「ロックオン」
「んー?」
「ロックオン」
「どうした?」
「ロックオン」
「だからなんだって」
「……ロック、オン」
「ほら。泣いてちゃわかんないだろ、ティエリア」
「どうしてっ……どうして私を、責めないの、です、か」
「そりゃなあ。おまえが、おれならぜったいに責めないでおまえをゆるすもんだと思っているからさ。いくらあやまっても罪を求めていても『おまえはわるくない』って言ってへらり笑ってゆるすのが、おまえのおれなんだよ。ティエリア」



「ロックオン」
「なんだ、刹那」
「なぜここにいる」
「なぜだろうな」
「あんたは死んだんじゃないのか」
「ああ。たしかにおれは死んだ」
「だったら」
「おまえがここにいてほしいと願ったからさ」
「……意味が、わからない」
「いいや、おまえはわかっている。おまえはおれが死んだのを知っていて、なのに死んだってことを認めたくなくて、それでもおれが死んでいることをだれよりも知っているからここでなら会えるって思ったわけだ。お利巧さんだなあ、刹那は」



 はた、と気がついてアレルヤはまたたきをくりかえした。
 何事かと思って左目をこすってみても見えるものはなにも変わらず、それでは夢かと思えどもあまりの違和感のなさに違和感を覚える。リアリティがありすぎるのもまた非現実的なものだ。今まで過ごしていたのが無彩色で無機質なところだったからよけいにそう感じるのかもしれない。
 なんと言ってもアレルヤのいるところは極彩色の洪水だ。赤と黒のチェス盤みたいなカーペット、チェリーピンクとローズピンクのハートがぎっしりつまった柄の天井からはやたらとげとげしたこぶし大のオーナメントみたいなものが安っぽくひかっている。壁はぜんぶ上のほうが手前にかたむいた本棚で、サイズもジャンルも厚さもでたらめにつめこんである本の背表紙はどれも落ち着いたものなんてありはなしない。
 絵の具をそのまま塗りたくったようなありさまに目がちかちかする。心的にくらりとして目を前方にやれば長いテーブルを覆うクロスだけがやたらと白く、その上にところせましとならぶ菓子類はどれも気ちがい染みた色をしていた。とても食べられるようには見えやしない。
 そんななかで、目の前にあったティーカップを音をころして持ちあげた手の先を追ってしまったのは反射だった。気配もなにも、この広くてせまい部屋にはなかったから。顔をあげたところにあったやさしい笑みに、アレルヤはただ目を見開いた。
「ロック、オン?」
「お? なんだ、なんだ。その、いかにも今気づきました的な呼び方は」
「気にすんな。そいつ、実は寝起き最悪だからよ」
「ハレルヤまで!」
 予想外どころか想定外、むしろすがたを見るのもざっと四年ぶりにもかかわらずそれに伴う感慨などはすべてふっ飛んでしまう。それもそのはず、溜まりに溜まってなかば汚泥と化した泣き言や暴言をアレルヤからあっさりうばってしまうほどふたりの格好は奇妙そのもので、その分だけこの異様な部屋に溶けこんでいた。
 ティーポットを手にしているロックオンは白いシャツに黒のスラックスで、にぶい金のストライプがはいった深緑のネクタイをリボン調にし、肩にいたる長さの髪を同色の細いリボンでゆるく結んでいるさまはどこか禁欲的で、けれど相変わらず両手をグローヴで覆っているのが印象的だ。だというのにやわらかいはしばみ色のリングレットからひょっこり伸びるのは白いうさぎの耳。そのような耳を持つのは大都市部にひとつくらいある図書館で管理されている重要文化財の絵本のなかだけだ。そもそも人間の耳とはべつに生えているのがありえない。
 また、ロックオンとは反対側に位置しているくすんだオレンジ色のソファで寝そべっているハレルヤは服装だけならばふつうすぎる。ひとまわりほど大きい赤のVネックシャツに細身にジーンズ、爪先がとがったデザインシューズ。それだけならば(自分と同じ顔のはずだけど)ああ、かっこいいな、で済んだというのに彼の頭には髪と同色の三角形が存在している。さらにはVネックシャツの裾からは太いモールのようなかぎしっぽが伸びていて、それがゆらゆらしているせいで妙にさわってみたくなる――――じゃなくて。
「なんでふたりともこんなところに……というか、その格好は」
「なんでって言われても、なあ?」
 訊ねれば、ロックオンはこまったように首をかしげ、差し入れた指に髪をからめた。
 記憶にある彼そのままの仕草にアレルヤは知れずほっと息をつく。同時に、まだ覚えているものなのだと静かにおどろいた。もう何年も前のことなのに、目の前の彼とくらべることができるほどソレスタルビーイングとしてあった日々はまだまだ鮮やかだ。
