キャンパスの地下だとは思えないほどドックは広い。入り口からはいってすぐに目にはいるのは当然ランスロットで、調整のための足場やら謎のコードに囲まれる姿はなんとなく小さい頃に見た博物館にあるような古代の仏像を思い出させた。ただしランスロットは人を極楽浄土へ導くものではなくてただ薙ぎ払うものだ。 メカニックチームがこまめにランスロットの世話を焼く(なかなか的を射た表現だと思う)のを見ながら、スザクは入り口近くに積まれているコンテナに腰を下ろしていた。Tシャツとハーフパンツというラフな格好でいるのは先ほどまでランスロットに私服での搭乗実験を行なっていたからだ。ちなみに想定パターンは体育の授業中に突然テロが起きたらということらしい。やけにロイドが楽しそうだったから発案は彼にほかならない。 縁に足の裏をかけ、スザクはくるくると包帯を足に巻きつけていく。医療スタッフの的確な治療のおかげで経過は順調だ。学校であやしまれたくないからギプスも松葉杖も嫌だと言ったらありがたいお説教の嵐を存分にいただいてしまった。それでもスザクの希望どおりに苦心してくれたので頭の下がる一方だ。 ブリタニア人だろうが名誉だろうがイレヴンだろうが患者は患者、それを治すのが仕事だと気のいい医療スタッフは快活に笑う。今のご時世では廃れがちな考えに、それを聞いたときスザクは思わず泣きそうになった。特派の人々もスザクのことをなんだかんだで大事にしてくれている。それがスザクではなくランスロットのパーツとしてだとしてもスザクは涙が出るほど嬉しかった。 「足はどぉだい?」 「ロイドさん」 熱くないのか、大きなマグカップの底を長い指をすべて使って支えて(把手を持てばいいのに)湯気の立つ中身を飲む白衣姿がひょこひょこと現れて、スザクは作業の手を止めた。 「んー」 ロイドは腰を落としてすでに包帯の巻かれた左足をつつき、さらにはべしべしと情け容赦なくたたき出す。 びぃんと響く激痛にスザクは悲鳴をあげた。 「ちょ、いたっ! 痛いですからやめてくださいっ!」 「痛いの? ふうん、神経はつながっているみたいだねえ」 「あたりまえです!」 「いやあ、ねえ。きみの場合はデータじゃわかんないところが多いんだよね。だってその足、どっちもひびはいってるんだろう? なのに歩けちゃっているわけだかさぁ…………一度開いてみたいなあ」 「全力で遠慮させてもらいます!」 冗談なのか本気なのかいまいち判断のつかない声でつぶやき、ずるずるコーヒーをすするロイドから足を隠してスザクは叫んだ。ひとをなんだと思っているんだこの人は。 「全力、いいねえ全力!」 なにがおもしろかったのか突然けたけたと笑いはじめた上司を前にスザクは肩を落とした。慣れろ慣れろとくり返してもう何度目だろうという疑問がよぎったがすぐさま追い出す。考えるだけ無駄だ。 「こーら!」 ばこ、と軽いような痛いような音がしてロイドの頭が傾いた。いつの間にかセシルがそばに寄っていて、手にしているプラスティックのトレイでたたいたらしい。彼女は器用にも片手で持っていたマグカップをスザクに「はい、どうぞ」手渡しつつロイドに非難の目を向けた。 「あまりいじめちゃだめですよ。スザクくんも、あまり無理はしないでね」 マグカップを受け取りはしたが、セシルの目がどこか痛ましそうに落とされているのでスザクは「わあ」あわててそばに丸めてあったパーカーで足を覆った。ハーフパンツの裾から自分でも醜いと思う傷痕が顕わになっていた。 「すみません……」 なんだか申し訳なくなった。たぶん、眉がカタカナのハの字みたいに垂れているんだろう。 しかしセシルは穏やかな笑みを浮かべて首を左右に振った。トレイを胸に抱く仕草は見慣れたものだ。 「ううん、いいの。わたしも不躾に見てしまってごめんなさいね」 「そぉそぉ! そんな興味深い傷いっぱいあるきみが悪いんだよぉ」 「ロイドさんは少し口を慎んでください。駄々漏れです」 「…………セシルくんさぁ、なーんかぼくと彼と態度ちがくないー?」 恨みがましそうに口をとがらせるロイドに「気のせいですよ」にっこり笑顔で返すセシルは強い。軽口の応酬一つ見るだけでつき合いの長さがわかる。普通の軍部だったら上司に軽くをたたこうものなら処罰の対象だというのに。 ぼんやりと考えながらスザクは針金細工みたいな黒猫のイラストが描かれたマグカップの口をつけた。ミルクと砂糖が絶妙のバランスで合わせられたカフェオレはセシルの特製だ。飲み物だったら長年培ってきたらしい手腕を遺憾なく発揮するのに、どうして彼女は料理に関してだけはああも無謀とも思えるチャレンジ精神が出てしまうのだろう。このような職場では大量生産が求められるので、レシピどおりにつくるという基礎が抜け落ちてしまっているとしか思えない。 「と、こ、ろ、でえ」 「うわ」 ちゃぷんとカフェオレが波打った。いつものようになんの前触れもなく顔を突き出されて反射的に身を引いたせいだ。