世界なんてなくなってしまえばよかったのに。

 夜が来て眠るたびに、起きて朝が来るたびに思う。
 名前も知らない救世主は魔王を殺してくれるだろうか。

 ルルーシュはこの国の十一番目の皇子として世に生を受けた。父である皇帝は特定の皇妃を持たず、子は百人以上にもいる。ルルーシュの母も数ある妾の一人で庶民の娘であったにもかかわらずルルーシュの存在が大衆に知れ渡っているのは皇位継承者としてではなく、生まれながらに背負った宿命のせいだ。
 この世界には一様に四季が存在する。しかしどの土地においても冬は、とくに雪は忌むべきものだ。冬が来るたびに人々の心は休まらず、徐々に降雪量が増えると誰もが世界の終局を予感した。そして願った。世界が終わる前に救世主が魔王を殺すという、親から子へまことしやかに伝えられるおとぎばなしを。
 しかしそれは事実だ。現にブリタニア帝国立軍零番隊の長であるカレン・シュタットフェルトは初代救世主の子孫であり、カレンの亡き兄であるナオトは微弱ではあったが救世主の力を継いでいた。
 先代の救世主はルルーシュが生まれた年の夏にそのときの魔王とともに死んだ。救世主は血では後継されず(先代はあろうことか反ブリタニア勢力のリーダーだった)、またそれは魔王も同じらしい。そのシステムが明らかになるまでは魔王の血族は遠縁におよぶまで駆逐された。
 魔王は、ヒトがヒトを殺しすぎたときに世界を滅びへと導くために生まれるよう位置づけられた存在だと史実には記されている。人間と同じように女の胎を介して生まれ、人間と同じすがたをしているが救世主以外には殺すことができないという。剣で四肢をばらばらにされようが、槍で身体を串刺しにされようが、火にあぶられるようが、水に沈められようが、馬に引きずりまわされようが魔王は死ななかったらしい。
 ルルーシュは寝物語の代わりに救世主の正義と魔王の悪を聞き、帝王学の代わりに剣を振るい、政務として戦場を駆けた。ヒトがヒトを殺すことは世界の寿命を縮めることであるはずなのに、救世主がヒトを殺してもそれはカウントされないらしい。たとえば魔王が最後の一人で、救世主がそれを殺したから世界が滅びてしまってはどうしようもないからだ。
 戦場で敵国の兵を切り捨てながらルルーシュはいっそ首をかき切ってしまおうかと何度も思った。
 悪であるはずの魔王はヒトとして区分されるくせに、救世主である自分はヒトではない。それに、死にたくないと叫びながらもヒトはヒトを殺す。何度もくり返しておきながら誰も懲りないのだ。雪が降るたびに滅びを嘆き、しかし滅びは必ず回避されるものだと誰もが思い込んでいる。それがルルーシュにはがまんならなかった。
 帝国に仕えている異国の預言師が魔王の誕生を告げたのはルルーシュが六つの夏だった。
 元来救世主は春に生まれ、魔王は冬に生まれるとされていただけにルルーシュが生まれたときもさんざん騒がれた。救世主と魔王の誕生に誤差が生じるのは常だったが、前回との誤差がこれほどまでにないのは異例のことだった。
 誰もがルルーシュに生まれたばかりの魔王を殺すように命じた。しかし当時のルルーシュはまだ剣を握りはじめたばかりであり、その年の冬は雪がすくなかったために翌年へと見送られた。
 しかし、翌年もそのまた翌年も雪はすくなかった。もしかしたらもう滅びは来ないかもしれないという淡い期待に市井の人々が安堵しはじめてもルルーシュは戦場で血を浴びていた。救世主は魔王とちがって殺されたら死ぬ。それならば武器として使おうというのが皇帝の考えなのだろう。いくら武勲をあげてもルルーシュはただの人殺しだった。
 そうしてまた時は過ぎ、ルルーシュは十七になった。

