それの外観は巨大な鳥かごだ。少しでも触れればすぐさま焼け焦げるほどの電圧が流れている特殊金属で小洒落た様子に編まれ、隙間には厚さが一○○糎(センチメートル)もの防弾強化魔法硝子がはめ込まれている。外から見えるかごの中は植物園だ。名前もわからないような亜熱帯植物群が悠々と枝葉を広げ、それらにまぎれるように高床の上を道化師の格好をしたずんぐりむっくりの白兎が何羽も動き、高く閉ざされた天井を何十羽という機械の鳥が飛び、何十匹という機械の魚が泳ぐ。一見すれば本物と変わらないのに翼や鰓の接合部(ジョイント)は剥き出しでそのつくりの緻密さを顕わにしている。夢と現実のちょうど合間に位置する、本物をそのまま模したあれらは機械殺人人形(オート・マーダー・ドール)だ。外からの侵入り込んだものを排除するのではなく、中から外を守るために置かれている。しかし機械人形(オート・ドール)は気がつけば首だけが植物にまぎれて転がり、朝には制服の女が壊れたそれを回収し、夕方には白衣の男がべつのものを置いていく。今日もまた茶器を盆で運んでいた白兎の頭がごとんと落ちた。盆を運んでいた白兎の胴体は骨董品調(アンティーク)の卓に盆を置き、頭を拾いあげようとしたところで手足が関節(ジョイント)でばらばらになった。どうやら鳥かごの主は機嫌が悪いらしい。そうとわかりつつ鳥かごの正面扉を開錠する。主から外を守るために設けられた一○八の錠が無効化され、古びた音をたてて扉が外向きに開く。
「いらっしゃいませ、シュナイゼル殿下」
 壊れたものとはべつの白兎がうやうやしく右手を左胸に当てて頭を下げた。ぴんとした耳の、やからかそうな短い白毛の下にあるものが人間の脳だということをおそらく主は知って壊しているのだろう。悪趣味なことだ。

 だからとてもこわい
 わたしたちをなだめてくれるものがなにもないってことが

 鳥かごの中は透明な次中音(テノール)が異常とも思える声量であふれていた。ちょうど青年と少年の中ごろにあたるであろう声は滔々と、あるいは蕩々としている。歌詞からして女性歌手(シンガー)の歌なのだろうが音程はまったくと言っていいほど振れない。この歌を聞いたことなど一度もないが、それでも過去に培われた音感は五線譜に集団的即興演奏(ジャズ)をきざんでいる。
 こちらです、と組まれた命令を実行しようとする白兎を追い抜いて声のするほうへと向かう。赤と黒の正方形がつめられた模様の床を靴がたたいて音をたてる。
 鳥かごの主は、鳥かごのちょうど中心部に植えられた、二本の幹が途中でよじれ合い一つになった畸形の巨木にいた。まるで巨木が意志を持ってつくりあげた緑の雲で片膝を抱え、螺子式(レプリカ)の鳥や魚を目で追いかけながら無縫の白い上下を着たスザクは声を張る。

