98%の愛でできています。



 濡れタオルに氷水を張ったボウルを置き、その上にひとまわり小さいボウルを重ねてがちゃがちゃと泡立て器を左右に動かす。無心で。べつに電動のものを使ってもいいけれどわざわざ戸棚を探すのもめんどうなのであえての手動。結果論として疲労度が高いのはあきらか後者だがそこは気分だ。もしこれで手首を痛めでもすれば二度目はないと思う。というか攣った時点で放棄する気満々だ、いくらなんでも優先順位的に考えて私用で負傷だなんてあほの極みだ。仕事はあとからあとから増えて待ってもくれなきゃ減ってもくれない。なんて最悪な悪循環。
 そもそも今は二週間ぶりのオフだった。三三六時間ぶりのお休み。それなのになぜ惰眠をむさぼりもせずにキッチンに立って愛用の(というほど着てもないけれど)エプロンなんかしてしかも使用頻度のほぼない戸棚の調度品と化していたボウルやら泡立て器やら粉ふるいやら焼き型やらその他いろいろを使っているのだろうか。いわゆるお菓子づくりに必要な器具がそろっていることに関しては単純に一般家庭にありそうなものを手当たり次第購入してそのまま放置していたからだ。だからこの家には圧力鍋もあるし土鍋もあるし、探せばたぶんホットプレートとかたこ焼き用のプレートとか鯛焼きの型とかワッフルの型とかホットサンド用のなんちゃらも新品で出てくると思う。使う機会にめぐまれないだけでそれなりに充実しているのだこのキッチン。IHヒーターではなくふつうのガスコンロなのは使い勝手の問題で、冷蔵庫がほぼ空なのはまあしょうがない。
 びー、と予熱を仕掛けておいたオーヴンが終了を知らせた。それにはふりかえらず天板に専用の紙をすき間なく敷き、そこに休ませておいた生地を直接流しこむ。ゴムべらでていねいにこそげとり、天板のほうは二、三度持ちあげてはかるくたたきつけて内部の空気を外へ、最後に表面をきれいにならす。それからもうふたまわり、ひとまわりほどちがう天板に重ねて三重にして(こうするとあまり焦げないのだ)オーヴンの上段へ。「熱っ」押しこむ瞬間指先がオーヴンの天井に触れた。とっさに耳たぶをつかみ(これやるのって日本人だけらしいけれど。教えられてないのにやってしまうってどうなの。日本人特有の条件反射?)、触れたのは爪のほうなのだから意味ないかとボウルの氷水に指をつっこんだ。ぐるんと反転してからだの向きを入れ替えて、外から見たらかなり変な体勢になってオーヴンを閉める。二〇〇度でおよそ十分が目安だけれど温度が下がってしまったからもう少し増やして十五分。まあ多少生焼けでも文句はないだろう。手づくりして、それを贈ることに意義がある。ふくまれる真意がどうかはもらい手の判断任せだ。そこまで気にしていられない。むしろどうでもいい。
 冷やしていた指を見れば多少赤くなっていた。でもこの程度ならばあとでオロナイン軟膏でも塗って絆創膏でもしておけば問題ないと判じてエプロンで水気をぬぐう。
 さて、クリィムのつづきだ。泡立てる前にキルシェを混ぜたので白色ながらもフルーティな香りがする。デコレーションに使うわけではないからあまりかたくはしないで六分立て。ぽってりとしたくらいで泡立てるのをやめ、ラップをして冷蔵庫へ。なかが空だとこういうとき便利だ。
 ついでに野菜室からマンゴーを出してならべ、「……なんだっけこれ」見覚えのない瓶を取れば洋酒漬けのレーズンだった。漬けた覚えも、もらった覚えもない。基本的に意図せずしてわすれるということがないのである意味危険物だが案外この家に侵入れる人物は多いのでそのうちのだれかが置いていったものだろうと判断する。いいやもう使ってしまえ。
