ルルーシュとナナリーが住んでいるのは同じ敷地内でも本邸とは別の離れだ。普段は着物のメイドが何人かいて、本来ならば本邸にいなければならないスザクさえも離れで暮らしている。なんでもゲンブ氏は常に官邸のほうにいるらしい。せっかくふたりがいるんだから、とメイド頭に怒られるのもかまわずにスザクはルルーシュたちと一緒にいた。 ルルーシュは寒いろう下からじっと外をながめていた。 とにかくひまだった。スザクは習い事があるとかでいなくて、ナナリーはあたたかい部屋の中でねむっている。本を読もうにも日本語はまだむずかしくて、けれどブリタニアの言葉で書かれているものはあまりない。なにもすることがなくて、いつの間にか降り出した雪を見ていた。 ブリタニアのわたぼこりみたいなのとちがって、日本の雪はまるでパウダーシュガーみたいだ。さらさら、さらさら降る。 とても寒いけれどずっと見ていたい。ルルーシュは赤くなった手のひらに息を吹きかけてはこすってあたためながら、シュガーパウダーでデコレーションされていく庭を見ていた。黒っぽい緑の葉っぱも、赤いカメリアの花も、外にあるもの全部が白くかざられていく。空さえもが白い。まるで、ガラスの小さなドームに閉じ込められたノームの置物になった気分だ。 石の上に並べてあったの青い長ぐつをはいて、ルルーシュはろう下から庭に出てみた。雪を踏んづけた瞬間、さくりと音を立てた。焼きたてのクッキーをかじったみたいな音だ。顔にあたる雪は全然冷たくない。簡単に足あとがつくのが楽しくて、ルルーシュはいつか見た犬みたいに庭を走りまわった。 雪は寒いのを余計に寒くさせるだけのものと思っていた。けれどそれはブリタニアのものだからであって、日本のはちがう。 ふと、ルルーシュは足を止めた。なんとなく粉を散らせつづける空を見あげる。 ――さらさら、さらさら 雪の降る音。 世界を白くかくしていく音。 はあーっ、はあーっ………… 呼吸する音。 ルルーシュがここにいる音。 メイドがいるはずの家の中からはなにも聞こえない。先ほどまでたしかに聞こえていたはずのものが聞こえない。物音ひとつしないところに、ただ一人ぽつんと。 白い世界に、ただぽつんと。 足元を見れば、先ほどたくさんつくったはずの足あとがほんの数歩分しか残っていない。さらさらと静かに降りつづける雪は少しずつルルーシュの肩や長ぐつの上にも白をかぶせていく。 ルルーシュを消していく。 音もなく。 「やだ……っ」 小さく叫んで、ルルーシュはその場でうずくまった。冷えた手を耳に押しつけて、ただただ小さくなる。雪から自分を守るように。ここにいるのだとでも言いたげに。けれども雪は、自身とは対照的なルルーシュの黒髪さえ無情にも積もる。 かわいた雪が首にさわって、ルルーシュはさらに身体をかたくした。 音、音、音。音がない。はやくはやくはやく、音を取りもどさなくちゃ。 ただその一心でルルーシュは手をぎゅっと耳に押しあてる。いつも聞こえるごうごうという音が聞こえない。 なんで、とつぶやいた声が聞こえなかった。自分の声さえ吸い取られてしまって、ルルーシュはがく然とした。 きれいだと思った気持ちなんてすっ飛んでしまった。雪はただ怖いバケモノだ。音を食べて、世界を食べて、なにもかもを白くしてしまうだけのものだ。 じわりと涙がにじんで、ルルーシュはぎゅっと目をつぶった。 「スザク…………」 たすけて。音のないここから出して。 「ルルーシュ?」 突然返ってきた、ただひたすら求めていた声に、ルルーシュはぐりんと顔をあげた。ぼたぼたとあごから垂れた涙が雪を溶かす。けれどそんなことルルーシュの目にはいらなかった。白しかなかった世界に、スザクの色があった。 「え、ルルーシュどうしたの!?」 ルルーシュが泣いていることに気がついたスザクはぎょっとしたようで、素足のまま庭に飛び出した。そのままルルーシュのそばに膝を突いて、あわてたような困ったようなにこちらの顔を覗き込む。 「どうしたの? どこか痛い?」 ペリドットみたいな、ルルーシュの好きなスザクの目が不安そうに揺れている。 口を開いてもルルーシュはなにも言えず(声がのどに張りついてはなれない)、ただスザクの上衣のそでを力いっぱいにぎった。 「雪…………」 ルルーシュがようやく言えたのはそれだけだった。 しかしスザクはそれだけでちゃんとわかったようで、ぎゅうとルルーシュの頭を抱きしめた。ちょうど耳が胸にあたって、スザクの心臓の音が聞こえる。 とくん、とくん。 スザクの生きている、少し速めのリズム。それに合わせてルルーシュは呼吸をくり返した。不規則だったそれがだんだん整ってくると、スザクはそっとルルーシュの頭を撫ではじめた。いつもならばかにするなとふりはらうそれは、今はルルーシュに絶大な安心をもたらした。 「ぼくも、小さいころは雪がとってもこわかったよ。雪が降っているときに強い風が吹くとがたがたって障子を揺らして、夜寝ていると雪の積もった木の枝がばしって跳ねあがって、そのたびに飛び起きた」 はじめてきくスザクの話に、ルルーシュは顔をあげて目をまたたかせた。涙はいつの間にか止まっていた。音が戻ってきた耳には胸からはなれてもスザクの心臓の音が聞こえる。 スザクはルルーシュの目の端にたまったままの涙をそっと自分のそででふいて、手を伸ばして雪をかぶっていたカメリアをもぎ取った。手のひらよりも少し小さなそれをスザクはじっと見つめた。釣られてルルーシュもそれを見る。 赤い赤いそれが白い世界に浮かびあがる。 「ひとりで雪を見ていると必ずさびしくなった。自分しかいないって気持ちになって、泣きそうになった。今でもたまになるよ」 スザクはにっこり笑った。手貸して、と大輪のカメリアをそっとルルーシュの差し出す両手に乗せた。とくん、と耳に響く。 「ルルーシュのこわいのもさびしいのもぼくがもらってあげるから、ルルーシュにはぼくの心臓を半分あげるね」 それならさびしくないよね、とスザクはやわらかく笑った。 スザクと別れてしまった今も、ルルーシュはスザクの心臓を半分もらったままだ。いつか返さなくてはならないのにどうしても手放せないでいる。そもそも返さなければならないスザクがそばにいない。 雪が降っていなくてもルルーシュはときどき手を耳に当てる。そうすれば、いつだって彼の生きている音が聞こえるから。
初めは憧憬、 或いは初めから恋情 |