今この手を離しても、いつかはまた触れることができるだろうか

 南極と北極の上空に一つずつ設置されていた大気制御システムが原因不明の暴走を同時に起こしたために気候が激変し、その影響で洪水、噴火、地軸変動などの環境が一変したのが十七年前の皇暦二〇〇〇年のことだ。
 エリア11――かつての日本は当然のように四季を失い、全世界が通年真夏の気候となった。
 悪夢のように照りつける日光と熱気に川は干あがり、その代わりに南極の氷床が溶け出して水位があがった。必然的にいたるところで大陸が水没した。
 水や食料、高台に位置する土地の奪い合いが原因で勃発した世界規模の内戦がすべて収束したのが七年前のことだ。
 世界人口の半数を犠牲にしたこの大戦を制したのは、皇帝を元首とする絶対君主制国家ブリタニアだ。
 旧アメリカ大陸に遷都した今もほかの大陸を占領下に置き、情報制御理論を活用することによって外部環境に影響されず、完全自給自足の生活環境を提供し、一○○○万人が生活できるドーム型の積層都市「租界」を建造した。しかし租界だけではエリア全体の人間の生活を賄うことができず、どうしてもあぶれ者が出てしまう。そのような人々が集まり、租界のおこぼれを頂戴することで成り立ったのが「ゲットー」だ。
 さて、ここに情報制御理論というものがある。
 これは「世界には我々が一般に認識している現実世界のほかに「情報の海」と言う側面を持っている。現実世界と情報の海は互いに干渉し影響し合っている。ゆえに、ある一定以上の演算速度を持つコンピュータを用いて情報を押しつけ、「情報の海」を書き換えることで現実世界とリンクした「情報の海」が書き換わったことにより現実の世界も改変する事が出来る」と言う理論だ。ただし、ある化学者が相対性理論で明らかにした「物体は光の速さ以上で移動できない」など、ごく基礎的・根幹的な部分については書き換えることができない。
 この理論が用いられたのが「魔法士」と呼ばれる生体軍事兵器だ。
 魔法士は大脳四十六野のとなりに「I−ブレイン」という大脳生理学と遺伝子学の結晶である人類最高の生体量子コンピュータを保有し、情報制御理論を用いて「情報の海」に干渉し「魔法」を行使する者を指す。正式名称はアスブルンド・クルーミー型情報制御能力者といい、主に「騎士」「人形使い」「炎使い」の三種に分かれ、生産もこの三種が多いがこれ以外にも「規格外」と呼ばれる特殊な能力を持った魔法士が存在することが現在確認されている。
 魔法士の開発は情報理論の確立と同時にスタートしていたが、軍事目的として投入されたのは大戦からだ。
 当時は軍人の中から志願者を募り、すでに能力の決定されたI−ブレインの埋め込み手術と拒絶反応防止の遺伝子改変手術を受けることで後天的に取得する方法が一般的であったが現存数は少ない。
 これに対し、遺伝子レヴェルでの合成により先天的にI−ブレインを獲得する方法がある。 能力を遺伝子にI−ブレインの設計を組み込む際に設定するため、後天的な魔法士に比べて演算速度も能力も向上している。ただし先天的I−ブレインの成長は偶然に頼る部分も多く、擬似記憶によって人間として成長させて脳への刺激を与えないと神経回路の生育に障害をきたし、I−ブレインが正常に機能しないことがあるのだ。
 大戦が収束すると魔法士はただの兵器としてあつかわれるようになった。後天的なものは使い捨てにされ、先天的なものはカテゴリィAと呼ばれるもの以外すべて再処理工場に送り、もしくは人体実験の被験者として生きたまま解剖された。

 皇暦二〇一七年十二月。エリア11は人知れず危機に瀕していた。

 スザクはカテゴリィSに分類される先天的魔法士、それも大戦の折に失踪したラクシャータ博士が最後に遺したと思われる作品だ。
 外見年齢は十七歳だがI−ブレインの作成年月日を確認すれば今年の七月にようやく七歳を迎えたばかりだ。終戦のちょうど一月前に培養槽の中で目覚め、終戦後も運良く廃棄を免れた。日本人をベースにした顔立ちに癖のある茶髪と暗い緑色の目、そして特殊なI−ブレインを備えていたことがブリタニア皇帝の眼鏡に叶ったからだ。
