ルルーシュは手元の真白い紙に目を落とした。まるで親の仇(実際にそんなものはごまんといるが興味はない)でも見るように、握ったシャープペンをへし折らんばかりにぐりぐり動かしながら唐突につぶやいた。
「おれと仕事、どっちがだいじなんだ」


 刃が黒い包丁を握り、スザクはそれをまっすぐ振り下ろした。
「そこは『おれ』じゃなくて『わたし』のほうが文字数稼げるよ、ルルーシュ」
 心底面倒そうな声と共にべきりとなにかが割れる音。カウンタ越しに覗いてみれば、スザクは腹で上半身と下半身とを分断された伊勢海老をさらに真っ二つにしている。慣れた手つきでスザクはそれを沸騰してぼこぼこ言っている鍋にひょいひょいと放り込んだ。
 三つあるコンロは三つとも調理器具が置かれている。三角形の頂点部分ではなみなみに水を張られたパスタ用の深鍋が火にかけられ、右には二杯のいかが、左の鍋では哀れにも四分割にされた伊勢海老が湯がかれている。
「たかが一文字だろう」
「その一文字がつながって文章はできているんだよ」
 言葉を返しながらもスザクの手は止まらない。Mサイズのたまねぎとにんにく一片をざっと洗って手早く薄皮を剥き、ペティナイフで尖った部分と根を落として半分に割った。とんとんとん、たまねぎは軽やかなリズムで薄切りにされていく。にんにくはみじん切りに。鮮やかとしか言いようのないそれにルルーシュはむっとした。
「……そもそも家庭総合のレポートを日本語で書くところから間違っている」
「仕方ないよ。アッシュフォード学園の第一外国語は日本語で固定なんだから」
 スザクは赤くなった伊勢海老をざるに空け、紫を帯びたいかはざるを介さずに菜箸で器用にまな板の上に並べた。二つの鍋をざっと洗って水切りにひっくり返して置く。
 アッシュフォード学園は日本の、それも東京に敷地をかまえているくせに英語を国語としていた。そして第一外国語に日本語、第二外国語は各選択語学になっているのだが、ルルーシュやカレンのように英語も日本語もぺらぺらな生徒にしてみれば無駄としかいいようがない(スザクに至っては何ヶ国語マスタしているのかすらわからない)。ついでに言えばルルーシュは第二外国語にフランス語を選んでいる。母であるマリアンヌがフランス人だからだ。
 ルルーシュはトリリンガルではあるが、だからと言ってライティングが得意かと訊かれれば肯定に渋る。特に日本語に関してはリーディングも低レヴェルだ。読めてせいぜい中学生二年生用という帯がかかったものが限界だし、それでも漢和と日本語と和英の辞書が必須だ。
 七年も前から日本とイギリスを行き来しているルルーシュでさえこうなのだから、シャーリーやリヴァルたちにとって第一外国語は地獄だ。なにせ現代文から古典、作文までやらされる。こういうときに限って楽々と課題をこなすスザクやカレンが心底憎らしい。
 夏期休暇中の読書感想文だけでも二週間(二百ページのペーパバックを読破するのに一週間、感想を書くのにまた一週間)もかかったのに、今度はレポートだ。しかもルルーシュが苦手としている家庭総合で。正に地獄だ。
「ぐだぐだしていてもレポートは終わらないから。しかもそれって配布されたタイトル用紙だろう」
「B5で四枚以上とか冗談じゃないぞ」
「あちらさんはいつだって本気だよ」
 外は紺色、内は白の大きなフライパンにオリーヴオイルを垂らしながらスザクは「今やらないと泣きつかれても手伝わないよ、ぼく」冷ややかに宣告した。
 にんにくを炒め、リングにしたいかをたまねぎと一緒に熱したフライパンに流し入れた。途端に油が水分と反応して盛大に跳ねまわる。ある意味でやかましいそれを聞きながらルルーシュは持ち替えたシャープペンをくるりとまわした。
「課題免除のやつがなにを言う」
「だから今こうしてきみのご飯つくっているんじゃないか」
「当然だな。おまえも食べろよ」
「はいはい。それにしても、どこでなにしているんだろうね。あの人」
「おれが知るか」
 ルルーシュはぐったりとカウンタに突っ伏する。