 なんとなく料理教室に通った際に購入したケース入りの刃物八本セットからペティナイフを選び、熟したマンゴーにあててするすると皮をむく。熟しすぎていて若干むきづらい。宮崎県産完熟マンゴー。やっぱりこれも送り主はシュナイゼルなのだがなにしに行ったんだあのひと。どげんかしに行ったのか。……なにを? 箱で送られてきたそれは職員全員で分けてもひとり四つ以上もあって、さすがに職場では食べきれずに各自持ちかえることとなった。さすがに生ものだし高価なので放置にはいたらなかったけれどだいぶぎりぎりだ。完熟と腐敗で分けたらまだ完熟寄り。食べものは腐りかけがいちばんおいしいとは言うけれどものによると思う。食べられればそれでいいので味に興味はないがどうせならおいしいほうが好ましいのは真理だ。だれが好んでまずいものを食べたがるのか。まあそういう趣味のひともいるのだろう。感覚を共有することなんて厳密には不可能なのだから。皮をむいたら半分にして、食べやすいサイズのさらに半分ほどにカットする。レーズンは汁気を切って。指についた洋酒を舐めればなかなか上物のウィスキィだった。なんとなくもったいない。なんでこんないいものでレーズン漬けちゃったんだろう。ふつうに飲んでみたかった。フルーツはすぐに使うからまな板の端に置いておく。「あ、そうだ」レモンピィルとオレンジピィルの砂糖漬けがあった気がして(これはロシアンティのお茶請けにつくってみたのだ)、それをがさごそがたごと探していたらオーヴンがまた鳴った。開け、今度はミトンをちゃんと装着して天板を引き出す(それくらいの危機感は常にあるのにだれも信用しちゃくれない)。表面はきれいなきつね色。コンロの上に天板を置き、焼きたてのビスキュイを紙ごと持ちあげてケーキクーラに移し、上からべつの紙をかぶせて冷ます。ラップでは熱や水分がこもってしまうし、なにもかけないでおいてはぱさぱさになってしまうからだ。
 冷蔵庫からクリィムのボウルを出してカットしたフルーツを投入、ざっくりふんわり混ぜあわせる。砂糖漬けのピィルはふつうの紅茶缶(ティーバックでいいって言っているのになくなったことがない)のとなりにあったので、それぞれいち片ずつをきざんでこれもクリィムへ。白にオレンジと黄色が散っていて、ぽつぽつある濃い色がなかなかのアクセントになっている。こんなところにこだわっても仕方ないのだろうがそこはつくり手の趣味だ。ちなみに正しく微糖だ。ビスキュイ自体にそこそこ味があるし、わざわざクリィムに砂糖を入れなくてもフルーツの甘さで十分カヴァできる。こちらとしては十二分なのだがあれでいて甘党な彼にはどうだろう。まあいやなら食べなければいいだけだし。贈ったあとの処遇など詮なきことだ。もったりしたクリィムをすくっては落とし、すくっては落として具合をたしかめる。
 あとはビスキュイが冷めないことには進められないのでいったん休憩。「と、その前に」もう使わない道具を手早く洗ってしまおう。あとまわしにするほどのことではないし、いずれやらなければならないことがあるのに作業の間にブランクがあるのは気持ちがわるい。この判断すらふだんいそがしいゆえの弊害と思うとなぜか心理的に泣けてくる。
 ボウルにこびりついた生地は温水でむりやりはがし、泡立て器のクリィムも同様に。粉ふるいは目に粉がつまったままにならないようにかるくこすって――そういえばこの間教えてもらった小技で、グラスに粉を入れてそれをふるいでぐるぐるまわせば粉が飛び散らないというのがあったけれど試してみたらたしかに飛び散りはしないけれどだまはどうにもならなかったのでけっきょくふつうにふるうはめになった。洗いものも増えて二度手間だ、とグラスをすすぎながら思う。とりあえず現時点で洗えるものはすべて洗ってしまい、水切りに引っくりかえして置く。すぐに拭いたらタオルはすぐさまびしょびしょだ。