 ロックオンの振りを受けて、腕枕の体勢からごろんと両腕を伸ばして腹這いになったハレルヤは首を伸ばようにしてにしゃりと笑った。
「てめェもよくお似合いだぜ。アレルヤちゃん」
「え?」
 アレルヤは二、三度またたいた。呆けたのは一瞬。すぐさまハレルヤの言葉を理解し、ぱっと自身を見おろして悲鳴をあげそうになった。恐怖ではなく羞恥で。いやこれもある意味恐怖だ。
 アレルヤの衣装はそのものずばり水色のワンピースだ。袖口はふんわりしているし、丈はひざより短いくらいで何重にもなったスカートの下にはかたい網のようなものがあってそれで裾を広げているらしい。ワンピースの上にはフリルのついたエプロンで、ひざより上にまで長さの白黒ボーダーのソックス。履いている靴はビニールみたいにつやつやした黒でかかとがものすごく高い。
「な、ななななんで」
 思わずスカートの端をつかんでばっさばっさと意味もなく上下にふった。そのたびに内側のふわふわした布が引っぱられていっしょに動く。今さらだから思うけれど肩とかお腹とか締めつけられている感じがして地味にくるしい。
「だからなんでって言われても」
「基本だろ」
「だな。帽子屋代行の白うさぎと、三月うさぎを追い出したチェシャ猫がいるんだ、主役のお嬢さんがいなきゃお茶会ははじまらないよな」
 やれやれ、といつもみたいに(いつもっていつだっけ)笑いながらロックオンはカップに紅茶を注いだ。ちゃんとしているようで実は適当な作法で淹れられた紅茶は、なんというかありえない風に弧を描いてカップへと流れている。あきらかに流れるいきおいとポットのかたむき加減が比例されていないのに。
「まずは一杯といこうぜ。再会を呪って」
「……祝って、ではなく?」
 すっと自然な仕草で差しだされたカップを受けとり、けれど伴われた言葉が奇妙で思わず首をかしげればお腹をソファにくっつけたまま胸から上だけを起こしたハレルヤが「はっ!」さらに鼻で笑った。つくりものみたいなふかふかのモールしっぽがひょろりと揺れる(あ、なんかさわりたいかも)。
「甘ったるいてめェらしいな。ふつう死んだやつに会ってよろこばねェだろうが。おれにも茶」
「まあまあ、そういう言い方はしなさんさって。それがアレルヤなんだから。ほらよ」
 聞いていて、なんとなく自分の知っているふたりではなような気がした。ハレルヤはどこかやさしいし(本当のことを言うなら彼はいつだってやさしい)、ロックオンには変にずれているような(でも彼がわざとずらしているのはなんとなく知っていた)。
 ロックオンは大きめのマグカップにたっぷり注いでそれをハレルヤに手渡す。それからすぐそばのコーヒーカップにもまた淹れているからそれは彼の分らしい。見ているとポットがかたむくたびに出てくるお茶の色が微妙にちがう。アレルヤの白いティーカップにあるのはきれいな赤色をしていて、ハレルヤのマグカップにはなぜかミルクティー、でもロックオンが今注いでいたのは黒茶のそれだった。
 ハレルヤは受けとったマグカップを、極彩色の菓子の乗った皿をむりやり押しやってつくったスペースに置いて近くにあったガラス瓶のふたを持ちあげて、ふたのつまみを器用に小指と薬指ではさんで支えたまま親指と人差指を瓶のなかに。青いようなみどりのようなの、蜂蜜をかためたようなの、苦そうな濃いみどり、酸っぱそうなオレンジ色――次々引っぱりだされたビー玉のようなそれをカップに放りこんで、見はからっていたのだろうロックオンがスプーンでからから混ぜた。
 あれはなんだろう、とアレルヤはティーカップの縁をくちびるではさむ。ほわほわと湯気を立ちのぼらせる紅茶はちょっと熱い。いくら超兵といっても温痛覚はそのままだし、いじられたのは神経系だから実をいえば(今は落ちちゃっているけど)筋肉は自分できたえたのだ。いや、アレルヤの筋肉なんてどうでもよくて(だって自分で言うのもあれだけどあんなむっきむきがワンピースなんて着ていたら心底気持ちわるい)。
 ハレルヤが指を入れた瓶は透明で、内側は空だった。なにかをつまむような仕草も透けて見えたのに、瓶の口から出るときには色玉がちゃんとあった。あおみどり、きんいろ、みどり、オレンジ。どこかで見たことのある色だ。
「おかわりはいかが?」
 芝居がかった風に言われて、アレルヤはきょとりとロックオンを見あげる。おかわりもなにも、まだ飲んでもいなければ冷めてもいない。だから断ろうと思って首を振ろうとしたのに、彼ときたら見慣れていたやさしい顔でティーカップをアレルヤから取りあげて、またべつのカップを差しだした。縁に赤い小鳥の絵が描かれた陶器。八分目ぐらいで揺れる水は先ほどよりも黄色い感じだ。香りもなんとなく酸っぱい。