 スザクはブリタニア軍所有として登録されており、先日までは中東――エリア18の制圧戦を行なっていた第二皇女コーネリアの特殊部隊に駆り出されていたところを本来所属のエリア11に呼び戻されたのだ。
 今日は言い渡された三日間の休暇のうち二日目だ。
 着慣れないパーカとジーンズがごわごわして落ち着かない。いつでも軍服を着ているスザクを見かねてこれらを用意したのは同じくエリア11所属の炎使いであるカレンだ。本当ならスザクは彼女と出かける予定だったのだが、今朝になってカレンのほうに出動命令がくだった。休暇であるスザクと違って待機状態にあった彼女が上の命令を無視することもできず、地団駄を踏むカレンをなだめることにスザクは尽力するはめになった。
 外出は取りやめようとスザクは言ったが、カレンはそれこそ拒否した。見納めなのだから気にしないで行ってこい、と。
 そのようなわけでスザクは一人で租界を歩いていた。
 管理システムによって温度調整された租界は肌寒いくらいで、道行く人々のほとんどが薄着だ。データファイルの中で見たコートなんてものを着ている人間は一人も見当たらない。
 スザクは意識的に帽子をかぶりなおした。
 大戦時は英雄と謳われた魔法士も今となってはただの殺戮兵器だ。人権を認めず、自然の摂理に逆らった存在としてあつかう一般人も少なくない。そのため魔法士はI−ブレインの自動発動による加害者への過剰な防衛反応を抑えることを自主的に自身に科している。
(『一五一七・三○経過』)
 脳内時計がそう告げた。環状モノレールの駅近くに設けられた噴水前のベンチに座ってから五分が過ぎている。そろそろ移動しようかと思って立ちあがり、スザクは一組の男女が目にはいった。
 すらりとした身体つきの少年がミルクティ色の長い髪の少女と連れ添っている。どちらも整った顔つきだが、少女は目を伏せて少年の押す車椅子に座っていた。仲睦ましく見えるが、恋人というよりは兄妹のような感じだ。現に、少年が少女に話しかける様はあたたかみにあふれたものだ。
 培養槽で生まれたスザクには家族と呼べるものがない。作成者であるラクシャータはI−ブレインにサインがあったからわかったようなものだし、一番仲の良いカレンもどちらかと言えば同僚だ。もしもスザクとカレンがブリタニア本国にあるファクトリィ製の魔法士だったら兄妹(もしくは姉弟)だったのかもしれない。
 突如として帯状の仮想ウィンドウがぐるりとスザクを取りまいた。踊る文字が点滅しながらスクロールする。
(文書:『攻撃感知』)
 スザクははっとして周囲を見渡した。スザク自身への攻撃ならば文書ではなく警告だ。だとすれば狙われているのは自分ではない。
「あいつ…………!」
(I−ブレイン 戦闘起動)
 それ――あの兄妹を狙うライフルの銃身を目にした瞬間、I−ブレインをたたき起こした。同時にスザクは一歩踏み出す。
(呼:『運動係数・身体能力制御・加速』)
 演算で体内の物理法則が改変し、運動と知覚の速度を四十三倍に固定。スニーカのゴムが摩擦熱で焦げる嫌なにおいがした。
 傍目からすれば突然消えて現れたように見えたであろうスザクは驚く兄妹にかまうことなく狙撃ポイントを睨みあげた。
 狙撃手が驚いたのがわかったがすでに引き金は引かれていた。あきれるほどのスローモーション(実際にはスザクが知覚している四十三倍の速度)で迫る銃弾から兄妹をかばうように立つ。
(警告:『攻撃感知』)
(文書:『着弾まで二秒』)
 銃弾は手を伸ばせば触れられそうなほどまでじわじわと近づいている。気がついたらしい兄のほうがゆっくりと口を動かすが、四十三倍速の世界に身をおいているスザクには彼の声が聞こえない。
(呼:連弾・『分子運動制御・盾』『分子運動制御・弾丸』)
 スザクは眼前を軽く撫でた。と、手が通過した空間の気温が低下し、空気中の窒素分子が小指ほどの大きさに固体化して灰がかった青いきらめきを放つ。
