医師免許も取得していたはずだ。 「ねえ、ルルーシュ」 「なんだ」 声を掛けられ、ルルーシュは首だけをめぐらせた。スザクはブランケットにもぐりながらへらりと笑った。発熱のせいで三割増し(当社比)やらかい表情になっているとわかっているが、思わず目をうばわれる。 「追試でいいなら一緒に受けてもいいよ、テスト」 ルルーシュは食器をがちゃんとその場に落とした。幸い、フローリングが傷ついただけで済んだ。 |