ここのところ、よく金髪の少女を見かける。それは学園の敷地内であったり、租界の路上であったり、とにかくさまざまな場所でルルーシュはその少女を見た。少女はいつも白いワンピースを着ていて、なぜかは知れないがスザクと一緒にいた。 そのスザクもどこかおかしい。以前から軍だのなんだので休むことはあったが、だんだんとその日数が延びている。良くて四日に一度、それも六限目あたりからの登校が目に見えて増えていた。近頃の彼はクラブハウスにも寄らずに(つまりは生徒会業務に従事しないで)まっすぐと軍のほうへ向かう。理由を問いただそうにも授業合間の休み時間にはこつぜんと姿を消しているし、放課後はいつもあの少女がそばにいる。遠目で見てわかったことだが、ルルーシュや生徒会メンバに対するのとあの少女に対するのではスザクの浮かべる表情が違う。あどけない、安心しきった子どものような笑顔でスザクは年下であろう少女を見ている。それが非常に腹立たしい。もともと金髪にいい思い出は少ないが、こうなってはトラウマになりそうだ。 二ヶ月前、「黒の騎士団」の作戦の下見で三日ほど学校を休んでいたルルーシュはリヴァルからスザクも同じように欠席していたことを聞いた。スザクはその日の内に学校に来ることはなく、さらに一ヶ月ほどしてから彼はなにもなかったかのように平然と学校に出てきた。しかし、そのときにはもうスザクは変わっていた。会話に齟齬(そご)が現れるようになり、先ほどまでのことを覚えていなかったり一週間ほど前のことを直前にあったように話したりする。あからさまなまでの異常にルルーシュだけでなくクラスメイトたちも首をかしげたころ、スザクはふたたび三日間欠席をした。どうかしたのかと訊けば、彼は疲労困憊で倒れてしまって強制入院させられたのだと恥ずかしそうに告げた。 そして今、スザクは一週間前を境に姿を見せていない。教師陣のみならず、生徒に対する全権をほぼ握っているミレイにも連絡ははいっておらず、問い合わせてもみるも軍からはなんの音沙汰もないらしい。またテロの鎮圧にでも巻き込まれているのだろうかとも思ったが、ここ最近起きたテロはない。ルルーシュたち黒の騎士団も動いておらず、他のテロリストグループも奇妙なまでに沈静化している。そのことでメディアは飽きもせずに騒いでいるが、ルルーシュに言わせればそれは嵐の前の静けさでしかない。 数ヶ月前のナリタ連山でカレンのあやつる紅蓮弐式が見事にあの忌まわしき白亜のナイトメアに膝をつかせ、双方が見守る中で大破させたのだから。 現在療養中のコーネリア(しぶとく一命を取り留めたらしい)に代わり、総督代理となったのはやはりユーフェミアだった。姉に比べ、保守的である彼女はエリア11全域の軍に指示を出し、テロリスト掃討作戦を一時的に中止させた。 コーネリアのグロースター、そしてあの白いナイトメアまでも失った今、ブリタニア軍の戦力は汎用騎であるサザーランドくらいだ。しかしサザーランドでは「黒の騎士団」の紅蓮弐式にはるかに劣る。無駄な被害を回避するための的確な処置ではあるが、ルルーシュにしてみれば臆病者の一言に尽きる。平和主義者と偽善者はルルーシュの中で紙一重だ。犠牲もなく世界が変わり、また不変であるはずもない。 世界をふくめ、すべては犠牲の上に成り立っているのだ。 数日前、ルルーシュの個人アドレスに匿名でメールが届いた。 それはZ−01と呼ばれる第七世代ナイトメアフレームがようやく量産の軌道に乗ったらしいという忌々しきもので、添付されていた画像はだいぶ劣化していたがたしかに先日討ち取ったはずの白いナイトメアだった。一騎だけでもてこずったというのに、あれが量産されてしまえば「黒の騎士団」に勝ち目など微塵もない。唯一あれと対抗しうる紅蓮弐式は一騎しかないのだ。あの化け物に初めて相対したときの恐怖をルルーシュはいまだに忘れられずにいる。 Z−01量産計画は極秘事項であり、サクラダイトが採掘されているフジヤマ・プラントの一部で開発されているらしい。つまり、Z−01にはサクラダイトが他のナイトメアに比べて多く用いられているのだ。ルルーシュはナイトメア工学に明るくはないがサクラダイトが世界の安全保障に関わる戦略物質であることは知っている。