 幼なじみのカレンとともに形式として必要な皇帝との謁見を終えたルルーシュはむっつりとした表情で城内を歩きまわっていた。
 ルルーシュの離宮は二の郭にあり、馬を駆れば四半刻ほどで着くがカレンを置いていったとなればあとが怖い。彼女の部下の様子を見に演習場へ行ってもよかったのだがなんとなくそんな気分にもなれなかった。城下へ行くにも許可と護衛がいるし、貴族の集まるようなところに行くなんて反吐が出そうだ。
 仕方なしにルルーシュは行く当てもなく歩きつづけている。脳裏に浮かぶのは凱旋中に馬上から目にした山間部の貧しい風景だ。雪のせいでろくな作物が育たず、せめて寒さをしのぐために着込んだ衣服も古びてぼろぼろだった。彼らはルルーシュを、そしてルルーシュが佩いた剣を目にした途端に色を変えて叫んだ。
 はやく魔王を殺せ、と。
 そういえば十年前に生まれたあれはどうなったのだろうか。カレンの話では城内のどこかで育てられているらしいが、果たしてなんのために育てているのだろう。研究のためか、もしくは保険としか考えられない。その嬰児が魔王と知れたときその親は国家反逆罪として処刑してしまったし、孤児院かなにかにあずけたとしても万が一死ななかったら帝国の権威が墜ちる。それに、救世主と魔王の両方を保持しているとなれば他国に対しても圧力がかけやすい(なにせ人質になるのは世界だ)。
 石づくりの窓からはらはら舞うものが見えた。
「雪、か……」
 暦の上ではもう桜が咲いていてもおかしくない季節だというのに毎日のように雪が降りつづいている。それでいてなお滅びのきざしはどこにもないのだから狂っているとしか思えない。雪は積もることなく地面に触れる前にかき消えてしまうのだ。
「いっそのこと滅んでしまえばいいものを」
 まるで救世主らしかぬことをルルーシュは吐き捨てた。
 魔王を生かしておけば世界は雪に埋もれて終わる。辺り一面が白一色で覆われるのだ。それはきっととてもきれいな風景で、そんなきれいな終わり方ならこんな汚い世界も許されると思った。
 自分の考えをルルーシュは鼻で笑い、くるりと踵(きびす)を返した。なんだかんだでルルーシュは今まで魔王を見たことがない。一度見ておいても損はないし、たとえ気が向いて殺してしまったとしても喜ばれるだけだ。あの父親に褒められるかと思うと背中が寒いがそれでナナリーの安全が得られるのであれば安いものだ。外交の道具としてナナリーを敵国に嫁がせようとしているのは前々から気づいていた。白い世界は非常に魅力的だがそれよりもナナリーのほうが大切だ。
 こつこつと足音を響かせながらルルーシュはふたたび歩き出す。見当をつけたのはできることならば訪れたくないところだが、そこ以外考えつかなかった。あの異腹兄とその悪友が、世界を滅ぼす魔王なんておもしろいものをそう易々と放っておくはずがないのだから。


かりそめの

 めずらしい人が来た、とセシルは素直に思った。しかしすぐに興味を失って今までやっていた作業を続行する。これがシュナイゼルかC.C.かV.V.だったらいそいそとお茶の準備をはじめるが今日の客はただの救世主であるルルーシュだ。彼の存在は正直研究の邪魔でしかないので皇族とはいえこの館でのあつかいはぞんざいだ。
「おやあ? まーた、めずらしい人が来たねえ」
 思ったことをそのまま音にされ、セシルはふと目をあげた。あたたかな暖炉の前に置かれたソファで仮眠を取っていたはずのロイドがぐてんとルルーシュを見ていつもと変わらずへらへらとしている。これで不敬罪にならないのだからシュナイゼルの力は伊達ではないということだ。
 一方ルルーシュは意味ありげに眉を撥ね、あからさまにロイドが苦手だというオーラを放っている。
 ロイドはソファから身を起こし、腕を組んで斜にかまえた。
「今日はどういったご用件でしょう、ルルーシュ殿下」
「魔王に会わせてもらいたい」
「ふうん。あの子の管轄は第二皇子ですけど、許可はもらってます?」
「いや。だが救世主という肩書きだけで充分なはずだ」
「ああ、そうでしたっけ」
 なにをえらそうに。セシルはすうっと目を細めたロイドがなにを考えているのかが手に取るようにわかり、同様に考えている自分にため息を吐きたくなった。
 ロイドもセシルも、そしてパトロンであるシュナイゼルもあの子が悪だとはかけらも考えていない。むしろあの子は神さまがこの世界に残した唯一の救いだとも推測している。もちろんそれは考えられる可能性の一端でしかない。だが今まで殺されてきた魔王の誰一人に罪はないのも事実だ。彼らはヒトが犯しすぎた罪の清算のために生まれ、ヒトの傲慢さで殺された。
 研究の一環として生活をともにしたせいで情が移ったのかもしれない。しかし魔王だからと切り捨てるにはセシルたちはあの子に触れすぎ、あの子は諦めすぎていた。
「セシル、救世主殿を案内してあげて」
 言われ、セシルはやりかけの刺繍をひとまず置いて立ちあがる。引出しから鍵束を取り出し、ふとしてものめずらしそうに室内を見ているルルーシュに尋ねた。
「殿下はあの子をどうされるおつもりですか」
「実害があるようなら殺す。当然だ」
 視線も寄越さずに返答され、それもそうかと肩を落とした。なにを期待していたのだろう。
「あとで塩用意してねえ」
「はあい」
 意味がわからなかったのかルルーシュが首をかしげる。そんな彼をうながしながらセシルはくすりと笑った。塩はとても高価なものだけれどあるだけ撒いておこう。せめて研究がある程度終わるまであの子を殺されては困るのだ。