 わたしはなんなのだろうか もしあなたのものになれなければ

 なんともくだらない歌詞に喉を震わせた。
「愚問だな。誰のものになろうとなかろうと、おまえはアリア≠ナしかない」
 伏せられていたスザクの常磐色(エバグリーン)の目がまっすぐ向けられる。彼は立てられた膝の上に顎を乗せ、「またアリア≠ナすか」聞き飽きたとでも言うように軽く肩をすくめる。
 アリアとは音楽形式のそれではなく、悪夢を終わらせ、世界に希望をもたらすものという意味の造語だ。誰が言い出したかは知れないが、どうやら民間では救世主(メサイア)と同義で使われているらしい。以前は黒を団色とした反帝国組織が過激活動をくり返していたが、その組織も救世主(メサイア)を掲げていた。しかし今となっては誰がアリア≠ェもたらす未来を待ち望んでいる。それは平和を渇望する集団意識から生まれた一つの宗教とすら言える。
 力なき者は自らが崇め、信じているものの正体を知らない。誰も知らないのに絶対の信頼を向けているのだから、まさにアリア≠ニは麻薬の名前だ。一歩外に出れば万人を残さず喰い殺しそうなほど静謐な目をぎらつかせた少年を見あげてシュナイゼルは口の端をわずかに持ちあげる。
「どちらにせよ帝国はおまえをアリア≠ニして公表した」
「勝手に特種(スペシャル)あつかいしないでください」
「特別(スペシャル)でなくして、おまえはどうやって機械人形(オート・ドール)を壊している、」
「どうもなにも、」途中で言葉を切り、スザクは肩先に止まっていた機械鳥を無造作につかむと力任せに翼の接合部(ジョイント)を引きちぎり、池の魚に餌でもやるようにひょいっと放った。見かけではただ投げ落としただけだが、その実、翼は音もたてずに高速回転し、シュナイゼルの背後にようやく追いついた白兎の額に突き刺さった。勢いを殺しきれずに白兎はそのままうしろに引っくり返る。「こうやっているだけです」
 あっさりと目の前で起きた一連にもシュナイゼルは動じなかった。むしろ顎に手を当て、「怠慢だな」鳥かごの管理を行なっている部署の主任を脳裏に思い浮かべる。スザクに関することは逐一報告するように命じておいたはずが、今見たことがあがってきた例(ためし)はない。その主任に対する処分を決定づけたところで、改めてシュナイゼルは感想を口にした。
「凡人でしかない私にしてみれば充分すぎるほどの特殊能力(スペシャル)としか思えんな」
 は、とスザクが鼻で笑う。
「あなたが凡人であるわけがありません。ただの凡人ならこんな」ぐるりと腕を半周させ、「無駄に意匠を凝らした檻なんてつくろうとも思いません」
 スザクの言うとおり、ただの檻にしては細部にいたるまで意匠がほどこされている。外装だけでなく植物の常時維持、機械人形(オート・ドール)などに使われている技術は最先端のものだ。逆を言えばこの鳥かごで先端技術の試作実験が日々行なわれていると言っても過言ではない。この鳥かごの建築や実験費用などを総合すれば中小国など簡単に財政難で滅んでしまうだろう。
「これの発案者は私ではない。ユーフェミアだ」
「ユフィが、」
「鳥は鳥かごに入れるべきだと、めずらしくあれが主張してな」
 一応は父親である皇帝がスザクの隔離を公式発表したとき、ユーフェミアが一番に噛みつくものだとシュナイゼルは思っていた。それほどまでにユーフェミアがスザクを想い慕っていることをコーネリアから聞かされていたからだ。しかしあの学生あがりの異腹妹は花のような笑顔を浮かべてスザクの全権を任されたシュナイゼルに告げた。それならば鳥かごにしてください。スザクは赤い鳥ですから、いつ黄緑色の小鳥が彼を迎えに来ても閉じ込めておけるように、と。思えばあれは少女特有のおねだりだったのかもしれない。本当ならば彼女のほうがシュナイゼル以上にスザクの所有権を欲していたのだろう。
「聞けば毎日のように歌っているそうだが、」
「なにせ鳥は絶えずさえずるものですから」
 皮肉に皮肉で返し、スザクが浮かべた微笑は完璧なものだがやはり人間味に欠けている。かごの鳥は愛想笑いしかしないよ、と旧友はあきれたように言っていたのは本当だったようだ。あの男に機械工学以外の知識――それも生き物の!――があったとは驚きだ。このあとあの男の技術室を訪問していろいろ聞いてやろう。
「では先ほどの歌を」
「お断りします」
 シュナイゼルが言い終わるより先にスザクはぴしゃりとはねのけた。そして思い出したように翼をもいだ機械鳥をその辺に捨てた。なんの感慨も湧かないらしい。
「死にたがりの恋の歌なんて、そんなニンゲンみたいなものまっぴらです」





こいのうた
(あなたにさわれないこのからだなんていらないわ)