 生み出された結晶の一部は手のひらほどの大きさに凝固して銃弾を弾いた。また、盾になりきらなかった残りの飛礫は与えられた運動量で狙撃手に襲いかかり、
(文書:『着弾』)
 肉をえぐり、骨を砕く耳ざわりな音に重なってなにかが倒れ伏す音が、それとわからないほど引き伸ばされてスザクの耳に届いた。
 スザクたち軍所属の魔法士には犯罪を未然に防ぐ義務とそれに集う超法規的な権利が与えられており、特に刃物や銃器などを所持している際はすみやかな殺害処理が最優先とされる。
 租界の市民権を求めてゲットーの住人が傷害事件を起こすことはめずらしくないため、今いないカレンもこのような事態への防備策として呼び出されたのだ。先ほどの狙撃手もそうだろう。ゲットーにはIDがないために詳細はわからないが、近々租界周辺ゲットーの掃討作戦が行なわれるだろう。
(呼:『運動加速・終了』)
(『一五一七・四一経過』)
 もとの時間が戻ってくる。一応脳内時計を呼び出してみると現実時間は十一秒ほどしか経っていなかった。実際の銃弾処理にかかった時間は三秒前後だろう。
 スザクは息を吐き出した。死体処理の連絡しなければとポケットから携帯端末を取り出そうとして、
「――――おい」
 腕をつかまれた。
 瞬時に振り向けば先ほど助けた少年がスザクを睨んでいた。優しげだった表情は一変し、濃いすみれ色の目には剣呑な光が宿っている。
「おまえ……魔法士だな」
 断定の言葉に全身から音を立てて血の気が引いた。しかしスザクはすぐさま動揺を引っ込め、反射になるほどやり慣れた魔法士特有の敬礼――右の拳を左胸に当てた。
「はい。エリア11常駐ブリタニア軍所属の魔法士です。怪我はありませんか?」
「無事だ、おれも妹も。感謝する」
 やはり兄妹だったかとスザクは内心でつぶやき「軍人として当然のことをしたまでです」と実際に返した。
「お兄さま、どうかしました?」
 とまどったような少女の声に、少年とスザクは同時に目を落とした。
 少女は不思議そうに首をかしげ、目を伏せているのにも関わらず兄がいるほうを正確に見あげた。
「軍人さんがどうしていらっしゃるんですか? なにかあったの?」
「ううん、なんでもないよ。ナナリー」
 妹の安心させるための声はひどく甘いものだ。あまりの変わりようにスザクはなんと言っていいかわからず、つかまれたままの腕を見下ろした。少年の手は真っ白で傷一つなく、はじめて会ったときに差し出されたカレンのそれに似ていた。そう言えば少年の態度も猫をかぶっているカレンとそっくりだ。
「あの、」
「うぁら!?」
 鈴の鳴るような声をかけられ、ぼんやりしていたスザクは素っ頓狂な声をあげてしまった。
 睨みつけてくる少年の目が正直怖い。
「えっと、なんでしょう……」
「はい。助けていただいたようで、ありがとうございます」
 ぺこりと素直に頭を下げられ、スザクは面食らった。
 軍所属の魔法士のI−ブレインにはさまざまな軍規(プロテクト)が書き込まれている。その一つとして、魔法士が一般市民を守るのは当たり前のことなのだ。それを双方共に理解しているためにわざわざ謝礼を述べるなど、少なくともスザクはこれが初めてだ。
 なんと返すのが最善なのかわからず、スザクは微苦笑を浮かべた。
 助け舟を出したのは少年だった。一瞬だけスザクに鋭く目を向け、妹にささやきかける。
「ナナリー。彼も忙しいみたいだし、おれたちもそろそろ帰ろうか」
「はい、お兄さま」
 少女は顔をあげてうなずき、ふたたびスザクのほうを向いた。
「それでは、失礼します」
「……あ、はい。お気をつけて」
 スザクは咄嗟にそう返した。気の利いたセリフ一つ考えられないのだから、こういうときに限ってI−ブレインは役には立たない。
 だからあんたは口下手なんだ、と以前カレンに言われたことを反芻しながらスザクは道を譲るために一歩下がった。すれ違い様に少年がスザクの耳に口を寄せる。
「明日のこの時間、ここへ来い」