あの化け物が量産される――要はあれが汎用騎となるのだ。予想されるのはあれの後継騎、または同世代の別型の開発だ。 ことの次第によってはプラントを破壊する必要性がある。その視察のためにルルーシュは単身でフジヤマ・プラントを訪れた。罠である可能性も考えられなくはなかったがどちらにしろフジヤマ・プラントはいずれ見ておかなければならないと思っていた場所だ。できることならばカレンと紅蓮弐式も連れてきたいところであったが、あいにくと彼女はシュタットフェルトの用事があるということで渋りながらも断ってきた(貴族同士の単なる茶会であるらしいのだが、何度も参加を見送ってきたのでさすがに今回ばかりはまずいらしい)。ほかのメンバは論外だ。信用させるために情報のソースを明かせば芋づる式にルルーシュの素性も知れてしまう。それだけは避けなければならなかった。 メールに添付されていた地図に従って行けば、その開発プラントはすぐに見つかった。 第一印象は長くて大きな白い箱だ。飾り気のない、切り込みのようなドアらしきものと、その横に設置されているモニタとテンキィ以外なにもない長方形が二つ、上空から見ればLのように組み合わされているのだろう。ここであの兵器が製造されているとはとても思えない外観をしたそこは奇妙なまでに静まり返っている。 警備のナイトメアが常時待機しているものとルルーシュは思っていたが、意外なことに開発プラントは無人であるようだった。 やはりガセだったか、とルルーシュが踵(きびす)を返しかけたとき、ポケットに入れておいた携帯電話が着信に悲鳴をあげた。ディスプレイに表示されている名前はランスロット。理想の騎士とされる皮肉めいたそれにルルーシュは目を細め、通話ボタンを押した。 「こんにちは、ゼロ。来てもらえて嬉しいわ」 スピーカから聞こえ出したのは妙齢の女の声だ。わずかな甘さをふくんだそれはどこか馴れ馴れしい響きがある。まるでゼロを、ルルーシュを知っているかのような物言いにルルーシュは自然と声を低めた。 「おまえだな。あのメールを送ってきたのは、」 「ええ、そうよ。残念ながら今日はわたしの権限でプラントはお休みだけれど、製造がはじまっているのは本当のこと。現在製造されているのは3rdで、1stはデヴァイサ――心臓部であるパーツが壊れてしまったから本国へ移送、2ndは慣らしのために他エリアへ遠征中よ」 「その証拠は、」 「そうね……モニタリングでもしてみる?」 ルルーシュが返答するより先にモニタが音を立ててスパァクした。 徐々にモノトーンの明暗度をあげていくモニタの映像は俯瞰(ふかん)するような角度だ。監視カメラの映像なのだろう。映し出されたのは記憶にあるのと同じナイトメアの頭だ。クレーンに吊りあげられた頭からは人間の背骨に似たそれが伸びている。 思いがけないそれにルルーシュは息を呑む。 「これは…………」 「お見苦しいところで悪いわね。今組みあがっているのは頭部≠ニ脊柱≠セけなの。脚部≠フ骨組みはこれ。これは胸部≠セけれど……ふふ、ヒトで言うところの血管や内臓が丸見えなのはなかなかシュールよね」 映像は次々に変わっていく。頭部にはじまり、胸部、脚部、アームパーツ、ハンドパーツ、ランドスピナーなどにまで及んだ。あけすけなまでのそれはどれも微細なノイズが走っているために細部まではわからない。見られても困らない程度に加減されているのだろう。途中にはさまれる女の講釈も抽象的なものばかりで今後の対策に役立つものではなかった。しかし、これではっきりした。このプラントはなんとしてでも潰さなければならならない。 ぷつん、と音を立ててモニタの映像が切れた。 「どうかしら。信用してもらえて?」 「ああ……本当のようだな」 「もちろん。でも、わたしがあなたに知らせたかったのはナイトメアなんかではなくてよ。ゼロ、そこにテンキィがあるでしょう」 言われ、ルルーシュはモニタ下のそれをいぶかしんで見る。五十桁以上ありそうなシンプルなディスプレイと凹凸のないテンキィだけのようで、カードリーダや指紋、声紋、網膜チェッカは備わっていない。