 濡れた手を拭いてカウンタ越しに壁掛けのレトロな時計を見れば、もう十四時前だ。家にもどったのが十一時くらいで作業をはじめる前に洗濯機をまわしたりなんだりしていたので(衣服は職場近くのランドリィでいいけれどシィツやら体操着やらは家でやるしかない。同居人がいるって本当にたいへん)一睡もできていない。なかばストに近いかたちでもぎ取ったオフは二十時までだから夕飯くらいはいっしょできるだろうか。そうなればメニュを考えないと。家にいてまで店屋物では同居人そのいちはいいとしてももうひとりに申し訳ない。ああでも彼女は帰宅するだろうか。日本に来て最初にできたという同性の友だちが、現在進行形で作成中のケーキの贈られ主の妹さん(遠まわしな表現だがしっかり顔見知りどころか愛すべき友人だ)なのでもしかしたらいわゆる誕生日パーティなるものにお呼ばれしているかもしれない。同居人そのいちの彼も同様だ。あのふたりはあれでいて愛想も付き合いもいいので。「あとで連絡してみよう」それならそれで一向にかまわない。夕飯をつくる手間もはぶけるし、空いた時間を睡眠にまわせて一石二鳥。ケーキは職場へ行くついでに届ければオーケイだ。
 自分にくらべて比較的自由度の高い同僚ふたりをうらやましく思うのはごくまれだ。自分のこれは好きでやっていることだし、友人たちと話をするのは楽しいけれど学校自体にはそれほど興味がない。なので“学校に通う”という経験のないふたりを優先的に追いやってしまうことに異存はなかった。そもそもあのふたりは本社から派遣されてきたモニタであって技術面においてはぶっちゃけいても邪魔というのが本音なのだが(とくに彼のほう。一度データふっ飛ばされた恨みはわすれない)。
 ビスキュイに触れてみればだいぶ冷めていたのでクーラから紙ごと移し、一方をななめに削いでから表面に四センチ幅ごとに切りこみを入れた。その削いだ部分と対面の端だけをのこしてフルーツ入りのクリィムをぼこぼこしないよう均等に塗りたくる。合間合間にミントの葉を散らし、削いだほうを向こうにして紙を剥がしつつ手前からぐるんぐるんとていねいに巻いてしまう。閉じ目は下にして巻き紙でくるみ、あとは冷蔵庫でなじませるだけだ。仕上げの粉砂糖は箱に入れる直前でいい。
 思えばこうして彼の誕生日を祝うのははじめてかもしれない。彼が実家にステイしていたころはさり気なく仲がわるかったし(というか幼なじみの子がものすごくきらっていた)、再会した年はばたばたして誕生月に会えたのは学校主催のクリスマスパーティでだけだったし、その次は年越ししてからでたしかヴァレンタインディ前後で休学してしまった。それからまるっと一年会っておらず、帰国したのが夏だから――やっぱりはじめてのことだ。片手の指以上の付き合いがあるのに。ある意味快挙だ。
 そもそも年末は決算やらなにやらで目をまわしていられないほどいそがしいのだ。猫どころか百足に協力してもらいたいくらいだがどうせ役に立たないのでいらない。
 だと言うのに今年はこうして手づくりしてまで祝おうとしている。なんでもこのケーキが自分からプレゼントになって、これをつくる時間がシュナイゼルらからのプレゼントらしい。さすがに屈折している気がしなくもないが、やっぱりいそがしくて祝っている暇がなかった同居人そのいちがぎゃんぎゃん騒いでいたのでそれなりのプレゼントにはなるようだ。あまり理解はできないけれど。これもお国柄のちがいというやつか。
 うろ覚えのレシピでつくったロールケーキを冷蔵庫にあずけ、同居人そのにの彼女に連絡を取ろうとケータイを探す。あまったクリィムはどうしよう。食パンにでもはさんでおけばどちらかが食べるかな。リビングのソファに放りだされていたケータイの電源を入れなおし、いきなりメール受信画面になったディスプレイをなんともなしに見ながらはたと気がついた。
「ルルーシュ、レーズンきらいだっけ」