窓の外で風がびょうと吹いた。連なるアパートメントがサーキットを形成しているせいかガラスを揺らすほどの突風は稀のことで。あるいは自分が見たい県名だけでこのあたりに定住している人たちはこの風を迷惑に思っているのかもしれない。一時的な結論(と言うよりもひとつの区切り)に至ったところで指を栞代わりにしていたハードカバーをふたたび読みすすめる。太陽エネルギーの恩恵を受けるこの時代でも紙媒体は絶えることがない。たしかに持ち運びや保管を考えれば嵩張るものだが好んで文字を追うのであればペーパーブックのほうがより好みだ。ディスプレイの発光で目が傷つけられることもなく。本との距離は一フィートくらい。グローヴをしたままページを繰るのも疾うに慣れた。
「ん……」
 腹にかけてやったタオルケットが寝がえりに引っ張られてわだかまりをつくり、けれど右腕をアイマスクにしているので現時点においてどちらかは不明。当然のように分別を図るのは彼らのアイデンティティによるところが大きい。自己呈示としてはおたがいに対しネガティブであるのにその実は密接な依存関係にあるように見える。当人らがどう感じているかはやはりわからないが少なくとも彼らの事情をわりとはやくから知らされ知っていた身からはそう見えて、それを前提条件として接触をくりかえしていたらいつの間にか妙になつかれていた。
「あんまり寝るとあとでつらいぞ」
 本をもたない左手をのばして頭を撫でてやったらぐるぐるとうなり声がかえってきて。現在がだれであろうと機嫌がかたむいているのは仕方のないことだ。睡眠とは異界へ向かうこと。昏睡と同じく死にとても近いところ。出入りに恐怖を感じるのは生物として当たり前で、そういう意味では人間――ひいては生物というものは死へのゆるやかな願望があるのだろう。否定要因はあまりに少ない。現実から逃げるという点では死も夢も似たようなものだ、と。断言してしまうには極論が過ぎるけれど。
「のどかわいた」
「はいはい。ちょっと待ってな」
 自分と入れ替えにハードカバーをベッドに置いて。ヴヴヴと羽虫みたいに小刻みな音を発する小型のクーラー。なかがオレンジ色の光に照らされた微妙に冷えにくい感じのそこからミネラルウォーターのボトルを二本取り出す。長期滞在の予定ではないのでストックは残り少ない。セーフハウスは利用するたびに物資を買いたすようにしているのでカスタマイズもおざなりだ。人の住まない家はすぐに傷む。
「――――あまい」
 くぐもったつぶやきに首だけ振りかえり、肘で押してクーラーを閉める。ぱたり。漏れ出す冷気がやんで外にあふれたつめたさが足もとのフローリングにとさりと落ちる。目に見えないけれど。たしかにそこにあって。
「桃のにおいだな」
「もも」
「ああ。昼間マーケットに出たときにちょっとな」
 食うか、と。ボトルを差し出しながらたずねる。温度差に濡れたそれを相手がしっかりとつかんだ感覚にこちらは支えを手放す。受け取るのにからだを起こしていても立てたひざに額を押しつけているので表情はわからない。どちらなのかも。その分別に意味などなくても。
 ただ拒否の言葉だけが暗い部屋にとける。






夜の桃