女の言い草からすればナイトメアよりもこちらのほうが重要なようだがそれにしてはセキュリティがずいぶんと軽微に思える。 「今から言うパスコードを打ち込みなさいな。ゼロに引き取ってほしいものが最奥にあるわ。ただし、それ以外には手を触れないでちょうだい。でないとわたしはあなたをデリィトするわ」 「はっ! ずいぶんと勝手だな。私に引き取ってほしいと言いながら拒否すれば殺すとは……傲慢(ごうまん)にもほどがあるのではないのか。それに……いいのか、このようなことをして。先ほどから聞いていれば、おまえはブリタニアの人間のはずだ。露見すれば銃殺刑は免れないぞ」 名誉ブリタニア人が極秘機密を知っているわけがないし、主義者であるならばこちらに引き込みたいところだがそれは叶わないだろう。こうしている間に軍を呼ばれればルルーシュは即刻射殺されるか、メディアに晒される中で刑に処されるだろう。この通話も録音されているに違いない。ならば先にチェックをかけるまでだ。 さっきから女のペースに乗せられている。どうにかして主導権をこちらが持たねばとルルーシュは澱みなくつづける。 「こちらには新型のナイトメアがある。私の合図ですぐさまこのプラントを破壊できる位置に待機させてあるのだが……」 女の口上から外部に監視カメラが設置されていないことはわかっている。それを逆手に取ってのブラフだ。これで女が条件を変えればルルーシュの勝ちだ。 最奥にあるもの以外触れるな、ということは、それはナイトメア関連でない可能性が高い。そしてそれ以外のほうが重要であると取れる。でなければそうやすやすとルルーシュに、「黒の騎士団」のリーダであるゼロに渡すわけがない。 スピーカは黙したままだ、すでに三十秒は経過している。チェックメイトだ。ルルーシュは勝利の色を笑みににじませた。 しかし、スピーカから漏れ出したのはルルーシュの予想を裏切るものだった。 「――――ねえ、それは脅しのつもりかしら?」 それは笑い声だ。笑いのツボにうっかりはいってしまったようで、ときおり声が震えている。微妙に押し殺しきれていないのが逆にルルーシュの気に障る。握りしめた携帯電話が軋んだ。 「……なにがおかしい、」 「あはは、は……嫌だわ、あなたを振った名誉ブリタニア人一人もその場で処理できないような甘い人間に表面だけでも心配されるなんて。わたしも焼きがまわったのかしら? なんてね。うふふ」 「なっ…………!」 思いもしなかった言葉にルルーシュは絶句する。なぜそれを知っている! とルルーシュは叫びかけ、だがそれは言葉にはならなかった。 勝利をつかんだと思ったのもつかの間、一瞬にしてひっくり返された。 女は途切れず笑いつづけている。ルルーシュの敗北など爪の先ほども気にしていないのだろう。 ルルーシュは思考を加速させた。どうすればいい。女の提案に乗る……いや、罠である可能性は高い。では実際に爆破を演出することはできない。やれてもそれは敵に姿を晒すようなものだ。このまま通話を切って逃げる? ありえない。 ふと、笑いがやんだ。まるで演技であったかのような切り替えの速さだ。先ほどと打って変わり、真剣みを帯びた声音で女は話し出す。 「事実に対する弁明はいらなくてよ。むしろそれに関してはあなたに謝礼をしたいわ。ゼロ。わたしはこれでもあなたの甘さに賭けているの。彼≠ヘ信じているなんて言っていたけれど……ええと」 彼、という単語がルルーシュの脳に引っかかった。ゼロが誘いを断られた名誉ブリタニア人も、軍にいるくせにゼロを信じているなどと言うようなのもスザク以外思い当たらない。得た情報を基(もと)にして勝手に順序立てられ、新たな情報が構築されていく。スザクがああなりはじめたのはいつだ。スザクを最後に見たのはいつだ。最悪の答えは導き出されようとしている。しかしルルーシュはそれをわかりたくない。認めたくない。 「なんて言ったかしら…………そう、遺言って言うのでしょう。死者のお願いは、」 ルルーシュが答えを出すよりも先に、正答は提示されてしまった。 「おまえ、スザクをどうした…………!」 「さあ、どうしたのかしら。あなたにとってすればどうでもいいことね。決めるのはあなた。