哀れむのは春

 セシルというらしい女性は部屋の鍵を開けて早々に立ち去ってしまった。最低限の愛想しかないのはさすが異腹兄上の部下だと思ったが、彼女が縫い取ったらしい刺繍はそれは見事なものだった。薄紅色の花はおそらく桜をモチーフにしているのだろう。
 カレンも、せめて縫い物さえできれば嫁のもらい手もあるだろうにとルルーシュは思わずにはいられない。彼女が戦で武勲をあげるたびに縁談は破談になるのだ。夫よりも妻の階級が勝るなどあってはならないからだ。もしこのままカレンが順当に階級をあげつづければ行き着く先はルルーシュになるのだろう。初代救世主は初代皇帝の養子だったとかで身分はちがえども親類関係にあるのだから可能性がないとは言えない(それが嫌で、お互い競うようにして武勲をあげまくっているわけだが)。
 何十の鍵と分厚い扉に反して室内はこざっぱりとしていた。
 石の質感そのままの壁に、すみには大きな白いベッド。背もたれが縦に長い硬そうな椅子が窓際に一脚置かれ、臙脂色の模様が目を引く厚手の絨毯が中央に敷かれているだけだ。それ以外の調度品はなく、椅子に座らされている子どもの丈ほどもありそうなテディベアが異様なほどにアンバランスに見えた。
 そういえば、何ヶ月かくらい前にシュナイゼルがテディベアを運んでいるのを見た覚えがある。あのときはC.C.にいろいろとせっつかれていたから見まちがいかと思っていたが、なるほど、あのときのテディベアは魔王のためだったらしい。そうとわかればさらに不可解さが増した。
 ルルーシュは窓の縁に腰を下ろし、ガラスを開け放って外側に足を投げ出している子どもを見た。
 くるくると巻いた短い茶の髪に、ルルーシュと対比するような白を基調とした服。
 どこをとっても魔王という印象に結びつかないその子どもを、なぜシュナイゼルはだいじにしているのだろうか。どうせ殺すのに。
「あっちのほう」
 魔王は短い足をぱたぱたさせながら唐突に窓の外を指差した。
「あっちにあるって、セシルさん言ってた。今までの墓。おれもそこに埋められるのかな」
 誰かに言って聞かせているようで、その実は独り言なのかもしれない。そう思ってしまうほどに魔王の言葉に脈絡はない。ぼつぼつと似たような言葉がつづき、ときおり「きゃはは」とその背中に似つかわしくない笑い声が漏れる。これがもしかたわらのテディベアに向けられているのであればまだ救われたのだろう。しかし魔王はあきらかに誰かに――おそらくは部屋にはいってきた誰かに話しかけている(それがルルーシュと知っているのかはべつとしてだ)。
 史実によれば救世主と魔王は対であり、不可思議な力によって引き合う性質にあるらしい。たしかにルルーシュは部屋にはいったときから魔王に奇妙な引力を感じていた。今まで気がつかなかったことが奇妙なくらいのそれに内心首をひねりつつ、部屋自体が結界かなにかになっているのだろうと当たりをつけた。なにからなにまで邪魔をしているとしか思えないシュナイゼルに腹が立ってルルーシュは歯噛みする。
 なんの前触れもなく振り向いた子どもはその緑色の大きな目をぱちくりさせた。
「あれ」
 シュナイゼルさんかと思った、とその口が動いたのを正確に読み取ってルルーシュは眉をしかめる。あまりにも救世主に対して無関心すぎやしないだろうか。
「だれだよ、おまえ」
 警戒心をむき出しにして誰何されてしまってはどうしようもない。甘いとしか思えない異腹兄の教育にぼろくそ言いたくなりつつ仕方なしに名乗ろうとし、
「あ、わかった。シュナイゼルさんのグテイだろ。ロイドさんが言ってた」
 尋ねたはずの魔王によって遮られ、ルルーシュは閉口した。無意識に口の端が下がる。
 シュナイゼルがルルーシュのことを愚弟と呼ぶのならまだしもロイドに言われるのは納得がいかない。謙譲語(子ども相手に謙譲もなにもないだろうに)ではなく、あるのはただばかにした響きだ。皇族を侮辱したとなれば極刑は免れない。しかし、悲しいかな。ロイドがシュナイゼルの管轄である以上、ルルーシュは彼への干渉権を持ち得ない。
 ひょい、と魔王は窓枠から飛び降りた。子どもの突発な行動はすべからく同じであり、それは魔王であっても適合されるらしい。足音でも聞こえてきそうな様子でルルーシュにとてとて歩み寄る。その表情に死ぬことに対する恐怖は見られない。