即座にこぼしていないかどうか確認すると、どうやらどこにも染みはつくっていないようだ。スザクはほっと息を吐き、原因であるロイドを睨みつける。 「なんなんですか、いきなり」 「すごいねえ。どうしたんだい? それ」 聞いてすらいない。 ロイドが興味を示したのは右のくるぶしに走る大きなばってんの裂傷だ。足首と脛を分断するような古い傷はだいぶ薄くなっているが、その上に被さっているほうは先日抜糸したばかりなので表皮が透けて薄らと肉の色を見せている。 「わ、痛そう。どうしたの?」 「う…………」 説明を求めるセシルに言葉がつまった。心配されるのにはあまり慣れていない。ロイドみたいに断ればすぐに興味を失うタイプは楽なのに、と内心で舌打ちしつつスザクはあたりさわりのない説明を考える。 「えーと、前にナイフ使用可の接近戦訓練のときにちょっと……」 スザクは傷に目を落とし、そう言えばあの人はどうしただろうと思いを馳せた。 接近戦を担当とする教官は大柄な男だった。肩幅は広く、どこを見ても引き締まった筋肉でがっしりとしていた。教える立場の人間だから当然のことだけれど、蹴り一つ、ナイフを一閃させる動作のどこにも無駄はない。卓越された技術にスザクは居合を思い出した。 幼い手で握った真剣の重さ。 水の中にいるようの無重力。 ぴんと張った清冽な緊張感。 教官は何度か訓練生同士で組み手をさせた後に自ら指名して模擬戦を行なうが通例だった。これがほかの分野であったならまず狙われるのはスザクたち名誉ブリタニア人だ。できなければ蔑まれ、うっかり良い成績を出してしまえば調子に乗るなと罵られる。しかしこの教官だけはブリタニア人だろうがイレヴン出身者だろうが分け隔てなく扱った。誰であろうと容赦なくたたきのめし、一本取れればひかえめながら評価を述べる。 スザクが教官と組み手をしたのはたった一回だけだった。訓練ではない、その課程を終えるための実技テストのときだ。 「殺す気で来いとは言わない。殺せ」 甘さを、情けを、哀れみを、感情を。 目的の妨げになるありとあらゆるものを捨て去れと教官は言った。銃は撃てば勝手に人を殺すがナイフは意思を持って誰かを殺す。それを忘れるなと教官はくり返した。 殺気は痛いものだった。 白刃は怖いものだった。 甘さを捨てきれなかったスザクはナイフを使わずに蹴り技ばかりで対抗していた。教官の言葉が頭をぐるぐるまわって、教官のナイフが肌に触れるたびに死をとなりに感じた。 跳んで、蹴りあげ、かかとを落とす。単純にくり返される動作のなかにスザクが永遠を思ったころ、教官が一瞬だけ隙を見せた。何度もえぐった足が突如として痙攣をおこしたのをスザクは見逃さず、一気に距離をつめて背後からまわし蹴った。狙ったのは首。折ってしまわないように、せめて昏倒だけですむように加減した。 それがスザクの浅はかさだった。 教官は教官である以前に死線を、日本対ブリタニア戦争を経験した軍人だった。彼は膝を突いてなおスザクの迷いを敏感に察し、ホルスターに収めてあった大振りのナイフを逆手に引き抜いて背を首筋に這わせた。刹那の、咄嗟の判断としか思えないそれでも、スザクは止まれなかった。避けられない。 ナイフはスザクの蹴撃を防ぐだけにとどまらず安全靴に包まれた足を確実にえぐり裂いた。 ナイフの角度、蹴りの勢い、経験の差。生きることに対する執着。覚悟。 血管を傷つけたらしく、おびただしい血が汚す地に伏したのはスザクだった。動けなくなったわけではない。ただ教官の太い腕に縫いとめられ、顔の横にはスザクの血に濡れたナイフが突き立てられていた。 張り出された判定は合格。ただし教官はスザクに批評は与えなかった。それが、彼がスザクに言いたかったことなのかもしれない。 ――死者にくちなし。 後日、スザクは教官の訃報を噂で聞いた。内臓破裂と、複雑骨折した肋骨が肺に突き刺さっていたらしい。官舎の自室で冷たくなっているところを同僚に発見されたとか。 罪悪は感じなかった。 「下のはあ?」 ロイドの声にスザクははっと我に返った。 同期のひそひそとした話し声が消え、がちゃがちゃ喧しい音が戻ってくる。スザクがいるのは官舎の寒い廊下ではなくて人の活気のあるところだ。 だいじょうぶ。まだ、生きている。 「…………これは、」 思い出す。霞みがかった、まるでテレビドラマのような他人事の風景を。 「これは子どものころ、木から落ちかけた友人を助けてできたんです」 ロイドは「ふうん」興味を失ったようにつぶやいただけだった。そのまま身をひるがえしてランスロットのほうへと歩いていく彼にセシルは「勝手なんですから」とぼやきつつもついていく。 スザクはそっと醜く引きつれた肉色の傷と、その下敷きにされた白っぽいビニールのような傷を撫でた。 教官を死なせてしまったとき、誇れたはずの過去の自分さえ殺してしまった。
懐しさを断罪 |