その結果が左右されるのはわたしと彼≠ニテロリストだもの、あなたに被害は……あら、あなたもテロリストだったかしら。ねえ、『正義の味方』も対抗勢力から見れば悪なのだとゼロは知っていて? パスコードは2453113445151445354411552235351400125515002251452453243232441155231532323500よ。あなたのための特別仕様の演出にしてあげたわ。ロックは一分間しかはずれないから気をつけることね」 「おい! 待て――――!!」 スピーカからはざあざあと大音量のノイズが溢れ出した。壊れたテレビと同じ砂嵐の音。さすがに耳ざわりになってきてルルーシュは切断ボタンを押す。今さらのようにディスプレイを見れば、アンテナは一本も立っていないどころか圏外だった。地中のサクラダイトの影響で磁場が不安定なのだろう。ではあの女はどうやって電話をかけてきたというのか。どこからルルーシュの個人情報が漏れたのだろうか、という当初の問題はすでに解けている。アドレスも電話番号もスザクの携帯電話から盗用したに違いない。 ルルーシュは携帯電話をふたたび閉じて乱暴にポケットにねじ込んだ。憎き仇を見るようにテンキィを睨みつける。余計なまでに情報の断片を振りまかれ、あからさまなまでに挑発されてしまった手前、今さら確認しないわけにもいかない。それに、あの女の言葉を信じるならば中にあるものはスザクがルルーシュに託したものということになる。 ルルーシュとスザクの関係を知った上で女が嘘を吐いているという可能性は低い。嘘にしては手が込みすぎているし、嘘ならばもっとストレートであるはずだ。 手を伸ばし、ルルーシュは指をキィに這わせる。 「スザク……おまえ、死んだのか?」 祈るような気持ちでルルーシュはパスコードを打ち込む。 2453113445151445354411552235351400125515002251452453243232441155231532323500という七十二桁の数字列は、ルルーシュには言葉にしか聞こえなかった。子ども向けの本にでも載っているただのマトリックス式暗号だ。文章化してしまえば覚えるのはたやすい。だがこの言葉からは嫌な予感しかしなかった。 最後の数字を押し終え、一瞬だけためらい、ルルーシュはエンタキィを押す。 途端、いくつものロックがはずされたような物々しい金属音が響き、長方形の切り込みが五センチほど内側にへこんで(側面には鍵の機構が上から下までびっしりと並んでいる)、ずるずるとスライドした。 ルルーシュは内部へと足を踏み入れる。通路には水に似たにおいが立ち込め、異様な静けさで延びていた。壁の素材が音を吸い取っているのだと思えるほど、通路には足音すら響かない。ひんやりとした水っぽい空気が服を無視して肌に浸透してくるようだった。肌を這う嫌悪感を払うためにルルーシュはジャケットの上から両腕をさすった。 一歩一歩進むたびに足元のセンサライトが点灯していく。次第にそれは速度を増して、左右がライトアップされた長い通路はまるでモノレールの線路だ。 がちゃり、とふたたび物々しい音がした。反射的にルルーシュは振り返る。さっきくぐったはずの空間はすでになく、周囲の壁と一体化してしまってわからない。 「これで罠だったら終わりだな」 ルルーシュは自嘲的に笑う。スザクがいないかもしれないなら、それも悪くはない。ライトに導かれるようにルルーシュは通路を進む。両開き式のドアをいくつも抜け、右に曲がり、次は左に。そして、左、右、また右へ。同じところをぐるぐるとまわっているような間隔に眩暈を覚えるが足は止まらない。最早どこを歩いているのかすらもわからなくなったころ、ルルーシュは重厚なドアの前にたどり着いた。 銀灰色の巨大なドアはがっちりと噛み合わさり、表向きに見えるものでも四つの電子ロックがかかっている。その各々からコードが延び、通路のわきに設置されたタッチパネルの端末につながれている。 上から下までじっくり眺め、ついでに後ろを振り返ってからルルーシュはため息を吐いた。 「ふざけているのか、あの女…………」 パスコード以外なにも教えられていない。