 少年はスザクの耳元で低くつぶやくと、なにごともなかったように妹の車椅子を押して駅に向かった。
 スザクはそれを呆然と見送って「あ」ようやく軍の死体処理班に連絡を入れた。


きみを失っても生きていけるだろう、意志があるかは別として

 租界は自分に必要なもののほとんどを自己生産することができるが、それを行なうためのエネルギィだけは外から補ってやらなければならない。外界からのエネルギィ供給を断たれた租界はすぐに熱量の循環機能を維持することができず、一分ともたずに機能を停止させる。
 その起死回生策として立案されたのが「ナイトメアシステム」だ。
 情報理論に基づく熱力学制御によって物理法則を超越し、租界を永久機関とするシステム。このシステムはデヴァイサと通称される演算素子に魔法士の脳を必要とした。それも極めて優秀な魔法士のものでなければ稼動すらしないというリスクもある。
 強制される者、自ら志願する者。デヴァイサとなった彼らはシステムの安定のために脳葉除去手術を受けて感情を奪われ、有機・無機コードにつながれたガラスの培養槽に閉じ込められた。

 大戦が集結し、十一の租界が機能し始めて七年。誰にとっても「ナイトメア」は完璧でなければならなかった。

 モノレールを降り、ルルーシュは真っ先に電光掲示板の時計を確認した。十四時四十六分。昨日の狙撃のせいで抜け出すのに手間取ってしまい、予定よりも少し遅れ気味だ。とは言ったもののそれはルルーシュの予定であり、実際の待ち合わせは十五時だ。
 アシンメトリィなジャケットとブーツカットパンツ、スリーブレスのトップスと街中にありふれたラフな格好をしているが、ルルーシュはブリタニア皇族だ。大戦の引き金となった大気制御システムの暴走事故の起きた年の真夏の十二月に生まれてから十七年、水没する大陸、制圧される国家をリアルタイムで見てきた。
 先日までは本国にいたルルーシュだがゆえあって妹ナナリーと共にエリア11に移住することとなった。
 先月末まではエリア11を三番目の兄であるクロヴィスが治めていたのだが、彼は最近になって発覚したとある不祥事により廃嫡されている。
 エリア11の「ナイトメア」が年を明けるより前に機能停止することがわかったのだ。
 エリア11のデヴァイサは稼動を始めた十年前から一度も交換を行なっていない。並みの魔法士では起動すらしないとされる「ナイトメア」を十年間もたせた魔法士の脳はすでに耐用年数をオーヴァしている。以前見たデヴァイサの脳を映した立体映像では脳の中央――旧皮質が死にかけていた。情報の過負荷に耐え切れず、ニューロン細胞が自己崩壊を起こしたのだ。
 本来ならば三年から五年の間隔でデヴァイサを交換するか、ファクトリィのあるエリアのようにデヴァイサを並列稼動させるのが通例だ。しかしクロヴィスは最も重要たるデヴァイサの管理(と言っても毎月一度のチェックだ)を怠り、このような事態となった。
 ルルーシュは父帝に命じられるままエリア11に来た。デヴァイサの交換に立ち会うためだ。エリア11のデヴァイサはルルーシュの実母であるマリアンヌだ。
 大戦時は「戦場の鬼神」として最も恐れられた時空制御特化型魔法士『光使い』であったマリアンヌは叙勲式の際に皇帝に見初められ、皇妃として召抱えられた。しかし一介の魔法士でしかなかった彼女は他の皇妃からの妬みを買い、ルルーシュを生んだ翌年にエリア11のデヴァイサとなることが決定づけられた。マリアンヌは後天的魔法士であったために脳葉除去手術が難航し、実際にデヴァイサとして稼動を始めるまで七年の年月を要した。
 ブリタニア皇家はこのことにより世間体が悪化することを恐れ、冷凍保存されていたマリアンヌの卵と皇帝の精子をかけ合わせ、マリアンヌの存在を偽造した。二年の間を開けて生まれたナナリーはルルーシュと違い、俗に言うところの試験管ベイビィだ。しかし、彼女は受精卵のときに投与された薬品(おそらくは抗生物質の類)が原因で目と足に疾患を抱えることとなった。