「なあ、おまえには聞こえないのか?」
「……なにがだ」
「なにがって」
 きょろりと目を動かし、ついでに首もかたむけて「せかいが壊れていく音」そうにつぶやいた。
「ああ……」
 思い当たるものがあり、ルルーシュはうなずいた。
 耳の奥で響く甲高い音。金属同士がぶつかるような、水晶をこすり合わせたような、それは朝夕関係なく聞こえている。きしきしと、粉雪を踏みしめる音にも似たそれは滅びの前兆なのだとC.C.は幾度となくくり返した。彼女はべつに滅びを防ぐことをうながしたりはしない。ただ思い出したように「今日は雪が多いな」とだけお気に入りらしいソファに寝そべって口にするのだ。
 まるで白の鳥らしくない(比較対象がおとぎばなしで張り合いがなにもたしかだが)C.C.のせいで連鎖的に黒の鳥のことまで脳裏に描いてしまった。彼もまた同様になにを考えているのだがルルーシュにはさっぱりわからず、ときおりC.C.との茶の席を共にしても情報が得られた例(ためし)は一度もない。
 そういえば、とルルーシュはついくせで組んでいた腕を解いた。ルルーシュが室内にはいってから五分以上が経過するのに黒の鳥が現れる気配がみじんも感じられない。
「黒の鳥はどうした。あいつはおまえを守るのが役目じゃないのか」
「それってV.V.のことだよな。おれ、よくわからない。いっつも笑ってごまかされるんだ」
 魔王は気にした様子もなさそうに耳の下を指で引っかいた。
 世界を滅ぼす悪役だというのに魔王も、その補助である黒の鳥もまるでやる気がない。ついでにいえば救世主の補助である白の鳥も我関せずで通している。そういうルルーシュも先ほどまで魔王の存在などカレンの愛馬である紅蓮弐式(壱式はナオトの愛馬だった)の蹄鉄の減り具合ほども気にしていなかったから、思えばなんて平和だろう。滅びに対して異様なほど毛を逆立てているのは国内外の人々、いわゆる脚本設定上の登場人物たちだ。
 ルルーシュはため息を一つ吐き出して、だいぶ低い位置にある茶色の頭を見下ろした。
「おまえ、死にたくないとは考えないのか?」
「うん。だって、おれ、生きてたらだめだろう。自分じゃ死ねないし」
「らしいな」
 寝物語として何度も聞かされてはいてもそれを信じていたのは魔王よりもずっと幼いころだ。特定の人間の手でないと死なない人間なんているわけがないと、生まれたときからC.C.がそばにいたくせにルルーシュはかたくなにそう常識的に生きていた。
 返答が義務的なものだったことに気がついたのが、魔王は期待はずれだとでも言いたそうな目でうろんげにルルーシュを上目遣いに睨みつけた。
「おまえ、知ってておれを殺しにきたんじゃないのか?」
「……ああ」
 あらためて言われ(それも魔王本人にだ!)、ルルーシュは息を呑んで短く返す。
 正直なところ、ルルーシュにとってすれば魔王を殺そう殺すまいとそう変わらない結果しか待っていないのだ。どちらにせよルルーシュは人を殺しつづけなければならない。延びた限界値に達さないようにと心がけながら敵国の兵を普通の人間である自国の兵たちと殺す。
 ルルーシュが今ここで魔王を殺してしまえばルルーシュの魔王はもう生まれない。次に生まれてくる魔王はルルーシュが死んでから生まれる救世主のものなのだから。
 それを思うとなんだか惜しくなってしまう。十年の誤差を有して生まれ、顔を合わせて十数分。これもいわゆる一目惚れというやつなのだろうか。だがしかし相手は同性の、それも年齢がひとまわりもちがう子どもだ。
 一向に主だった反応を示せずにいるルルーシュに対し、小さな魔王はそれこそすばらしい宝物でも自慢するように見た目相応な笑顔を見せた。 「おまえみたいなやつで良かった」
 口調こそぶっきらぼうだがそれはとてもとてもうれしそうで。意図的にか、それとも無意識に削られた言葉は音にはされずともたしかに鼓膜を震わせた。
 世界を滅ぼすのと、病や外傷による死がない以外に魔王が持つ特異な能力はない。全か一かにしか作用しない力などあってないようなものだ。
 しかし、
「――――そうだな」
 ルルーシュは低くつぶやき、魔王の期待に応えるために、ルルーシュは救世主たるべく腰に携えた剣をするりと引き抜いた。





もうすぐ終わりの鐘が鳴る
The world will continue if the "one" would end