一連の会話の中にもそれらしき単語はなかったはずだ。 ルルーシュはもう一度だけため息を吐くと仕方なしにパネルに触れた。 ヴン、と端末が起動する。初期化プログラムの文字列がディスプレイを埋め、目にも留まらぬ速さでスクロールしていく。ほんの三秒ほどで起動プロセスは終了した。つづいてディスプレイにウィンドウが三枚出現した。 横長の小窓はパソコンと同じ配列のタッチキィ、別ウィンドウの入力枠はたったの四文字分だ。数字だけ時間、日にち、暗号、その他で一万通り。アルファベットは名前か単語かその他で十万五千四百五十六通り。両方の組み合わせを考えたら百六十七万九千六百十六通りだ。適当に打ってみたとして、もしも解答権が一度しかなかったら笑い種にもならない。 「これを解くしかないのか」 面倒だな、とルルーシュは舌打ちする。 一番大きなウィンドウにはラテン語の問いが打ち出されている。訳せば『終わりから始まった終わりに与えられた始まりと始まった日がふたたび終わりを迎えた終わりが時を経たことで始まった終わりでも始まりでもないもの』と、終わりと始まりばかりをくり返し叫ぶ支離滅裂な文章だ。意味がわからない。 このひねくれたパスワードを考えたのは絶対にあの女だ。そうとしか考えられない。 それにしても、あのランスロットと自称した女はなにがしたかったのだろう。口ぶりからしてスザクの同僚とは思えないし、万が一恋人であったとしたらスザクを死に追いやったゼロに彼の遺言を伝えなどするだろうか。 ふと、先の会話に違和を感じて反芻(はんすう)してみれば、女は不自然なまでにゼロと口にしていた気がする。 「ばかな……」 パズルのピースが組み合わさるような自然な流れで脳裏に浮かびあがった四文字の単語にルルーシュは目を見開いた。無意識に左目を手のひらで覆う。さすがにそれはありえないだろう。だが、それが正しいのだとするならば女の意味深な言葉にもうなずける。ルルーシュは数秒ほど思案する。 「…………どうにでもなれ」 小さく息を吐き、意を決してキィをリズムカルにたたいた。 ディスプレイに新たなウィンドウが開き、四本のバーが順繰りに遅々と濃淡を逆転させていく。それがCOMPLETEDと表示されるたびに電子ロックのランプがグリーンになる。最後のランプが色を変え、重苦しい機械音と共に噛み合せのドアがその大口を開けていく。隙間から漏れ出した薄青い光がルルーシュを淡く照らす。 「――――――――っ!」 その向こうはまさしく生産工場だった。 ルルーシュの身長の倍はありそうな円筒ガラスの水槽がずらりと並んでいる。水槽は薄紅色の液体で満たされ、中では、十歳ほどの子どもが無数のコードと波線を描く電極、へその尾に接続されたチューブなどにつながれてホルマリン漬けの生物標本のように浮いていた。 人工授精、試験ベイビィというものが生殖手術の一環としてあるのはルルーシュも知っている。世間の目は冷たいが、子どもを設けることのできない夫婦からすればすがる藁(わら)だ。しかしこれはそんなものではない。 身体のどこかしらに文字が入れられているそれらは通路をはさんで左側に男、右は女という性別の違いはあるものの垣間見える顔はどれもこれも同じものだ。 「クローン…………」 生物の授業で習った技術。体細胞を、核を除去した卵に組み込むことで発生する人工生命体だ。何年か前にどこかのエリアで作製された羊のクローンが衰弱死したニュースは記憶に新しい。現在までに作製されたクローン体のほぼすべてになんらかのエラーが報告されており、この技術をヒトに適用するのは、倫理的な問題以前に技術的な問題があるとされている。たとえば、細胞の分裂に必要なテロメアの長さが短いことがわかってきている。そのため、クローン体は通常より寿命が短い可能性も否定できない。 また、クローンと一口に言っても完全に同じものができあがるわけではない。目の色や髪の色など、遺伝的に継承する部分は同様なので容姿は似るであろうが、成長の過程によって身体的な特徴がまったく同じになることはありえないと考えられる。なによりも年齢的なギャップが生じてしまう。クローン人間の成長速度は基本的に普通の人間と同じなのだ。 