 だからと言ってルルーシュがナナリーを煩わしく思ったことは一度もない。生まれがどうであれ、血を分けた兄妹であることはたしかなのだから。もちろんルルーシュは臆することなくデヴァイサとなった母を誇りに思うが、みすみす母を見捨てた父と「ナイトメア」には憎悪すら抱いている。一人の犠牲の上に成り立つ一○○○万人の平穏など崩壊してしまえばいいのだ。
 待ち合わせ場所である広場に足を踏み入れると、すでに少年は噴水の前にいた。しかし一人ではない。セミロングのまっすぐな赤毛にレモンイエローのホルターネックワンピースを着た少女となにやら一方的な言い合いをしていた。少年は背中を向けているためにルルーシュからは表情がわからないが、少女の海色の目が釣りあがっている。
「わかっているとは思うけど定刻一八○○には部屋にいること! じゃないと上が動くからな! なにか買うときは領収書切るの禁止。給料溜め込みすぎてんだからたまにはぱーっと使え」
「べつに使わないでいたわけじゃ…………」
「そんなもの微々たるものだろうが!」
 今にも胸倉をつかみかかりそうな少女の勢いにルルーシュまでもが押された。充分見られる顔立ちであるだけに口調のアンバランスさに加えて迫力がある。
「……まったく。これだからスザクは…………」
 両手を腰にあて、ぶちぶちと文句を言い出す少女の肩を少年がそっとたたいた。
「ごめん、カレン」
「謝らないで。あんたが決めたことじゃなかったら串刺しにしてやっていたから」
「……本当にごめん」
「しつこい。それでも日本男児か」
 その後も何言か告げた少女は手を振って少年と別れた。モノレールに乗るつもりらしく、途中でルルーシュとすれ違う。その瞬間に少女の顔をこわばっていたからおそらく彼女はルルーシュのことを知っていたのだろう。
 ルルーシュがエリア11に来ていることを知っているのは軍部でも上層部の者だけだったはずだ。ならばあの少女は前例のないスピードで階級があがっているのだろう。対し、少年は昨日の時点でルルーシュのことを知らないと判断。
 明確な階級差があるというのにあれだけ親しいのはいっそめずらしい。
 少女が完全に姿を消したのを確認し、ルルーシュは少年に近づいた。昨日のパーカは着慣れていない感じがひしひしとしたが、黒のシンプルジャケットに白のパンツという今日の出で立ちは雑誌モデルのようだ(皇族だからって雑誌を読まないわけではないのだ)。
 声をかけるより先に少年が振り向いた。エメラルドグリーンの目がきょろりと動く。
「あ……えと、」
「悪いな。待たせた」
「いえ。そんなことは」
 魔法士という自分の立場を理解しているからか、少年は終始敬語だ。軍人としてその態度は当然のことだがルルーシュは気に入らない。
「敬語じゃなくていい」
「ですが、」
「同い年くらいのやつに敬語を使われると不愉快なんだ」
 そう言えば少年の顔がくもった。
 培養槽で合成される先天的魔法士は一年足らずで六歳ほどにまで成長する。人工子宮から出されるのは外見年齢が十を越えたころが一般とされるので、少年の実年齢はおそらく七歳かそこらだろうと当たりをつける。
 視線をあちこちにさまよわせてとまどう少年に、ルルーシュは人当たりの良い笑みを浮かべた。
「ルルーシュだ」
「へ?」
 気の抜けた声に思わず噴き出す。
「名前。おまえは?」
「あ、スザクです」
「敬語」
「あ」
 指摘してやれば彼はわたわたと口を手で覆った。その様子からして軍規(プロテクト)は書き込まれていないらしい。
「聞きたいことがあるんだ、おまえに」
 ルルーシュはさらりと口にする。
 不思議そうに首をかしげるスザクに「歩きながらでもいいか」と提案すれば、迷うことなくスザクは同意した。連れ立って歩き出す。
 エリア11所属という言葉を疑いたくなるほど、スザクは物珍しそうにきょろきょろと辺りを見まわす。実年齢そのままのスザクの所作を見て見ぬふりしながらルルーシュは思考を開始する。
 ブリタニア軍、それも主に魔法士の部隊を中心に広がった噂がある。