「おかわりをどうぞ」
 言ったのはハレルヤだ。にまにま笑いながら両ひじを突いて上体を支えて、それでマグカップを両手で持っている。器用なのかお行儀がわるいのかいまいちわからない。けれど彼を見ていたところでティーカップがなくなるわけでもないので形式的に、あるいは儀式的にそれを受けとれば、ぽちゃんと水面が揺れるようにはじけた。落下した色玉。見えたのは白っぽい銀色。
「ロックオン」
「ん?」
「ハレルヤ」
「なんだよ?」
「――――これは。夢、なんだね」
「まあ端的に言うとな」
「じゃなきゃおれと、こいつがそろっているわけがねェ。夢、奈落、深層意識、あの世、願望、妄想、現実逃避。好きな言葉を当てはめるんだな、おれらのアリスちゃん」
 あっさりうなずかれて、ようやくアレルヤは気がついた。この空間も、彼らの役どころも、なぜこんなことになったのかも。
 迷いこんだ不思議な世界。招かれざる狂ったお茶会。振りかえらない白うさぎ。正否を問わないチェシャ猫。置いていかれるばかりのアリス。現実は肯定せず、夢を否定するためだけの夢。
 コーヒーカップのつるをグローヴの指先に引っかけて、ロックオンはそれを逆さまに引っくりかえした。一気にこぼれるはずの中身はだくだくとして尽きる様子もなく滝のようにテーブルクロスを赤く赤く染めていく。
「おまえはさ、アレルヤ。おれたちに生きろって言ってほしいんだよな」
「どうせあの女を助けられるなら死んでいいなんてばかげたこと考えてんだろ? そいつは上等だ、てめェの本心だからな」
「でもおまえはそれで本当にいいのか迷っている。ハレルヤと引き換えに生きのこったようなもんだし、こいつならぜったいに生きろって言うだろうし」
「ったりめーだ。なんだかんだ言ってアレルヤの生存が最優先事項なんだっつーの。でもおれが言ったんじゃてめェは聞きゃしねェ。最後にはけっきょくあきれて折れるのがおれだって思ってるからな」
「そこでおれの出番ってわけだ。おまえの認識だとおれは正しいおとなってやつだ。実際はちがうわけだけど、心のどこかでおまえはおれの行動を肯定している。自分の都合で行動した正しいおとな。だからおまえはおれに認めてほしいんだよな、おまえがしたいことを」
「ところがどっこい。てめェは認められるのを望んでいるくせに否定されることも期待してやがる。どっちを言われようと反論はしたいんだよな、おやさしいアレルヤさまはよォ」
 あんなに白かったテーブルクロスはもう真っ赤で、受けとめきれなかった水分が端からだらだら滴っている。ところせましと乗っていた頭のわるい菓子類はずぶずぶと紅茶の海に沈みかけて、どろりとした極彩色の汚泥になってわかりやすい地獄を描いていた。
 気がつけばアレルヤはそんな地獄に立っていた。すぐ向かい側にはソファに座る白うさぎと、彼のひざになつくチェシャ猫がいる。距離にすればたったの三メートル。けれどそれは近づいてはいけない長さだ。てらてらした靴を濡らす赤い海以外はどこまでも白くて、ふたりよりもずっと向こうにも果てはないように思えた。
 ごろんと頭をあずけた状態でハレルヤはかぎしっぽを揺らめかせる。
「ま。てめェで決めたことなら文句言わねェがよ」
「だいじなのはおまえの意志だから。外野はとやかく言わないのがルールってね」
「言ったろ? 引き鉄くらいエゴで引けってな」
「お、真理だな。はは、こんなのおまえからすれば無責任に思えるんだろうな」
「そいつは仕方ねェさ。これがアレルヤのなかのおれらだ」
 おたがいのためにおたがいを認識してほしいと思っていたふたりが記憶にのこっているいちばんやさしい表情といちばんやわらかい声でアレルヤの沈殿物をすくいあげていく。まるでふたりが会いにきてくれたように錯覚。そっとすくいあげては振りかぶってたたき落とす。 指標となった白うさぎ。道標でしかないチェシャ猫。進まざるを得ないアリス。
 それはアレルヤが望んだことだった。そうしてくれるのがアレルヤの信じている彼らだった。
「……うん、そうだね」
 だからアレルヤは進まなければいけない。ロックオンがそうしたように。ハレルヤがそうしたかったように。だれのでもない、自分の意志で。



「――――起きろ」
 ゆらゆらと。水面に浮かんでははじける気泡のようにまどろみの水中で揺らめいていた意識が一気に収束する。声。あれだけ渇望していた“彼女”の声だ。
「被験体、E-57
 ああ、あなたの声で目が覚める。
 こんなに色のない現実が、ようやく世界だとわかるのだ。





あのひとはわたしの世界でした(でも全部じゃないの)