しかし、ブリタニアにクローニングを禁止する法律はない。クローニング技術が確立すれば体細胞クローン技術によって臓器の複製が可能なり、拒絶反応のない安全な移植手術ができる。またガン細胞やES細胞の研究、生命科学の発展にもつながるからだ。国によってはクローン技術規制法が設けられているために医療関係者や遺伝子学者たちはこぞってブリタニア本国に流れていく。そのため、他国では病が伝染り、逆にブリタニアの医療水準だけが上昇する。 おそらくここもその研究施設の一つなのだろう。 吐き気がして、ルルーシュは口を押さえる。生憎と胃の中には今朝飲んだ紅茶しかなく、なんとかそれをやり過ごす。悪寒が止まらない。全身の震えをこらえて、ルルーシュは一歩踏み出す。 どれもが一様に膝を抱え、赤ん坊のように丸まっているのがわかる。ゆらゆらと、薄桃紅の中で茶と金の髪が藻のようになびき、ときおり浮かぶ細かな気泡が人形ではなくて生きているものなのだとルルーシュに教えた。 「やはり、ブリタニアは腐っている…………」 狂っているとしか思えない。ヒトの倫理に逆らって同じ人間を大量生産し、あまつさえ脳に刺激を与えて成長を促進させるとは。 男の子に刻まれたDナンバ、対する女の子のLナンバを見ればルルーシュにも手に取るようにわかる。 くり返せばくり返すほど、コピィは劣化する。劣化したものは総じてもろい。使い捨てがいいところだ。そのための大量生産なのだ。重要なのは身体ではなく心臓と脳髄。身体を頑丈につくってさえしまえばあとはパーツの交換だけで事足りる。 あの女はこれを見せたかったのだ。ブリタニアが陰ながら行なっていた所業を。ナンバーズや国民はもちろん、おそらくは皇族でも一部しか知らないようなヒトが侵入り込むべきではない神の領域を冒していることを。 ルルーシュは極力水槽を見ないようにしながら安っぽいタラップをたんたんとのぼる。立入禁止の札が下がったチェーンをまたぎ、なぜか手動式のドアノブをつかんだ。力を込めて右にまわす。手ごたえは重たいが鍵はかかっていないようだ。そのまま押し開け、すぐさま中に飛び込む。支えを失ったドアが閉じる金属音が静寂をつんざいた。 安置されているそれを見た瞬間、ルルーシュの心臓が跳ねた。 七年前のスザクがそこにいた。 部屋の外に並ぶ円筒ガラスの群とは違ったつくりのそれはまるでアクアリウムにでもありそうなシンプルな円柱の水槽だった。部屋全体を支えるように天井と床の間にすっぽりと収まっているそれの下部には血管ほど細いものから若い樹木の幹ほどの太さがあるコードやらパイプやらケーブルやらが何十何百とつながっていて、壁と一体化した端末に接続されている。常時なにかを処理しているのか、等間隔で設置されているディスプレイは0と1の羅列や波線グラフ、ノイズの酷い映像などを表示している。 それらに囲まれたスザクは揺り籠でまるでまどろんでいるようだ。身体につながるコードの類はない。ルルーシュでも簡単に抱えあげられそうなほど小さな身体が薄紅色の培養液に浸されていた。ただわき腹――ちょうど銃創があったところにはゴシック系の字体でD−XIとナバリングされていた。わずかに視線をあげると、胸のあたりが規則正しく動いている。生きているのだ。 ルルーシュは無言で水槽に触れる。うっすらと表面を覆う霜が手のひらを冷やした。 「…………………スザク、」 なにからなにまで記憶にある幼い彼と同じだ。あの特徴的な目の色もそうであるに違いないと、ルルーシュはおもむろに顔をあげてスザクのそれを見る。 ――思い描いていたエメラルドグリーンと目が合った。 「な……!?」 それを合図にしたように、ごぽ、と比較的大きな気泡が水槽の底から断続的に浮かびあがる。なにかがひび割れるようなか細い音がしたと思った瞬間、水槽の正面が二つ割れた。わずかな粘性のある液体が漏れ出して床を浸し、スザクが前のめりに降ってきた。 ルルーシュはあわてて腕を伸ばし、その矮躯(わいく)を抱きとめる。想像したよりもずっと軽い。ルルーシュはその軽さに驚いて逆にスザクを落としかけた。咄嗟にバランスを取り、床の濡れていないところに下ろす。自分自身もそのまま片膝をつく。 