 エリア11には『白い悪魔』という二つ名を持つ魔法士がいるという。
 身体制御や日本刀で情報解体をするので騎士かと思えば、実弾を防ぐのに炎使いの能力である分子運動制御で氷の盾を使い、かく乱に人形使いの仮想精神体制御を操作、狙撃には光使いの時空制御を用いて特殊デバイスもなしに荷電粒子砲を。ほかにも電磁気学制御だとか量子力学制御だとかさまざまな能力を持つ規格外の魔法士。さすがに龍使いの身体構造制御能力はないらしいが、『白い悪魔』一人で魔法士と一般兵で構成される一個大隊と同等の戦力を誇るらしい。
 昨日のスザクは一瞬で目の前に現れ、あまつさえ氷の盾で銃弾を防いだ上に同時に氷の弾丸を打ち出した。前者は騎士の、後者は炎使いの能力だ。そばに炎使いがいたのならば話は別だが、スザクが氷を出現させたときの動作からしてそれはありえない。
 あのときのスザクの加速率は四十三倍。とうていルルーシュはわかりえぬ速度だが、そのことを告げたのはナナリーだ。妹は視力がないかわりにI−ブレイン(人工授精に携わったスタッフの仕業だ)を介して周囲を知覚する。スザクに気づいていないようなことを言ったのは疑念を持たせないためだ。
「あ……」
 突然スザクが足を止めた。駅周辺を離れて少ししたところにあるプロムナードにアイスクリームの移動販売車が停まっていた。彼はそれをじっと見つめている。車の前にはメニューらしきものが張られたコルクボードが置かれているがルルーシュからではぼやけてよく見えない。
 食べたいのだろうか? とルルーシュは思い、からかうような口調でたずねた。
「あの車がどうかしたか?」
「あー……ルルーシュ、さん」
「ルルーシュ」
「……はい。えっと、その」
 スザクはぽりぽりとほほを指でかき、ひどく真面目な面持ちになった。
「アイスクリームってなに?」
 瞬間、ルルーシュは開いた口がふさがらなかった。今こいつはなんと言っただろうか。
 ルルーシュがあきれていることを敏感に察したらしいスザクはあわてて両手を胸の前で振った。
「えっと、誤解させたならごめん。甘くて冷たいものってことは知っているよ。でも、ぼく、食べたことなくて……」
 徐々に語尾が弱くなる。終いにはうつむいてしまったスザクに、ルルーシュは本当にこれが『白い悪魔』なのかと目を疑った。そもそもアイスクリームを食べたことがないというのは魔法士云々以前の問題ではないのか。ゲットーの子どもにすら浸透している氷菓だというのに。
「……ちょっと来い」
「え、え?」
 ルルーシュは一瞬にして表情をしかめ面にし、スザクの細い手首(手のひらで一周できてしまった!)をつかんでずんずんとアイスクリーム屋に向かう。
 メニューなど碌にわからないであろうスザクに代わってルルーシュがオーダーした。スザクにはスタンダードにバニラとショコラとストロベリ、ついでにルルーシュの分であるチョコミントとコーヒィを奢らせた(スザクは値段よりも数をそろえようとしたので一悶着あったがあえて割愛)。先ほどの少女が言っていたとおり、スザクのウォレットには電子カードが一枚だけ。おそらくはゼロがうなるほど続いた金額が放り込まれているのだろう。会計をしたときに販売員の顔が引きつっていた。
 適当なベンチを見つけ、二人並んで座る。
 三色の丸いアイスクリームの乗ったワッフルコーンを両手で持ったまま困っているスザクにルルーシュは一言。
「食べろ」
 ルルーシュの顔とアイスクリームとで視線を右往左往させていたスザクは意を決したようにバニラ味のそれを舌先でつついた。
「甘い」
 当たり前の感想を驚いたようにスザクはつぶやいた。
 ルルーシュはそれを横目に「そうか」と返し、自分もコーヒィ味のアイスクリームをなめた。甘い。子ども向けにつくられているのだろう、想定していたよりもはるかに甘い味。しかし、悪くはない。ルルーシュはともかく、初めてアイスクリームを食べるというスザクにはちょうどいいだろう。
 ぱきりとコーンをかじれば、スザクは目をまるくして「食べられるんだ」と口にする。そんなことすら知らない彼に、ルルーシュは甘さを噛みしめた。