 スザクの手によって解体された伊勢海老は今朝方クール佐川急便で送られてきた。送り主はシュナイゼルで、なぜか福岡からだった。送られてきたはいいがルルーシュは伊勢海老の調理法なんて知らない。食べたことは何度かあるが、それだってレストランでの話だ。そもそもばかでかいザリガニのようなものを生きたまま送ってくるなとルルーシュは異腹兄に叫びたかった(彼はいつでも絶賛音信不通だ)。どうしていいかわからず、ルルーシュは発泡スチロールの箱を抱えてスザクの部屋に駆け込んだ。偶然にも起きていた彼はルルーシュの持つそれを見た瞬間「蟹(かに)はもういい」と目を逸らした。なんでも特派のほうには大量の蟹が届いたらしい。それをすべて調理したのもスザクらしく、蟹を食べる相乗効果で特派は絶対無言パーティだったらしい。
「どうせなら白い変人でも送ってくれば良かったのに」
「恋人じゃなかったか?」
「恋人って書いて変人って読むんだよ」
「……………そうだった、か?」
「うん。――――あ、信じないでね。嘘だから」
「おい待て、どっちだ!?」
「さあ」
「スザク!」
「活字の間違いくらい誰でもやるから気にしないほうがいいよ」
 いけしゃあしゃあとスザクはルルーシュの睨みを受け流した。
 スザクは先ほど買ってきたカッペリーニという細いパスタの袋を破いて適当につかみ、ぐらぐら煮立ってきた深鍋に塩を大さじ一杯入れてパスタを扇状に広げた。突起のついたしゃもじのようなものでパスタを湯に沈めつつ、もう片手でフライパンの中身を手首のスナップだけでひっくり返し、湯通しした伊勢海老を一口サイズにカットしてフライパンに投げていく。流れるように行なわれるそれは鮮やかとしかいいようがなく、ルルーシュは打ちのめされる気分だ。スザクが料理している姿を見るたびにもう少し器用に生まれたかったと思う。ルルーシュはカウンタに額をつけた。ひびのような黒い筋模様のはいった大理石はひやりとしている。
「ルルーシュ、ぼくがこれつくり終わるまで半分くらいは埋めてよ」
「……無理だろう」
 思わず本音が口からこぼれた。スザクとルルーシュではスペックが違いすぎる。しかしスザクはフライパンに白ワイン(なぜか高価いアルコォルはいつでも常備してある)を振り入れながら容赦なく駄目押しした。
「返事」
「…………イエス・サ」
 うなるように返し、ルルーシュが肩から上を持ちあげた。放り出していたシャープペンを握り直し、二度ノックして芯を出す。その間にもスザクはパスタをフライパンに移している。心なしか手が早くなったような錯覚に陥りながらもルルーシュはペン先をレポート用紙にぶつけた。
 レポートのテーマは保育と定められている。ルルーシュはあまり子どもは得意ではないのでその時点からつまずいていた。休暇にはいるより前にシャーリーに相談してみたところ(将来の夢は保育士らしい)彼女はけろっと「スザクくんに手伝ってもらえば?」と言ったが、意外なことにスザクのほうがルルーシュよりも子どもが苦手だ。正確に言えばスザクが子どもに嫌われている。以前生徒会で行なった近隣の幼稚・保育園での活動のときなんて何人に泣かれたことか。
 どうでもいいことを思い出しつつもルルーシュはレポート用紙を英語で埋める。提出用はボールペンで書くことが条件となっているのでこれは下書きだ。最初から日本語で書くよりも後で和訳したほうが早いし、そのほうがスザクには文法を見てもらう程度で済む。紙の上で展開されているのはストレスについてだ。どこから保育とストレスが直結したのかは忘れたが、とりあえず持てる知識をそれらしく書き連ねていく。子育てでだいじなのは余裕を持つこと。そのためには公私の両立を心がけなければならないし、それだったらタイトルにも関連づけられる(半分くらいは本気だったが)。
 ページをめくり、二枚目の半分くらいまで書いたところでキッチンから聞こえる音が変わった。顔をあげてみればフライパンは白いものでひたひたになっている。においもなんとなくシチューっぽい。自分の書いた量とスザクの進行具合を見比べ、ルルーシュはまたたいた。
「やれるものだな」
「ルルーシュはやればできるんだよ」
「スザクがやりすぎなんだ」
「そんなことない。ぼくがしているのはぼくができる範囲だけだ」