スザクはふたたび白いまぶたを閉じかけ、途中でなにかに気がついたのか、今さらのようにルルーシュを見あげた。大きなエメラルドグリーンの目がさらに大きく見開かれる。 「…………あれ? ルルーシュ?」 なんで、とスザクは不思議そうに首をかしげた。 聞きたいのはこっちだと、ルルーシュはそう叫ぶ前にとりあえず自分のジャケットでスザクを包んだ。 あの後ルルーシュはスザクを連れて建物を出た。いつ軍人が巡回に来るかわからなかったからだ。とりあえずルルーシュはバスを乗り継いで租界に戻ってくるとアジトとして使用しているマンション(それも丸ごとだ。名義は架空の人物になっている)の一室にスザクを放り込んだ。いつまでもジャケットを着せておくわけにも行かないで適当な通行人にギアスをかけて子ども用の服を買ってくるよう命じた。 大きなバスタオルにすっぽり包まっているスザクにあたためた牛乳を手渡しながらルルーシュは移動中に聞かされた話を簡潔にまとめて口にする。 「――つまり、おまえはスザクの記憶を持った十一番目のクローンだと」 「そういうこと。簡単に理解してくれて嬉しいよ、ルルーシュ」 にこにこしながらスザクは返した。律儀にも「いただきます」と言ってからスザクはマグカップに口をつけた。支える手よりもマグカップのほうが大きい。 「あのな…………」 ルルーシュは頭を抱える。なんだってこいつはこんなに平然としているのだろう。というかクローンだという自覚があるところからしてまずおかしい。スザクだから、という伝家の宝刀的な理由はこの場合通じないのだ。面と向かってルルーシュは尋ねる。 「おまえ、クローンというには記憶がしっかりし過ぎていないか? おれはもっとこう、赤ん坊みたいなイメェジだったんだが、」 スザクは両手で持ったマグカップをかたむけながら緑の目で天井をそろりと見あげる。考えごとをするときのスザクの癖だ。 「ぼくは、あ、なんかこの言い方はおかしいか。んー……」 「いいから話せ」 「ん。十一番目のクローン体であるぼくはオリジナルの持っていた記憶を劣化させることなくダウンロードした唯一の成功体なんだ。身体年齢では七年ほどのブランクがあるけれど記憶や知識に関して言えば、きみの知っている十七歳のぼくだ」 「…………まるでファンタジィだな。空想にもほどがある」 「そうだね。ぼくも、ぼくとして目覚めるまではそう思っていた」 ルルーシュは十歳の身体をしたスザクを見つめてつぶやき、スザクは見かけに似合わないのも気にせずに肩をすくめた。 ヒトの形――スザクの形を模しただけではナイトメアのパーツとして成り立たない。そのために研究者たちはオリジナルの脳から読み取った記憶をクローン体の脳にフィードバックさせることにしたのだとスザクは言う。もちろん、その作業中に情報は欠けるし劣化もする。軍にしてみればナイトメアの操縦に関する記憶とそれに沿う経験があればいいのだから多少記憶が欠けていたところで問題ないと判断するらしい。 「たぶん、一番と二番にはルルーシュも会っていると思う」 「一番と二番?」 電話でランスロットも似たようなことを言っていなかっただろうか。ルルーシュは首をかしげた。 スザクはほかほかと湯気を立てる白い水面を見下ろしながら、遺伝子上は同じ人間であるクローン体のことをまるで他人事のように口にする。 「そう。一番は遺伝子異常ですぐに破棄されたけれど、最近まで二番は学校に行っていたはずだよ。――ぼく、変じゃなかった?」 確認するように問われ、ルルーシュはうなずく。嘘を吐いてもしょうがないからだ。 「頭でも打ったんじゃないかとか、みんなで好き勝手言っていたな」 「うわあ……」 スザクは恥ずかしそうにうめいた。心なしか眉尻も微妙に垂れているように見える。自分ではなくてもやはり同じスザクが奇妙なことをやらかすのは嫌らしい。ルルーシュも嫌だ。 微妙な同情心でふわふわの頭を見つめていると、ふてくされたような表情をしているスザクはルルーシュの顔をうかがう。 「ルルーシュは? ぼくをどう思った?」 「う…………」 答えにつまった。まさか学校に来ないわかまってくれないわで拗ねていたのでそれどころじゃありませんでしたなんて正直に言えるわけがない。 