 母もスザクも同じなのだ。当たり前を奪われ、道具としていいようにあつかわれる魔法士たち。暴動が起きないはずがない。軍を脱走し、反旗をひるがえす魔法士を迎え撃つのはやはり魔法士なのだ。
 なんたる悪循環。
「あの、ルルーシュ」
「なんだ」
「溶けている」
「うわ!」
 夏の日光に照らされ、アイスクリームはじわじわと溶け出していた。あわててなめればコーヒィとチョコミントの混ざった微妙な味がする。思わず顔をしかめればスザクが楽しそうに笑った。
「聞きたいことがあるんだよね。なに?」
「あー……」
 本題を思い出し、ルルーシュは意味もなく声を発した。今となってはどうでもいいような気さえしてきたがそう言って連れ出した手前、聞かないでいるのも不自然だ。
「あんなに近くで魔法を見たのは初めてだったから、つい。勢いでナンパしたようなものだ」
「ぼくもナンパされたのは初めてだなあ」
 ナンパの意味を正しくわかっているのかどうかすら危うい言い方をしながらスザクは笑い、アイスクリームをなめる。
「だいじょうぶ。怖くはないよ」
 唐突にスザクがつぶやく。見ればすでにバニラは攻略してショコラに取りかかっていた。どうやらお気に召したらしい。言葉の意味をわかりかねてルルーシュがじっと彼の横顔を見ているとスザクはへらりと笑う。
 ルルーシュはスザクをじいと見つめる。溶けるアイスクリームなど思考の外だ。
 スザクの答え。
 それこそが、ルルーシュが彼に聞きたいことだった。母がなにを思っていたのか、今スザクがどんな気分なのか。そしてルルーシュはどうするればいいのか。
 スザクはルルーシュに向きなおり、ことりと首をかたむけた。
「よろしく、ルルーシュ」
「ああ、こちらこそ。スザク」
 はじまりであるはずのその言葉が別離の意味しかないことを、ルルーシュは正しく理解していた。それはスザクも同じようだった。


誰もがまた明日と言い続け、連綿と続いていく日々の先を疑ったりなどしない

 明くる朝、市民の預かり知らぬところでデヴァイサの交換が行なわれた。次のデヴァイサとなった魔法士は薄桃色の羊水で満たされた大きなガラス筒の中で曖昧に微笑んだまま眠るように感情を閉じた。
 大戦初期にラクシャータ博士によってつくられた最強の名を冠す最高位の魔法士――唯一の『悪魔使い』であったスザクは左脳と右脳に一つずつI−ブレインを持ち、それぞれが本来書き換え不可能な基礎領域の改変ができるという机上の空論でしかなかった後天的学習能力を持つ、すべての魔法士の雛型だ。
 全世界の情報制御学者たちの誰もが研究を望み、軍のファクトリィが大量生産を望んだがスザクのI−ブレインは解析すら不可能であったため、手にあまる彼に残されたのはデヴァイサとして一○○○万人の命を支える犠牲になることだった。
 同日の夜、世界中のメディアが注目する中、エリア11に新たな総督が就任した。クロヴィス廃嫡後に総督となった皇族はきらびやかに飾りつけられた政庁で愛想笑いを浮かべながら心で世界を愚弄した。
 一介の女性魔法士とブリタニア皇帝との間に生まれた禁忌の子――天文学的確率で自然発生したルルーシュは『できそこない』の魔法士だ。I−ブレインのほとんどが演算素子のみという欠陥品であったが、圧倒的な演算速度により短期的な未来予測が可能であったことで作戦指揮官として彼は非凡な才能を発揮した。
 当然、魔法士の自然発生が確認された唯一の例であるルルーシュを学者たちはサンプルとして欲したが第二皇子シュナイゼルと第二皇女コーネリア、そして父帝が後ろ盾についたことでルルーシュは紆余曲折の末にエリア11の総督となった。

 元型たる最強の魔法士は犠牲として大多数のために身を羊水に浸し、
 できそこないの魔法士は道標として大多数のために身を視線に晒す。

 皇暦二○一七年。真夏のクリスマスのことだった。





夏にはクリスマスソングを
(それでも終わる日がくることをあの日のぼくらは知っていた)