 レードルに直接口をつけて味を見ていたスザクはさらりと言ってのける。火傷しないのだろうか。ルルーシュは「嘘を吐け」短く反論しながら散らばっていた筆記用具をペンケースにしまい、頬杖を突いた。
 小学生のころにつくったというタータンチェックの青いエプロンが似合いすぎていて笑えない。完成したらしいパスタを盛りつけていくスザクの一点を目で追いながらルルーシュは思ったままを口にする。
「手、綺麗だな」
 日長パソコンに触れているせいか、スザクは指が長くて細い。基本的に屋内にいることが多いから日焼けもしていない手はとても白く、黒い服の袖から覗くそれはひらひら動いて蝶のようだ。
 ため息を吐き、ほかほかと湯気を立てる白い深皿を両手に持ったスザクは不思議そうに首をかしげる。
「……ルルーシュさあ、そういうのどこで覚えるの。やっぱりお国柄?」
 この野郎、というそれを飲み込んでルルーシュはプリントやらルーズリーフやらペンケースやらを一まとめに押しのけた。空いたスペースにすぐさま皿と木製のボゥルが置かれる。メニュはシィフードたっぷりのクリィムスープパスタに卵をミモザに見立てたサラダだ(いつの間につくったんだ)。皿の縁に描かれているのがPEANUTSであるところがなんとも家庭的だが見た目は専門店のそれでとても美味しそうだ。カウンタの向こうからフォークとスプーンを受け取りつつ、嫁にほしいとルルーシュは胸の内だけでつぶやいた(実際に口にしたらどうなるかわかったものではない)。だがスザクの勘はそう甘くなかった。グラスにジンジャエールを注ぎながらにこりとする。
「あんまりふざけたこと考えていると、実家に帰らせていただきます」
「すみません冗談です申し訳ありません」
 ルルーシュは即座に頭を下げた。それだけはどうかやめてください、とつけ加える。スザクの言う実家というのは枢木家ではなく特派のことだ。以前ロイドとセシルがふざけてそう言っていたのだ。特にセシルは「スザクくんをお嫁にもらいたければ、飲み比べで少なくともわたしに勝てるくらいじゃありませんとね」なんてにこにこしながらあろうことかシュナイゼルに向かって告げているのを、ルルーシュは偶然にも見てしまった。スザクを除いた特派の職員で最も酒豪なのはセシルだ。反対にロイドはアルコォルがまったくだめなのだがそれでも居酒屋やバーの雰囲気が好きという変わり種だ。なぜセシルがシュナイゼルに向かって言ったのかはわからないが、ルルーシュにはそれがとても正しいことのように思えた。
 スザクは「あはは」笑いながら脚の長いスツールに乗りあげ、二人並んで手を合わせた。
「いただきます」
 何度もくり返していればその内呼吸もあってきて、今ではわざわざ揃えずとも声が重なるようになった。普段の会話の中でもそれはたびたびあり、同じことを同じタイミングで考えているのだと知れてルルーシュは嬉しくなる。スザクはいつもなにを考えているのかさっぱりなところがあるから。
「味どう? 食べられなくはないと思うんだけれど」
「や、普通に美味い」
「んー……その普通はレトルトみたいにスタンダァドってことで受け取っておくね。ありがとう」
「違う。曲解するな」
 ルルーシュはスプーンを支えにくるくるとパスタを巻いていく。巻くのはきっちり五回。それがよくわからないが昔からのこだわりだった。 「レトルトやレストランと違って飽きずに何度でも食べられるってことだ」
 スザクが滅多につくらないからありがたみも一割くらい加算されているが、それでもスザクの料理は絶品だ。食べ慣れてしまったらそれこそほかのものが食べられなくなる。
 フォークに刺した伊勢海老を口の中に入れ、スザクは「ふうん」なんだか適当に相槌を打ち、そのままジンジャエールを一気飲みする(どうして炭酸を一気に飲めるのか。ルルーシュはそれがいまだに納得できない)。
「じゃあ就職活動で困ったらルルーシュのところにでも永久就職しようかな」
 空になったグラスを置きながら本気とも冗談ともつかない口調でさらりと言われ、ルルーシュは咄嗟に反応できずに折角パスタを綺麗に巻き取ったフォークを取り落とした。
 すみません。それはどういう意味ですか。





*dusk - 星屑セレナーデ相互記念作品)