スザクは真剣そうな大きな目で上目遣いの視線を向けてくる。やばいくらいにかわいい……という感想はこの際置いておいて。「あー」この場を切り抜ける助けと答えを求めてあちこちに視線を泳がせるも、そんな便利なものが転がっているはずもない。 「あー…………」 ルルーシュはぱくぱくと口を開閉させ、しまいには喘ぐように長いため息を吐いてがっくりと肩を落とした。素直に言うしかないのだろうか。ものすごく不本意だ。 あは、とスザクが笑った。その声にルルーシュは顔をあげる。 「なんてね。だいじょうぶ、ぼくはちゃんと覚えているよ。きみがナナリーと一緒に家に来た日のことも、この間の猫祭りのことも。あと、」 スザクはルルーシュを見あげ、ちゃめっ気たっぷりに満点の笑顔を見せた。 「ぼくがきみを振ったこともばっちり」 一瞬、ルルーシュはなにを言われたのかわからなかった。スザクのセリフを噛み砕いて理解するまでにたっぷり十秒は使った。 「え……」 さあっと血の気が引いた。しかしスザクはルルーシュのそんな様子に気がつかずににこにことつづける。 「あれは本当に驚いたよ、教えてもらうまで全然気がつかなかったし。あとでニュース録画したの見せてもらって爆笑しちゃったよ。ごめんね、ルルーシュ。でもあのカメラ目線はヒットだったなあ」 「ちょ、ちょっと待て!」 「なに?」 「スザク……知っていたのか?」 ルルーシュはスザクの薄い肩をつかんだ。爆笑だのカメラ目線だのは後まわしだ。そんなこと今はどうでもいいことだ。ルルーシュが知りたいのは、スザクがゼロの正体に気がついていながらも「黒の騎士団」と敵対するようにあの白いナイトメアに騎乗していたという一点のみだ。 「うん。教えてもらったから」 さらりとスザクは肯定した。ぼくが死ぬ直前にね、とルルーシュが叫ぶ前につけ加えるあたりが抜け目ない。ルルーシュは反射的に言葉を呑み込む。 「ナリタ連山でのことは気にしていないよ。あえて言うなら彼女≠ェあちこち怪我したくらいだけれど、あれは感謝している。あそこで止めてもらえなかったらきっとぼくは彼女≠ノ溶けていたから」 スザクはバスタオルの隙間から細い腕を伸ばし、その小さな手でルルーシュの頬に触れた。十七歳の彼とは違って、子ども特有のあたたかい手だ。そのあたたかさにルルーシュは泣きそうになる。スザクの手はこんなにもあたたかいのに、ブリタニアはこの手にヒトを殺す道具を握らせるのだ。 ルルーシュはスザクの手に自分のそれを重ねた。スザクの目が不思議そうにまたたいたので、努めていつもと代わらない笑みを浮かべる(こんな状況でスザクへの想いをカミングアウトしたってどうしようもない)。 「スザク……今度はゼロではなくルルーシュとして言う。おれのところへ来い」 「もちろんだよ、ルルーシュ」 考える様子もなく、スザクはやけにあっさりと即答した。もっと渋るかと思っていたルルーシュは肩透かしを喰らった気分だ。 「だってぼくはもう使えないから。あそこに戻ったところで破棄されるだけだし。オリジナルのぼくのデータは全部彼女≠ェ持っているからだいじょうぶ。彼女≠ノなら任してもいいし、彼女≠ヘわかってくれたから」 その彼女≠ニやらへの信頼で目を彩って、スザクは嬉しそうに笑った。嫉妬とわかっているがルルーシュはおもしろくない。そんなルルーシュの心情を敏感に悟ったのか、スザクは苦笑しながらあぐらに横に広げて組んだ足の上にぽてんと乗っかった。予想外のことにルルーシュはぎょっとする。その反応に満足したのか、スザクは満面の笑みを浮かべる。 「ねえ、ルルーシュ。一度はきみの優しい手を知らずに拒絶したぼくだけれど、また一緒にいてもいい?」 答えの代わりにルルーシュはスザクを抱きしめた。「うわ」と悲鳴が聞こえたのには気づかないふりをする。七年前も、この間までもスザクはもっと大きく見えた。それが今は腕の中に閉じ込めてしまえるほど小さい。細くて折れそうな、しかしちゃんとあたたかい生きているものだ。 たとえルルーシュの知るスザクではなくても、このあたたかさをルルーシュはもう失えない。
生まれてきてくれてありがとう |